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しおりを挟む母の生家クローバー侯爵家に到着したリナリアは緊張した面持ちでラシュエルの手を取って馬車から降りた。初めてやって来たと言っても過言ではなく、ラシュエルやユナン、教皇の口振りから心配されていると分かっていても、一度もまともに会話をしたことも手紙のやり取りさえしてこなかった自分が果たして歓迎されるだろうかと内心不安で一杯。移動中ラシュエルと会話を続けても、目的地に近付くにつれ口数が減り、到着する目前にはすっかりと無言となってしまった。
「リナリア、大丈夫か?」
「はい……と言いたいところですけれど緊張と不安があります……」
「怯えることはない。クローバー侯爵家は君を決して拒否したりしない」
行こう、とラシュエルに手を引かれ、リナリアは出迎えた執事の後を着いて屋敷に入った。
「リナリア!」
「よく来てくれたわ!」
エントランスには現クローバー侯爵夫妻がリナリアを歓迎した。侯爵は母の実兄。髪の色は深い緑であるが瞳の色はリナリアと同じ紫色。顔立ちも母とよく似ている。
「お久しぶりです、侯爵、侯爵夫人」
「リナリア、そんな他人行儀に呼ばないでくれ。お前は私の姪なんだ、遠慮せず伯父さんと呼んでくれ」
「わたくしのこともおば様と呼んでちょうだい」
「は、はい」
交流が無いに等しかったせいでどうしても他人と接している風に思えてしまう。先ずは場所を移動しようとサロンへ案内された。それぞれの席に着くとリナリアの伯父、クローバー侯爵は不意に立ち上がりラシュエルに深く頭を下げた。
「皇太子殿下、此度はリナリアの身の潔白を証明して下さりありがとうございます」
「いや、私じゃない。礼なら大教会の神官に言ってくれ」
「勿論、彼にも伝えてあります。皇太子殿下が信じてくれてこともまた、リナリアの潔白を証明するのに大きな効果を齎しました」
侯爵は頭を上げ席に着くとテーブルにお茶が並べられていく。商人とも深く関わりのあるクローバー侯爵家だからこそ提供可能な貴重な茶葉を使ったお茶。香りで南国の方で愛飲されている健康茶だとリナリアはすぐに解った。お茶の味や種類を多数知っていて損はないと皇后に習っていたのが幸いした。ラシュエルも皇后である母に付き合わされ、様々なお茶を飲んでいたこともあり気付いた。
「美味しい」
「口に合ったみたいで良かった。リナリア、早速で申し訳ないが本題に入ろう」
「はい」
何度かお茶を飲むと空気が一瞬で固いものに変化した。
「魔女の呪いに罹った皇太子殿下を後妻の娘が聖女の力を使って治療したのは帝国全土に広がっている。殿下と婚約する件も」
これについては既にラシュエルが拒否している。病によって苦しむラシュエルの為に聖域にしか咲かない“祈りの花”を求めたリナリアが他の男の許へ走ったという、ありもしない嘘を囁き続けたイデリーナやヘヴンズゲート侯爵家はとんだ嘘吐きだとクローバー侯爵家が噂を流し始めている最中。
「私も父も、リナリアが皇太子妃筆頭候補であったこと、皇太子殿下との関係が良好なのを見て、あの男も下手にリナリアに手を出す真似はしないと見てしまっていた。私達の目が節穴だった」
「いえ……嫌味や毎日沢山言われてはいましたが、実際父は私を皇太子妃にする為多額のお金をつぎ込んでいたのは間違いありません」
「後妻やその娘の浪費と比べると大きな差があるがな」
ヘヴンズゲート家は決して貧乏ではない。裕福な部類に入る。クローバー家側が多額の生活費をリナリアの為に振り込んでいなければ、後妻やイデリーナの浪費は酷くならなかったと侯爵は見ているが隣にいる夫人は「どうかしらね?」と否定気味の意見を出した。
「リナリアさんやアンジェラさんを常に意識していそうですから、仮令旦那様やお義父様が援助していなかろうと借金をしてでも着飾ったと思いますわよ」
「ふむ……あの男は、愛する人と共にありたかったのなら貴族を捨てるべきだったんだ」
「いいえ、旦那様。貴族を捨てたら後妻は別の男に走っていたでしょう」
裕福で高位貴族の跡取りであったからこそ後妻は決して父を離さなかった。真実の愛の相手だと信じていた父と違い、後妻の方は明らかに地位と見目、財力に目を付けていただけだと夫人は語る。先代ヘヴンズゲート侯爵の手によって母アンジェラは結婚を約束していた隣国の公爵令息と泣く泣く別れた。母と親しかった夫人は、漸くリナリアを養子に迎え入れられることと憎くて堪らなかった父と後妻をこてんぱんにしてやれると活き活きとしており、夫である侯爵は目を点にする始末。
「お前……」
「あの男は外面だけは良かったですもの。アンジェラさんが亡くなった時、わたくし達がリナリアさんを養子として引取りたいと言ったら、嘘の涙を流してリナリアさんを養子に出させなかった。無理に養子にすればわたくし達が父と娘を引き離した悪者にされ、慈悲深いと評される我が家の評判は当然大きく落ちます」
ヘヴンズゲート家から皇太子妃を輩出したい気持ちとクローバー侯爵家の評判を落としたいという両方の気持ちがあった父。どちらに転んでも得をするのは父、損をするのはクローバー侯爵家。
「外面の良さは間もなく剥がれ落ちるでしょうから、後は時間の問題でしょう」
「おば様は父や義母について詳しいようですが交流があったのですか?」
「いいえ? ただ、あの男と後妻の関係は有名だったの。知ろうとしなくても勝手に耳に入ってきていたのよ」
情報源は夫人のお茶会。様々な貴族家と交流を持つクローバー家は、毎月爵位に関係なく他家を招待してはお茶会を開いており、そこで色んな情報が入ってくるのだ。父や後妻についてもだ。
「侯爵」とラシュエル。
「リナリア。一つ訊ねたいことがある」
「なんでしょう」
「リリーシュ公爵家のソルト様が君に婚約を打診しているという情報を得た。それは事実か?」
「そうみたいです」
皇太子妃筆頭候補であったリナリアだが、聖女の力に目覚めたイデリーナによってラシュエルの病を癒したことにより、表向きリナリアは皇太子妃筆頭候補ではなくなった。すぐにリリーシュ家側からヘヴンズゲート家に打診があったとは、街のリストランでラシュエルと食事をしている際、近くの席にいたソルトの話で知った。
「リリーシュ公爵令息は元々大公家のご令嬢と婚約間近だったのに、公爵家側が辞退したと聞いてすぐの話だったから気になっていたんだ」
「ソルトは結婚しても女性関係を改める気は一切ない。生家に居場所のないリナリアなら、離縁とチラつかせれば従順に従うと目論んだんだ」
「なんと……」
これもソルト自身が口にしていた。事情を知った侯爵は怒りで顔を赤く染めるも、夫人は冷静でお茶を飲み「ふふ」と笑みを零した。
「皇太子殿下がリナリアさんを皇太子妃に望んでくださっているのですから、リリーシュ公爵令息には諦めてもらいましょう。旦那様からリリーシュ公爵に忠告してくださいな」
「ああ。すぐにでも送ろう。大公家のご令嬢は、公爵令息を慕っていたと聞く。女性関係にだらしない男と縁が結ばれずに済んで却って良かったのやもな」
結婚後も遊びたい為に帰る場所のないリナリアを妻にと望んだソルトには、好意的な感情は一切持たないリナリア。ラシュエルから聞いた話では、リナリアが駄目だったからと言ってイデリーナを選ぶとも考え難い。
侯爵はリナリアが現在大教会で生活している件について触れた。
「教皇には、私や父からも事が落ち着くまでリナリアの滞在を許可してもらった。君が聖域で世話になったという神官にもしっかりと礼は伝えてある」
「ありがとうございます」
「聖域でリナリアの世話をしてくれた神官は、教皇の一番弟子で現神官で唯一聖域に足を踏み入れる人なんだ。彼が次期教皇候補というのは知っているかい?」
「ユナンが言っていました。教皇になる資格で最も重要なのが聖域に入れる者だとも」
「ああ。アンジェラも聖域に入ることが出来た。血縁は関係ないと言うが、リナリアが聖域に入れる人間と知った時、アンジェラの子だと心底感じた」
大教会に属する神官でも聖域に入れる人の確率は低いというのに、関係者以外でとなるといない方が普通と言われる。母と娘揃って聖域に入れるのもまた何かの縁と言える。
——クローバー侯爵家を後にしたリナリアとラシュエルを乗せた馬車は大教会へと二人を運んでいた。養子の件やヘヴンゲート家の今後の話し合い内容については大方クローバー侯爵夫妻やリナリア達の予定通りに進んだ。
「ふう」
「疲れた?」
「いえ……ラシュエルが心配はないと言ってくれても、少しだけ不安に思ってしまっていたんです」
実際に会うまでクローバー侯爵夫妻からどう思われているか、ラシュエルの言葉とは反対だったらどうしようと些かの不安は残っていた。会って、話をして、侯爵夫妻に嫌われてないと知って大きな安心感を抱いた。
「伯父様やおば様と話せて良かった。ありがとうございます、ラシュエル」
「礼を言われる程じゃない。クローバー侯爵夫妻が応じてくれなければ、私がいくら言ったところでリナリアと会わせられなかった」
「後はイデリーナの聖女の能力とリリーシュ公爵令息の件ですね」
「イデリーナについては教皇に任せる。私より、聖女に詳しい教皇に任せるのが最適だろうから。ソルトは私に任せて。リナリアを大教会に送った後、リリーシュ公爵邸に行く」
話を付けるなら早く済ませる。クローバー家へ向かう直前に使者を送っており、リナリアへの婚約の打診に関する話と出せばソルトとて応じない訳にはいかない。
馬車が大教会に着くとリナリア一人降りた。ラシュエルはこのままリリーシュ公爵邸へ向かう。
「お気を付けて」
「心配要らない。明日また来る」
「ええ、待っています」
ラシュエルを乗せた馬車が動き出し、遠くなっていく姿を見つめた。
「どうしてかしら……」
妙な胸騒ぎがする。
「リア」
「ユナン」
目で認識不可能な程遠くへ行った馬車から視線を外すとユナンが側にいた。
「お帰り。皇太子殿下は?」
「リリーシュ公爵邸に。私との婚約を無かったことにしてもらう為よ」
「皇太子が出張らなくてもリアとリリーシュ家の坊ちゃんの婚約の話は消えるよ。教皇の方からリリーシュ公爵に伝えた。面白い話を聞いたよ」
「どんな話?」
大公家のご令嬢との婚約が無くなった件だと言う。理由については、やはりと言うか、リナリアが皇太子妃筆頭候補から外れたのが一番の理由だった。ソルト自身がリナリアとの婚約を望み、公爵を説得した末に打診したのだ。
「結婚後も女性関係を改めたくないから、従順そうな私を妻にしたいだけで大公家との縁を台無しにするなんてね」
「皇太子殿下もその辺り気になっているんじゃないか。本当のところは、本人に聞かないと分からないんだ、明日どうせまた殿下は来るんだろう? 殿下から聞けばいい」
「ええ。そうする」
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