下賜される王子

シオ

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◆ 幕間

3、祝福されるということ(9)

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「左軍ではどんなお仕事を?」
「地方都市で警邏の仕事を務めております」
「警邏……というと?」
「市民の生活を守ったり、犯罪を未然に防いだり、といった類のことですね」

 軽く相槌を返したが、その実、私はあまり理解していなかった。市民の生活を守る、とは一体どのようなことなのだろう。犯罪を未然に防ぐ、とは。そんな疑問を抱いていると、玄嵐が揶揄するような表情と声で言葉を紡ぐ。

「そんな可愛らしいものじゃないだろ」
「そうそう。凛瀬は、男でも臆するような裏社会の輩が相手だって立ち向かっていく逞しい女性武官だ」
「ちょっとやめてよ、本当やめて。宮様に野蛮な女だと思われたくないの。お願いだから黙ってて」

 玄嵐のあとを継いで言葉を続けた犀清。玄嵐の声音は、揶揄いに満ちていたが、犀清は立派な武人として仕事を務める妹を賞賛するような、そんな言葉だった。

 武官としての務めを、女性の身で果たす凛瀬を、私は野蛮な女だとは思わない。むしろ、私よりも逞しく、尊敬に値する女傑だと感心するばかりだ。だがどうやら、彼女は己の逞しさを私に知られたくないようだった。

「清玖、裏社会とはなんだろうか……?」
「え? あー……そうだな、なんて言えばいいのかな。悪い奴らばかりで構成されてる世界っていうか……。ある意味、必要悪なんだが、度を超える連中は取り締まらなければいけない……というか、……伝わるか?」
「なんとなく分かるような……分からないような」
「王都では、左軍が相当強く目を光らせてるから、そういう連中は殆どいないんだ。吉乃が裏社会の言葉の意味を理解出来なくても仕方がないよ」

 皆で共通認識が可能な事象を知りえていないというは、恥ずかしくもあり悲しくもあった。己がどれほど世間知らずであるかを思い知らされるようで、辛いのだ。

 だが、仕方のないことだと清玖が慰めてくれる。沈みかけた気持ちを浮上させ、改めて凛瀬に向き合う。

「大変なお仕事ですね」
「いえ……! そのようなことは……!」

 労いの言葉をかければ、凛瀬は顔を真っ赤にして顔を首を左右に振って否定した。そのおもての赤みは、体調の不具合を疑うほどに赤く、私は不安でになって清玖を見る。すると彼は、照れてるだけだから、と笑って私はの不安でを払拭した。

「凛瀨は昔から、黒髪の宮様にずっと憧れてたんだよ。宮様方の近くで任務に当たりたかったんだけど、地方に赴任することになったんだ」
「そうなのか……」
「だから、宮様耐性が出来てなくて、吉乃を前に少しもじもじしてるんだよ」
「余計なことを言わないでってば!」

 凛瀬の事情を説明する清玖に、彼女が吠える。どうやら、己のことを解説されるのは恥ずかしいらしい。照れて声を荒げる凛瀬は可愛らしく見えた。

 聞けば、王城に詰める者たちはある程度、王家の者を目にしたり、私の存在を感じたりするそうで、宮様耐性というのがあるらしい。だが、地方で勤務する凛瀬にはそれがないというのだ。

「騒々しい子供たちばかりで申し訳ないです」
「いえ、賑やかなことは良いことです」

 私は、彼ら兄弟の会話を楽しく眺めていたが、父である玄犀は詫びるような言葉を口にした。そして、その表情はとても真剣味を帯びたそれとなり、視線を私と清玖に真っ直ぐ向ける。

「さて、清玖。今度は、お前の話を聞かせてくれ」

 一通り家族の紹介を受け、私は清玖の身内を理解した。であるのならば、今度はこちらが事情を説明する番だった。

 兄弟がたちと会話を交わし、私の緊張も随分と解れていたのだが、それが一気に復元された。私の全身を痛いほどの緊張が襲う。

 そんな私を気遣って、清玖が机の下で私の手をそっと握った。大きな手が私の手を包み込む。清玖の方を見ると彼は微笑んで見つめ返してくれる。大丈夫だ、とその笑みがそう囁いている。

「父さん、俺は吉乃と一緒に生きていきたいと思っている」

 この場の誰しもがそれを理解していただろう。でなければ、王族という身分にある私が市井に降りてくる理由がない。だがその言葉を耳にした直後、清玖の両親は息を呑んだ。それがどんな意味を孕むのか、私には推し量ることができなかった。

「先日、国王陛下にお許しは頂いた。あとは、父さんと母さんが許してくれれば、俺と吉乃は夫婦になれる」
「陛下が、お許しになった……、お前が、宮様の夫君になるというのか」
「あぁ」
「……あまりにも恐れ多くて、にわかには信じがたい」

 玄犀の声は震えていた。大丈夫だと清玖は私に言うが、それでも不安は募るばかりで全く大丈夫などという気持ちにならなかった。私の手を握る清玖の手に、強い力が込められる。

「俺もだ。本当に何もかも信じられないよ。……でも、俺は吉乃の特別になりたい。それがどれだけ恐れ多いことかは理解している。それでも、俺たちは一緒にいたいんだ」

 それは、私と清玖の願いだった。一緒にいたい。ただ、それだけを願っている。多くは望まない。課せられた姫宮の務めも、果たし続ける。だからどうか、一緒にいることを許してほしい。

「宮様も……それをお望みなのですか」
「はい。そもそもは、私が願ったことです」

 清玖を、特別な存在にしたかった。私を、清玖の特別な存在にして欲しかった。私が、強く願ったのだ。

「そう……ですか」

 玄犀は静かに頷いた。そうして、一度瞑目し、その目を見開いて私たちを見る。

「陛下がお許しになり、当人同士が望んでいるのであれば、我々に否やは御座いません」

 それは、承諾の言葉だった。清玖は笑顔でその言葉を聞届ける。けれど私は同じように笑みを見せることが出来なかった。晴れない心のままで、玄犀と向き合う。

「本当に宜しいのですか」
「……吉乃?」

 私の中には、どうしても拭い去れない不安があったのだ。そのせいか、玄犀の承諾の言葉も素直に受け入れることが出来ない。

 国王陛下と副王陛下が認めているなら反意を示すことは許されず、不承不承の承諾なのではないかと疑ってしまうのだ。そして何よりも、本当に私で良いのだろうか、という懐疑。

「皆さんも、ご存知だと思いますが、私は姫宮です。姫宮の務めは……その」

 ちゃんと伝えなければ。不安はを拭い去るためにも、この胸に巣食う黒い靄を晴らさなければ。そう思っているのに、なかなか言葉が続かなかった。口籠り途切れた私の言葉を、玄犀が引き継ぐ。

「存じております。宮様が尊いその御身を犠牲にして、民と国のために尽くされていること。その御献身に対し、我々は絶えぬ感謝を抱いております」
「ご存知なら……、なおのこと、受け入れ難いのでは?」

 私が男で、王族で、何よりもも姫宮であるから、清玖の両親も手放しでは喜んでくれない。そもそも、本心から受け入れてくれているとも思えない。表面上では承諾してもらえたとしても、それは紫蘭兄上が提示した条件を達成したと言えるのだろうか。否、言える訳がない。

「……受け入れ難いことなど、何もありません。ただ……あまりにも、御身分が違いますので……戸惑ってしまうのです。我々は、武官を輩出することが多いことから、武官の名門などと称されることもありますが、そうであっても我らは平民に違いなく、貴族に列されることもありません。ましてや、我々は分家筋。尊い御身の宮様とでは、あまりにも……」

 玄犀は、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。微かな声音ではあったが、彼は饒舌だった。私はそれを聞き届け、緩く首を左右に振る。

「身分違いを私は全く気にしていません。……清玖には居心地の悪い思いをさせることがあるのかもしれませんが」

 横目で清玖を伺えば、彼は変わらぬ笑みを浮かべて私を見ていた。

「居心地が悪いというより……陛下にお会いする機会が増えたりして、恐れ多いなと思うだけだよ」
「そうか、お前はもう何回も陛下にお会いしてるんだな」
「陛下だけじゃなくて、他の宮様方にもよくお会いする」
「なにそれいいなぁ、羨ましいすぎる!」
「羨ましいってお前なぁ」

 重い空気が堆積していたが、兄弟たちの会話が始まり払拭される。特に凛瀬の声は明るく、場を和ませた。私も少しばかり緊張を解し、笑みを浮かべることが出来る。


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