世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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偉い人に報告する時って変な緊張するよね

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「はっはっはっはっはっは!これは傑作だ!肉詰めのパンを人頭に見立てるとは!」

 今にもソファから転げ落ちそうな勢いの丞相は、最初に抱いていた穏やかな人物像からかけ離れた豪快な笑い方だ。
 丞相の求めに応じて、リズルド族の儀式で肉まんを生贄代わりに捧げたというくだりを話したところ、それがツボに入ったようで、そろそろ呼吸が苦しくなっていそうなほどに笑い続けていた。

 若い頃に民俗学者っぽいことをやっていただけあって、リズルド族の儀式に似たものもいくつか知っており、それだけに俺がしたことの奇抜さは衝撃も大きかったようだ。

「くくく、しかしよくもそれでリズルド達が納得したものだ。彼の者らにとっても、儀式は決して軽いものではなかろうに」

「ええ、そこはディースラ様の説得があってのことでした。なんでも祖を同じくする者同士、とか言っていましたし」

 ドラゴンとリズルド、種族としてはそう遠いものではないらしく、上位種とも言えるディースラの言葉には素直に耳を傾けていた。
 もしあの時ディースラがいなければ、俺達の言葉に耳を傾けることなどなかっただろう。
 そういう意味では、死なずに済んだ生贄候補のリズルドは、俺達にたっぷりと感謝してほしいものだ。

「そうだな、リズルド族にとってのドラゴンとは、崇拝にも近い感情を抱かせる存在だ。我々普人種にしてみてもそれは同じだが、種が近い分だけその思いも強い。…あの姿を見ると、威厳という言葉を考えさせられるのだがね」

 そう言って丞相がテラスへと続く扉の方を見て、呆れたように息を吐く。
 つられて俺もそちらを見ると、執務室のすぐ外にある芝生では、目を輝かせて空を見るディースラの姿がある。

 すると俺達が見たのに合わせるようにして、空からパーラが降りてきた。
 地面から数メートルの高さで一度、そして地面に足を着くタイミングに合わせた一度の計二回の噴射だけで軽やかに着地する様は、噴射装置を見事に使いこなしていると言っていい。

 そのパーラは、室内から注がれる俺の視線に気づき、軽くこちらに手を振って声をかけてきた。

「ふぅー、アンディ―、これちゃんと動くよ。アンディのは駄目だけど、私のは大丈夫そう」

 エスティアンから返還された噴射装置は、見事に預けた時のまま、俺の装置が壊れた状態だ。
 パーラの方は問題なさそうだが、恐らく分解したのだったら直してくれりゃあいいのにとも思うが、やる気がなかったのか出来なかったのかどちらなのだろうか。

 俺と丞相の話が退屈だということで、勝手にテラスで噴射装置の具合を確認し始めたパーラの姿は、ディ―スラをして強い興味の対象となったらしい。

「次、我の番!我の番!」

 おもちゃを見つけた子供のように、パーラへと駆けよって強請る姿は地上最強生物の名が霞み切って見えなくなっているぐらいだ。

「ダメですー。これは私のなんで、他の人は使っちゃいけませーん」

「なんでじゃい!ちょっと使うぐらいよかろうが!」

「慣れてないと危ないんですってば。使い方を間違えば、地面に真っ逆さまなんだから」

 噴射装置を使ってみたいと、パーラへまとわりつくディースラというのは、不思議と微笑ましさよりも阿保らしさの方が勝って見える。
 ドラゴンとして空を飛ぶこともできるはずのディースラが、噴射装置に興味を持つのはやはり物珍しさからだろう。
 何せ魔術以外で人が空を飛ぶというのは、ディ―スラをして初めて見るらしい。

「今更地面に落下したぐらいで死ぬものかよ!いいから貸してみ!」

「落ちたりしたらディースラ様はよくても、噴射装置は壊れちゃうよ」

 パーラの言う通り、非常識に頑丈なディースラならたとえ上空一万メートルから落ちてきたところで怪我一つなさそうだが、噴射装置はそうはいかないため、何の訓練もなしに使わせるのは流石にまずい。

「ぐぬぬぅ…どうしても貸さんと言うのなら、倒してでも奪い取る!キィェエエエ!」

「ちょ、そういうのズルいって!もうっ!」

 訳の分からない理屈をこね、奇声を上げてディースラが襲い掛かると、たまらずといった様子でパーラは間一髪、噴射装置で空へ逃げた。
 流石にドラゴン相手に力勝負は不利が過ぎるため、逃げの手を打ったパーラは賢明だったと言っていい。

「ぬぅー!お主こそズルいではないかー!降りてこんかーい!」

 ディースラならドラゴン形態に戻れば空も飛べるはずなのだが、何のこだわりがあってか、地上からパーラへ罵声をかけるのみだ。
 まぁパーラとの今のやり取りも遊びのようなものなので、ドラゴンの姿に戻ってまで追うほどではないということなのかもしれない。

 そんな光景を眺めながら、丞相の口からはまた深いため息が漏れた。
 今度のは呆れと共に安堵も混ざっているのは、その顔からも分かりやすい。

「ディースラ様も困ったものだ。とはいえ、他に気を取られているのならそれはそれで構わんか。アンディ、そろそろワイディワ侯爵領での事件について聞かせてくれるかね」

 報告についてはディースラの口から聞くのを諦め、俺から聞き出す方向へ切り替えた丞相に、俺も頷きを返して話を続ける。

「わかりました。ではそうですね、道中にラーノ族のグルジェさんと遭遇したところからお話ししましょうか」

 本題とも言える、グルジェ達との出会いからジブワ達との戦いにいたるまでをかいつまんで話していくと、丞相も徐々に真剣な顔を見せ始め、ワイディワ侯爵が処刑を実行したところまでを話したところで、ついにはその眉間に深い皺が刻まれた。

 侯爵領から何度か送られた伝令で顛末は知っているはずだが、当事者として居合わせた者の口から聞くと、やはり感じいるものはあるようだ。

「ふぅむ、こうして改めて聞くと思うが、やはりワイディワ侯爵が処刑を急いだのは些かよろしくなかったな」

 丞相が気にしているのは、やはりワイディワ侯爵がジブワ達の処刑を急いで執行したことについてだ。
 あちらにいた時も聞こえてきていたが、スワラッドの上層部からの正式なGOサインを待たずに首謀者を処刑したのは結構まずいとのことで、下手をすれば他の貴族からの非難が殺到する可能性もあった。

「そうですか?自分の領民が殺された恨みと、国境の治安回復のためには必要だったようにも思えますが」

「いや、私とてあの方の判断が悪いとは言わんよ。国境の守りを任されるワイディワ侯爵には、そう決断する権利も理由もある。こちらの指示を待たずに処刑したことも、最善とは言い難いが決して非難するものではない」

 国境を守るという役目には、いざという時に独自の決断をすることを、国が認める側面が含まれている。
 最初に自国の壁となる者がスピーディに対応しなければ、事態が最悪へと傾きかねないからだ。
 勿論、これには相応の信頼がある人物に与えられる権利ではあるが、そういう意味ではワイディワ侯爵は十分な資格がある。

 なにせ代々国境を守ってきた、スワラッド随一の忠臣と言っていい貴族だ。
 よっぽどの悪手でもない限り、丞相をはじめとした首脳部も特別扱いをやめることはないだろう。

「スワラッド商国としては、連合との交渉でもめることは予想していた。現に今、侯爵の下へ送り出した人間にはある程度の裁量を許した者もいる。あとは彼女が上手くまとめてくれるだろう」

 恐らく俺達が川ですれ違ったゴードン達の中を言っているのだろうが、その指す人物が本来代表として据えるべくゴードンではないようなのが気になる。

「彼女、ですか?俺達がここに来る途中にすれ違った船にはバk…ゴードン殿がいましたが、彼にその裁量権を与えたのではないので?」

 おっと、危うく心の中での呼び方が出るところだった。

「まぁ本来ならそれが正しいのだがな、残念ながらゴードンでは色々と足りん。あの集団の中で任せるに足るのはフラッズだけだ」

 意外な名前が出てきたな。
 本人をよく知っているとは言い難いが、第一印象では軽薄さでゴードン以上と思う人物だけに、丞相が高くかっているのが不思議な感じだ。

 それが顔に出ていたのか、丞相は一瞬だけ吐息のような笑みをこぼし、フラッズについての評価を教えてくれた。

「フラッズは普段の言動こそアレだが、文官としてはかなりのものでな。恐らく、あの若さで言えばこの国で並ぶ者はいない。それどころか、練達の文官と比べても遜色がないほどだ。もし彼女が本気で政の道に入ろうとするなら、次の丞相には彼女こそを推したい」

「…そこまでですか」

「うむ。正直、ゴードンの傍に置いておくのは勿体ないぐらいだ。本人の気質からか、振る舞いを軽薄に思われがちだが、ミラと共にゴードンを支えるのが己の立場だと言い張るほどに強い信念もある。この城に詰めている文官と比べて特に優秀だよ、彼女は」

 ゴードンと接するフラッズの態度を思い返すと、忠義は薄そうに思えたが、丞相にそう言い放ったほどには強い思いがあるらしい。

「そうまで言うってことは、勧誘はしてみたんですね」

 ただでさえ文官というのは需要に対して数が少ない人種で、こうまで手放しに誉める人物を丞相が放っておくわけがない。

「当然だ。あれだけの才、遊ばせておくなど国の損失だろう。もっとも、こういったことは本人が望まぬのを強要してもいいことはないのでな」

 現役の丞相がこうまで言うとは、フラッズは官僚としてとんでもなく優秀だと思える。
 考えてみると、俺とゴードンの決闘をギャンブルにするぐらいの強かさがあり、他の二人より頭の回転も悪くなさそうだった。
 官僚向きかと聞かれれば俺にはどうとも言い難いが、あの時に見せた如才ない仕切り方は文官のそれに近い匂いがあった気もする。

 ゴードンとミラは脳筋寄りであることからも、あの三人がセットでいるのはバランスの良さのおかげかもしれない。

「とすると、今回ワイディワ侯爵領へ送った追加の人員は、フラッズさんが本命ということですか」

「ほう、その言いようだと、表向きの目的であるゴードンの箔付けには気付いていたか。もっとも、私としてはどちらが本命でも構わないがな。うまく交渉がまとまりさえすれば、何処の目論見が絡んでも気にはすまい」

 本来なら連合との今後の関係性をも決めかねない交渉に、才能はあるが経験の浅い若い文官を加えるのはあまりいい手とは思えない。
 しかし、ワイディワ侯爵の下で行われている連合との交渉は、現在、良くも悪くも停滞している。

 何せ今回の事件では、スワラッドと連合、双方にとってうまみのない結果しか残しておらず、それならばここはフラッズに経験を積ませる場として割り切るのも悪くはない。
 交渉の席でフラッズがどう立ち回るか、そしてそれによってどういう結果に落ち着くのかを丞相としては楽しんでもいるように思える。

 この難所をもって、次代の官僚として期待するフラッズを育成する気なのかもしれない。

「失礼いたします」

 丞相と話し込んでいると、執務室に文官が入ってきた。
 ソファにいる俺達を見て、一瞬何かを考える仕草をしたが、すぐに気を取り直して丞相の元へ近付くと、その耳元へと何かを囁く。

 俺に聞かれては困る業務連絡でもしているのか、丞相も二言三言、文官へ耳打ちをすると、こちらへと申し訳なさそうに声をかけてきた。

「まったく、丞相という立場は忙しくてかなわんよ。すまんが、急用が出来てしまった。私はこれで失礼させてもらう。あぁ、ディースラ様が満足するまでここは使ってくれて構わない。ただし、そことそこ、それとこっちの棚には触れないように。鍵はかけているが、念のためにな」

 丞相の執務室ともなれば、国家機密に関わる書類の一つもあることだろう。
 釘をさすのは当然のことで、むしろその程度で主不在の執務室に留まることを許すとは、寛容すぎるくらいだ。
 この辺り、俺というよりもディースラに対する信頼があるように思える。

 当然、丞相の言葉に逆らう理由も気概もない俺は素直にうなずいておく。
 テラスにいるディースラにも一言告げると、丞相は足早に執務室を出て行ってしまった。

 話し相手が消えたことで俺は一気に暇になってしまったので、ディースラ達の様子を見に行ってみる。
 テラスに出てみると、そこではパーラに背負われる形で宙に浮かぶディースラの姿があった。
 ディースラを一人にして噴射装置を使わせるのはまずいと、そのスタイルでの飛行を選択したようだ。

「うーむ、絶景かな絶景かな!」

「ディースラ様、もういい?そろそろ噴射時間が切れるよ」

 ドラゴンとしての力を使うことなく飛ぶというのが新鮮なようで、高く遠くを見ながらのディースラは上機嫌な様子だ。
 一方で、圧縮空気の噴射量は有限であり、それを管理するパーラは着陸のタイミングを探っている。

「なぬ?もうか!?思ったよりも長く飛べぬものなのだな」

「元々人一人が飛ぶための装置だもん。二人分の重さを支えて滞空し続けたら、圧縮空気もすぐになくなっちゃうよ。ってことで降りまーす」

 仲良く騒ぎながらも、二人はゆっくりと俺の前へと降りてきた。
 飛行時間が短かったのか、少しだけ不満げなディースラに対し、パーラの方は深く息を吐いている。
 少し見ていただけでも、ディースラはパーラの背中で落ち着いてはいなかったので、下手をすれば落下していたかもしれない危険性から解放されての安堵だろう。

「この噴射装置とやら、やはり面白いな。魔術を使わず、ただ空気を吐き出す道具で飛び回るなどと、誰が想像できよう。これを考えた者は頭がどうかしているぞ」

 到底誉め言葉とは思えないが、その声色には称賛と興奮が混ざったものがあり、いい意味で非常識さを称えているようだ。

「頭がどうかはともかく、翼を持たない人間が空へ憧れたための工夫ですよ」

 確かにこの世界では噴射装置は異質かもしれないが、非常識の代名詞であるドラゴンに言われたくはないだろうな。

「なるほどの。足りない物をこそ知恵で補おうという人の業よな。……のうパーラよ、一つ頼みたいのだが、この噴射装置だが我に―」

「あげないよ?」

 噴射装置を欲しがるディースラに、パーラの方はキッパリと断る。
 まぁ当然と言えば当然だな。

「これは私達にとって必要な道具なの。ただでさえアンディの分が壊れてるんだから、今これがなくなったら困っちゃうって」

 元々移動の補助だった噴射装置だが、バイクが壊れてからはメインの移動手段に繰り上がり、そして今、飛空艇から離されている俺達にとっては、手元に残る唯一にして最大の移動手段となっている。
 これからまだまだ長い旅が続く中、手放すわけにはいかない。

「ぬぅ…ならば我の宝からそれの対価をくれてやるぞ。手放すには惜しいものばかりだが、やむを得ん」

「いや対価もなにも、あげないってば」

 パーラの声など聞こえていないのか、ディースラは考え込む姿勢となり、頭の中で自身の持つ宝とやらをリストアップしているようだ。
 今持ってはいないが、これから俺達がディースラの縄張りに行くことになっているから、その時にでも渡そうというのだろう。

「そうさのぅ…撫でると鳥の鳴き声のような音のなる貝殻などどうだ?あるいは、水に濡れるといい匂いをだす石なんかもあるぞ」

 なんだそのゴミは。
 ドラゴンの宝と言うのだから、そこは普通、金銀財宝だろうが。
 子供が集めてくるようなガラクタをよくもまぁ対価に出せるものだ。
 誰が欲しがるんだ、そんなもの。

「…鳥の鳴き声?いい匂い?それは具体的にどういう…」

 呆れから思わずため息をこぼしそうになったその時、パーラがゴクリと喉を鳴らした。
 まさかこいつ、と思ってその顔を見てみれば、噴射装置を見るディースラに負けないほど、好奇心に溢れた目をしている。

「おいパーラ、お前なに興味持ってんだよ。頼むから、そんな変なもんと噴射装置を交換してくれるなよ」

「ぬ!変なものとはなんだ。長年かけて集めた、二つとない品だぞ」

 噴射装置とガラクタの交換に心を傾きかけたパーラに釘を刺したつもりだったが、ディースラが食いついてきたあたり、俺が思うよりもガラクタに対する価値観にはズレがあるのだろう。

「ねぇアンディ、ここまで言うんだから、せめて一目見るぐらいはしてもさ」

「ダメに決まってんだろ。噴射装置は俺達にとって重要な装備だぞ。何を積まれても手放すなよ」

 何故か揺れるパーラに強く言っておく。
 噴射装置は俺達共有の資産と言っていいもので、そんな変な理由で譲渡するなどとんでもない。

「わ、分かってるよ。ただ、ちょっと興味が出ただけで…」

「あぁ、そうだ。火にくべると炎の色が変わる金属というのもあるぞ」

「それ、もうちょっと詳しく」

「おいバカ、興味を持つな」

 まるでタイミングを計ったかのように新しいガラクタの存在を出してきたディースラに、まんまとのせられたパーラの肩を掴んで引き留める。
 なんでそんなもんに惹かれるんだ、こいつは。

「失礼します。…あぁ、こちらでしたか、ディースラ様。それにアンディとパーラも」

 いかにパーラを誘惑から遠ざけるか真剣に考え始めたその時、室内から聞き覚えのある声が俺達へかけられる。
 テラスで騒いでいた俺達だが、それに反応して三つの顔が揃って声の方へ向くと、そこにはシャスティナの姿があった。

「おお、シャスティナか。それほどでもないはずだが、何やら久しぶりだな。なんだ、我に会いに来たか?」

「はい、そのようなものです。無事に御帰着なされたと聞き、此度の事件でご尽力くださったこと、この国の人間としてお礼を伝えるべきかと思った次第です」

「であるか。礼ならば先程丞相から代表してもらったところだ。故に気にすることはないであろうが、お主も律義なものよのぅ。して、それだけか?」

「いえ、他にもお伝えすることがございます。少し前のことですが、モンドンにて大陸行きの船が出航の準備を始めたそうです」

 その立場から決して暇なわけがないシャスティナが、こうしてディースラを尋ねてやってきたのは礼を言うためだけではなく、大陸行きの船の出航について俺達に教えてくれるためだったようだ。

「アンディ達はあちらの大陸へ渡るそうですが、その船を逃せば、次に大陸行きの船が出るのは当分先のことになります。早く帰郷したいというのなら、急いだほうがよいでしょう」

 大陸行きの船は風待ちで動いていない状況だったが、どうやら俺達が忙しくしていた間に船は出航の準備を進めていたようだ。

「それは確かに、急いだほうがよさそうですね。ちなみにその当分先って、具体的にはどれぐらいですかね?」

 特段急いではいないがゆっくりしたいというわけでもなく、タイミングが合うなら逃す理由はない。
 しかも、この機を外すと大陸行きが当分先になるのなら猶更だ。
 とはいえ、人生何があるかはわからない。
 不測の事態で今回の船を逃す可能性もゼロではなく、念のために次の機会についても知っておこう。

「具体的にとなると、わかりませんね。ただ、大陸行きの船は数も頻度もそう多くありませんから、長ければ八十日後…ともすれば一年後ということも有りうるでしょう」

「ええ!?一年後は流石に長いよ!アンディ、早く行かなきゃ!」

 思ったよりも長いスパンがあることに驚き、最速で反応したパーラに俺も同意の頷きを返す。
 一年程度ならばこちらで暮らすことに不安はないが、俺達自身、向こうでやることもあるので、さっさと海に出てしまうのもいいだろう。

「まぁ待てパーラ。シャスティナよ、その船はもう少し待たせておけぬのか?我も同行すると言えば、多少は配慮もあろう?」

 俺としてはシャスティナが齎したこの情報を活かし、急いでモンドンへ向かって船に乗りたいところだが、ディースラの方は出発を後らせようと考えているようだ。
 この辺り、丞相とのかき氷についての話し合いがまだ不十分なこともあって、もう少し詰めておきたいという狙いがあるのだろう。

「は、ディースラ様がそうおっしゃるのであれば、多少は出航を遅らせることは出来ましょう。ですが、積み荷にはなま物も多く、あまり長くは留め置けないでしょう」

 大陸の向こうに行く船は、交易品を満載した船出となる。
 長い航海を想定し、積み荷にはなま物を避けるか腐りにくいものを選ぶのが常識だが、それでも高い価値や必要性があれば選択肢から外れにくい。

 ディースラが船の出航を遅らせれば、それだけ積み荷のなま物が駄目になるまでの猶予は減っていく。
 そうなると、商売の国として成り立つスワラッドとしては、出航が遅れることに対する恐怖感というのは普通よりも大きいはずなので、真っ当な理由でもなければあまり出航を止めてはおけないのかもしれない。

「ならば、我が船の動きを助けてやると言ってやれ。確か、大陸を渡る航海は、片道で三十日ほどであろう?我がその日程を半分ほどに縮めてやるとな」

「…よろしいのですか?荒れた外海を船が行くのは、平穏とは程遠いもの。ディースラ様のお手を煩わせることになりますが」

「元よりそのつもりだったのだ。構わん、件の船にはそう伝えよ。少なくとも我が丞相とかき氷についての話し合いに片が付くまでは待たせておけ」

「かき氷ですか?まだその件を諦めては…いえ、畏まりました。ではそのように」

 ディースラに対して恭しく頭を下げ、足早に去っていくシャスティナの背中を見送る。
 なんだか使用人のように動いているが、あの人、あれでもこの国じゃ上から数えた方が早いぐらいに偉い人なんだけどなぁ。

「さて、シャスティナにああいった以上、我も丞相との話し合いを詰めねばなるまい。アンディにパーラ、お主らは海に出るための準備をしておけ」

 つい先ほどまで噴射装置ではしゃいでいた姿から一変し、丞相との話し合いを急ぐような様子を見せたディースラは、俺達にも出発の準備を指示する。
 船は待たせると言っていたが、それはそれとしてゆっくりはしないらしい。

 丞相を追いかけるようにして部屋を出ていくディースラに遅れ、俺とパーラも通路へと出る。
 準備をしろと言われた以上、ここはやはり街の方で店を尋ねるのがいいだろう。

 ここは商人の国で、サーティカにはモンドンの港から人と物がやってくる。
 海を知る商人や船乗りが首都にいるのは普通のことなので、アドバイスを求めるならそこを頼るとしよう。

 思い返せば、俺達が最初に乗った船は砂の上を行く風紋船で、その次が空を行く飛空艇だった。
 その後に、海底から引き揚げた古代の船には乗ったが、あれはAIが管理する一種のオーパーツと言っていい船なのでカウントしない。

 この世界と時代に即した真っ当な帆船で、大陸間に跨る海へ出るのはこれが初めてとなる。
 危険な魔獣に定まらぬ天候と、正しく冒険と言っていい船出へ臨む準備に、真剣にならない人間はいない。

 せっかくだし、準備には物資のほかにも、首都でしか仕入れられない海にまつわる情報なんかも探ってみるか。
 聞いた話だと、ディースラの縄張りを経由する航路は片道で一か月はかかるらしいし、俺とパーラは船では荷物扱いなので、暇つぶしの何かも必要か。

 それと航海に出るのなら、麦わら帽子も必要だな。
 どうにか手に入らないか、街の方で探したい。
 冒険王に、俺はなる。

 帆船での外海への船旅には、ディースラが同行するのをお守り代わりに多少の安心はあるが、それ以上に恐怖と好奇心が胸を満たしていくのを覚える。
 飛空艇を手に入れてからは、久しくなかったその感覚に包まれながら、城門を後にした。
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