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第二部 キミに会えないクリスマス・イヴ
第四話 的中した予感
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その日ワタルは、数日ぶりに自宅に戻った。部屋の中やベランダに飾られた観葉植物は、長期の留守から帰宅したときでも青々とした色で出迎えてくれる。時間のあるときに沙樹が水やりに来てくれたのだろう。
何でもない小さな思いやりに、ワタルは我知らず笑みが浮かんだ。許されることなら今すぐ会いたい。でも沙樹は番組の真っ最中だ。
電波を通じて繋がれるような気がしたワタルは、ラジオのスイッチを入れ、沙樹の勤めるFMシーサイド・ステーションにチャンネルをあわせた。流れてきたのはアメリカのハードロックバンドの曲だ。一口でベテランというにはあまりにも活動期間が長い。途中何度か解散の危機を迎えながらも、今でも最前線で活躍している。
これから先、自分たちにもいろいろな危機が訪れるかもしれない。そのような場面に立ったとき、なんとか乗り越えて活動を続けたいと願う。それを実現するために重要なのは、リーダーの自分だ。
バンドの曲を聴いていると、哲哉のシャウトするようなボーカルを連想する。実はあの歌い方は、彼らの影響が大きい。思えば哲哉に初めて聴かせたアルバムは、彼らのものだった。あの日あのとき聴かせてなければ、今のオーバー・ザ・レインボウはなかったかもしれない。何気ない思いつきが将来を左右することもある。
昨夜のライブも、彼らに負けないくらい大成功だった。日を追うごとに自分たちの演奏も熱が入り、来てくれるファンの反応もよくなる。明日のツアー最終日は、間違いなく最高のものになるだろう。バンドメンバーみんなの気持ちもコンディションも絶好調だ。
沙樹にも来てほしかったが、特番の仕事がある以上無理は言えない。ただ今回のツアーに一度も来てもらえなかったことは、メンバーも残念がっていた。
オーバー・ザ・レインボウは、毎年クリスマス・イヴに特別ライブを行う。いつものロックから離れ、小さめの会場を選んでクリスマスソングを中心にアンプラグドで演奏している。デビューした年、できたばかりのファンクラブで行ったものが、いつの間にか一般向けにも行われる恒例のものとなった。人気が出るにつれプラチナチケットになり、規模も少しずつ大きくなってきたので、今年を最後にやめようという話が出ていたところだ。
それがたまたまツアーの最終日と重なったので、ミニライブは行わない。そのかわりアンコールで、恒例のクリスマスライブを行うことにした。それだけに沙樹にも来てほしかった。
アマチュア時代に多くのサポートをしてくれた沙樹のことを、みんなは六人目のメンバーだと思っている。ライブに来るのであればいつでも席を用意するし、関係者として特別待遇も可能だ。にもかかわらず沙樹は、一度もその申し出を受けたことがない。
そこまで気を使わなければならない境遇に追いやったのは、沙樹との交際をオープンにしていないワタルが原因だ。事務所などの方針があったとしても、それを押し切っていれば、隠れてつきあう必要などなかった。
でも気遣いも今年で終わりになる。そのはずだった。
ところがワタルにとって運が悪いことに、そのツアー最終日、沙樹に特番の仕事が決まった。キャリアアップを目指してバリバリ働く姿は、恋人の欲目抜きで輝いている。
希望していたラジオ局に身を置く生活が充実しているのは解る。特番のメンバーに入ったのも、これまでの努力の結果だ。
沙樹にとって喜ばしいことだが、結果、その日は遅い時間まで拘束され、ライブに来てもらおうというワタルの目論見は崩れた。
それでも遅い時間ではあったが会う約束は取りつけた。あとは場所が確定すれば沙樹に詳細の連絡すればいい。
大切なプレゼントは、デスクの引き出し奥に大切にしまわれている。
果たして沙樹はこれを喜んでくれるだろうか。きざな台詞やこった言い回しは必要ない。気持ちをストレートに伝えるには、シンプルな言葉が一番だ。
渡すときのことを考えると決まって動悸が激しくなり、口の中がからからに乾く。
「だめだ。ライブの方がよほど気楽だよ」
沙樹に告白したときは、何度も練習した。それなのにいざその場に立つと、用意したセリフは全部飛んでしまった。今回も同じことを繰り返しそうなので、ぶっつけ本番で挑むことにしている。いくつになっても、恋愛に関して不器用なところは変わらない。ワタルはいつまでも成長しない自分にあきれる。
あれこれ考えていても仕方がない。久しぶりの帰宅だ。やることはそれなりにある。
まず初めに、ワタルはたまった汚れ物を洗濯機に入れ、終わるまでの間コーヒーを飲みながら本を読むことにした。本棚の横にある積読本タワーからシャーロック・ホームズを取り出す。小学生のときに子供向けにリライトされたものを読んで以来なので、内容はほとんど忘れている。
ワタルはラジオを止めてクラシックのCDに変えた。コーヒーの香りが漂うリビングで、ゆったりした気分でソファーに座り読書をしていると、着メロが響いて中断される。それはブルー・ムーンのマスターからだった。
『明日ですが、お席が準備できるようになりましたので、ご予約通り十一時にお越しください』
「ありがとうございます。うちの哲哉が無理言ったんじゃないですか?」
『その点はご心配なく。北島さんたちのような有名人ともなると、デートする場所も限られてくるでしょう。当店を選んでいただけてうれしいですよ』
ブルー・ムーンはマスターの対応が徹底しているので、有名人が訪れても噂にはならない。アルバイトもいないから、うかれたフリーターに「○○さんが女性連れでうちの店に来た☆」などとSNSに書かれる心配もなかった。
店が決まったのはいいことだ。だがそれはキャンセルが出た、つまり別れたカップルがいることの裏返しかもしれない。自分たちがそうならない保証はないが、今日の明日だ、そんな心配は不要だろう。
時刻はまだ夕方の五時だ。沙樹の番組は放送中だ。メールで連絡してもよかったが直接話して伝えたい。忘れないように午後九時にアラームをセットして、ワタルは読書に戻った。
不快な電子音が響いて、ワタルは目を覚ました。いつの間にかソファーに横たわってうたた寝していた。ホテル住まいが続いたためか、思った以上に疲れが溜まっていたようだ。ゆっくりと起き上がり軽く頭をふる。ワタルは床に落ちた本が傷んでなかったことに安心してテーブルに乗せた。
終わった洗濯物を乾燥機にかけながら、こめかみを抑える。
よく覚えていないが、嫌な夢を見たような不快感が残っていた。寝た場所が悪かったのかもしれない。ワタルは肩と首をまわして体をほぐし、キッチンに入って冷凍庫を覗いた。外食するのも面倒なので、作りおきの冷凍ピザをオーブンに入れる。
時計を見るともう九時を過ぎている。さっきのアラーム音は、電話する時刻を知らせるためにセットものだった。
明日のことを一刻も早く伝えたい。ワタルは軽い高揚感を覚えたまま沙樹にかけた。ところが、
『あんたが沙樹の彼氏か?』
予想もしなかった男性の声が答えた。
番号を間違えたのか? だが相手はこちらに向かって「沙樹の彼氏か?」と問いかけた。違う番号にかけたわけではなさそうだ。
ではなぜ沙樹が出ない?
『おれは仲谷っていうんだが、あんたに負けないくらい、沙樹が好きだ。あんたと違っておれは沙樹を放ったり、不安にさせたりしない』
相手はこちらが口を挟む余裕を与えず、一方的にまくしたてる。ワタルは事態が飲み込めず、状況を理解するのに少しの時間が必要だった。何も言い返せずに聞いていると、相手は挑発されたと思ったらしく、強い口調でさらに続ける。
『おい、聞いてんのか? ハハッ。何も言えないのか。だったら沙樹はおれがもらう』
仲谷、仲谷……友也?――ああDJトミーか。
ワタルはやっと電話の相手が解った。
でもどうしてこんな時刻に沙樹と一緒にいる? 代わりに電話に出る? 明日の番組の最終打ち合わせにしては時間が遅すぎる。一体全体どうなっているのか。
さっきの不快感を残した夢は、このことを暗示していたのか。ワタルの動悸が激しくなる。
何でもない小さな思いやりに、ワタルは我知らず笑みが浮かんだ。許されることなら今すぐ会いたい。でも沙樹は番組の真っ最中だ。
電波を通じて繋がれるような気がしたワタルは、ラジオのスイッチを入れ、沙樹の勤めるFMシーサイド・ステーションにチャンネルをあわせた。流れてきたのはアメリカのハードロックバンドの曲だ。一口でベテランというにはあまりにも活動期間が長い。途中何度か解散の危機を迎えながらも、今でも最前線で活躍している。
これから先、自分たちにもいろいろな危機が訪れるかもしれない。そのような場面に立ったとき、なんとか乗り越えて活動を続けたいと願う。それを実現するために重要なのは、リーダーの自分だ。
バンドの曲を聴いていると、哲哉のシャウトするようなボーカルを連想する。実はあの歌い方は、彼らの影響が大きい。思えば哲哉に初めて聴かせたアルバムは、彼らのものだった。あの日あのとき聴かせてなければ、今のオーバー・ザ・レインボウはなかったかもしれない。何気ない思いつきが将来を左右することもある。
昨夜のライブも、彼らに負けないくらい大成功だった。日を追うごとに自分たちの演奏も熱が入り、来てくれるファンの反応もよくなる。明日のツアー最終日は、間違いなく最高のものになるだろう。バンドメンバーみんなの気持ちもコンディションも絶好調だ。
沙樹にも来てほしかったが、特番の仕事がある以上無理は言えない。ただ今回のツアーに一度も来てもらえなかったことは、メンバーも残念がっていた。
オーバー・ザ・レインボウは、毎年クリスマス・イヴに特別ライブを行う。いつものロックから離れ、小さめの会場を選んでクリスマスソングを中心にアンプラグドで演奏している。デビューした年、できたばかりのファンクラブで行ったものが、いつの間にか一般向けにも行われる恒例のものとなった。人気が出るにつれプラチナチケットになり、規模も少しずつ大きくなってきたので、今年を最後にやめようという話が出ていたところだ。
それがたまたまツアーの最終日と重なったので、ミニライブは行わない。そのかわりアンコールで、恒例のクリスマスライブを行うことにした。それだけに沙樹にも来てほしかった。
アマチュア時代に多くのサポートをしてくれた沙樹のことを、みんなは六人目のメンバーだと思っている。ライブに来るのであればいつでも席を用意するし、関係者として特別待遇も可能だ。にもかかわらず沙樹は、一度もその申し出を受けたことがない。
そこまで気を使わなければならない境遇に追いやったのは、沙樹との交際をオープンにしていないワタルが原因だ。事務所などの方針があったとしても、それを押し切っていれば、隠れてつきあう必要などなかった。
でも気遣いも今年で終わりになる。そのはずだった。
ところがワタルにとって運が悪いことに、そのツアー最終日、沙樹に特番の仕事が決まった。キャリアアップを目指してバリバリ働く姿は、恋人の欲目抜きで輝いている。
希望していたラジオ局に身を置く生活が充実しているのは解る。特番のメンバーに入ったのも、これまでの努力の結果だ。
沙樹にとって喜ばしいことだが、結果、その日は遅い時間まで拘束され、ライブに来てもらおうというワタルの目論見は崩れた。
それでも遅い時間ではあったが会う約束は取りつけた。あとは場所が確定すれば沙樹に詳細の連絡すればいい。
大切なプレゼントは、デスクの引き出し奥に大切にしまわれている。
果たして沙樹はこれを喜んでくれるだろうか。きざな台詞やこった言い回しは必要ない。気持ちをストレートに伝えるには、シンプルな言葉が一番だ。
渡すときのことを考えると決まって動悸が激しくなり、口の中がからからに乾く。
「だめだ。ライブの方がよほど気楽だよ」
沙樹に告白したときは、何度も練習した。それなのにいざその場に立つと、用意したセリフは全部飛んでしまった。今回も同じことを繰り返しそうなので、ぶっつけ本番で挑むことにしている。いくつになっても、恋愛に関して不器用なところは変わらない。ワタルはいつまでも成長しない自分にあきれる。
あれこれ考えていても仕方がない。久しぶりの帰宅だ。やることはそれなりにある。
まず初めに、ワタルはたまった汚れ物を洗濯機に入れ、終わるまでの間コーヒーを飲みながら本を読むことにした。本棚の横にある積読本タワーからシャーロック・ホームズを取り出す。小学生のときに子供向けにリライトされたものを読んで以来なので、内容はほとんど忘れている。
ワタルはラジオを止めてクラシックのCDに変えた。コーヒーの香りが漂うリビングで、ゆったりした気分でソファーに座り読書をしていると、着メロが響いて中断される。それはブルー・ムーンのマスターからだった。
『明日ですが、お席が準備できるようになりましたので、ご予約通り十一時にお越しください』
「ありがとうございます。うちの哲哉が無理言ったんじゃないですか?」
『その点はご心配なく。北島さんたちのような有名人ともなると、デートする場所も限られてくるでしょう。当店を選んでいただけてうれしいですよ』
ブルー・ムーンはマスターの対応が徹底しているので、有名人が訪れても噂にはならない。アルバイトもいないから、うかれたフリーターに「○○さんが女性連れでうちの店に来た☆」などとSNSに書かれる心配もなかった。
店が決まったのはいいことだ。だがそれはキャンセルが出た、つまり別れたカップルがいることの裏返しかもしれない。自分たちがそうならない保証はないが、今日の明日だ、そんな心配は不要だろう。
時刻はまだ夕方の五時だ。沙樹の番組は放送中だ。メールで連絡してもよかったが直接話して伝えたい。忘れないように午後九時にアラームをセットして、ワタルは読書に戻った。
不快な電子音が響いて、ワタルは目を覚ました。いつの間にかソファーに横たわってうたた寝していた。ホテル住まいが続いたためか、思った以上に疲れが溜まっていたようだ。ゆっくりと起き上がり軽く頭をふる。ワタルは床に落ちた本が傷んでなかったことに安心してテーブルに乗せた。
終わった洗濯物を乾燥機にかけながら、こめかみを抑える。
よく覚えていないが、嫌な夢を見たような不快感が残っていた。寝た場所が悪かったのかもしれない。ワタルは肩と首をまわして体をほぐし、キッチンに入って冷凍庫を覗いた。外食するのも面倒なので、作りおきの冷凍ピザをオーブンに入れる。
時計を見るともう九時を過ぎている。さっきのアラーム音は、電話する時刻を知らせるためにセットものだった。
明日のことを一刻も早く伝えたい。ワタルは軽い高揚感を覚えたまま沙樹にかけた。ところが、
『あんたが沙樹の彼氏か?』
予想もしなかった男性の声が答えた。
番号を間違えたのか? だが相手はこちらに向かって「沙樹の彼氏か?」と問いかけた。違う番号にかけたわけではなさそうだ。
ではなぜ沙樹が出ない?
『おれは仲谷っていうんだが、あんたに負けないくらい、沙樹が好きだ。あんたと違っておれは沙樹を放ったり、不安にさせたりしない』
相手はこちらが口を挟む余裕を与えず、一方的にまくしたてる。ワタルは事態が飲み込めず、状況を理解するのに少しの時間が必要だった。何も言い返せずに聞いていると、相手は挑発されたと思ったらしく、強い口調でさらに続ける。
『おい、聞いてんのか? ハハッ。何も言えないのか。だったら沙樹はおれがもらう』
仲谷、仲谷……友也?――ああDJトミーか。
ワタルはやっと電話の相手が解った。
でもどうしてこんな時刻に沙樹と一緒にいる? 代わりに電話に出る? 明日の番組の最終打ち合わせにしては時間が遅すぎる。一体全体どうなっているのか。
さっきの不快感を残した夢は、このことを暗示していたのか。ワタルの動悸が激しくなる。
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