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9 嫌な予感
しおりを挟む今日も魔術でエウフェミアに直に届くよう、アロンが手紙を寄越した。内容は回数を増す事に相手の苛立ちを物語っていた。読むだけでアクアディーネ侯爵家で過ごした辛い日々を思い出し、胃が痛くなる。ヨハンの前では決して読まない。困った顔をしてヨハンを心配させてしまうのがオチだから。
父の命令が聞けないのか、と前回の手紙の文末にあった。父らしい事を何1つされた覚えがないエウフェミアは深い溜め息を吐いた。
今朝届いた手紙の処理をどうしようか悩む。
「……よし、燃やそう」
第2王子夫妻の部屋にて。
誰にもバレないで、自分の精神に負荷を与えない方法は手紙の消去。指に炎を灯した。手紙を近付けた時……
コンコン
扉の向こうから「エウフェミア、いるかい?」ナスカの声が。炎を消し、手紙をテーブルに置いたエウフェミアは返事をした。扉を開けに行った。
「どうされました? ナスカ殿下」
「ちょっとね。入っていい?」
「はい」
部屋に通したナスカは、気のせいか楽しそうだ。今朝早くからヨハンと大事な会議をしていた筈。
「会議は終わったのですか?」
「終わったよ。思ったより短く済んで良かった」
「そうですか。ヨハンは?」
「うん? うん。アクアディーネ侯爵に捕まっててね」
「え!?」
驚きの一言を頂いて仰天した。手紙を何度寄越しても戻らないエウフェミアを戻そうと、第2王子に直談判しているのだろうか? 嫌な予感しかしないエウフェミアは顔を青ざめた。
「落ち着きなさい。君の想像通りだがヨハンの心配はいらない」
「は、はい。ヨハンの心配はあまりしていません。寧ろ……」
「……酷いなあ、フェミー」
危ないのは父アロンだ。エウフェミアを溺愛しているヨハンにとって、アロンは敵。どんな状態でいても敵と認識される。もしヨハンに要らぬ言葉を発して怒りを食らったら、侯爵と言えどタダでは済まない。また、残った怒りの矛先はエウフェミアにも向けられる。
一晩中抱き潰される。部屋どころか、ベッドから起き上がれるか危うい。
心配なのはヨハンではなく、アロンの方。と言い掛けたエウフェミアだが、次に届いた声に身を強張らせた。ゆーっくり振り向くと、悲しそうに眉を垂れたヨハンが扉に凭れていた。
「ヨハン……」
「あんなのより、俺の心配をしてくれよ」
「ヨハン! にーにーは何時でもヨハンの事だけを思っているよ!」
「はいはい兄者には聞いてない」
恒例の突進をヨハンにかましたナスカ。ひょいっと避けられ、勢いが強すぎた為遠くの方まで転がって行った。近くを通った侍女に後始末を頼んだヨハンは扉を閉めてエウフェミアの隣に腰掛けた。
細い腰に手を添え、愛撫するように上下に動かす。ぴくぴく震えるエウフェミアを欲情した紫水晶が見下ろす。
「傷付いた俺を慰めてくれるよな?」
「嘘、ばっかりっ」
「心外だ」
「だ、大体、あの人は、ヨハンに何を」
甘い痺れが腰から全身に広がり、撫でられる度大きな波紋になってエウフェミアを堕としていく。力無くヨハンのシャツを握ったら、大きな手に包まれた。
「フェミーは気にしなくていい。夜会に集中したらいい」
「でもっ、お父様がヨハンに失礼な事をしたら」
「兄者からどう聞いた?」
「ヨハンが、お父様に捕まったって」
「そうか。事実だがフェミーが心配している事は起きていない」
腰の愛撫を止められ、身体から力が抜けたエウフェミアはソファーに倒れこんだ。覆い被さったヨハンは火照る頬に口付けを落とした。
「しかし、アクアディーネ侯爵は何故そうまでして夫人を嫌う?」
「お母様とお父様は政略結婚ですから……」
「珍しい話じゃないだろう。よくある話だ」
「元々、お父様は愛人であったライラ様と結婚したがっていたの。ただ、先代アクアディーネ侯爵、お祖父様が認めなかったとか。無理矢理お母様との婚約を結んだと聞いています」
「相手が平民であれば仕方ないだろう。侯爵も馬鹿な男だ。そんなに結婚を望むなら、どこぞの貴族の家の養女にでもすれば良かったものを」
「お祖父様はアクアディーネ侯爵家の血に平民の血が混ざるのが嫌だと言っていたわ……」
魔王は魔力次第では、平民でもなれるというのに。
アロンの前妻ウェンディ嫌いは死後も健在だ。嫌っている女が生んだエウフェミアは更に嫌い。愛してやまない愛人と愛人の娘を溺愛するのも無理はないのかもしれない。
エウフェミアは、頬を撫でるヨハンの手に自分の手を重ねた。
「ヨハンは……私が平民だったら、どうしてた?」
「どうもしない。平民ではなく、貧民でもフェミーを迎え入れていた。そもそも俺は、魔王の息子ではあるが愛人の子。正妻の子である兄者ならまだしも、俺と婚姻を結びたいなんていう女はいない。フェミー以外いらない」
「あら。ふふ……ヨハンは、令嬢達にはとっても人気者なのよ?」
「それをフェミーが言うな。男共は、隙あらばフェミーを狙おうとしているのに」
「私が第2王子妃だからでしょう?」
「違う。フェミーの魅力的だから」
「私をそうやって誉めるのはヨハンだけよ」
「あのな……」
些か怒っているが、どちらかというと困り果てたと表現した方が正しいヨハンにエウフェミアは首を傾げる。
年若い令嬢だけではなく、麗しい未亡人達も妖艶な美貌のヨハンに夢中だ。社交界で常に人気が集中しているのはナスカとヨハン。後は、魔力の強い令息やまだ独身の男性。
髪を乱暴に掻くヨハン。痒いのかな? と思ったのも束の間、扉がノックされた。
エウフェミアが返事をしたら、訪問者はシャルルだった。ヨハンを退かせ、ソファーに座り直した。
部屋に入ったシャルルは、つい最近会った時より疲れた顔をしていた。
「どうなされたのです? シルヴァ公爵様っ」
「顔が年相応になったな、おじじ」
「はあ……。そうなるのも仕方ないのだよ。座っていいかな?」
「は、はい。今、お茶の用意を」
「フェミーはしなくていい」
ぱんっ
ヨハンの手を叩いた音が合図となった。分も経たない内に侍女が現れ、出来立ての紅茶を3つのティーカップを注いでくれた。
ティーカップの取っ手を持って紅茶の香りを嗅いだシャルルの表情から、幾分か疲れが取れた。
「ふう……いい香りだ。これは、西の大陸の?」
「さすがによく知ってる」
「伊達に魔界をうろついてないさ」
魔王城のある王都から出たことのないエウフェミアにしたら、外の世界の話はとても魅力的だ。食い付いたらヨハンに拗ねられ、ご機嫌取りが大変になるので別の話題を出した。
「シルヴァ公爵様はかなりお疲れのようですが……」
「ああ……うん。予想を上回る事態になっていてね。長く生きてきた私やガルディオス殿でさえ、慌てふためく現状だ」
「何があった」
「これはまだ、私とガルディオス殿、ナスカ殿下と陛下にしか知らせてないのでね。今口にする訳にはいかない。目前に控えている厄介事が片付いたら話そう」
「夜会か」
夜会と聞いて、嫌な予感を抱いたエウフェミアは身体を固くした。気配を察知したシャルルは苦笑を浮かべた。
「ああ、心配しなくても、第2王子妃殿には無関係だ。そう気を張る必要はない」
「そうだよ、フェミー。フェミーはいつも通りに振る舞えばいい」
「でも、お父様の……アクアディーネ侯爵が関係しているのでしょう?」
「そうだが俺に任せておけばいい。しかし、魔界でも屈指の名家を、よくもまああんなのが継げたものだ」
「君達は知らないだろうがアロン殿個人の能力は非常に高い。家庭を持つ能力はなくても、仕事をする能力は随一だ」
「ふんっ。そのせいでフェミーが辛い思いをしていたんだ」
「まあまあ。君と会う為の限定期間だと思えばいい」
彼等の中では、既にアクアディーネ侯爵家の処遇は決められているらしい。父にどんな処置が下されるか不明で怖いが、出来れば異母妹や継母には手出し無用で願いたい。2人に直接にしろ、間接的にしろ、何かをされた事もないので。
2人とお茶を飲んで疲れがマシになったシャルルは、最後に「ウアリウス様にも困ったものだ……」と項垂れて出て行った。
その名前に戦慄した。
「ウアリウス様って……始祖の魔王と同じ名前……」
魔界で最初に魔王になった、最も偉大な魔族の名。何故ここで? とヨハンを見上げた。視線を受けたヨハンは面倒くさそうに答えてくれた。
「始祖のじいさんが今城に戻ってるからだよ」
「ええっ!?」
驚愕の事実に思考が追い付かない。始祖が魔王だったのは遠い昔の話。魔界の歴史を習う際必ず出てくる始祖だが、現在も生きているとは知らなかった。まず教わらない。大抵は眠りに就いたと思われているのに。
とんでもない人物が城に戻っていることに全く気付かなかったエウフェミアの髪にキスが落とされた。
「今はイグナイト公爵家にいるみたいだ。兄者は何度か顔を見に行ってるし、俺も一応王子だから顔を見せに来いと言われて足を運んでる」
「そ、そうだったんだ」
「しかし、さっきのシルヴァのおじじの様子からして、原因は始祖のじいさんっぽいが……」
目先に控える厄介事より、後に控える厄介事の方が面倒極まりない雰囲気が凄そう。ヨハンに抱き締められたエウフェミアは、そう思うしかなかった。
――数日後、遂に夜会当日を迎えるのであった。
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