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第2話
2-20
しおりを挟む嫣寧と昼餉をともにしたのち、紗琰は再び父皇のもとを訪れた。
人払いした居室で、紗琰と父皇、それから東廠督主の許月虹が顔を合わせる。
皇帝直属の秘密警察機関である東廠だが、紗琰からの進言を受けて父皇が薬湯の調査を依頼していたらしい。
許督主は紗琰に一礼すると、盆の上に広げた出し殻を示しながら言った。
「帝君が太上皇様に仰られたとおり、薬湯を調べてみました。銀針には反応がなかったものの、出し殻を確認したところ、紅杏仙の実が見つかりました」
紅杏仙は、杏子によく似た小さな実をつける植物である。果肉は甘酸っぱい味で、乾燥させてから煎じると滋養によいとされている。
許督主は次いで、出し殻の隣に置いてあった菓子皿を示した。
「それから、こちらは包太医が太上皇様に毎日召しあがるよう勧めていた菓子です。こちらも銀針には反応がありませんでしたが、中の餡に黄仁果が使われておりました」
黄仁果も滋養強壮効果のある木の実である。紅杏仙も黄仁果も、どちらも食用の他、薬材としても使われるものだ。
「東廠にて詳しく調査しましたところ、これら二つを合わせて摂取すると、効能が強くなりすぎて人体には毒となるようです。口にし続ければ体調を崩し、最悪臓腑を痛めて死に至るとか」
「……っ」
紗琰は思わず顔をゆがめる。黄仁果の菓子は、前世で父皇が頻繫に口にしていたものだった。
父皇もどこか青褪めた顔で盆の上を見つめている。
許督主は低い声で続けた。
「恐れながら、紅杏仙と黄仁果の食べ合わせが毒となることは、一般的な知識として広まっているわけではございません。しかし、包太医の師父は周太医です。彼は大陸の医学に精通しておりましたゆえ、その弟子が知らないとは考えられぬかと」
「……ああ」
父皇が静かに溜息をつく。
紗琰は苦い心地で「よく調べてくれた」と礼を言った。
「包太医が父上を弑そうとしていたのは明らかだが、単独で事に及ぶほどの度胸がある男ではない。父上、やはり孝賢王が裏で糸を引いているのでしょう」
視線の先では、父皇が苦虫を嚙みつぶしたような顔をしている。
紗琰は許督主へ命じた。
「この証拠だけで捕まえても、無知だったと白を切る可能性がある。主犯諸共断罪せねば、きっと口を割らぬだろう。月虹、包太医と孝賢王の両方に監視をつけられるか?」
「もちろんです。帝君は、孝賢王殿下が首謀者であるとお考えなのですね」
「そうだ。監視役には、特に有能な金狗を選んでくれ。それから、左右丞相と大司馬に、孝賢王と懇意にしている者の名簿を出すよう頼んでおいた。彼らとも協力して、孝賢王やその配下の者たちが不正に手を染めているかどうか調べてほしい」
「御意」
金狗とは東廠に所属する密偵だ。宦官に限らず老若男女がおり、紗琰の爪牙耳目となるべく京師に多くひそんでいる。
許督主は心得たふうに首肯すると、音もなく拝辞していった。
扉が閉まるのを待ってから、父皇が苦悶するように顔を覆う。
沈黙が落ち、かける言葉がないまま紗琰は黙っていた。やがて疲れたように顔をあげた父皇が、困惑のにじんだ瞳で紗琰を捉える。
「……まさか、本当にそなたの言うとおりだったとは。どうりで、なにを口にしても一向に治らぬはずだ」
「これから治せばよいのです。ですが、父上が毒に気づいたとなれば、叔父上が新たな手段を取ってくるかもしれません。あちらを油断させておくためにも、表向きは薬湯と菓子を食べるふりをなさっていてください」
「わかった。これまでどおり、具合が悪いように装っておればよいのだな」
「ええ。父上を治療する太医は、私が別の者を見つけてきますからご安心を」
「誰か心あたりがあるのか?」
尋ねられて、紗琰は小さく頷く。
前世の記憶では、周太医の弟子のうち死んだ医官が一人だけいた。その者は母后付きの女官を診ていたため、母の意向もあって紗琰が家族に見舞金を送ったのだ。
(名前は、……蕭だったか)
彼が死んだのは、父皇が崩御して暫くあとだった覚えがある。ならばまだ生きているはずだ。
「私が絶対に父上をお守りします。ですから、いくら大切な弟と思われていても、どうか今後は叔父上に一切気を赦さないでください」
「琰児……」
「お願いです。父上が亡くなれば、我が国は支柱を失うも同然です。私も母上も、どうすればよいのかわからなくなってしまう」
手を伸ばして、父皇の筋張った手に重ねる。過去に味わった喪失感を、今生では二度と味わいたくなかった。
必死に言い募る紗琰の頭を、父皇が揶揄うように撫でる。
「帝君になったというのに、幼子のような駄々をこねてどうする。国の支柱は、すでにそなたにかわっている。朕が死んだところで、揺らぎはせぬ」
「私はまだ践祚したばかりです。父上には及ばず、臣下も蒼生も頼りなく思っているに違いありません」
「老臣は若いそなたを補佐するためにいるのだ。頼りないと責めるためではない。それに、琰児ができぬことは兄たちや皇后が補ってくれる。一人でかかえず、周りを頼ればよい」
「……ですが、父上がおらねば不安です。まだまだお傍にいてくださらねば、暗君となってしまうやも」
むくれた調子で呟けば、父皇は呆れたふうに笑った。
「情けないことを言いおって。そなたがそんなでは、おちおち病にも罹れぬな」
「ええ。ですから、私のためにも父上には長生きしていただかないと困ります」
「まったく、手のかかる息子を持ったものだ」
額を軽く小突かれて、紗琰も笑みこぼす。内心では、室内を包むあたたかな幸福を、二度と壊させはしないと誓っていた。
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