【完結】あなたの幻(イリュージョン)を追いかけて

須賀マサキ(まー)

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第三章

三. 狙われたアイドル(三)

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 マンションに帰ってからも、ワタルは森下の言葉が気にかかっていた。エレベーターで最上階に上がる間も、その意味するところをずっと考える。
 ――北島さん、梢のささえは、ご自身だってことにお気づきですか。
「ささえ、か」
 森下はそう表現したが、裏に隠された意味は説明されなくとも解る。
 誰に対してもするようなレベルのお節介とお人好しだった。それがこんな事態を招くとは思わなかった。親切心から取った数々の行動が、梢の心に予想以上に影響を与えてしまった。
 エレベーターが到着した。静まり返った通路に足音だけが響く。
 梢は妹のような存在にすぎない。妹だからわがままも聞いたし、相談にも乗ってきた。
 家庭教師をしてくれと強引に近づいて来たときも、沙樹より梢を優先して勉強を教えた。これまであまり学習に取り組めていなかったのが、教育学部出身のワタルには気の毒に思え、なんとかしてあげたいと思ったからだ。
 だがそれらの行動が、梢には別のものに見えていた。
 漠然とした予感はあった。終業式の日に訪ねてきたとき、梢の心が垣間見えた。沙樹という存在がなかったら、ワタルは梢の気持ちに応えただろうか。
「いや、それはないか」
 どこまでいっても妹はそれ以上の存在になれない。
 梢の心を惹きつけてしまったのは本当に計算違いだ。だがそんな言葉はただの戯言ざれごとだ。言い訳にすらならない。
 鍵を開けて部屋に入り、ワタルは明かりを消したまま窓のそばに立った。カーテンを開けると眼下に街の灯火が広がる。高層マンションの最上階にある部屋からは、都会の景色が見渡せる。目を凝らせば沙樹の住むマンションも見えた。
 電話不精より、声が聞きたい気持ちが勝った。スマートフォンを取り出し、愛しい人の住む方角を見つめながら電話をかける。五回のコールで沙樹が出た。
『ワタルさん? あれ、今何時?』
 寝ぼけた声に時刻を訊かれ、ワタルは壁の時計を見た。
「あ、ごめん、もう一時を過ぎてた。起こしてしまったね」
『ううん、いいの。声が聞けてうれしいな』
「局で会えたのに、話す時間が取れなくて悪かったと思っている」
『仕方ないよ。局ではワタルさんとつきあってることはもちろん、学生時代にバンドのサポートをしてたってことも秘密にしてるんだもの。でも今日の収録は寂しかったな。あたしは大っぴらに話せないのに、浅倉さんは武彦さんやワタルさんと楽しそうに会話してたでしょ。妬けちゃったな』
「仕事だから、沙樹が羨ましがる必要なんてないさ」
 口ではそう言ったものの、ワタルは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
『そうよね。でもよかった、話せて。最近は電話もメールも少なかったでしょ。寂しかったんだから』
「ツアーも終わったから、なるべく連絡を入れるよ」
『いいよ、無理しなくて。ワタルさん、電話無精で筆無精だもん。それにつきあいをオープンにしてない以上、こういうことは覚悟してこの仕事を選んだのよ』
 沙樹は多少のことは我慢してくれる。そしてワタルは愛情と信頼に甘えてきた。
「いつもありがとう」
『え? なに急に。いつもと違うんじゃない、今日は。何かあったの?』
「いや、いつもと変わらないよ。明日も早いだろ? おやすみ」
『おやすみなさい。夢でおしゃべりの続きをするね』
 名残惜しい気持ちを胸に、ワタルは電話を切った。街灯りを頼りにバーボンのロックを準備し、たばこに火を灯す。
 沙樹の声を聞いても、胸に広がる黒い霧は消えなかった。
 窓を閉め切った部屋の中は物音ひとつしない。静けさに苛立いらだち、ワタルはオーディオの電源を入れた。スピーカーからクラシック音楽がひっそりと流れ始め、雨だれのようなピアノの音がワタルの心に静かに降る。
 窓ガラスの内側がわずかに曇っていた。秋も終わりかけ、ガラスの向こうには凍てついた冬の夜空が広がる。
 コンクリートに囲まれた世界に住んでいる者たちは、季節のうつろいを遠くに感じながら生活している。完全冷暖房に頼り、四季を彩る風を感じることもなく、豊かな自然がすぐそばにあることを忘れてしまった。そんな世界に住む人たちに、夢をどうやって届ければいいのだろう。
 音楽を通じて夢や希望を伝えたいなどという目標は、大それたものではなかったか。
 だれかが浴びるスポットライトには、必ず影ができる。
 影にいることを強いられた人々から向けられる憎悪。自分は他人の犠牲の中で、光り輝いているという現実。
 意識していようとなかろうと関係ない。
 その中で息をつく暇もなくたったひとりで戦い続ける梢にとって、ワタルからのささやかな思いやりは、大切でかけがえのないものだったに違いない。結果的に梢は自分自身を、ワタルにとって特別な存在だと解釈した。ワタルの優しさを「愛されている」と思い込むことで最後のり所にし、激しい妨害を乗り越えてきた。
 心のささえになったがゆえに信頼が形を変え、やがてそれは、次の悲劇を引きおこす。
 優しさは強さでもあり、刃にもなる。
 優しさゆえに、人の心を傷つける。誰かを守るために抜いたはずの刀が、守るべき人を傷つけ、大切な人の心を切り裂いた。
 梢にしたことは、本当に正しかったのか。自問自答を繰り返しても答えは見つからない。
 その疑問はいつしか、ミュージシャンという職業に対する疑問へと広がっていった。

   ☆   ☆   ☆

 それから二日後のことだ。ワタルは日下部から呼び出され、ブルームーンというバーに出かけた。ホテルの最上階にあるこの店は有名人がお忍びでよく訪れる。日曜の夜だったためか、店内はさほど混雑していない。
 日下部は隅のテーブルに座り、ワタルが来るのを待っていた。
「どうしたんです? 今日はジャスティじゃないんですね」
「ああ。あそこは学生が多すぎて密談には適さないからな」
 日下部はそう答えると、ワタルを正面に座らせた。
「密談ってどういうことですか?」
「浅倉梢の件だよ」
「例の嫌がらせですか? それなら大丈夫です。もう収まったって森下さんからも聞きました」
 問題が解決したことを告げると安心してもらえると思ったが、予想に反して日下部は腕組みをしたままワタルに視線を向けた。
「それもだが……おれは北島と浅倉の関係について、率直に聞きたい」
「関係って、どういう意味ですか?」
「単刀直入に訊く。北島は浅倉とつきあっているのか?」
「まさか。あの子は妹みたいなものですよ。それに高校生だし、恋愛対象にはなりません」
 間髪入れずに否定する。
「やはりそうか。もしかして西田くんと別れて浅倉とつきあい始めたのかと心配してたが、そうじゃないんだな」
 日下部は組んだ腕をほどき、軽く安堵あんどのため息をついた。
「最近あちらこちらから、北島と浅倉がつきあい始めたといううわさを耳にしてな。ふたりを引き合わせた手前、おれ自身、実際のところが気になっていた。浅倉や北島の事務所が納得した上で交際を始めたのなら、部外者のおれが止めるつもりはなかった。でもそういうことなら忠告しておく。必要以上に浅倉に近づくのはやめろ」
「日下部さん、大げさですよ。近づくといっても、勉強を教えるとか悩み事を相談されるとか、その程度です。嫌がらせの件だって話を聞いて嫌な気持ちを吐き出させることしかできていません。おかげで沙樹と会う時間がほとんど取れなくなってしまいました。でも梢ちゃんが困っているのを放っておくこともできず、板挟み状態ですよ」
「なるほどな。お節介でお人好しの北島だから、そんなところではないかと思っていたが。予想通り浅倉の方が積極的で、北島はわがままを許していたってところか」
 端的に言えばそうだ。だがわがままを許した以上、どちらが積極的かは関係ない。
「だったらなおさら、浅倉と距離をとっておけよ。解ったな」
 ワタルは少し迷いながらも、先日の森下との会話を打ち明けることにした。
「実はマネージャーの森下さんからも、意味ありげな話を聞かされたんです」
 ワタルは森下が何かを心配しているようだったと話した。
「そうか。浅倉サイドでも何か情報をつかんでいるのか」
 日下部は顎に手を当てた。ワタルは目の前のグラスに視線を落とす。
「北島は浅倉の相談相手になったつもりだろうが、彼女は完全に恋愛感情を抱いているな。演技力は抜群なのに、どうして自分の気持ちは隠せないんだか。それより北島、気持ちに応えられないなら、これ以上肩入れするのはよした方がいい。傷が浅いうちに」
「梢ちゃんを見捨てろってことですか? 妨害や嫌がらせの犯人について、森下さんが何かつかみかけているのに」
「だが北島は浅倉の恋人じゃないんだ。なら適度な距離をとっておけよ。わかったな。それとも何かがあったときは、西田くんを捨て、浅倉のために行動するのか?」
「……いえ、それは……」
 ワタルは返事に詰まった。日下部はグラスを手にとる。
「何も北島を責めているわけじゃない。おまえのことだから、人一倍責任を感じて見捨てられないんだろう? ただな、それが却って傷を広げることに繋がりかねないんだ。今回は特にな」
「日下部さんは何か具体的なことを知っているんですか?」
「いや。ただおれが仕掛け人なら、次は北島を巻き込んでひと騒動おこすと考えただけなんだ。それが現実になるかどうかは解らない。が、可能性が捨て切れないなら、今すぐ対処しようと思ったのさ」
「そのひとつが、おれが梢ちゃんと距離を取るってことですか……」
「率直にいえば、そういうことだ」
 そう言うと日下部は、手にした水割りを一口飲んだ。

   ☆   ☆   ☆
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