鳳花春閨伝―死に戻りの皇帝は四人の妃に愛される―

鮎川アキ

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第4話

4-12

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 下男ではなく父の声で呼ばれ、雨嫻は慌てて扉を開ける。倒れてから幾分かやつれた父は、困惑と怪訝がまざったような奇妙な表情を浮かべていた。
「お父様、どうかなさったのですか」
「おまえに客が来たのだが……」
「どなたですか?」
 尋ねれば、父は言いづらそうに口もとをゆがませる。
「瓊祥殿下だ」
 名前を告げられ、寸の間思考がとまった。雨嫻は幾度か目を瞬かせ、やがてはっとしたふうに息を呑む。
 今上の皇叔こうしゅくたる孝賢王。その一人息子の名を、雨嫻はつい最近も告げられている。
(帝君……)
 こうなると見越して、雨嫻へ声をかけてきたのだろうか。そう思えばぞっと背筋が戦慄いたが、こみあげた感情は恐れというより歓喜に近かった。
 くちびるをふるわせた雨嫻に、父はどこか戸惑ったふうに眉をひそめる。
「雨嫻、いつの間に殿下と親しくなったのだ? まさか、帝君に選ばれなかったからと殿下に鞍替えするつもりではあるまいな?」
「お父様! わたしはそんな尻軽じゃありません!」
 咎めるような口調で問われ、雨嫻はたまらず反駁はんばくする。
 父は安堵したように溜息を漏らした。
「ならばよいのだ。とにかく、殿下がおまえに会いたいと仰せで、客庁きゃくまでお待ちになっている。すぐに支度を整えなさい」
 雨嫻は頷いて、控えていた下男にお湯を持ってくるよう頼んだ。
 盥にそそがれた湯で顔を洗い、真珠の白粉おしろいを軽くはたいて涙の痕を隠す。衣服の皺を整えてから急ぎ足で客庁へ向かうと、瓊祥は退屈そうな様子で円凳まるいすに座っていた。
「お待たせいたしまして申し訳ございません、琳雨嫻が瓊祥殿下にご挨拶申しあげます」
「楽に」
 揖礼ゆうれいした雨嫻を一瞥し、瓊祥は素気なく言う。
 礼を解いて向かい側に座ると、薔薇色の双眸がじっと雨嫻を見つめた。
「畏れ多くも殿下ほどのおかたが、わたくしのような者にどのようなご用件がおありなのでしょうか」
「そうかしこまらずともよい。哥哥がじかにお声をかけるほどの美貌というものを、一度拝んでおきたかっただけだ」
 ほころんだ花容は美しいのに、紡がれる声には毒が含まれている。
 雨嫻が恐縮したふうに肩をすくめると、瓊祥は持っていた絹団扇きぬうちわをもてあそびながら続けた。
「選秀花では落ちてしまったようだな。なにが不可だった?」
「……剣術です」
「なるほど。その細腕では、剣を構えるのも難しいだろう」
「っ……」
 笑声まじりに言われ、雨嫻はくちびるを噛む。
 剣が苦手なのは確かだが、雨嫻とてまったく鍛えていないわけではない。
 だが、審査では用意された剣を握った途端指に痛みが走って、持つことはおろか構えることさえでできなかったのだ。会場に置いてあったのは真剣ではなく木剣で、雨嫻に渡されたものはなぜか柄の部分がささくれ立っていた。剣を交換してほしいと願っても数に限りがあるからと言われ、結局不可となったのだ。
 それが嫌がらせだとわからないほど初心ではない。選秀花で同じ組になった者からも、茶宴で帝君を誑かした性悪だと囁かれていた。おそらくは選秀花に携わる家門で、雨嫻が不可となるよう木剣に細工を命じた誰かがいたのだ。
 不遇を呑み込むように面伏せていれば、瓊祥はいたわるような口調で「可哀そうに」と紡ぐ。
「せっかく哥哥が見初めたというのに、家門に力がなければ他者から虐げられるなんて哀れなものだ。まあ、今回は罰があたったのか、莫迦どもは誰も入宮できなかったけれどね」
 雨嫻は返事ができなかった。
 瓊祥はまるで獲物をいたぶる獣のように、慈愛と愉悦が入りまじった表情を浮かべている。
 同じ鳳花でも、清廉な雰囲気を纏う紗琰と比べると、瓊祥は毒花のようだ。甘やかで美しい外見に見惚れて触れたが最後、精気をすべて吸い取られて死に至るような。
「わ、わたしは、……このまま諦めるつもりはありません」
 鼓動が嫌な音をたてるのを感じながら、雨嫻はどうにか口をひらいた。
「秋の科挙を受けるつもりです。帝君のお役に立つよう育てられてきましたから、妃になれずとも、臣としてお仕えしたいと思っています」
「へえ」
 瓊祥が片眉を跳ねあげる。まるで面白いものでも見つけたかのように、雨嫻をじっと見つめた。
「よい心がけだ。俺も今日、それを勧めに来たのだけれど。まさか琳氏のほうからそう言ってくれるとは思わなかったな。合格するよう、応援しているよ」
「……ありがとうございます」
 雨嫻は、緊張で冷えた指先を誤魔化すように握り込んだ。悲しみを押し殺し、気丈に振る舞っているように見えるよう、ふるえるくちびるで笑みを刷く。
 瓊祥が騙されてくれたかどうかは判然としない。それでも、瓊祥はそれ以上選秀花の話を続けることはなかった。自然な調子で話頭を変え、他愛のないことを一言二言口にして去っていく。
 門の外まで見送りに出た雨嫻は、瓊祥の軒車が遠ざかるまで頭を下げてから、詰めていた息をほどいた。
(これでよかったのだろうか……)
 紗琰に言われたとおりにできたかわからないけれど、とにかく瓊祥は雨嫻の言葉に納得したふうだった。
 もしかすると、今日のことが紗琰の耳に入って、なにかしらの反応があるかもしれない。
 そんなことを考えながら自室へ戻っていた雨嫻は、内院まで来たところで下女から声をかけられた。以前まで仕えてくれていた老夫婦の推薦で、彼らの孫にあたる兄妹を新たに下男下女として雇い入れた。妹のほうはまだ幼い少女だが、祖母同様によく働いてくれている。彼女は雨嫻の傍まで駆けてくると「お客様がお見えです」と小声で伝えてきた。
「瓊祥殿下ならもう帰ったよ」
 雨嫻は首をかしげる。
 なにか勘違いしているのだろうかと思っていれば、下女は首を横に振った。
「違います、殿下ではありません」
 わけがわからず蛾眉をひそめた雨嫻に、下女はさらに声を低めて囁いた。
「帝君がお見えなんです。坊ちゃまにお会いしたいと」
「っ――⁉」
 声をあげそうになった口をなんとかふさいで、目の前に立つ下女を見つめる。仕えるようになってからまだ日は浅いとはいえ、彼女は噓をつくような性格ではない。
 雨嫻は混乱しつつ、ふるえる喉で尋ねた。
「どこで、……っどこでお待ちになっていらっしゃるの?」
「坊ちゃまのお房室です。騒ぎにしたくないからと、裏口からおいでになりまして。先程当主様と面会され、今は坊ちゃまを待っておいでです」
 下女の言葉に、思わず父が卒倒しなかったか心配になる。
 瓊祥の訪問からいくらも経たずに今度は紗琰がやって来るなど、にわかには信じがたい思いがした。
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