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篝火の計略
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何より、ほかの将軍連中は宴会や祭りを差配するのには長けていても軍隊を手足のごとく動かし戦争を遂行できるのは彼をおいていない、とマケドニア兵が考えていたことが明るみになったのは、エウメネスが病に倒れたときだった。
さきにペウケスタスは、ペルシス地方で盛大な祝宴をはって各員に生贄の羊を分配してやった経験から、自分が最高司令官になるのは当然と思っていた。数日後、兵団がいざ進発しようという際にエウメネスの病状が悪化したため、轎に乗せられて隊列の外で休むことになった。そこは静かで眠りを妨げるものが少ないからである。
ところが軍隊がいくらか進んだころ、不意に敵軍が丘を降ってこちらの平野に迫りくるのが見えてきた。その密集陣は堂々たるもので、金色の鎧は真昼の太陽に照りはえて燦然と輝き、戦に臨む象の背には巨大な塔と紫色の飾りが揺れていた。
先頭ゆくマケドニア兵は歩みを止め、大声でエウメネスの名を呼んで、彼なしでは一歩も進めないと言いあった。さらには槍を地に突ったてて待機し、ほかの指揮官の指図はうけない、我々はエウメネスが指揮を執らぬかぎりは交戦もせず、危険のうちに身を置くこともしないと伝えた。
これを聞いたエウメネスは、轎かきを急かして前線ちかくまでかけ寄ると、左右のすだれを跳ね上げ、身をのりだして手を掲げた。彼をみつけた兵士らは銘々マケドニアの言葉で歓呼し、槍を取り直してさかんに盾を叩き鬨の声をあげて「われらが御大将がそばにいるからには」と勇躍して敵に挑みかかった。
アンティゴノスは捕虜の口からエウメネスが轎で運ばれるほど悲惨な病状にあると聞いて、ほかの将が相手ならば造作もなくひねりつぶしてやれると考えた。そこで急いで兵をまとめ敵方に殺到したのである。ところがいざ前線に乗りつけてみれば、敵はすでに陣立てを終え、隊列は整然、つけ入る隙はまるで見当たらない。茫然としてしばし立ち止まっていると、ちょうど一台の轎が片翼から向こう側へと運ばれてゆくのが遠目に見えた。
アンティゴノスはつねのごとく大笑して、幕僚たちに「今日はあの轎ひとつを相手に戦させられたらしい」と言うとただちに馬首をめぐらし、後退して屯営するよう命じた。
一方エウメネス派の兵士たちは、危機が去ってひと心地つくと、また持ち前の放縦ぶりをほしいままにして将校らを侮るようになった。そうしてガビエネ地方一帯で思い思いに冬営したものだから、全軍は前後ほぼ1000スタディオンにも伸びきってしまった。
アンティゴノスはこれに気付くと突如として軍を発し、険阻で水の確保はできないが、最短距離のルートを取って進攻した。敵が冬営地に散り散りになっているところを奇襲して、軍勢どうしが合流する間をあたえず滅ぼそうというのである。
しかし無人の荒野をすすむうち、凄まじい風と厳しい寒さが兵士を苦しめ、行軍を妨げた。みな生き延びるためさかんに薪を焚いて暖をとらざるを得なかったが、その煙が居場所を教えることになった。無人地帯を見下ろす山に住む蛮族たちが焚き火の多さに驚いて、ラクダに伝令を乗せペウケスタスに知らせたからである。
報告を聞いたペウケスタスは恐怖で気も狂わんばかりに狼狽したが、他の将軍たちも大なり小なり似たような有様で、道沿いに宿営のある兵士をかき集めながら逃げ出そうとしていた。
この混乱に待ったをかけたのはやはりエウメネスであった。彼は敵の行軍を鈍らせこの地への到着を3日は遅らせてみせると約束した。こうしてみなを説得すると、ほうぼうの離れた冬営地にいる軍隊に至急集結するよう伝令を送った。同時に彼自身も何名かの部下とともに馬で出発し、不毛の地を横切る者なら遠くからも見えるような高所に先回りすると、あたかも野営地があるかのように間隔を測って盛大に篝火を焚くよう命じた。
この計略は的中した。アンティゴノスは山々に点在する火をみとめると、敵がずっと以前から我がほうの接近に気付いて十分な迎撃体制を整えていることに落胆し、またすぐ不安を覚えた。いま戦えば強行軍に疲れ果てた自分の兵士では、冬営地で快適に過ごしながら戦闘に備えてきた相手に勝てないと考えたのである。彼はもはや直進するのをあきらめ、村や街の多い地域を通り抜け、しっかり時間をかけて補給をしながら進んだ。
ところが行けども行けども敵地深くで活動する際にはつきものの妨害行為や小競り合いがまるで発生しない。いぶかしんだアンティゴノスが村人に尋ねると、彼らはこう言うのだった。「あすこには軍隊なんていませんよ、ただ火がぼうぼう燃えてるばかりで」
アンティゴノスはようやくエウメネスに一杯食わされたと悟って烈火のごとく怒ったが、かくなる上は正面きって雌雄を決せんと兵馬を押し出して来たのだった。
さきにペウケスタスは、ペルシス地方で盛大な祝宴をはって各員に生贄の羊を分配してやった経験から、自分が最高司令官になるのは当然と思っていた。数日後、兵団がいざ進発しようという際にエウメネスの病状が悪化したため、轎に乗せられて隊列の外で休むことになった。そこは静かで眠りを妨げるものが少ないからである。
ところが軍隊がいくらか進んだころ、不意に敵軍が丘を降ってこちらの平野に迫りくるのが見えてきた。その密集陣は堂々たるもので、金色の鎧は真昼の太陽に照りはえて燦然と輝き、戦に臨む象の背には巨大な塔と紫色の飾りが揺れていた。
先頭ゆくマケドニア兵は歩みを止め、大声でエウメネスの名を呼んで、彼なしでは一歩も進めないと言いあった。さらには槍を地に突ったてて待機し、ほかの指揮官の指図はうけない、我々はエウメネスが指揮を執らぬかぎりは交戦もせず、危険のうちに身を置くこともしないと伝えた。
これを聞いたエウメネスは、轎かきを急かして前線ちかくまでかけ寄ると、左右のすだれを跳ね上げ、身をのりだして手を掲げた。彼をみつけた兵士らは銘々マケドニアの言葉で歓呼し、槍を取り直してさかんに盾を叩き鬨の声をあげて「われらが御大将がそばにいるからには」と勇躍して敵に挑みかかった。
アンティゴノスは捕虜の口からエウメネスが轎で運ばれるほど悲惨な病状にあると聞いて、ほかの将が相手ならば造作もなくひねりつぶしてやれると考えた。そこで急いで兵をまとめ敵方に殺到したのである。ところがいざ前線に乗りつけてみれば、敵はすでに陣立てを終え、隊列は整然、つけ入る隙はまるで見当たらない。茫然としてしばし立ち止まっていると、ちょうど一台の轎が片翼から向こう側へと運ばれてゆくのが遠目に見えた。
アンティゴノスはつねのごとく大笑して、幕僚たちに「今日はあの轎ひとつを相手に戦させられたらしい」と言うとただちに馬首をめぐらし、後退して屯営するよう命じた。
一方エウメネス派の兵士たちは、危機が去ってひと心地つくと、また持ち前の放縦ぶりをほしいままにして将校らを侮るようになった。そうしてガビエネ地方一帯で思い思いに冬営したものだから、全軍は前後ほぼ1000スタディオンにも伸びきってしまった。
アンティゴノスはこれに気付くと突如として軍を発し、険阻で水の確保はできないが、最短距離のルートを取って進攻した。敵が冬営地に散り散りになっているところを奇襲して、軍勢どうしが合流する間をあたえず滅ぼそうというのである。
しかし無人の荒野をすすむうち、凄まじい風と厳しい寒さが兵士を苦しめ、行軍を妨げた。みな生き延びるためさかんに薪を焚いて暖をとらざるを得なかったが、その煙が居場所を教えることになった。無人地帯を見下ろす山に住む蛮族たちが焚き火の多さに驚いて、ラクダに伝令を乗せペウケスタスに知らせたからである。
報告を聞いたペウケスタスは恐怖で気も狂わんばかりに狼狽したが、他の将軍たちも大なり小なり似たような有様で、道沿いに宿営のある兵士をかき集めながら逃げ出そうとしていた。
この混乱に待ったをかけたのはやはりエウメネスであった。彼は敵の行軍を鈍らせこの地への到着を3日は遅らせてみせると約束した。こうしてみなを説得すると、ほうぼうの離れた冬営地にいる軍隊に至急集結するよう伝令を送った。同時に彼自身も何名かの部下とともに馬で出発し、不毛の地を横切る者なら遠くからも見えるような高所に先回りすると、あたかも野営地があるかのように間隔を測って盛大に篝火を焚くよう命じた。
この計略は的中した。アンティゴノスは山々に点在する火をみとめると、敵がずっと以前から我がほうの接近に気付いて十分な迎撃体制を整えていることに落胆し、またすぐ不安を覚えた。いま戦えば強行軍に疲れ果てた自分の兵士では、冬営地で快適に過ごしながら戦闘に備えてきた相手に勝てないと考えたのである。彼はもはや直進するのをあきらめ、村や街の多い地域を通り抜け、しっかり時間をかけて補給をしながら進んだ。
ところが行けども行けども敵地深くで活動する際にはつきものの妨害行為や小競り合いがまるで発生しない。いぶかしんだアンティゴノスが村人に尋ねると、彼らはこう言うのだった。「あすこには軍隊なんていませんよ、ただ火がぼうぼう燃えてるばかりで」
アンティゴノスはようやくエウメネスに一杯食わされたと悟って烈火のごとく怒ったが、かくなる上は正面きって雌雄を決せんと兵馬を押し出して来たのだった。
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