皇兄は艶花に酔う

鮎川アキ

文字の大きさ
51 / 132
第5話

5-2

しおりを挟む

 振り返れば、昂呀に乗った翠玲と目が合う。
「仁瑶様」
 久しぶりに名を呼ばれた気がして、すぐには返事ができなかった。
 無言のまま立ち尽くしていると、翠玲がくらを降りて傍へやって来る。
 足もとの影が重なり、仁瑶は無意識のうちに身をこわばらせた。
 翠玲は胡服こふくと称する騎馬民族の衣裳を纏っていた。喉まで詰まった円領まるえり上衣うわぎは濃紺で、銀糸で白蓮の刺繍が施してある。胡服のすそくるぶしのあたりまでしかなく、下には裙裳くんもではなくと呼ばれる穿き物。腰には飾り気のない革帯かくたいを締め、黒革でできた長靴ちょうかを履いていた。
 簡素といえば簡素だが、余計な装飾がない分、翠玲の艶麗な容貌が引き立つ。
 颯憐も似たような恰好かっこうをしていたというのに、どうしてか翠玲を前にすると落ち着かない心地になった。
 仁瑶は動揺を誤魔化すように言葉を紡いだ。
「おかえりなさい。たくさん獲れましたか?」
「はい。帝君や兄には及びませんでしたが、鹿を三頭と鴨を五羽仕留めました」
 よほど楽しかったのか、翠玲は笑みを浮かべる。
 仁瑶はふと、自分が翠玲を見上げていることに気づいた。いつの間にこんなに背が伸びたのだろう。よくよく見れば、玉容からはあどけなさが抜け、艶冶えんやな印象が増していた。
「それはよかったですね」
 仁瑶は動揺を誤魔化すように曖昧に微笑わらう。
 視線を移すと、随従ずいじゅうたちが運んできた獲物を天幕の前へ並べていた。
「すべて仁瑶様にお贈りいたします」
「え、……」
 脳裏に颯憐の言葉が甦る。
 ――琅寧の男は、恋しい相手にしか獲物を贈らない。
 翠玲は立場上仁瑶の妻だから、狩りをしても、仕留めた獲物を永宵に捧げることはできない。
 胸の奥に苦いものが広がって、仁瑶はくちびるを噛んだ。
「私ではなく、帝君ていくんにお贈りしてかまわないのですよ」
「え?」
 琥珀瞳こはくとうがまるくなり、戸惑うような色が滲む。
「私の夫君は仁瑶様です」
 予想していた答えに、仁瑶は微苦笑を刷いた。
「……では、鴨を一羽だけいただけますか。せっかくの獲物を、私が独り占めするわけにはいきません。お父君や帝君にもお贈りするとよいでしょう」
 仁瑶は華桜カオウに目配せして鴨を受け取ると、紅春に炙り肉にするよう命じた。香ばしく炙った鴨肉は永宵の好物なので、夜宴の合間にでも翠玲の名で届けてやれば喜ぶだろう。
「汗をかいたのではありませんか? ちょうど湯浴みの用意をさせるところだったんです。先に湯を使われますか?」
 なにか言われるより先に話頭を転じる。
 翠玲は首を横に振った。
「わたしは後でかまいません。仁瑶様こそ、お疲れではございませんか? もしよろしければ、湯浴みのお世話をいたしましょうか」
「あなたにそんなことはさせられないと、以前も申しあげたでしょう」
「……はい」
 小さく頷いて、翠玲は蛾眉がびを下げる。
 昂呀の世話をしてくるというので、仁瑶は先に湯浴みをすることにした。
 ここ最近、妙に躰が怠い。湯に浸かりながら紅春に腕や脚をほぐしてもらったが、あまり効果はなさそうだった。
「夜宴に出席なさるのは、お控えになったほうがよいのではありませんか」
 湯からあがってもぼんやりしている仁瑶に、紅春が心配そうに進言してくる。
「大丈夫だ、久しぶりの行幸みゆきで少し疲れただけだろう」
 そう返せば、紅春は眉をひそめたものの納得してくれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

転移先で辺境伯の跡継ぎとなる予定の第四王子様に愛される

Hazuki
BL
五歳で父親が無くなり、七歳の時新しい父親が出来た。 中1の雨の日熱を出した。 義父は大工なので雨の日はほぼ休み、パートに行く母の代わりに俺の看病をしてくれた。 それだけなら良かったのだが、義父は俺を犯した、何日も。 晴れた日にやっと解放された俺は散歩に出掛けた。 連日の性交で身体は疲れていたようで道を渡っているときにふらつき、車に轢かれて、、、。 目覚めたら豪華な部屋!? 異世界転移して森に倒れていた俺を助けてくれた次期辺境伯の第四王子に愛される、そんな話、にする予定。 ⚠️最初から義父に犯されます。 嫌な方はお戻りくださいませ。 久しぶりに書きました。 続きはぼちぼち書いていきます。 不定期更新で、すみません。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

さかなのみるゆめ

ruki
BL
発情期時の事故で子供を産むことが出来なくなったオメガの佐奈はその時のアルファの相手、智明と一緒に暮らすことになった。常に優しくて穏やかな智明のことを好きになってしまった佐奈は、その時初めて智明が自分を好きではないことに気づく。佐奈の身体を傷つけてしまった責任を取るために一緒にいる智明の優しさに佐奈はいつしか苦しみを覚えていく。

花街だからといって身体は売ってません…って話聞いてます?

銀花月
BL
魔導師マルスは秘密裏に王命を受けて、花街で花を売る(フリ)をしていた。フッと視線を感じ、目線をむけると騎士団の第ニ副団長とバッチリ目が合ってしまう。 王命を知られる訳にもいかず… 王宮内で見た事はあるが接点もない。自分の事は分からないだろうとマルスはシラをきろうとするが、副団長は「お前の花を買ってやろう、マルス=トルマトン」と声をかけてきたーーーえ?俺だってバレてる? ※[小説家になろう]様にも掲載しています。

【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件

白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。 最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。 いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞に応募しましたので、見て頂けると嬉しいです! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

処理中です...