飛脚の涙

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第一話

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 で、先輩は何を。何がって、仕事ですよ。何かしらの受け持ちがあるんでしょ。いくら先輩でも一日中ぼーっとしてるわけにもいかないはずじゃ……え、一日じゅうぼーっとしてるだけですか? 本当に?

 ……あーあ、何でかなー。こんな人間に僕ら国民の血税が使われてるなんてほんとあり得ないですよ。ぼくだって毎日必死に働いて、十分とは言えない給料からあれやこれやとどんどん引かれていって、最終的に残る額を知った時はもうね、疑いました。会社に騙されてるんじゃないかってね。でもみんなもそうだってわかった時には妙な連帯感みたいなものが湧いてきましたね。怒りを、もちろん社会に対してですよ。漠然とした怒りを向ける対象がぼくにはわからなかったんで社会全般ということにその時は落ち着きましたけどね、今は違いますよ。少なくとも先輩はぼくの怒りを甘んじて受けるべきです。

 だってそうじゃないですか。ここ、何でしたっけ。なんちゃら科学館? 大型連休だってにの、全っ然人いないじゃないですか。これこそ行政のムダですよ。多分こんな施設探せばまだまだ見つかるんでしょうねまったく。え? 羨んでるって? ぼくが? いや……まあ、そりゃあそうですよ。楽して給料欲しいですよそりゃあ……ですからね、そこなんですよ。ぼくらは必死に就職活動して少ない選択肢の中から見つけた道を無理やりに納得して進んで行かなくちゃならないのに対して先輩はですよ、碌に就職活動もしないで、知ってるんですよぼくはそばで見てたんですから。金にもならないくだらない小説ばっか書いて、たまに風俗にも行って、危機感ゼロのくせに最後にはこうやってゆうゆうと過ごしてる。不公平だ! 四半世紀に渡る怠惰のツケを払うべきなんですよ、先輩は。地獄に落ちるはずです。笑ってる場合じゃないですよ。ぼくは本気でそう思ってるんですからね。

 だから今日はしっかり案内して下さいよ。ほら、そこの看板にも書いてあるじゃないですか。『未来のテクノロジーを体験』って。今回の連休に合わせて準備したイベントなんですよね。期間限定の……え、年中ですか……まあ、いいですよもうなんでも、行きましょう。未来のテクノロジーとやらを早く体験させて下さいよ。

 これは……ええと、『脳移植の世界』ですか。えーと、何々……

 「マウスを使った実験は成功したが、倫理的な問題の為、それ以上の研究は進められていない。しかしもし……」

 何ですかこれ。え、そのまんまだって? 脳の移植って出来るんですか? ええ、ああそうですか。なるほど。理論的には可能、そうだったんですね。マウスの実験では成功してるんですか。へえ、それは知らなかったな。

 じゃあもう研究も進んでそれなりに実用段階とやらに……ああ、倫理的な問題……ですか。まあ確かにそうですよね。脳を移植したはいいけど、人格はどっちのだって話になりますよね。新しい脳が持ってる元々の性格になるわけですからね。いわゆるタブーってやつですか。

 こういう問題はどちらかというと宗教とかの分野になるんですかね。
 宗教と医療、それから科学。永遠のテーマですよね。ぼくには難しくてどうしたらいいかわかりませんよ。でも結局は全部出来るようになるんでしょうね。ここに書いてあるような研究が身近なものになるのもそう遠くないとぼくは思いますよ。まあ現実味がないことは確かですけどね。脳移植による永遠の命なんて、ねえ……ところで、ここに書いてあることってホントに実際あったことなんですか? 術後の症例とか……実験段階とは思えない程詳細に書いてますけど。ご丁寧に写真まで貼っ付けて。さっき言ってた話とはちょっと合わないような……何ですって? もしもの世界……ってことはここに書かれていること全部先輩の妄想ってことですか……? 

 ちょっと勘弁して下さいよ。何で金払ってまでこんな悪趣味な未来予想を見せられなきゃならないんですか。

 ぼくたちはね、いいですか? 『最新のテクノロジー』を体験しにやって来てるんですよ。事実を知りたいんです。この二十一世紀の、最新の、科学を! 
 ああ、すいません。興奮して声がつい……とにかくこんなふざけた事今後二度とやらないで下さいね。もっと真面目に取材して、未来予測はせいぜい最後の二行ぐらいがちょうどいいんですよ。これは逆ですよね。最初の導入部分のところだけでしょ、事実って言えるのは。あとはずーっとただの妄想! 
 楽しんでるのは先輩だけですよ。まさか小説を書いてるつもりでこの「脳移植の世界」を作ったんじゃないでしょうね。もしそうなら公私混合ですよ。読んでくれる友達がどんどんいなくなったかって、こんな所を発表の場にしないでもらいたいですね。もうないですよね、先輩が担当したブースは。え、あるの? 

 ……じゃあ、見ますよ。これはもうね、先輩はここでも甘やかされてるんでしょうね。おそらく。この施設の人達が面白がって、調子に乗る先輩をさらにもち上げて。


 おっと、タイムトラベルときましたか。これはもう隠すつもりなんてないんですね。
 いや、だからこの記事のようなものがSF的物語だってことを隠すつもりが無いってことですよ。事実無根の、ただわくわくするだけの娯楽的内容だってことですよ。タイムトラベルなんてものを最新の科学って言っちゃあダメでしょうが。今度ばかりは事実は二行も無いんでしょうね。

 どれ、とにかく見てみましょうか。

 ……まずは、これまでのタイムトラベル史ですか。ああ、映画とか小説とか、これをテーマに作られたものを紹介しているんですね。なるほど、年代別に……これは面白いじゃないですか。

 丁寧にまとめられてますしね。先輩もやればできるんですね。……え、違うんですか? 先輩じゃない……

 どうしたんですか、急にそんな悲しい顔して。え、何? うん……それで、ああ……書けなかったんですね。タイムトラベルの新しい物語が浮かんでこなかったと。それで別の人に展示資料を作ってもらったんですね。

 まあ、ほんとは先輩のでたらめな妄想世界を見せられるよりかは、このタイムトラベル史のような物の方が勉強にはなるんでしょうけどね。ええ、でも気持はわかりますよ。ぼくだってあの頃は先輩と一緒に作ってたんですから。今でも時々読み返したりするんですよ。ゲリラ的にばら撒いていた校内誌『角部屋書店』。ふざけた名前ですよね。まったく、先輩らしい。


 それで苦肉の策として出来たのがアレですか。
 段ボールと、発泡スチロールと、その他モロモロを駆使して作られたタイムマシンがアレですか……

 いや、ぼくもね、視界には入ってたんですよ。何かやたらでかい包材が放っとかれてんなあって……いや、誰でもそう思いますって。いじわるで言ってるんじゃありませんよ。そんな恐い顔しないで下さい。でもほら、見て下さいよ。女の子が一人近付いていってますよ。可愛いですね。幼稚園ぐらいの子ってのは無邪気でいいですよね。あんな業務用包材みたいな得体の知れない物でも楽しそうにして、彼女らにとっては何でも玩具に……!

 ちょ、ちょっと! 痛い! つねらないでっ……止めてく下さいよ。つねるなんてまた大人げない。ちょっと茶化しただけじゃないですか。そんな怒らなくても――!

 ……せ、先輩……いえ大丈夫ですよ。もう痛くないですから。ええ、いえこちらこそすいません。少し言いすぎましたよね。ええほんと大丈夫ですから。
 いえ、ちょっとね……少し待ってもらえます? もしかしたら力になれるかもしれません。少しだけ……時間を……。


 あのですね、先輩、いきなりで申し訳ないんですけども、飛脚っているじゃないですか。わかります? 飛脚ですよ。ちょっとした荷物を自分の足で運んでいたあの……違いますって、足でつまんで運ぶ人間がいるわけないじゃないですか。走って運んでいたってことですよ。ええ、そうですそうです。江戸時代とかにいた感じのあれですよ。その飛脚をしている男がね、これも江戸時代なんですが、一人の男がいたんですよ。名は久衛門。彼は――

 え? 関係はあると思いますよ。だからちょっと先輩、とりあえずこの話聞いてみて下さいよ。唐突だとは思いますけども、すぐに終わりますから。

 その久衛門ですがね、ある特異体質のおかげもあって飛脚として非常に活躍していたんですよ。飛脚として活躍、と言っても所詮物運びの域を出ませんから、名を馳せたってことでもないんですがね、自分の性質と仕事がマッチしてるってのは中々の幸運だと思いませんか? そうですよね。難しいことですからね。

 その特異体質ってのは、彼の足にありました。そもそも彼の生きた江戸時代ってのは妖怪奇人仙人に類いした言い伝えが多いものです。妖気というか、妙な力が充満していたのでしょう。現代と比べて科学技術なんてのは遥かにみすぼらしいものですけど、そのかわり人々には、人智を超えた何かを信じる思いが強く、それが為に現代まで伝わる奇譚の数々を生んだわけです。

 久衛門は足を勃起させることができたんです。

 ええわかりますよ、先輩がそうおっしゃるのも無理はありません。
 そんなバカな。私だってそう思いますよ。
 でもこれは紛れもない事実なんですから信じてもらわないと困ります。勃起した足は、それはもう強靭で、しなやかさも併せ持っていて、真に卑猥な赤黒さを放っていたと言われています。

 まあ無理にその仕組みを説明しろと言われれば出来ない事もないですがね。用は精気と血の応用だと考えられます。それから久衛門の精通が遅かったってのも関係があるのかもしれませんが……こういった説明はナンセンスですから。話を先に進めますよ。

 えっと、どこまで話しましたか。そうそう、久衛門は飛脚として活躍していた、まででしたね。
 そう。彼はその日もいつものように仕事を終えて、定宿にしている梅屋に泊まったのですが、そこである事件が起こり、彼は自分の全人生をかけた慟哭を上げるのです
 。これが史実には決して載らない『飛脚の涙』なんですが……ええ、そうでしょ、気になりますよね。せっかく性にあっている仕事に就いていたのに、可哀そうな久衛門は泣きに泣いて二十年は老けたと聞きます。久衛門をそこまで追い込んだのは何だったのか。
 ええ、わかりました。ではまず久衛門がどうして飛脚になったのかってところから話しますね。これは彼の涙に繋がる重要な要素ですから省くわけにはいきません。ええ、少々周り道ですがね。

 彼は飛騨の生まれでした。運よく父親が下級武士だったために、その身分による恩恵を受けてすくすくと、何不自由なく育ちました。
 士農工商というぐらいですから、いくら下級でも武士は武士です。
 山間の寒村がほとんどというこの地域の閉鎖的環境の中では、やはりそれなりの身分的格差が顕著なのです。都会と違って下層階級の人間の絶対数が少ないんですよ、こういうところでは。

 久衛門がそのことを意識し始めたのはちょうど十五の時。

 冗長な寿命を生きられる今と違って、この時代では、わずか十五の年でも一社会人としての自覚を持たされます。こういうところは先輩も、ぼくも見習わなけりゃいけませんね。

 十五歳の久衛門は一人の大人となって気付いてしまったのです。これまで一緒に蛇を投げつけあったりして遊んでいた友人が自分に対して妙に余所よそしくなったり、町娘が自分の名字に過敏に反応したり、とにかくそういった細々とした、けれども決して無視できない出来事によって、社会に対しての自分の優位性とでも言うんでしょうかね。正直な久衛門はそういった周囲の反応に何かうしろめたさを感じてしまったのです。

 え、何ですか? いい奴……ですか。思いやりに溢れた優しい男だと。
 まあ、そうですね。ぼくらのイメージからすると、そんな恵まれた環境で、しかも身分の差がはっきりと分かれていたんですから、理不尽なほど偉そうな振舞いをしているほうが似合ってますよね。

 ただね、ぼくは思うんですけども、これはあくまでもぼくの予想ですけど、自分の立場を逆手に取って卑怯なことをするってのはよっぽどの度胸がないとできないと思うんですよ。あるいは都会のように悪事に精を出す同輩が大勢いる場合か、もしくは正真正銘のアホかです。

 久衛門が育った地域は下層階級もすくなければ、その逆に、上流階級も少なかったんですね。だからこそ彼は思い悩んでしまったんです。少し疎まれながらも、有利に生きる為に擦り寄られる。そんな立場を受け入れることができなかったんですね。

 そんな時です、彼が江戸に行く機会を得たのは。

 これは何と説明したらいいんでしょうかね。今で言うところの出向みたいなものかもしれません。いえ違いますね。逆出向ですね言うなれば。
 中央との政治的な関係を継続するために、地方の武家の中からその子息が奉公に出されるんです。

 久衛門の家族はこの話が来た時、受けないつもりでいました。
 寒村に囲まれたこの地域では、いくら中央との関係を深めてもあまり意味がないとわかっていたのです。それに下の上とも言える今の環境から、わざわざ上の下に行くことは、それだけで苦労が多く、久衛門の負担はかなりのものになるだろうということが簡単に予想できたからです。

 しかし久衛門は家族の反対を押し切り、江戸奉公人として当分の間生活する事に決めたのです。

 まあなんとも、若者らしい行動ですよね。
 いえ、ぼくが言ってるのは彼の探求心とか向上心だけじゃありませんよ。
 こう、なんて言うんですかね、今あるものを受け入れる心、とか、そういう穏やかさに欠けているところも含めて若者らしいって言ってるんです。

 日常の反復に価値を見いだせる種類の人間ってのはそれだけで達観しているはずですからね。若者が使う覚悟って言葉ほど危ないものはありませんよ。覚悟ってのはそれだけで人を酔わせますからね。その時点で完結してしまいがちなんですよ。

 いえ、久衛門のことを悪く言うつもりなんてありませんよ。彼はただ純粋に、まだ見ぬ江戸にあこがれていただけですから。
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