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1.出生
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史家の記すところでは、世界を洗ったあの洪水※1のあと、エピロスに住まうテスプロトイとモロッソイの人々は、ペラスゴスと一緒にやって来たパエトンという者を王に戴いたという。あるいはデウカリオンとピュラがドドネに神域を設けて、モロッソイ人の間で生きることを選んだという伝説もある。
後代にはアキレウスの子ネオプトレモスが部民をひきいてこの地を征服し、自らの王朝を遺すことに成功した。この王統を彼にちなんでピュリダイと呼ぶのは、ネオプトレモスの幼名をピュロスといい、彼がクレオダイオスの娘ラナッサに産ませた嫡子もまた、ピュロスと名付けられたからである。さらに言うならば、クレオダイオスの父もピュロスという名を持っている。
こうして英雄アキレウスはエピロスの産土神となって定着し、人々からは“言葉にできない御方”と呼ばれ信仰をあつめた。ところがこの系譜を継いだ王たちは間もなく蛮風に染まり、権勢もその生き様も大してぱっとしない者たちがしばらく続いた。
歴史家によれば、ギリシア式の文字や習俗を初めて導入し、人道的な法のもとで都市を統制して力を得たのはタリュパスであった。タリュパスの子はアルケタス、アルケタスの子はアリュバス、アリュバスとトロアス夫妻の子をアイアキデスという。彼はテッサリア人メノンの娘プティアを娶っている。メノンはラミア戦争※2の時分に名を挙げた人物で、反マケドニア同盟の中でレオステネスにつぐ威信をもつに至った。プティアはアイアキデスとの間に娘ふたりと息子ひとりを産んだ。デイダメイアとトロアス、そして本書の主人公、ピュロスである。
このころモロッソイ人は内乱の季節にあり、アイアキデスを放逐してネオプトレモス※3の子らを権力の座に就けた。アイアキデスの一党は捕らわれる者あり殺される者あり、まだ乳飲み子のピュロスにも追及の手はやまず、アンドロクレイデスとアンゲロスの手引きで逃亡の途にあった。
しかし召使いや乳母が足手まといになって遅れ、敵はそこまで迫っていた。そこで家来たちは幼子をアンドロクレイオン、ヒッピアス、ネアンデルという信頼のおける屈強な若者に託し、何としてもでもマケドニアのメガラまで落ち延びるよう命じた。いっぽう彼ら自身は踏みとどまって夜更けまで戦い、必死に追っ手を阻もうとした。
どうにか敵を追い散らすと、家来たちは先に行かせた連中に合流して道を急いだ。とうに日は沈み、安全な場所は目前だった。ところが町のそばまでやって来たとき、突如として大水に行き当たり道が遮断されてしまった。川の流れは恐ろしいまでに激しくうねり、まるで渡りようもない。降りつづく雨により増水したためで、こうなっては暗闇もかえって助けにはならなかった。
女こどもを抱えた一行は、もはや自力での渡河を諦めるしかなかった。さいわい向こう岸の住人らが気づき、何ごとかと集まって来てくれた。家来たちは大声をあげて助けをもとめ、ピュロス王子を見せて懇願したが、激流と水しぶきで対岸の人々には聞こえない。川を挟んだ両者がどんなに声を張り上げようと意思の疎通は困難で、よい方法を思いつくまで無為に時を過ごすばかりであった。
やがて誰かが木の皮を剥ぎ取り、服の留め金で文字を記して、進退極まった一行の窮状と幼児の運命を書きつけた。この皮をよく飛ぶよう石に巻き付け、向こう岸へと投げたのである。あるいは別の伝承では石ではなく投げ槍に結えたとも言われる。文章を読んだ岸辺の人々はもはや一刻の猶予もないと悟ると、木を切り倒し即席のいかだを組んでやって来た。何の因果であろうか、岸に最初にたどり着いたのはアキレウスという名の男だった。ピュロスは彼の腕に抱かれ、残りの者は他の者らがどうにかして運んでやった。
こうして追っ手を振りきり安全を得た逃亡者たちは、イリュリア王グラウキアスのもとへたどり着いた。グラウキアスの邸で彼と王妃に拝謁した一行は、幼児ピュロスを王の正面に座らせた。王は長いあいだ押し黙って熟考に熟考を重ねているようだった。アイアキデスの敵カッサンドロス※4の実力を恐れていたゆえである。
このときピュロスがひとりでに床を這ってグラウキアスの裾を掴むと、膝元に立ち上がった。その姿は大人が涙を流しながら嘆願する振る舞いにあまりに似ていたため、人々は最初は笑い、やがて憐れみにおそわれた。ある者は、ピュロスはグラウキアスに懇願したのではない、神々の祭壇に掴まり立ちした姿を見て王は天啓をみとめたのだ、と言っている。
グラウキアスはその場でピュロスを妃に抱かせ、自らの王子たちと一緒に育てるよう命じた。しばらく後に敵が引き渡しを要求したとき、カッサンドロスは200タラントンでこの子を買い取ろうと言ってきたがグラウキアスは断固亡命者を手放さず、12歳になったピュロスに軍勢を持たせてエピロスに戻し、王位に就けてやった。
ピュロス王の顔つきは、“威厳ある王者”というよりは、むしろ“凄まじい”と形容したほうが良かろう。たとえば上顎の歯はたくさん並んでいるのでなしに、一本の骨のようにぜんぶ繋がっていて、歯と歯の間だけわずかに窪んでいるのだ。
また彼には脾臓を患った者を癒す不思議な力があると信じられていた。白い雄鶏を生贄にして病人を仰向けに寝かせたうえで、ピュロスが右足で患部のあたりを優しく押してやるのである。どれほど身分卑しく財産のない者でも、頼めばこの治療を受けることができたらしい。王の受けとる対価といえば儀式を終えたあとの雄鶏だけ、しかし彼はこの謝礼をたいへん喜んでいたそうだ。
伝わるところではそもそもピュロスの右足の親指には聖なる力が宿っていて、彼が荼毘に付されたさい、五体ことごとく焼け落ちたのちも親指だけは炎に焦がされず無傷で残っていたという。だが、これはまだまだ先の話しである。
※1:ノアの洪水ではなく、「デウカリオンの洪水」と呼ばれるギリシア固有の洪水伝説
※2:アレクサンドロス大王の死後、アテナイを中心としたギリシア人が一時的にマケドニアに反旗を翻した戦争
※3:さきほどのネオプトレモス(伝説上の人物)とは別人
※4:当時のマケドニア王。アレクサンドロス大王の重臣の息子
後代にはアキレウスの子ネオプトレモスが部民をひきいてこの地を征服し、自らの王朝を遺すことに成功した。この王統を彼にちなんでピュリダイと呼ぶのは、ネオプトレモスの幼名をピュロスといい、彼がクレオダイオスの娘ラナッサに産ませた嫡子もまた、ピュロスと名付けられたからである。さらに言うならば、クレオダイオスの父もピュロスという名を持っている。
こうして英雄アキレウスはエピロスの産土神となって定着し、人々からは“言葉にできない御方”と呼ばれ信仰をあつめた。ところがこの系譜を継いだ王たちは間もなく蛮風に染まり、権勢もその生き様も大してぱっとしない者たちがしばらく続いた。
歴史家によれば、ギリシア式の文字や習俗を初めて導入し、人道的な法のもとで都市を統制して力を得たのはタリュパスであった。タリュパスの子はアルケタス、アルケタスの子はアリュバス、アリュバスとトロアス夫妻の子をアイアキデスという。彼はテッサリア人メノンの娘プティアを娶っている。メノンはラミア戦争※2の時分に名を挙げた人物で、反マケドニア同盟の中でレオステネスにつぐ威信をもつに至った。プティアはアイアキデスとの間に娘ふたりと息子ひとりを産んだ。デイダメイアとトロアス、そして本書の主人公、ピュロスである。
このころモロッソイ人は内乱の季節にあり、アイアキデスを放逐してネオプトレモス※3の子らを権力の座に就けた。アイアキデスの一党は捕らわれる者あり殺される者あり、まだ乳飲み子のピュロスにも追及の手はやまず、アンドロクレイデスとアンゲロスの手引きで逃亡の途にあった。
しかし召使いや乳母が足手まといになって遅れ、敵はそこまで迫っていた。そこで家来たちは幼子をアンドロクレイオン、ヒッピアス、ネアンデルという信頼のおける屈強な若者に託し、何としてもでもマケドニアのメガラまで落ち延びるよう命じた。いっぽう彼ら自身は踏みとどまって夜更けまで戦い、必死に追っ手を阻もうとした。
どうにか敵を追い散らすと、家来たちは先に行かせた連中に合流して道を急いだ。とうに日は沈み、安全な場所は目前だった。ところが町のそばまでやって来たとき、突如として大水に行き当たり道が遮断されてしまった。川の流れは恐ろしいまでに激しくうねり、まるで渡りようもない。降りつづく雨により増水したためで、こうなっては暗闇もかえって助けにはならなかった。
女こどもを抱えた一行は、もはや自力での渡河を諦めるしかなかった。さいわい向こう岸の住人らが気づき、何ごとかと集まって来てくれた。家来たちは大声をあげて助けをもとめ、ピュロス王子を見せて懇願したが、激流と水しぶきで対岸の人々には聞こえない。川を挟んだ両者がどんなに声を張り上げようと意思の疎通は困難で、よい方法を思いつくまで無為に時を過ごすばかりであった。
やがて誰かが木の皮を剥ぎ取り、服の留め金で文字を記して、進退極まった一行の窮状と幼児の運命を書きつけた。この皮をよく飛ぶよう石に巻き付け、向こう岸へと投げたのである。あるいは別の伝承では石ではなく投げ槍に結えたとも言われる。文章を読んだ岸辺の人々はもはや一刻の猶予もないと悟ると、木を切り倒し即席のいかだを組んでやって来た。何の因果であろうか、岸に最初にたどり着いたのはアキレウスという名の男だった。ピュロスは彼の腕に抱かれ、残りの者は他の者らがどうにかして運んでやった。
こうして追っ手を振りきり安全を得た逃亡者たちは、イリュリア王グラウキアスのもとへたどり着いた。グラウキアスの邸で彼と王妃に拝謁した一行は、幼児ピュロスを王の正面に座らせた。王は長いあいだ押し黙って熟考に熟考を重ねているようだった。アイアキデスの敵カッサンドロス※4の実力を恐れていたゆえである。
このときピュロスがひとりでに床を這ってグラウキアスの裾を掴むと、膝元に立ち上がった。その姿は大人が涙を流しながら嘆願する振る舞いにあまりに似ていたため、人々は最初は笑い、やがて憐れみにおそわれた。ある者は、ピュロスはグラウキアスに懇願したのではない、神々の祭壇に掴まり立ちした姿を見て王は天啓をみとめたのだ、と言っている。
グラウキアスはその場でピュロスを妃に抱かせ、自らの王子たちと一緒に育てるよう命じた。しばらく後に敵が引き渡しを要求したとき、カッサンドロスは200タラントンでこの子を買い取ろうと言ってきたがグラウキアスは断固亡命者を手放さず、12歳になったピュロスに軍勢を持たせてエピロスに戻し、王位に就けてやった。
ピュロス王の顔つきは、“威厳ある王者”というよりは、むしろ“凄まじい”と形容したほうが良かろう。たとえば上顎の歯はたくさん並んでいるのでなしに、一本の骨のようにぜんぶ繋がっていて、歯と歯の間だけわずかに窪んでいるのだ。
また彼には脾臓を患った者を癒す不思議な力があると信じられていた。白い雄鶏を生贄にして病人を仰向けに寝かせたうえで、ピュロスが右足で患部のあたりを優しく押してやるのである。どれほど身分卑しく財産のない者でも、頼めばこの治療を受けることができたらしい。王の受けとる対価といえば儀式を終えたあとの雄鶏だけ、しかし彼はこの謝礼をたいへん喜んでいたそうだ。
伝わるところではそもそもピュロスの右足の親指には聖なる力が宿っていて、彼が荼毘に付されたさい、五体ことごとく焼け落ちたのちも親指だけは炎に焦がされず無傷で残っていたという。だが、これはまだまだ先の話しである。
※1:ノアの洪水ではなく、「デウカリオンの洪水」と呼ばれるギリシア固有の洪水伝説
※2:アレクサンドロス大王の死後、アテナイを中心としたギリシア人が一時的にマケドニアに反旗を翻した戦争
※3:さきほどのネオプトレモス(伝説上の人物)とは別人
※4:当時のマケドニア王。アレクサンドロス大王の重臣の息子
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