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第一話 死ぬときの気持ち
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静かに降り続く雪を見上げ、両腕を広げて全身で受け止める。
頭や肩に積もるそれを払いのけずにいると、冷たさで死ねるだろうか。
死の淵に立たされた人の気持ちを理解できるだろうか。夜の中で闇に連れ去られるだろうか。
死の影を知りたい。そのときの気持ちを体験したい。
人は自分の死期を悟った瞬間、恐怖以外の感情が湧いてくるだろうか――。
死ぬ瞬間のことを想像しながら、静かに雪の降る中、氷室武彦はひとりで立っていた。
「氷室クン、何をしてるの。そんな薄着で雪の中にいたら風邪をひくでしょ!」
怒鳴り声と同時に背後から傘をさしかけられた。ふりむくと水無瀬ゆきが口を真一文字に結んでにらんでいる。
「す、すみません」
ひとまわり上の大女優に叱られ、武彦は咄嗟に頭を下げる。
「謝っている場合じゃないでしょっ」
顔を上げる間もなくゆきに腕をつかまれ、武彦は山荘の談話室に引っ張り込まれた。
半ば押しつけられるように渡されたタオルで、髪に残った雪を拭き取る。
暖炉にともされた炎は春のように暖かく、そばに立つと死の世界から甦ったような気分になった。
「ココアを入れたから、飲んで体を温めなさいね」
ゆきはテーブルにマグカップをおいた。武彦は礼を言ってソファに座り、それを手にする。
「どうしてあんなところに立っていたの? わたしが気づいたから良かったものの、そのまま凍えてしまったらどうするのよ」
腕組みをして正面に座ったゆきが、険しい表情を浮かべたままで訊いた。
「死に直面した人物の気持ちが知りたくて、雪の中に立っていました」
と告白すると、
「つまり、死にたかったってこと? バカなことをするんじゃないの!」
また叱られた。
「演技のためっていう気持ちはわかるけど、無茶して寝込んだらどうするつもり? 撮影が止まるのよ」
「すみません、そこまで考えがおよばなくて」
もう一度謝ると、ゆきは苦笑いして、マグカップにくちづけた。
☆ ☆ ☆
ロックバンド「オーバー・ザ・レインボウ」のベーシストである武彦にテレビドラマのオファーがきたのは、去年のことだった。
人気バンドのメンバーで、一番のルックスを買われてのものだ。
役者は未経験の武彦だが、凝り性が幸いして、熱心に演技の勉強をして仕事に挑んだ。
結果、オファーした側の予想以上に評判が良く、その後も役者の仕事がくるようになった。
そして今は、映画のロケで雪深い山に来ている。
一日の撮影を終え各自の部屋で休んでいる中、武彦はベッドに横になって考えを巡らせていた。
死を目前にしたときの演技は、今回の役の要だ。それなのにどうしてもうまく表現できない。
理由は解っている。これまでの人生で死を意識したことがないからだ。
そのせいで役に入り込めない。理屈では解っても、今ひとつ実感できない。
こんなことで躓いていては、演劇を続けていく自信もなくなってしまう。
何度も寝返りをうちながら考えていると、本来の音楽をストップさせてまで役者を続けていいのか、これを機にバンド活動に仕事をしぼるべきだろうか、という悩みにまで発展した。
考えるのに疲れた武彦は、ベッドから出て窓辺に立った。いつのまにか外は雪が降り始めている。
何かに引かれるように窓を開けると、冷たく凍える風が部屋の中に吹き込んだ。
暖かい場所から冷たい世界に引きずり出されたときだ。
唐突に昔の出来事が、脳裏によみがえったような気がした。
「あれ? なんだろう、この記憶」
心の奥に沈めた昔の傷痕をたぐり寄せることができたなら、今の躓きから抜け出せるかもしれない。
糸口が見え始めたら、もうじっとしていられなくなった。武彦は後先考えずに、外に飛び出した。
☆ ☆ ☆
「そうだったの。たしかに死にかけるような体験なんて、めったにできることじゃないわね。でもそれが雪の中に薄着で飛び出す理由にはならないでしょ」
「……はい」
「で、何かつかめた?」
ゆきは興味深げに武彦の目を見つめる。
吸い込まれそうな黒い瞳が、遠い記憶の扉をノックした。
「ええ。幼いときにおれは、一度死にかかったことがあったようなんです。それを思い出しました」
ゆきは口を半開きにして息を飲み込んだ。
「興味深い話ね。よかったら聞かせてくれない?」
「でも思い出したのは、夢かもしれない話です」
「それでも、氷室クンの記憶にあることにかわりはないでしょ」
「あ、いえ、でも……」
「お願い」
そう言ってウィンクをするしぐさは、とてもひとまわり離れた女性には見えない。
ゆきが持つ大人の色香と幼い無邪気な可愛さにどぎまぎしているうちに、とうとう押し切られてしまった。
「あれは、おれがまだ小学一年生の冬のことでした」
武彦は目を閉じて、霞の向こうにある、幼い日の記憶をたどり始めた。
☆ ☆ ☆
頭や肩に積もるそれを払いのけずにいると、冷たさで死ねるだろうか。
死の淵に立たされた人の気持ちを理解できるだろうか。夜の中で闇に連れ去られるだろうか。
死の影を知りたい。そのときの気持ちを体験したい。
人は自分の死期を悟った瞬間、恐怖以外の感情が湧いてくるだろうか――。
死ぬ瞬間のことを想像しながら、静かに雪の降る中、氷室武彦はひとりで立っていた。
「氷室クン、何をしてるの。そんな薄着で雪の中にいたら風邪をひくでしょ!」
怒鳴り声と同時に背後から傘をさしかけられた。ふりむくと水無瀬ゆきが口を真一文字に結んでにらんでいる。
「す、すみません」
ひとまわり上の大女優に叱られ、武彦は咄嗟に頭を下げる。
「謝っている場合じゃないでしょっ」
顔を上げる間もなくゆきに腕をつかまれ、武彦は山荘の談話室に引っ張り込まれた。
半ば押しつけられるように渡されたタオルで、髪に残った雪を拭き取る。
暖炉にともされた炎は春のように暖かく、そばに立つと死の世界から甦ったような気分になった。
「ココアを入れたから、飲んで体を温めなさいね」
ゆきはテーブルにマグカップをおいた。武彦は礼を言ってソファに座り、それを手にする。
「どうしてあんなところに立っていたの? わたしが気づいたから良かったものの、そのまま凍えてしまったらどうするのよ」
腕組みをして正面に座ったゆきが、険しい表情を浮かべたままで訊いた。
「死に直面した人物の気持ちが知りたくて、雪の中に立っていました」
と告白すると、
「つまり、死にたかったってこと? バカなことをするんじゃないの!」
また叱られた。
「演技のためっていう気持ちはわかるけど、無茶して寝込んだらどうするつもり? 撮影が止まるのよ」
「すみません、そこまで考えがおよばなくて」
もう一度謝ると、ゆきは苦笑いして、マグカップにくちづけた。
☆ ☆ ☆
ロックバンド「オーバー・ザ・レインボウ」のベーシストである武彦にテレビドラマのオファーがきたのは、去年のことだった。
人気バンドのメンバーで、一番のルックスを買われてのものだ。
役者は未経験の武彦だが、凝り性が幸いして、熱心に演技の勉強をして仕事に挑んだ。
結果、オファーした側の予想以上に評判が良く、その後も役者の仕事がくるようになった。
そして今は、映画のロケで雪深い山に来ている。
一日の撮影を終え各自の部屋で休んでいる中、武彦はベッドに横になって考えを巡らせていた。
死を目前にしたときの演技は、今回の役の要だ。それなのにどうしてもうまく表現できない。
理由は解っている。これまでの人生で死を意識したことがないからだ。
そのせいで役に入り込めない。理屈では解っても、今ひとつ実感できない。
こんなことで躓いていては、演劇を続けていく自信もなくなってしまう。
何度も寝返りをうちながら考えていると、本来の音楽をストップさせてまで役者を続けていいのか、これを機にバンド活動に仕事をしぼるべきだろうか、という悩みにまで発展した。
考えるのに疲れた武彦は、ベッドから出て窓辺に立った。いつのまにか外は雪が降り始めている。
何かに引かれるように窓を開けると、冷たく凍える風が部屋の中に吹き込んだ。
暖かい場所から冷たい世界に引きずり出されたときだ。
唐突に昔の出来事が、脳裏によみがえったような気がした。
「あれ? なんだろう、この記憶」
心の奥に沈めた昔の傷痕をたぐり寄せることができたなら、今の躓きから抜け出せるかもしれない。
糸口が見え始めたら、もうじっとしていられなくなった。武彦は後先考えずに、外に飛び出した。
☆ ☆ ☆
「そうだったの。たしかに死にかけるような体験なんて、めったにできることじゃないわね。でもそれが雪の中に薄着で飛び出す理由にはならないでしょ」
「……はい」
「で、何かつかめた?」
ゆきは興味深げに武彦の目を見つめる。
吸い込まれそうな黒い瞳が、遠い記憶の扉をノックした。
「ええ。幼いときにおれは、一度死にかかったことがあったようなんです。それを思い出しました」
ゆきは口を半開きにして息を飲み込んだ。
「興味深い話ね。よかったら聞かせてくれない?」
「でも思い出したのは、夢かもしれない話です」
「それでも、氷室クンの記憶にあることにかわりはないでしょ」
「あ、いえ、でも……」
「お願い」
そう言ってウィンクをするしぐさは、とてもひとまわり離れた女性には見えない。
ゆきが持つ大人の色香と幼い無邪気な可愛さにどぎまぎしているうちに、とうとう押し切られてしまった。
「あれは、おれがまだ小学一年生の冬のことでした」
武彦は目を閉じて、霞の向こうにある、幼い日の記憶をたどり始めた。
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