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第4話
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譲位を強いられたのち、母后の命を盾に脅され、監禁されていたのは確かだ。だが、閨の中で触れてくる手は常にやさしかった。機嫌が悪い時だって、手ひどく抱かれた記憶はない。
――ふと、紗琰の正室になりたかったと瓊祥が言っていたのを思い出した。
前世の紗琰は、父皇から受け継いだ帝位を守ることに精一杯で、身の廻りの世話をしてくれていた玲玉以外の人間と親しくする余裕もなかった。玉佩の持ち主だと思っていた雨嫻に対してさえ、他の者よりましという程度だったように思う。
瓊祥とも幼い頃はよく一緒に遊んでいたが、太子に冊封されると決まってからは距離を置いていた。践祚したのちも、瓊祥のほうから誘われて茶を飲んだことが一、二度あったかどうか。そんなふうに疎遠になっていたから、瓊祥が紗琰の正室の地位を望んでいたと聞いた時、とても信じられなかった。おのれを懐柔するための嘘か、肌香に酔ったせいで紡がれた悪い冗談だとばかり思っていた。
さりながら、こうして肩を寄せあい、なんとなく浮足立っているような瓊祥の様子を垣間見ると、本心からの言葉だったのではないかと実感する。
ましてや、花容に喜色をにじませ、頬を甘く染める仕草が演技だとはとても思えなかった。今の瓊祥の表情と同じものを、紗琰は前世において、もはや演技をする必要のない閨の中で見たことがあったから。
「哥哥とお散歩ができるなんて、嬉しいです。昔はよく、後宮の中を探検しましたね」
「そうだな。小瓊はよく私のあとにくっついて、どこへ行くにも傍を離れなかった」
笑み含んで返せば、瓊祥は恥ずかしそうに瞼を伏せる。
長い睫毛が薔薇色の瞳をけぶらせ、妖艶な美貌がいっそう艶花になった。
すれ違う女官や宦官たちが、その場に拝跪しつつもちらちらと瓊祥を見やって頬を染めている。
「だって、瓊祥は哥哥が大好きなのですもの。今も昔も、叶うならずっとお傍を離れたくないのです。だけど、父上が……」
言いづらそうにくちびるをふるわせた瓊祥に、紗琰は「どうした?」とやさしく問いかけた。
瓊祥は周りをはばかるように、少しだけ声をひそめる。
「父上が、もうそろそろおまえも嫁ぐ頃合いだろうと言って。瓊祥はずっと哥哥のお傍にいたいのに、聞き入れてくれなくて。今日も本当は、……選秀花に参加する令息たちが茶宴に招かれているからと、哥哥のおこぼれに預かれるかもしれないからといって、俺を皇宮へ置いていったんです。ごめんなさい、哥哥の妃になるかたたちを取ろうとしたわけじゃないんです」
まなじりに涙露を浮かべ、瓊祥は悲しそうに腕にすがってきた。
結いあげられた髪をくずさぬよう、そっと頭を撫でてやりながら、紗琰は頷く。
「わかっている。現に、小瓊は春鶯園の門にいただけだ。中にまで入ってこなかったのは、茶宴の場を騒がせぬよう気を遣っていたからだろう? そんなふうに泣かずともよい。そうだ、甜食房へ命じて、なにか小瓊の好きなお菓子を作らせようか。できたてを食盒に詰めてもらおう」
「にいさま……」
「嫁娶を急ぐ必要はないと、私からも孝賢王叔父上に伝えておこう。だから安心しておいで」
「はい、にいさま。ありがとうございます」
うっとりとこちらを見あげてくる瓊祥に笑みを返し、紗琰は口もとへせぐりあがってきた疑問を再び腹の奥へと押し込んだ。
美しい瓊祥。紗琰が冷艶清美な花であるならば、瓊祥はまさに姸姿艶質。巷では、天陽種を惑わす妖花と噂されるほどである。
――それなのに、前世の瓊祥はその身が実は天陽種なのだと言った。
華奢な肢体も、あどけなさの残る花容も、薬によって偽られた姿なのだと。
前世の瓊祥が、紗琰から帝位を奪うことで薬の服用をやめることができたなら、今時分はまだ飲み続けている頃だろう。
(……おまえは本当は天陽種だと問い詰めて、薬の服用をやめさせるのが一番簡単なのだろうが)
瓊祥が孝賢王とどのような関係を築いているのかわからない以上、下手に手を出すことができない。服用をやめろと紗琰から言われたと孝賢王へ告げられたりすれば、前世と同じ道へ落ちることになってしまう。それだけは避けたかった。
――ふと、紗琰の正室になりたかったと瓊祥が言っていたのを思い出した。
前世の紗琰は、父皇から受け継いだ帝位を守ることに精一杯で、身の廻りの世話をしてくれていた玲玉以外の人間と親しくする余裕もなかった。玉佩の持ち主だと思っていた雨嫻に対してさえ、他の者よりましという程度だったように思う。
瓊祥とも幼い頃はよく一緒に遊んでいたが、太子に冊封されると決まってからは距離を置いていた。践祚したのちも、瓊祥のほうから誘われて茶を飲んだことが一、二度あったかどうか。そんなふうに疎遠になっていたから、瓊祥が紗琰の正室の地位を望んでいたと聞いた時、とても信じられなかった。おのれを懐柔するための嘘か、肌香に酔ったせいで紡がれた悪い冗談だとばかり思っていた。
さりながら、こうして肩を寄せあい、なんとなく浮足立っているような瓊祥の様子を垣間見ると、本心からの言葉だったのではないかと実感する。
ましてや、花容に喜色をにじませ、頬を甘く染める仕草が演技だとはとても思えなかった。今の瓊祥の表情と同じものを、紗琰は前世において、もはや演技をする必要のない閨の中で見たことがあったから。
「哥哥とお散歩ができるなんて、嬉しいです。昔はよく、後宮の中を探検しましたね」
「そうだな。小瓊はよく私のあとにくっついて、どこへ行くにも傍を離れなかった」
笑み含んで返せば、瓊祥は恥ずかしそうに瞼を伏せる。
長い睫毛が薔薇色の瞳をけぶらせ、妖艶な美貌がいっそう艶花になった。
すれ違う女官や宦官たちが、その場に拝跪しつつもちらちらと瓊祥を見やって頬を染めている。
「だって、瓊祥は哥哥が大好きなのですもの。今も昔も、叶うならずっとお傍を離れたくないのです。だけど、父上が……」
言いづらそうにくちびるをふるわせた瓊祥に、紗琰は「どうした?」とやさしく問いかけた。
瓊祥は周りをはばかるように、少しだけ声をひそめる。
「父上が、もうそろそろおまえも嫁ぐ頃合いだろうと言って。瓊祥はずっと哥哥のお傍にいたいのに、聞き入れてくれなくて。今日も本当は、……選秀花に参加する令息たちが茶宴に招かれているからと、哥哥のおこぼれに預かれるかもしれないからといって、俺を皇宮へ置いていったんです。ごめんなさい、哥哥の妃になるかたたちを取ろうとしたわけじゃないんです」
まなじりに涙露を浮かべ、瓊祥は悲しそうに腕にすがってきた。
結いあげられた髪をくずさぬよう、そっと頭を撫でてやりながら、紗琰は頷く。
「わかっている。現に、小瓊は春鶯園の門にいただけだ。中にまで入ってこなかったのは、茶宴の場を騒がせぬよう気を遣っていたからだろう? そんなふうに泣かずともよい。そうだ、甜食房へ命じて、なにか小瓊の好きなお菓子を作らせようか。できたてを食盒に詰めてもらおう」
「にいさま……」
「嫁娶を急ぐ必要はないと、私からも孝賢王叔父上に伝えておこう。だから安心しておいで」
「はい、にいさま。ありがとうございます」
うっとりとこちらを見あげてくる瓊祥に笑みを返し、紗琰は口もとへせぐりあがってきた疑問を再び腹の奥へと押し込んだ。
美しい瓊祥。紗琰が冷艶清美な花であるならば、瓊祥はまさに姸姿艶質。巷では、天陽種を惑わす妖花と噂されるほどである。
――それなのに、前世の瓊祥はその身が実は天陽種なのだと言った。
華奢な肢体も、あどけなさの残る花容も、薬によって偽られた姿なのだと。
前世の瓊祥が、紗琰から帝位を奪うことで薬の服用をやめることができたなら、今時分はまだ飲み続けている頃だろう。
(……おまえは本当は天陽種だと問い詰めて、薬の服用をやめさせるのが一番簡単なのだろうが)
瓊祥が孝賢王とどのような関係を築いているのかわからない以上、下手に手を出すことができない。服用をやめろと紗琰から言われたと孝賢王へ告げられたりすれば、前世と同じ道へ落ちることになってしまう。それだけは避けたかった。
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