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第2話
紅閨にて木蓮を恋う
しおりを挟む鉛色に濁った河が流れていく。その水は冷たく、骨まで凍えるほどだ。
紗琰は河の中に半身を沈めた状態で、ぼんやりとたたずんでいた。河底の砂利はとがっているのか、緩やかな波に押されて踏みしめるたびに、足裏の皮膚に食い込む。
早く岸に上がらなければと思うのに、ぐっしょりと水を吸った衣も、それを纏う躰もなにもかもが重くて、先へ進むことができなかった。
白く波うつ河面を茫然と眺めていると、濁った水が不意に揺らめいて、刑場のようなものが映し出される。
幻かとも思ったが、水鏡はまるで紗琰に知らしめるかのように、ゆっくりと鮮明さを増していった。
兵士に両脇をつかまれているのは罪人だろうか。その光景を見るともなく見ていれば、やがて引きずられているのが瓊祥と叔父の孝賢王であることに気づく。
二人が磔にされたところで白波がたち、また別の光景が浮かびはじめた。
それは峯珠に併合された彩爛の様子だった。領土はそのまま彩爛州となり、皇位は王位に改められ、長兄がその座についてある程度の自治を認められている。
国としての形を失い、皇祖皇宗の守ってきたものがなくなってしまったのかと思うと、紗琰の胸に言いようのない悲しみが押し寄せてきた。
おのれがもっとしっかりしていれば、もっと父皇や周囲の者たちに目を配っていれば――。
そんな埒もないことを考えたせいだろうか。不意に起こった波に足もとをすくわれ、紗琰はなす術もなく黒々とした大河に吞み込まれてしまった。
容赦のない波が、紗琰の躰を深みへ沈めようと幾度も襲いかかってくる。それはまるで、紗琰を責めているかのようだった。
今や紗琰の肉体は一枚の木の葉のように波に翻弄され、くちびるからわずかな呼気の泡を吐くばかり。河の水は重く纏わりついて四肢を押さえ込み、指先さえ動かすことを赦さなかった。
このまま、きっと奈落へ連れていかれるのだろう。
血が凍るほど冷たい濁流が、呼吸のできなくなった口から臓腑の奥まで押し入ってくる。そうして体内に入り込んだ濁水は生き物のように蠢き、身の内の肉を食い荒らしはじめた。
鋭い痛みに身をよじった紗琰を、波がさらに深く沈めていく。
濁水は飢えた獣のようにいくつもの臓腑を食い破り、あまりの痛苦に、紗琰は声にならない悲鳴をあげた。
されど、助けを求めたところで、ここには紗琰ひとりしかいない。それどころか、犯した過ちを償うこともしないのかと、濁流がいっそう鋭さを増す。
このまま骨まで砕かれてしまうのだと思った刹那、身に着けていた玉佩が不意に光を放ちはじめた。翡翠と同じ色をしたやわらかな光は、闇へと引きずり込もうとする力から紗琰を守るかのように広がっていく。
あたたかな陽光か、しなやかな月光のような。あわく、それでいて確かな輝きを持つ光に照らされるのを恐れるかのように、河は次第に凪いでいった。
肉体を食い裂かれるような痛みも失せ、紗琰のくちびるからふるえた息が漏れる。
――紗琰様。
響いた声は、紛れもなく嫣寧のものだった。
燐光がやさしくはじけると同時に、木蓮の香りがあふれ、なだめるように紗琰の躰を包み込む。
「沈郎……」
呟いた声に呼応するかのように、光が瞬きを強めた。
もしかしたら、これは最後に与えられた慈悲なのかもしれない。
紗琰は玉佩をそっと胸に抱きしめると、まろい輪郭から伝わってくる熱を噛みしめるように目を閉じた。
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