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2.亡命、流転の日々
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ピュロスは17歳の若者に成長した。玉座もようやく安定したと思ったのだろう、彼は育て親グラウキアスの子の結婚に列席するため、しばらく国を留守にした。ところがこの機にモロッソイ人がまたしても結集して乱を起こし、側近らを追放したうえ王家の財産まで掠取して、ふたたび国をネオプトレモス※1に献上してしまった。
こうしてピュロスは自らの治めるべき土地を失った。八方ふさがりになった彼は、アンティゴノス※2の嫡子デメトリオスの元へ厄介になることにした。デメトリオスは姉デイダメイアの嫁ぎ先だったのである。彼女は幼いころよりロクサネの子アレクサンドロス※3と婚約状態にあったがあくまで名目の上にすぎず、この家が滅んでしまったため、成人後デメトリオスに再嫁していた。
やがてイプソスの地で王という王がみな集うほどの大戦が起こった。ピュロスはまだ若武者だったがデメトリオスとともに参戦し、相対する敵を大いに打ち破って将士らのなかで輝かしい武勇のほどを見せつけた。さらには敗北したデメトリオスを見捨てず、託されたギリシアの都市の防衛につとめるのだった。
デメトリオスがプトレマイオス※4と和平を結んだとき、ピュロスはデメトリオス陣営の人質としてエジプトへ渡海することになった。ここでも彼は、狩りにおいても運動競技においても人並み優れた勇気と忍耐力を示して、プトレマイオスを感嘆させた。
ピュロスの見たところ、エジプトの後宮にあって並ぶもののない権勢をにぎり、また徳望、識見においても優れた王妃はベレニケであった。それゆえ彼は特に彼女の歓心を買うことに努力した。
ピュロスは一旦相手を格下とみるや尊大な態度をとるいっぽう、目上の者の好意を自らの利益に結びつけることに長けていた。宮廷にあって節度を守り、規律正しい生活を示したためか、彼は沢山の若い王子たちを差し置いてアンティゴネを妻にすることができた。彼女はベレニケがプトレマイオスと再婚する前にフィリッポスとの間にもうけた娘である。
この結婚ののちピュロスはますます尊敬をあつめ、アンティゴネも賢婦として評判がよかった。いよいよ王国を取り返すべく、彼は資金と軍勢を授けられてエピロスへと送り込まれたのだった。
国民の多くは峻厳で独裁的な支配者ネオプトレモスを憎んでいたため、ピュロスの来援を喜んだ。ところが彼はネオプトレモスが他の王に助けを求めることを恐れ、和睦の道をさぐった。王権を共同で行使するという体で友好関係を築こうとしたのである。
しかし時が経つにつれ、ふたりの心に波風を立たせて疑心暗鬼に陥らせようとはかる者が現れた。ピュロスが行動を起こしたのは、おもに次のような理由からだと伝わっている。
モロッソイ人の地パッサロンでゼウス・アレイオスに犠牲を捧げるさいには、慣わしとして王とエピロスの民とはたがいに厳粛な誓約を交わさねばならなかった。王は法に則った支配を、また住民は法に従って王国を維持することを誓うのである。
さて、いざ宣誓の儀式にのぞんで両王はともに出席し、友人らもまじえて親睦を深めて、数多くの贈り物を渡しあった。ネオプトレモスの忠臣ゲロンはピュロスに愛想よく挨拶をして、耕作に使う牛を二つがい贈った。傍で酌をしていたミュルティロスという寵童がこの牛をくれるようピュロスにねだったが、ピュロスは聞きいれず他の者に下げ渡してしまった。ミュルティロスは憤懣やるかたないといった表情をした。ゲロンはこれを見逃さなかった。
彼はミュルティロスを夕食に招き、ある人の言うところでは酒を呑みすすめるうちにこの紅顔の美少年とただならぬ関係になった。そうしてミュルティロスと語り合い、ネオプトレモス方に寝返ってピュロスを毒殺するようさかんに勧めるのだった。
ミュルティロスはすっかり説き落とされ提案を受け入れたふりをして、あとでピュロスに知らせに走った。彼は王のお小姓頭のアレクシクラテスをゲロンに紹介して、ともにこの陰謀に協力することを誓ったが、これもまたピュロスの差し金であった。謀反の計画について証言できる人物がもうひとり欲しかったのである。
かくしてゲロンはまったく騙されてしまったが、ネオプトレモスも同様だった。彼は陰謀が順調に進んでいると勘違いして、それを自分ひとりの胸に秘めておくのも忘れ、喜びのあまり友人たちに打ち明けてしまった。
とりわけ妹カドメイアの邸で酒宴をはった際には、この計画について長口舌をふるって止まらなかった。彼は密談が漏れることなぞないと高をくくっていた。近くには王家の羊や牛の管理人たるサモンの妻ファイナレテを除いては誰もおらず、そのファイナレテも椅子に座ったまま顔を壁にもたせて眠っているようだったからだ。
ところが彼女は一部始終を聞いていて、次の日ひそかにピュロスの妃アンティゴネのもとへ向かって、ネオプトレモスが妹に話した内容を伝えてしまった。それと知ったピュロスはしばらく平静を装っていたが、ある犠牲の祭の日にネオプトレモスを晩餐に招くと、その場で彼を討ち取った。
ピュロスが憂いなく行動に及んだのは、エピロスの豪族らがみな彼に忠節を誓い、ネオプトレモス排除を望んでいると知っていたためである。いや、それはおろか彼らはピュロスが小さな国の利益をただ安穏と享受する日々に飽きたらず、生まれながらの性分に従って大きな冒険へと打ってでることを期待してさえいた。ちょうどそこへ陰謀の嫌疑があがってきたものだから、彼は先手をうってネオプトレモスの殺害に動いたのだった。
※1:前章で登場したネオプトレモスの孫
※2:このときディアドコイ(アレクサンドロスの後継者を目指した王・将軍)のなかで最大勢力を誇っていた人物
※3:アレクサンドロス大王の子でアレクサンドロス4世
※4:ディアドコイのひとり。エジプトを領する
こうしてピュロスは自らの治めるべき土地を失った。八方ふさがりになった彼は、アンティゴノス※2の嫡子デメトリオスの元へ厄介になることにした。デメトリオスは姉デイダメイアの嫁ぎ先だったのである。彼女は幼いころよりロクサネの子アレクサンドロス※3と婚約状態にあったがあくまで名目の上にすぎず、この家が滅んでしまったため、成人後デメトリオスに再嫁していた。
やがてイプソスの地で王という王がみな集うほどの大戦が起こった。ピュロスはまだ若武者だったがデメトリオスとともに参戦し、相対する敵を大いに打ち破って将士らのなかで輝かしい武勇のほどを見せつけた。さらには敗北したデメトリオスを見捨てず、託されたギリシアの都市の防衛につとめるのだった。
デメトリオスがプトレマイオス※4と和平を結んだとき、ピュロスはデメトリオス陣営の人質としてエジプトへ渡海することになった。ここでも彼は、狩りにおいても運動競技においても人並み優れた勇気と忍耐力を示して、プトレマイオスを感嘆させた。
ピュロスの見たところ、エジプトの後宮にあって並ぶもののない権勢をにぎり、また徳望、識見においても優れた王妃はベレニケであった。それゆえ彼は特に彼女の歓心を買うことに努力した。
ピュロスは一旦相手を格下とみるや尊大な態度をとるいっぽう、目上の者の好意を自らの利益に結びつけることに長けていた。宮廷にあって節度を守り、規律正しい生活を示したためか、彼は沢山の若い王子たちを差し置いてアンティゴネを妻にすることができた。彼女はベレニケがプトレマイオスと再婚する前にフィリッポスとの間にもうけた娘である。
この結婚ののちピュロスはますます尊敬をあつめ、アンティゴネも賢婦として評判がよかった。いよいよ王国を取り返すべく、彼は資金と軍勢を授けられてエピロスへと送り込まれたのだった。
国民の多くは峻厳で独裁的な支配者ネオプトレモスを憎んでいたため、ピュロスの来援を喜んだ。ところが彼はネオプトレモスが他の王に助けを求めることを恐れ、和睦の道をさぐった。王権を共同で行使するという体で友好関係を築こうとしたのである。
しかし時が経つにつれ、ふたりの心に波風を立たせて疑心暗鬼に陥らせようとはかる者が現れた。ピュロスが行動を起こしたのは、おもに次のような理由からだと伝わっている。
モロッソイ人の地パッサロンでゼウス・アレイオスに犠牲を捧げるさいには、慣わしとして王とエピロスの民とはたがいに厳粛な誓約を交わさねばならなかった。王は法に則った支配を、また住民は法に従って王国を維持することを誓うのである。
さて、いざ宣誓の儀式にのぞんで両王はともに出席し、友人らもまじえて親睦を深めて、数多くの贈り物を渡しあった。ネオプトレモスの忠臣ゲロンはピュロスに愛想よく挨拶をして、耕作に使う牛を二つがい贈った。傍で酌をしていたミュルティロスという寵童がこの牛をくれるようピュロスにねだったが、ピュロスは聞きいれず他の者に下げ渡してしまった。ミュルティロスは憤懣やるかたないといった表情をした。ゲロンはこれを見逃さなかった。
彼はミュルティロスを夕食に招き、ある人の言うところでは酒を呑みすすめるうちにこの紅顔の美少年とただならぬ関係になった。そうしてミュルティロスと語り合い、ネオプトレモス方に寝返ってピュロスを毒殺するようさかんに勧めるのだった。
ミュルティロスはすっかり説き落とされ提案を受け入れたふりをして、あとでピュロスに知らせに走った。彼は王のお小姓頭のアレクシクラテスをゲロンに紹介して、ともにこの陰謀に協力することを誓ったが、これもまたピュロスの差し金であった。謀反の計画について証言できる人物がもうひとり欲しかったのである。
かくしてゲロンはまったく騙されてしまったが、ネオプトレモスも同様だった。彼は陰謀が順調に進んでいると勘違いして、それを自分ひとりの胸に秘めておくのも忘れ、喜びのあまり友人たちに打ち明けてしまった。
とりわけ妹カドメイアの邸で酒宴をはった際には、この計画について長口舌をふるって止まらなかった。彼は密談が漏れることなぞないと高をくくっていた。近くには王家の羊や牛の管理人たるサモンの妻ファイナレテを除いては誰もおらず、そのファイナレテも椅子に座ったまま顔を壁にもたせて眠っているようだったからだ。
ところが彼女は一部始終を聞いていて、次の日ひそかにピュロスの妃アンティゴネのもとへ向かって、ネオプトレモスが妹に話した内容を伝えてしまった。それと知ったピュロスはしばらく平静を装っていたが、ある犠牲の祭の日にネオプトレモスを晩餐に招くと、その場で彼を討ち取った。
ピュロスが憂いなく行動に及んだのは、エピロスの豪族らがみな彼に忠節を誓い、ネオプトレモス排除を望んでいると知っていたためである。いや、それはおろか彼らはピュロスが小さな国の利益をただ安穏と享受する日々に飽きたらず、生まれながらの性分に従って大きな冒険へと打ってでることを期待してさえいた。ちょうどそこへ陰謀の嫌疑があがってきたものだから、彼は先手をうってネオプトレモスの殺害に動いたのだった。
※1:前章で登場したネオプトレモスの孫
※2:このときディアドコイ(アレクサンドロスの後継者を目指した王・将軍)のなかで最大勢力を誇っていた人物
※3:アレクサンドロス大王の子でアレクサンドロス4世
※4:ディアドコイのひとり。エジプトを領する
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