22 / 47
第二十話 呪いからの解放
しおりを挟む
まどわされてはならない。美奈子はもう人間ではない。月島はそう自分に言い聞かせた。だが理性とは裏腹に感情は揺れ動く。目の前の少女は自分の教え子であり聖夜の大切な友だちだ。
月島は一瞬怯んでしまい、十字架をかざす手に力を入れることができなくなった。
美奈子はその瞬間を見逃さなかった。
「孝則、助けて!」
目覚めた孝則は、背後から月島に襲いかかり、手にした十字架を奪い取る。そのまま腕をひねり上げ、動きを封じ込める。
ほんの数秒で、形勢が逆転した。
美奈子は勝ち誇ったようにふっと息を吐く。そして月島のポケットに手をいれ、中にあったサバイバルナイフを取り出した。
光を冷たく反射する刃先に、美奈子は指を軽くすべらせる。傷口から血がにじみでて大きな玉となり、やがて指から肘まで伝った。
「切れ味のいい刃ね。これでどこを切ろうかな」
美奈子の瞳が怪しい光をたたえた。
「頬? 首筋?」
そう言って、月島の顔にナイフの刃を当てる。
「それとも……」
白い歯を見せて、美奈子が笑った。口元から鋭い牙が姿を見せ、舌が真っ赤な唇をゆっくりと舐める。
そして思いついたように突然ナイフをふりかざした。
「心臓をひとつきに!」
左胸めがけて、勢いよくナイフを下ろす。
月島は思わず目を閉じた。
迫りくる死の瞬間に、身を堅くする。
が、ナイフは立てられない。月島は恐る恐る目を開けた。
「先生、安心してください。すぐに殺したりしませんから。先生には、もっともっと苦しんでもらいます。だってあたしと孝則を別れさせようとしたんですよ。それくらいされて当然でしょ」
他愛のない会話を交わすような口調で言うと、美奈子は無邪気に笑う。そして子供がおもちゃを扱うように、ナイフを月島の頬に当てた。
ひやりとした感覚が走ったかと思うと、次の瞬間皮膚を引き裂かれた。
「うっ」
かすり傷程度の切り方ではあったが、それでも痛みは走る。美奈子は月島のうめき声を聞き、くすくすと笑う。
「この程度でも痛みを感じるんですね。じゃあ次はどこにしようかな」
鼻歌を歌いながら少し考えたあとで、美奈子は思いついたように、ナイフを首筋に当てた。
「ここ、頸動脈っていうんでしょ。先生、切ったらどうなると思います? 動脈だもん、勢いよく血がでますよ。心臓が脈打つごとに血が噴きだし、少しずつ、少しずつ、死に近づく。皮肉ですね。命をささえるはずの心臓の動きが、自らの身体を流れる血を溢れさせて、死に導くなんて」
美奈子の顔から無邪気な笑みが消えた。
「そして最期のときを迎えるころ、先生は後悔するの。あたしたちの仲間になればよかったって。そして永遠の命をもつあたしたちをうらやましいって思うんです」
悪魔が乗り移ったような冷淡な笑みを、美奈子は浮かべる。人間だったころの明るい表情はそこになく、見る者に死を連想させるような、冷たい笑みだ。
原始的な恐怖が月島の中で生まれる。
これが吸血鬼。人間の恐怖心を簡単に呼び起こすことのできる邪悪な存在だった。
月島は、自分の無力さをいやというほど感じていた。すでに戦う気力は残っていない。吸血鬼の毒牙にかかり、生と死の狭間を漂うのか。いや、美奈子は永遠の命など与えるつもりはなさそうだ。
つまり自分の命もここまでということか。
なかば死を覚悟した月島は、迫りくる運命を静かに受け入れようと、そっと目を閉じた。
こんなに簡単に勝負がつくとは思わなかった。やはり普通の人間にはかなわない相手だったのか。
十七年前のあの日、流香を救えなかった。そして今は、孝則を、聖夜を守れない。吸血鬼と戦い勝利するには、人間はなんと無力な存在なのだろう。
閉じた瞳の奥で、幼い聖夜を腕に抱いた流香の姿が浮かんだ。昨夜見た吸血鬼ではなく、あどけなさを残したままの笑顔に出会えたとき、月島は心の平穏が訪れたことを感じた。
死を素直に受け入れようとしたそのとき。
「父さんを傷つけるのはやめろっ」
聖夜の声が部屋の中で響き、月島は目を開けた。美奈子が驚きの表情を浮かべてふりむく。その顔をめがけて聖夜は十字架を投げつけた。
「ぎゃあっ」
美奈子の悲鳴とともに孝則の呪縛が解け、月島は抑えつけられた身体が解放された。
聖夜は窓を背に立ち、美奈子にナイフ切っ先を向ける。
「どうしてここが解ったの? あたしは月島くんをまいたつもりだったのに」
「解らない。でもぼくには、美奈ちゃんの進んだ道が見えた。それをたどったら、ここに着いたんだ」
左手で顔を抑えながら、美奈子は納得したようにつぶやいた。
「そうか。やっぱり月島くんは普通の人間じゃない。初めて血の匂いを嗅いだときから、どこかちがうとは思ってたけど。まさかブラッディ・マスターだったなんてね」
「ブラッディ・マスター?」
聖夜はその言葉を口にした。
前方に聖夜、後方には月島が立ち、美奈子の行く手をはばむ。
「ブラッディ・マスターが相手じゃ、勝てないか」
美奈子の瞳にあきらめの色が浮かんだ。
がそれは唐突に消え、口元がゆがみ、妖しげな笑みが浮かぶ。
「やはりまちがいない。おまえは我らの血を引くものだ」
美奈子の口から出たのは彼女の声ではない。そこにかぶさった男の声を聞き、月島が口を開いた。
「ドルー。やはり彼女の目を通してすべて見ていたのか」
「聖夜はすでに覚醒のときを迎えているようだな。月島、おまえがいくらあがいたところで、所詮運命には逆らえないものだ」
「運命など関係ない。聖夜の未来を決めるのは、聖夜自身だ」
「現実から目をそらしたところで同じだ。もはやこの女に用はない。目的は果たした。聖夜、おまえの愛する女性は、我らの元にある。取り戻したくば、おまえ自身がやってくるのだな」
「まさか、葉月を」
美奈子は聖夜と葉月を引き離すための囮だった。目の前の敵に気を取られ、他にも吸血鬼がいることを忘れていた。
「聖夜、覚醒のときを待っている」
言い終わるのと同時に、美奈子が手にしたナイフを自分の左胸に突き刺そうとした。
「だめだっ」
聖夜は美奈子に飛びかかり、ナイフを取り上げようとした。が、まにあわない。美奈子は口から血を吐き、その場に崩れた。
「しっかりして、美奈ちゃん」
抱き起こすと、美奈子はゆっくりと顔を上げた。鋭い牙は消え、漆黒の大きな瞳が聖夜を映す。腕の中にいるのは、人間だったころの姿に戻った美奈子だった。
「わかってたんだ……自分のやってることが……どれだけ愚かかってことは、ね……でも逆らえなかった……あたしには、自分の意志で動く、ことは許されない、から……でもこれ……で解放される……自由になれるんだ、ね……やっと」
「美奈ちゃん……」
「月島……くん、孝則のこと、たの、む……ね——」
最期の力をふりしぼり、美奈子は聖夜に望みを託した。邪悪な吸血鬼ではなく、元気なときに浮かべていた優しい笑顔が徐々に霞む。
聖夜の腕の中で事切れた美奈子の遺体は、やがて朽ち果て、塵となった。あとに残されたものは、なにひとつなかった。
「そんな……遺体も残らないなんて」
悲しすぎる結末だった。
だがこれで終わりではない。ドルーがいる限り、同じ悲劇は幾度となく繰り返される。
月島は床に倒れた孝則を起こし、首筋を確認した。傷跡はなにも残っていない。闇の刻印を施したのは美奈子のみだった。孝則だけでも助けられたことを月島は神に感謝した。
「もう大丈夫だ。これで吸血鬼になる心配もなくなった」
月島は安堵して、聖夜の背中に告げた。だが聖夜はなんの感情も見せない。
やがてゆっくりふりむくと、すがるような目で月島を見た。
「どうした? そんな深刻な顔をして」
「父さん。覚醒って……どういう意味?」
「え?」
「今ドルーって吸血鬼が言ってただろ。ぼくが覚醒のときを迎えてるって」
月島の顔がこわばった。
「お願いだ、これ以上隠さないで、知ってることを全部話してよ」
月島はなにも答えられず、聖夜の顔をじっと見つめるしかできなかった。
「父さん、ちゃんと答えてよ。ごまかしたりしないで」
いらだたしげに聖夜が叫ぶ。月島は口をつぐみ、顔をそむけた。
「逃げるの?」
そんなつもりはない。だが今話すのは早すぎる。まだ期が熟していない。
「クリスマス・イヴまであと三日か。おまえも十八歳になるんだな」
月島は視線を足元に落とし、つぶやくような小さな声を出した。
平穏な中で迎えるその日のことを想像し、しばし緊張がほぐれた。
「父さん?」
「春からは大学生か。ときの流れは早いものだ」
「なに言ってるの。そんなこと聞いてないよ」
「もっともここ数日みたいな状態じゃ、それも一年先のことになりそうだな」
「だからそのためにも、ぼくにすべてを——」
「甘ったれるなっ」
月島は口調を厳しくする。
「おまえの目指してる大学は、片手間の勉強で入れるようなところじゃない。追い込みの今、こんな事件に首をつっこんでいる暇なんてないはずだ」
「好きでまきこまれたんじゃない。だれが喜んで首を突っ込むんだよ」
「だったらもう関わるのはよすんだ。今朝も話したはずだぞ。この事件から手を引けと」
「でも、こんな気持ちのままじゃ……」
月島は聖夜を無視し、背を向けて部屋を出ようとする。
聖夜のつぶやきが背後から聞こえた。
「父さん、教師の顔になったね」
厳しくも暖かい父の顔を消し、教師の仮面をかぶることで大切な子供を突き放した。
今はそうすることでしか秘密を守り通す自信がない。
悲しいまでの拒否が、聖夜の中にある信頼を砕けさせる結果となっても。
それ以外なにもできない自分が、親として心底情けなかった。
月島は一瞬怯んでしまい、十字架をかざす手に力を入れることができなくなった。
美奈子はその瞬間を見逃さなかった。
「孝則、助けて!」
目覚めた孝則は、背後から月島に襲いかかり、手にした十字架を奪い取る。そのまま腕をひねり上げ、動きを封じ込める。
ほんの数秒で、形勢が逆転した。
美奈子は勝ち誇ったようにふっと息を吐く。そして月島のポケットに手をいれ、中にあったサバイバルナイフを取り出した。
光を冷たく反射する刃先に、美奈子は指を軽くすべらせる。傷口から血がにじみでて大きな玉となり、やがて指から肘まで伝った。
「切れ味のいい刃ね。これでどこを切ろうかな」
美奈子の瞳が怪しい光をたたえた。
「頬? 首筋?」
そう言って、月島の顔にナイフの刃を当てる。
「それとも……」
白い歯を見せて、美奈子が笑った。口元から鋭い牙が姿を見せ、舌が真っ赤な唇をゆっくりと舐める。
そして思いついたように突然ナイフをふりかざした。
「心臓をひとつきに!」
左胸めがけて、勢いよくナイフを下ろす。
月島は思わず目を閉じた。
迫りくる死の瞬間に、身を堅くする。
が、ナイフは立てられない。月島は恐る恐る目を開けた。
「先生、安心してください。すぐに殺したりしませんから。先生には、もっともっと苦しんでもらいます。だってあたしと孝則を別れさせようとしたんですよ。それくらいされて当然でしょ」
他愛のない会話を交わすような口調で言うと、美奈子は無邪気に笑う。そして子供がおもちゃを扱うように、ナイフを月島の頬に当てた。
ひやりとした感覚が走ったかと思うと、次の瞬間皮膚を引き裂かれた。
「うっ」
かすり傷程度の切り方ではあったが、それでも痛みは走る。美奈子は月島のうめき声を聞き、くすくすと笑う。
「この程度でも痛みを感じるんですね。じゃあ次はどこにしようかな」
鼻歌を歌いながら少し考えたあとで、美奈子は思いついたように、ナイフを首筋に当てた。
「ここ、頸動脈っていうんでしょ。先生、切ったらどうなると思います? 動脈だもん、勢いよく血がでますよ。心臓が脈打つごとに血が噴きだし、少しずつ、少しずつ、死に近づく。皮肉ですね。命をささえるはずの心臓の動きが、自らの身体を流れる血を溢れさせて、死に導くなんて」
美奈子の顔から無邪気な笑みが消えた。
「そして最期のときを迎えるころ、先生は後悔するの。あたしたちの仲間になればよかったって。そして永遠の命をもつあたしたちをうらやましいって思うんです」
悪魔が乗り移ったような冷淡な笑みを、美奈子は浮かべる。人間だったころの明るい表情はそこになく、見る者に死を連想させるような、冷たい笑みだ。
原始的な恐怖が月島の中で生まれる。
これが吸血鬼。人間の恐怖心を簡単に呼び起こすことのできる邪悪な存在だった。
月島は、自分の無力さをいやというほど感じていた。すでに戦う気力は残っていない。吸血鬼の毒牙にかかり、生と死の狭間を漂うのか。いや、美奈子は永遠の命など与えるつもりはなさそうだ。
つまり自分の命もここまでということか。
なかば死を覚悟した月島は、迫りくる運命を静かに受け入れようと、そっと目を閉じた。
こんなに簡単に勝負がつくとは思わなかった。やはり普通の人間にはかなわない相手だったのか。
十七年前のあの日、流香を救えなかった。そして今は、孝則を、聖夜を守れない。吸血鬼と戦い勝利するには、人間はなんと無力な存在なのだろう。
閉じた瞳の奥で、幼い聖夜を腕に抱いた流香の姿が浮かんだ。昨夜見た吸血鬼ではなく、あどけなさを残したままの笑顔に出会えたとき、月島は心の平穏が訪れたことを感じた。
死を素直に受け入れようとしたそのとき。
「父さんを傷つけるのはやめろっ」
聖夜の声が部屋の中で響き、月島は目を開けた。美奈子が驚きの表情を浮かべてふりむく。その顔をめがけて聖夜は十字架を投げつけた。
「ぎゃあっ」
美奈子の悲鳴とともに孝則の呪縛が解け、月島は抑えつけられた身体が解放された。
聖夜は窓を背に立ち、美奈子にナイフ切っ先を向ける。
「どうしてここが解ったの? あたしは月島くんをまいたつもりだったのに」
「解らない。でもぼくには、美奈ちゃんの進んだ道が見えた。それをたどったら、ここに着いたんだ」
左手で顔を抑えながら、美奈子は納得したようにつぶやいた。
「そうか。やっぱり月島くんは普通の人間じゃない。初めて血の匂いを嗅いだときから、どこかちがうとは思ってたけど。まさかブラッディ・マスターだったなんてね」
「ブラッディ・マスター?」
聖夜はその言葉を口にした。
前方に聖夜、後方には月島が立ち、美奈子の行く手をはばむ。
「ブラッディ・マスターが相手じゃ、勝てないか」
美奈子の瞳にあきらめの色が浮かんだ。
がそれは唐突に消え、口元がゆがみ、妖しげな笑みが浮かぶ。
「やはりまちがいない。おまえは我らの血を引くものだ」
美奈子の口から出たのは彼女の声ではない。そこにかぶさった男の声を聞き、月島が口を開いた。
「ドルー。やはり彼女の目を通してすべて見ていたのか」
「聖夜はすでに覚醒のときを迎えているようだな。月島、おまえがいくらあがいたところで、所詮運命には逆らえないものだ」
「運命など関係ない。聖夜の未来を決めるのは、聖夜自身だ」
「現実から目をそらしたところで同じだ。もはやこの女に用はない。目的は果たした。聖夜、おまえの愛する女性は、我らの元にある。取り戻したくば、おまえ自身がやってくるのだな」
「まさか、葉月を」
美奈子は聖夜と葉月を引き離すための囮だった。目の前の敵に気を取られ、他にも吸血鬼がいることを忘れていた。
「聖夜、覚醒のときを待っている」
言い終わるのと同時に、美奈子が手にしたナイフを自分の左胸に突き刺そうとした。
「だめだっ」
聖夜は美奈子に飛びかかり、ナイフを取り上げようとした。が、まにあわない。美奈子は口から血を吐き、その場に崩れた。
「しっかりして、美奈ちゃん」
抱き起こすと、美奈子はゆっくりと顔を上げた。鋭い牙は消え、漆黒の大きな瞳が聖夜を映す。腕の中にいるのは、人間だったころの姿に戻った美奈子だった。
「わかってたんだ……自分のやってることが……どれだけ愚かかってことは、ね……でも逆らえなかった……あたしには、自分の意志で動く、ことは許されない、から……でもこれ……で解放される……自由になれるんだ、ね……やっと」
「美奈ちゃん……」
「月島……くん、孝則のこと、たの、む……ね——」
最期の力をふりしぼり、美奈子は聖夜に望みを託した。邪悪な吸血鬼ではなく、元気なときに浮かべていた優しい笑顔が徐々に霞む。
聖夜の腕の中で事切れた美奈子の遺体は、やがて朽ち果て、塵となった。あとに残されたものは、なにひとつなかった。
「そんな……遺体も残らないなんて」
悲しすぎる結末だった。
だがこれで終わりではない。ドルーがいる限り、同じ悲劇は幾度となく繰り返される。
月島は床に倒れた孝則を起こし、首筋を確認した。傷跡はなにも残っていない。闇の刻印を施したのは美奈子のみだった。孝則だけでも助けられたことを月島は神に感謝した。
「もう大丈夫だ。これで吸血鬼になる心配もなくなった」
月島は安堵して、聖夜の背中に告げた。だが聖夜はなんの感情も見せない。
やがてゆっくりふりむくと、すがるような目で月島を見た。
「どうした? そんな深刻な顔をして」
「父さん。覚醒って……どういう意味?」
「え?」
「今ドルーって吸血鬼が言ってただろ。ぼくが覚醒のときを迎えてるって」
月島の顔がこわばった。
「お願いだ、これ以上隠さないで、知ってることを全部話してよ」
月島はなにも答えられず、聖夜の顔をじっと見つめるしかできなかった。
「父さん、ちゃんと答えてよ。ごまかしたりしないで」
いらだたしげに聖夜が叫ぶ。月島は口をつぐみ、顔をそむけた。
「逃げるの?」
そんなつもりはない。だが今話すのは早すぎる。まだ期が熟していない。
「クリスマス・イヴまであと三日か。おまえも十八歳になるんだな」
月島は視線を足元に落とし、つぶやくような小さな声を出した。
平穏な中で迎えるその日のことを想像し、しばし緊張がほぐれた。
「父さん?」
「春からは大学生か。ときの流れは早いものだ」
「なに言ってるの。そんなこと聞いてないよ」
「もっともここ数日みたいな状態じゃ、それも一年先のことになりそうだな」
「だからそのためにも、ぼくにすべてを——」
「甘ったれるなっ」
月島は口調を厳しくする。
「おまえの目指してる大学は、片手間の勉強で入れるようなところじゃない。追い込みの今、こんな事件に首をつっこんでいる暇なんてないはずだ」
「好きでまきこまれたんじゃない。だれが喜んで首を突っ込むんだよ」
「だったらもう関わるのはよすんだ。今朝も話したはずだぞ。この事件から手を引けと」
「でも、こんな気持ちのままじゃ……」
月島は聖夜を無視し、背を向けて部屋を出ようとする。
聖夜のつぶやきが背後から聞こえた。
「父さん、教師の顔になったね」
厳しくも暖かい父の顔を消し、教師の仮面をかぶることで大切な子供を突き放した。
今はそうすることでしか秘密を守り通す自信がない。
悲しいまでの拒否が、聖夜の中にある信頼を砕けさせる結果となっても。
それ以外なにもできない自分が、親として心底情けなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語
ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。
だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。
それで終わるはずだった――なのに。
ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。
さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。
そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。
由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。
一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。
そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。
罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。
ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。
そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。
これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる