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第9話
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しおりを挟む王府へ戻っても、仁瑶は京師にあふれていたあたたかなざわめきが身に纏わりついているような気がしていた。
湯浴みをして夜の匂いを落とし、化粧も洗い流してしまう。そうすると、清められた素肌に澡豆から香る白檀と金銀花の花露がしみこんでいくようだった。
「随分と楽しまれたようで、ようございました」
湯の中にいる仁瑶の肩を揉みながら、紅春がにこやかに言う。
ぼんやりと頷いた仁瑶は、花びらの散る湯面を見つめた。
今宵の態度だけを鑑みても、翠玲が仁瑶を厭うているわけではないというのは明らかである。
ならば、どうして抱いてくれないのか。くちづけはしてくれるのに、どうしてそれ以上は触れてくれないのか。なにか理由があるのなら、どうしてそれを話してくれないのか。
考えれば考えるほど思考は空転し、仁瑶は眉宇を寄せた。
湯からあがると、翠玲が入れ違いに湯殿へ入る。すれ違い様、寝衣に着がえて簡単に髪を結っただけの仁瑶を見て、翠玲はほんのりと口角を上げた。
結うのに使った歩搖が、あの双色碧玺だと気づいたのだろう。
眼差しだけを搦めて、遠くなっていく背を見送る。
「仁瑶様、早く臥室へまいりましょう。湯冷めしてしまいますよ」
「……ああ」
生返事を返し、押されるようにして臥室へ向かうと、桃心が寝酒を用意してくれていた。仁瑶は二人に下がるよう告げ、ひとりになってから温められた花梨酒を少しだけ口にした。
甘い味が胃の腑へすべり落ちていくのを感じながら、整えられた牀榻に腰を下ろす。
持ち帰った兎の天燈は、牀榻からよく見える位置に置かれていた。
やわらかな光を湛えた兎は、愛らしさを増したようだ。
仁瑶は暫くの間、杯を傾けつつ小さな灯りをじっと眺めていた。そうしてどれほど時間が経ったのか、臥室の扉がひらき、翠玲が戻ってきたことにも気づかなかった。
花梨酒の杯を持つ手に手を重ねられ、びくりと肩が跳ねる。
「ぁ、……っ」
「大丈夫ですか? 少し飲み過ぎたのでは?」
同じように寝衣を纏った翠玲が、甘やかすような目つきでこちらを見ていた。
翠玲は控えていた燕児に蜜湯を持ってくるよう命じ、仁瑶の隣に腰かける。
「それとものぼせてしまわれましたか。今夜は寒いからと、紅春が長湯させていたでしょう」
「いえ、……大丈夫です」
いたわるように手のひらで頬を包まれ、仁瑶はどうにかかすれた声を出した。
「翠玲殿も花梨酒を飲まれますか? 温め直してきますけれど」
「いいえ、そんなことをしたら仁瑶様が疲れてしまうでしょう。わたしはこちらをいただきますから」
言って、翠玲は仁瑶の持っていた酒杯を取ってしまう。
手持ち無沙汰になったところに、ちょうど戻ってきた燕児が、蜜湯の碗を差し出してきた。
仁瑶は碗を受け取り、湯気のたつそれをそろそろと口にする。翠玲はそれを見届けて、杯に残っていた花梨酒を飲み干した。
自分ではそんなつもりはなかったけれど、やはり酔っていたのかもしれない。
蜜湯をゆっくりと嚥下するたびに、酒精が薄れていくのを感じる。
最後のひと口を飲み込んで、ふと碗から顔をあげると、燕児はいつの間にか拝辞していた。
「兎の天燈がお気に召したのなら、もっと買ってきましょうか」
碗を片づけてくれながら、翠玲が言う。
仁瑶は首を横に振った。
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