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虚しいだけじゃない

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 王侯貴族にとって、政略結婚は互いに利があってこそ成り立つ。
 王家の忠臣と名高いベリーシュ伯爵を父に持ち、隣国の王女を母に持つラフレーズが王太子の婚約者に選ばれたのは、当然の成り行きだったのかもしれない。

 ……でも、と抱いてしまう。


「殿下、こちらのアップルパイを食べてください。旬のリンゴを使ってますのでとても美味しいですわ」
「そうか」


 政略結婚でも、表面上はうまくするのが貴族ではないのか。地位が上にいくほど、その者の責任は重くなる。
 放課後の学院のテラスで、寄り添ってデザートを楽しむ男女を見て。ラフレーズは胸の苦しさを抱え、その場を後にした。幸いなことに2人はお互いしか目に入っていないから、ラフレーズに気付いていない。また、時間も時間だけにテラスには2人しかいなかった。

 教室に戻り、鞄を持って正門へ向かった。待っていてくれた馬車に乗り込んだ。


「……王城へ行ってください」


 御者に小さな声で行き先を指示した。気遣わしげな視線を送られるが前を見る余裕がなかった。
 婚約者が恋人を作ったのは、学院に入学して割とすぐだった。

 魅惑的な赤い髪に蜂蜜を混ぜたような金色の瞳の美女。名門ファーヴァティ公爵家の娘メーラ。王太子ヒンメルの寵愛を受ける少女。
 周囲からお似合いの婚約者と祝福されているのに、肝心の相手からは出会った頃より嫌われていたラフレーズは最初あまりのショックに涙が止まらなくなった。未来の王妃として、幼い頃から厳しい教育を受け続け、感情のコントロールを常に課せられていたラフレーズでも止められなかった。恋する人に、恋する人が出来てしまった。何故嫌われているのかわからなかった。理由を聞こうにも、拒絶の態度を溢れんばかりに放出するヒンメルに訊ねる勇気がなかった。

 ヒンメルの態度から嫌われているのは分かるのに、周囲がお似合いだと認識する理由も未だ分からず。

 今日ラフレーズが王城へ行くのは、ヒンメルとの月に1度ある交流の為だった。
 ……が、きっとヒンメルは覚えていない。覚えていたら、今メーラとテラスでデザートを楽しまない。

 相手のいない、お茶会。
 相手は恋人とデザートを美味しく食べている最中。

 惨めな気持ちを抱えたまま、馬車は王城に到着した。

 案内された部屋に通される。2人分のティーカップと多種類のデザート。
 最高の腕を持つ職人が作った、座り心地が最高なソファーに座った。


(すぐに帰っていいからしら……)


 どうせ、ヒンメルは来ない。来ないと分かっている相手を待ち続ける気持ちはない。……いや、ヒンメルを想う気持ちはどんどん擦り減っていく。
 嫌いになれたら楽なのだろうが……王太子として、幼少期より凄絶な努力を重ねる彼を知っているから嫌えない。更に、今日はすっぽかされたと言えど。婚約が決まってから始まった月1の交流に出されるスイーツは全部ラフレーズの好みに合わされていた。
 緩くウェーブがかったストロベリーブロンド、森を連想させる深緑色の瞳を持つラフレーズは見目こそ甘い物が大好きだと思われがちだが、実はチョコレートといったビターなスイーツが好きだ。ケーキもショートケーキよりもチョコレートケーキが好き。
 月1の交流だけではなく、王妃教育が終わる度に会いに行っては、短い時間の中でヒンメルへの気持ちを口にし続けていた。殆どが適当に相槌を打たれるか、黙っているだけのヒンメルでも稀に口を開くことはあった。その中でラフレーズの好きなスイーツを聞く時があった。その時は、初めて意識してもらえたと喜んだ。


(でもそれは、スイーツを用意しておけば後は放ってもいいという殿下の考えだったのね……)


 考えれば考えるだけ、虚しくなる。


「……帰ろう」
「そうつれないこと言うなよ。折角来たんだから」
「!」


 紅茶を1口飲んで帰ろうと思い立った直後、聞き覚えのある過ぎる声が。勢いよく顔を上げた先には、待ち人とは全く違う男性が入って来ていた。
 軽い調子で手を上げた男性は、そのままラフレーズの隣に座り、用意されていたティーカップを持った。


「へえ、アシュベリー地方の春にしか採れない紅茶だな。秋になった今でもあるってことは、態々取っておいたのか」


 香りを嗅いだだけで紅茶の生産地を言い当てた男性をポカンと見つめていると顔を向けられた。


「どうした?」
「いえ……クイーン様がいらっしゃるとは思わなかったので」


 初代王妃と同じプラチナブロンドに夜空を閉じ込めた深い紺色の瞳。1本だけ鼻頭まである前髪が特徴な髪型。濡れた色香を漂わせる、妖艶な男性はクイーン=ホーエンハイム。
 王国最強と名高い人外の魔術師・魔王公爵と呼ばれている。


「辛気臭い顔をしていそうだったから、来ただけだ」
「はあ……」
「後、美味しそうなデザートがあるとも聞いた」
「まあ……」


 ストロベリータルトをスイーツ皿に置いたクイーンが「ほら」とラフレーズに差し出した。


「折角来たんだ、お前も食べな」
「はい」


 ラフレーズはスイーツ皿を受け取り、フォークを手にした。
 1口サイズに切ったタルトを口内に入れると、温室で育てられたイチゴの甘酸っぱさとカスタードクリームの甘さが絡み合い、タルトの美味を増していた。甘さもしつこくなく、さっぱりとしているのでラフレーズでも食べやすい。いくつでも食べられる。


王太子バカはどうした」
「ば、バカって……」


 王太子相手になんという言葉遣い。
 それが許されるのがクイーン。彼は、国中を探しても例を見ない特別な人間だった。


「そうだろう。婚約者をほったらかして、恋人に夢中になっている奴だ。恋人や愛人を持っていいのは、あくまで婚姻してからだ。条件は色々あるが……」
「そう……ですね……」
「ヒンメルが来ないのは元々知ってたから、俺が来たと言ったら、お前は驚くか?」
「……いえ。殿下は、学院に入学してからメーラ様に夢中になっていたので」


 ヒンメルがメーラと共に、ラフレーズの前に姿を現したのは入学して1月経った辺りから。
 あの時の衝撃と悲しさは忘れられない。
 ラフレーズが立ち直れたのは、家族と今此処にいるクイーン、更に特別な友達のおかげ。

 用意された大量のスイーツをクイーンと2人で完食してしまい、暫くスイーツは控えようと涙目になりかけたラフレーズはベリーシュ伯爵邸への帰路を走る馬車の中で、見慣れた馬車が横切ったのを目撃した。王家の家紋が入った馬車、今の時間……。中にいるのは恐らくヒンメルだろう。


「どうせ、メーラ様との時間をたっぷり楽しんだ後よね」


 会わなくて良かった、と安堵したラフレーズは今日の夕食を食べられるか不安になった。ベリーシュ伯爵家の家訓の1つに、食べ物は決して粗末にしない事とある。農民が汗水垂らして大事に育てた農作物、畜産家が作り上げた畜産物、漁師が命を懸けて海から持ち帰る魚類。どれも彼等の努力あってこそある食べ物。それを粗末にするなど言語道断。体質に問題がない以外は、好き嫌いが許されない。それがベリーシュ伯爵家の食事事情。幸いなことに伯爵家の子供達に好き嫌いはなかった。多少苦手な食べ物があっても、料理人がアレンジをして食べやすくしてくれる為に抵抗もなく食べられる。

 屋敷に到着したら、量を少なめにしてもらおうとラフレーズは決めた。




 ――一方、王家の馬車にはラフレーズの予想通りヒンメルが乗っていた。王城前に到着し、馬車から降りたヒンメルは迎えの従者に幾つかの言葉をかけた後自室に戻った。

 フラフラとした足取りでベッドに腰掛け、顔を手で覆った。


「間に合わなかった……」

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