婚約者を捨てて逃げたら、何故か追い掛けてきました

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28話

 


 微温湯に浸かって心は落ち着きを取り戻し、リーラに無理矢理広げられ痛むところに塗り薬を塗って痛みを抑えた。ハニーはラウラの手伝いをして不在の為、リュカの世話役を任されているオルチナが面倒を見てくれた。


「お加減は如何です」
「丁度良いです。ありがとうございます」


 冷たくもなく、かと言って熱くもない絶妙な温度加減が今のメルフィーナには丁度良かった。両手でお湯を掬い、指を広げればお湯は瞬く間に湯船の中へ戻っていった。
 ミラに触れられた時は甘く痺れる感覚だけが身体に走ったのに対し、リーラは明らかメルフィーナを痛めつけるのが目的で触れていた。痛みで泣いて嫌がろうとリーラは手を緩めなかった。婚約破棄の撤回をしないメルフィーナに対する報復だったのなら、途中ミラが止めなければ達成されていただろう。
 それともう一つ。二ヵ月前、最初に婚約破棄を突き付けた際にリーラを襲おうとしたことに対する仕返しも含まれているだろう。
 鼻近くまでお湯に身を沈ませ、今後を考えてみた。

 暫くリーラの顔は見たくない、声すら聞きたくない。五日間の滞在の間、二度とリーラの部屋には近づかない。レイラについては眠りの魔法を掛けた張本人たるヒルデガルダが解除しない限り目覚めないので安心する。
 シルヴァーナ家当主の座が欲しいと思えばいいとあの時リーラは口にした。筆頭公爵家の当主という栄誉ある立場が欲しい以外にメルフィーナを抱く利益はない。
 口で何度レイラへの好意を否定されようと信じられない。恋心を抱かれていると知っても。どうしても、二ヵ月前にリーラがレイラに向けていたあの表情が忘れられなくて。

  

 湯浴みを終え、新しい夜着に着替えたメルフィーナは私室……ではなくヒルデガルダの部屋にいた。オルチナが私室ではなくヒルデガルダの部屋に行こうと言うものだから付いて行ってしまった。
 既にデューベイの中に入っていたヒルデガルダに隣をポンポンと叩かれ、不思議な疑問を持ちつつ言われた通り隣に座ると同じデューベイの中に入れられた。
 一度くらい友人と寝泊まりなるものをしてみたかったと楽し気に告げられるとメルフィーナもその気になってしまい、お言葉に甘えてヒルデガルダが横になると倣った。


「シルヴァーナ公爵と寝たことは?」
「ありますよ。お母様が生きていた頃は、よく三人で一緒に」


 母が亡くなった直後から暫くはメルフィーナの精神が不安定だったり、逆にアイザックが不安定になり一緒に眠っていた。


「最初の一年は常時お父様の側にいました。お母様を喪った悲しみや寂しさから私もお父様もお互いの姿が見えなくなるとすごく不安になってしまって……」
「母君を愛し、愛されていたのですね。メルフィーナ様も、シルヴァーナ公爵も」
「はい。一年が経った後、私はなんとかお父様離れが出来るようになりました。お父様がまだだったから、更に一年は同じ状態でした」


 二年間は常時側に居続けた。リーラとの婚約の話をアイザックに聞かされたのは、アイザックが漸くメルフィーナが目の届く範囲にいなくても平常心を保てるようになってからだ。


「皇后様が教えて下さいました。後妻を娶るのも、養子を取るのも拒否するお父様に、私の婚約者は後ろ盾も地位も完璧な殿下にしようと皇帝陛下がお父様を説得していたと」


 その期間、母が亡くなって二ヵ月くらい後から始まったらしく、約二年間皇帝はアイザックを説得し続けた。メルフィーナ自身に元々気になる相手はおらず、アイザック自身がメルフィーナを手放したくなくて婚約者を作る気も更々なかった為、憔悴しているアイザックの隙につけいり筆頭公爵家当主の座を得ようと企む貴族が後を絶たなかった。但し、仕事だけは完璧に熟していたのが幸いしてメルフィーナの耳に貴族達の醜い声が届いたことは一度もない。


「こうやって誰かと一緒に寝るのは久しぶりです。ヒルデガルダ様はオーギュスト様と?」
「いいえ。子供の頃、一緒に寝ようと何度か寝室を突撃しましたが自分の部屋で寝ろと追い返されました」
「オーギュスト様は子供に優しい方なのに……珍しいですね」
「ふふ。明日、メルフィーナ様に私の秘密を教えてさしあげます」


 ついでにミラも、と付け足されどんな秘密なのか気になってしまう。青銀の瞳をキラリと光らせヒルデガルダに迫るも「秘密です。さあ、もう寝ましょう」と片目を閉じて見せられお預けを食らってしまう。明日と言うなら早く明日が来てほしくなり、お休みなさいとメルフィーナは目を閉じた。
 湯浴みをしていた時に抱いていたリーラへの複雑な感情は、ヒルデガルダのお陰ですっかりと小さくなり、眠りの妨げにならなかった。

  



 ——翌朝。目を覚ましたメルフィーナは眠い目を擦りつつ、隣でまだ寝ているヒルデガルダの寝顔を眺めた。
 長い睫毛、白魚のように汚れのない美しい肌、ぷっくりとした血色の良い唇。ピンクがかった銀髪という珍しい髪色といい、同い歳なのにメルフィーナを上回る妖艶な美といい、オーギュストは何処から彼女を連れて来たか非常に気になる。今日秘密を教えてもらえるみたいなので期待しておこう。
 ぴくりと白い瞼が動いた。ゆっくりと上がった瞼の奥には、濃い青の瞳が隠されていて、眠たげにメルフィーナを認識するとお互い朝の挨拶を交わした。


「昨夜は眠れましたか?」
「とっても」
「良かった。私も二人分の体温のお陰で温かく眠れました」
「私も温かくていつも以上に眠れた気がします」


 誰かが——多分ミラが——起こしに来るまでこのままでいようと合意した。
「例のユニコーンの件については何か進展はありましたか?」と訊ねるも首を振られた。ミス・リンリンからも情報は来ていない。


「ロジャーズ家とロンバルディ家の関わりもまだ突き止めていません」
「以前、ミス・リンリンから両家でも治せない患者を治す為に、ユニコーンを必要としているのではと話されました。聖属性魔力を持つ両家が治せない程の患者にヒルデガルダ様心当たりはありませんか」
「ふむ……」


 帝国では、重傷病者の治療は主にレイラが担当している。ロンバルディ家では当主がその役目を担っており、二人でもお手上げとする患者となると未知の病に罹っているか強大な呪いに侵されているかの二択か両方の可能性が浮上する。


「呪いとなると魔族が関わっている場合があります」
「魔族ですか」
「オーギュストから聞きました。シルヴァーナ家の大昔の女性当主が魔族との間に子を生したと」
「事実です」


 魔族と子を生したのは当時の女性当主ただ一人。以降は人間としか子を儲けていない為、魔族の血は薄れていると言ってもいいが、時折アイザックのように魔族譲りの強大な魔力を持つ者が生まれる。メルフィーナも多分魔族の血が濃いと思われている。


「昨夜、私の秘密を話すと言いましたね。
 私も魔族です。正確に言うと人間に転生した元魔族……とでも言いましょう」


 ヒルデガルダから伝えられた秘密を聞き、驚いてはいるが妙な納得感が生まれた。常人離れした美貌といい、同い歳なのにずっと年齢がずっと上と抱かせる言動や雰囲気が普通とはかけ離れていた。


「怖くありませんか」
「全然。サンチェス家の使用人で人間の方が少ないとお父様やオーギュスト様に言われていたので」
「ああ、そうですね。ついでにアイツ……じゃない、ミラもです」


 人間に転生した元魔族。ではなく、魔族時代のヒルデガルダが瀕死のミラを拾って生き永らえさせるべく血を分けたことにより、半分魔族半分人間になってしまったのだとか。


「ミラは元々ある帝国の第三皇子でした。ですが皇后共々皇帝や皇帝の愛人、正確には皇妃や異母兄弟に冷遇されて育ちました。皇后は皇帝の策略によって処刑され、ミラ自身も悲惨な目に遭った直後に売り飛ばされ、生き倒れていたところを私が見つけたというところです」


 現在の世界地図から帝国の名は消えており、新しい国の名前が記載されている。ミラを拾った一年後にヒルデガルダが帝国を滅ぼしており、唯一の肉親とも言える母皇后の遺骨だけ回収し、血縁上では父に当たる皇帝や皇妃達はミラの許可を得て一人一人殺した。


「皇后様の遺骨はどうされたのですか?」
「場所は知りませんが毎年欠かさず墓参りに行っているので埋葬はしている筈です」
「ヒルデガルダ様やミラは私よりずっと長生きなんですね。人間に転生して良かったと思えますか?」
「ええ。オーギュストの言っていた通り、面倒事は多々あれど退屈はしません」


 目を細め、穏やかに語る表情から嘘を言っている風には見えない。二ヵ月一緒に生活して心底楽しんでいるのはよく知っており、今聞いたばかりなのに良かったと安心してしまう。
 寝転がりながらの会話は二人を起こしに来たラウラとハニーの入室によって終わった。

  

 朝の身支度は自分の部屋でハニーと共に済ませ、今日は髪を後ろに緩く一つに纏めてもらうと一緒に食堂へ向かった。


「今日の朝のメニューは何かしら」


 毎朝の食事は一日の最初の楽しみでハニーと想像しながら食堂に近付くと異変に気付く。扉が開けたまま、数人の使用人達が戸惑っていた。何事かとハニーと顔を見合わせ、食堂に近付き使用人達に退いてもらい中を覗いて一驚した。


「私、レイラ=ロジャーズはヒルデガルダ=サンチェス様に抗議します!」
「抗議、ですか。なら、此方も先触れもなく突然やって来て勝手な事ばかりするロジャーズ公爵令嬢やリーラ皇子殿下に対し、ロジャーズ家と皇帝陛下に直接抗議をしに行きましょう」


 眠りの魔法をヒルデガルダが解除しない限り目を覚まさないレイラが何故か起きていて、腰に両手を当て堂々とヒルデガルダに物申していた。
 愉快げに笑みを浮かべ、腰を上げかけたヒルデガルダを遮る様にオーギュストがレイラの言葉を跳ね返した。


「ヒルデガルダ様はロジャーズ公爵令嬢の眠りを解除したのかな……?」
「いえ……帝国へ送り返す日まで解除しないと仰っていましたよ……」


 呆然と何故か起きているレイラを見つめていれば、大きな丸い青の瞳がメルフィーナに気付き、可愛らしい相貌には似合わない睨みを飛ばしてきた。


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