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1巻
1-2
シュヴァルツ様を愛してもいなければ未練もないのだから、自分という頚木から解放してやりたい。
幸いにもプラティーヌ家にも未練はない。あるとしたらナディアくらいだが、彼女は優秀な召使だ。私がいなくなっても解雇はされないだろう。
元々、誰も両親に愛されていない私の世話をしたがらなかった。給金の高さに惹かれて挙手したナディア以外は。
彼女もほかの使用人達と同じで私を雑に扱うのかと警戒したが、仕事はきちんとする人だった。公私混同もしない。それがとても助かった。
「思い出してみるとシュヴァルツ様と婚約者らしいことってあまりしていないわね」
婚約者になってから月に一度デートをするが、場所は毎回街の噴水広場で待ち合わせてグリージョ家お抱えのカフェでスイーツを頂き、私が話題を振ってシュヴァルツ様が適度に相槌を打って終わるのが定番だ。たまに両家を行き来するが、お互い私室には通さない。
そこでも私が話題を振って会話は終了。シュヴァルツ様が自発的に話そうとすることはほとんどなかった。そう考えると昨夜の会話は長く話した部類に入る。
私は誕生日の時などに定期的に贈り物をするが、彼からはメッセージカードが来るだけ。誕生日の時くらい花束でも贈ってくれても良いと思うが、そこは頑なにメッセージカードのみ。それでも私から抗議を入れたことはない。
私という婚約者がいてもルチア様を優先するシュヴァルツ様だ、したところで嫌悪を露わにするだけだろう。シュヴァルツ様から贈り物の感想がないあたり、所詮その程度なのだ。メッセージカードは贈られるので貰う度お礼を言うが、彼には険しい表情をされるか、静かな怒りが込められた灰色の瞳で睨まれる。口を開くなと言いたいのかもしれないが、黙ったままでは時間が無駄に過ぎていくだけ。
とりあえず、自分がいなくなっても困る人がいない事実にショックを受けながらも、ある意味では後ろめたさを感じないのだから幸せだと思っておこう。
時間になると部屋にナディアが来て薄く化粧をし、髪を結ってくれる。帽子を被って部屋を出た。
「あら、お姉様。どこかへお出掛け?」
廊下で出会ったのはエルサ。何だか機嫌が良さそうだ。
「ええ。エルサは?」
「わたくしはお母様と今から来る商人から宝石を買うの。お姉様は呼ばれてないから、来たって無駄よ」
「ええ。しばらく戻らないからゆっくり選びなさい」
「しばらくってどこへ行くのですか……?」
「ちょっとね」
なぜか、エルサは不安げな面持ちをする。
そんな彼女に行き先を濁し、お姉様と呼ぶ声に背を向けて玄関ホールから外に出た。
手配した馬車にナディアと共に乗り込むと馬車は動き出した。
向かいに座ったナディアに「エルサは私を嫌っている割に、自分からたくさん話し掛けて来るのだけど……どうしてかしらね?」と訊ねてみた。
「えっと……おそらくセラティーナ様に構ってほしいのかと」
「正面から大嫌いって、昔言われたわよ? 一応、私も気にして彼女に接触しないよう、注意を払っているのだけど」
「エルサ様は素直ではありませんから……」
素直ではない? そうかしら。むしろとても素直だ。
公爵家の娘として思ったことをそのまま言葉にするのはいただけないが、包み隠さず私への敵意を表し、真正面からぶつけてくる妹が何だかとても可愛い。
悪意がないと言われると違うが、両親や私を馬鹿にする周囲と違って嫌悪の濃度が極端に薄い。悪者ぶっても完全に悪になれない。エルサは根が良い子なのだ、元から。
馬車が街の広場に停車するとすぐさま降り、慌てて降りたナディアに微笑んだ。
「ナディアはオペラを買って来て」
「セラティーナ様は?」
「私は用事があるの。長引くかもしれないから、オペラを買ったら馬車で待っていて」
「いけません、私が代わりに」
「いいえ。私が行かないと駄目よ」
ナディアが言葉を続ける前に令嬢らしからぬ速度でその場を離れる。
おかげで目的地にはすぐに着いた。王国で最も大きな組合『グレーテル』。
確か、初代マスターの名前がグレーテルだからと聞いた。
そっと扉を引いて中に入り、カウンターにいる受付嬢に声を掛ける。
「あの」
「どうされました? ご依頼は?」
「帝国の地理に詳しい方を紹介していただきたいのですが」
「帝国の? 旅路の護衛者をお探しで?」
「いえ。帝国に用があって、王都から帝都まで定期便があるのは知っていますが、帝都の外となるとどう進んだらいいかわからないので……」
「でしたら、護衛の者を付けた方がよろしいのでは?」
受付嬢からすれば、見るからに裕福な娘が訳アリの空気を醸し出しているのだ、疑われて当然かもしれない。組合に入る前、身元がわからないように髪色を茶色に変え、顔も少し魔法で変えたのだが、仕方ない。鞄から多目のお金を出して受付嬢の前に置いた。
「代金はきちんと払います」
「そういう問題ではなく……」
困った。善意で言っているのは承知しているが、私からすると地理について教えてくれるだけでいい。
どうしようかお互いに困り果てていると「どうしたー?」と男性の声が飛んで来た。
「ランスさん」
坊主頭で額に斜め線の傷が入った大柄の男性が興味深げに会話に入った。
どこかで見たような……と既視感を覚えるも、受付嬢を納得させるのが先だ。
「この方が『帝国の外へ行くために帝国の地理に詳しい方を』と言われているのですが、護衛者をご希望ではないようで」
「そりゃあいけねえ。あんた、どんな事情があるか知らないが、一人で行くのは危険だ」
彼らは親切心からの忠告だと解しているものの、正直に事情を明かせないのが辛い。
「ところで帝都の外なんて、どこまで行くんだい?」
「えっと……帝都から北に二十キロほど離れた森へ行きたくて」
「確かそこは朝の妖精っていう、小さい妖精族が好む森だな。そこに何の用が?」
ここまで来たら話さないと納得してくれなさそうだ。
「その森に住む魔法使いに会いたくて……」
「それは……ひょっとしてフェレス・カエルレウムか?」
「ご存じなのですか?」
「ああ。知り合いでな」
フェレスに会いたいのは事実だ。ただ、帝国に行くだけのもっともらしい理由が必要だろう。
私は妖精族の魔力から作られる、妖精の粉が欲しいからだと告げた。彼はやって来る依頼人を大抵受け入れると聞いて、どうしても会いに行きたいのだ、と。妖精の粉は主に魔力増幅の材料となり、また、非常に美しい代物で婚約者に贈りたいのだと理由を作った。
「妖精の粉を婚約者にか……立派だが、あんた変装魔法を使っているな?」
「ええ……」
「ってことは、貴族のお嬢さんか」
「お金はきちんと払います。だから、どうか紹介していただけないでしょうか」
「うーん。お嬢さん一人で、っていうのがネックだなあ……」
やはり、護衛者同伴でないと駄目だろうか。
腕を組んで悩むランスと呼ばれた男性に、私と受付嬢の視線が集中する。
「あ。でも確か」
「え」
「数日前だったか。フェレスから連絡が来たんだ。四日後に王都に来るって」
「王都に?」
「ああ。何でも王都にしかないものがあるらしくて、それを探しに来るんだと」
フェレスほどの魔法使いが欲するものが王都にある……?
かれこれ十八年は王都に住んでいるけれど、見当がつかない。
「王都に来たら顔を出すって言っていたから、あいつが来たらお嬢さんに連絡を入れよう」
「本当ですか?」
「その代わり、あんたの身分を証明してくれ」
「わかりました」
自ら会いに行こうと思っていた前世の夫が王都に来るのだ、その機会は逃せない。
ランスに言われ、私は変装魔法を解除した。
途端に変わる髪色や顔立ちに二人が息を呑む。
「こりゃあ驚いた……あんた、かなりの別嬪さんだな」
「ありがとうございます。私はセラティーナ・プラティーヌと申します」
「俺はランスだ。プラティーヌといえば、超大金持ちの公爵家だな。だがプラティーヌ家は魔法が得意じゃない奴がほとんどだろう?」
「ええ。でも、私はたまたま魔法が得意な方みたいで」
「そうか」
「婚約者も魔法が得意な方なので、妖精の粉が欲しくて」
嘘ではないが、シュヴァルツ様のためではない。
ランスは受付嬢の方を向き、私の依頼は自分が受けると言い、受付嬢もそれを承諾した。
カウンターに置いてあるリストに何やら書き込みをしている。依頼は正式に受理されたようだ。
「フェレスが来たら、魔法で連絡を送ろう」
「ありがとうございます。助かります」
これでフェレスに会える手段が整った。
もしも、彼の側にほかに愛する女性がいたとしても一目で良い、彼に会いたい。
会ったら王国を去ろう。帝国に移住しても良い。
流れ者でも魔法使いなら重宝してくれるはずだ。
改めてランスと受付嬢にお礼を言い、組合を出た。
ナディアの待つ馬車に戻ろうと体の向きを変えようとした時、前に知っている人がいた気がした。視線を其方へ向けて、あ、と思ったら向こうも私に気付いた。
鋭く冷たい灰色をした瞳が揺れ動く。彼は小さく瞠目した後、目を逸らした。
彼――シュヴァルツ様の側にはルチア様がいる。腕を組んで恋人のようにデートをしていた。今日は何も約束をしていないから良いが、そうか、私との先約を反故にして毎回ああやってルチア様とデートしているのか。
シュヴァルツ様に恋情を抱いていなくて良かったと心の底から安堵する。
――これも前世の記憶を持っているおかげね。
どうして前世の記憶を持っているかは謎だが、感謝する場面は幾度もある。
私は二人に軽く会釈をして、馬車の方へ歩を進めた。
馬車に着くと「セラティーナ様!」とオペラの購入を済ませたナディアが心配げに駆け寄ってきた。
「お待たせ。オペラは買えたようね。偉い、偉い」
「セラティーナ様はどちらへ行かれていたのですか」
「ちょっとね。危険な場所じゃないから安心して」
「ですが」
「大丈夫、誰の迷惑にもならないから。ナディアは心配性ね」
「ですが……はい、わかりました」
納得してくれてホッとする。
馬車に乗り込み、ナディアも腰を下ろしたのを確認後、御者に馬車を出すよう命じた。
屋敷に戻り、後でオペラと紅茶を持って来るようナディアに告げて、一人自室に足を向けた。
途中で商人から宝石を買ってもらったエルサと会った。首に光る首飾りはサファイアで、何も聞いていないのに値段を告げられる。
私は興味がなく「似合っているわよ」とだけ言い、早々に部屋へ向かおうとするが――
「仕方ないのでお姉様の分も買ってあげましたわ。わたくしがお母様に言わなければ、お姉様の宝石はなかったのだから、感謝してくださいね」
「ああ、私はいらないわ。エルサが使って」
「いらない……?」
「ええ。私より、エルサの方が似合うわ。宝石なんてパーティーがある時しか、必要ないから」
「……わかりました」
高価な宝石好きなエルサなら、譲れば嫌味を言いながら喜ぶと思っていたが、かなり落ち込んでいる。とぼとぼと去って行く背中は寂しそうだった。
エルサが好きではない宝石だったのかしら? だとしたら申し訳ない。
エルサもいらないとなればその内売り払うだろう。
今度こそ誰にも邪魔されないで部屋に戻った。
エルササイド 姉とお揃いの宝石
「いらないって言われるなんて……」
予想外だった。素直にお姉様のための宝石だと言えば良かった。
お姉様の宝石もサファイアで作られた首飾りだ。デザインは違うが同じ宝石の首飾りを姉と持つ、というささやかな願いはあっさりと消え去った。
沈んだ気分のまま部屋に戻り、ちょこんとソファーに座った。
「……今さら……仲良くなんてできる訳ないのに……」
自分でも取り返しのつかないほど関係が悪化していると自覚はある。そこから挽回するには、たくさんの努力と我慢が必要だとも。でも簡単にできない。できていれば苦労はしない。
仲良くなりたい。姉に素直に何でも言えるようになりたい。
最初は両親の影響を受けてわたくしはお姉様を嫌い、婚約者のグリージョ様に愛されない様を見て小馬鹿にしてきた。そうすれば両親はわたくしにだけ愛情を注ぎ、何でも願いを聞いてくれた。お姉様という、プラティーヌ家の枠から外れた魔法の才能を持つ姉など不要だ……と信じていた自分は大馬鹿だ。
三年前、お姉様に助けてもらった時からとてつもなく後悔を抱いていた。どうやってお姉様に謝ればいいか、声を掛けたらいいかとそればかり考え、いざ実行に移そうとすると空回って逆効果となる。わたくしが何を言おうとお姉様は気に掛けず、淡々と対処をする。昨夜のようにわたくしについて気になる点があるとああやって指摘したり助けたりしてくれる。お姉様にリボンの緩みを直された時はとても嬉しかった。それを口で、言葉で伝えられたらどれだけよかったか。
商人が並べた宝石を見ている最中、他人の前でよき親を演じたい母はお姉様を呼ぶよう使用人に命じた。確か出掛けると言っていたような……と思い出していると、母は戻った使用人にお姉様の不在を聞いて激怒した。
『わたしは何も聞いてないわ! お前! もう一度見てきなさい!』
『で、ですがセラティーナお嬢様は本当にいらっしゃらないんですっ。ナディアもいないので街へ向かわれたのでは』
今は母を落ち着かせるのが先だとわたくしは間に入った。
『まあまあ、お母様。お姉様の宝石なんて適当でよいではないですか。与えられるだけ感謝してほしいですわ』
『そうね! セラティーナには安物を与えましょう。あれに高級品は似合わない』
値段はどうであれ、同じサファイアで作った首飾りを選んだのは、お姉様とちょっとでもいいからお揃いを持ちたかったからだ。
呆気なく実現されなかった夢となって終わったが……
〇 ● 〇
部屋に戻ると扉が乱暴に叩かれた。誰だと思い返事をすると勢いよく扉が開いた。
現れたのは母、凄まじい形相である。
「セラティーナ! 貴女どこへ行っていたの!?」
「街へ散歩に行っておりました」
「せっかく貴女にも宝石を買ってあげようと呼んだのに、使用人に呼びに行かせたらいないなんて! 出掛けるなら前もって一声掛けるのがマナーでしょう!」
「申し訳ありません」
私がどこへ行こうが何をしようが毛ほどの興味も示さないでしょうに。
大方、外出の報せを受けていないのが商人の前でばれ、恥をかいたと怒っているのだ。
どうせプラティーヌ家での私の扱いは、馴染の商人ならほとんど知っている。大事にされていない娘を擁護しても得にならないので、商人達も見て見ぬ振りだ。
母の気が済むまで怒鳴られ、今夜は夕食抜きだと吐き捨てるとようやく母は出て行った。長かったと嘆息して椅子に座り、机に白紙を置いた。家を出て帝国へ行く決意は変わっていない。フェレスと会ったら家を、王国を出て行く。
帝国で流れ者として住むには何が必要だろう。優秀な魔法使いだと判断されれば、向こうでの待遇はよくなるはずだ。
「魔法薬を作るのもありね。作り手が強い魔法使いであるほど、魔法薬の効果も大きく絶大だから、評判もすぐに上がるわ」
狙う客層はもちろん平民だ。貴族御用達は店の評判が上がってからになる。平民でも気軽に買える魔法薬にする、などと何かと紙に綴っていく。
「ポーションとヒーリングサブレは欠かせない。毒と麻痺……なら、解毒剤、重傷なら万能薬を……」
万能薬は複数の毒を食らうか、重傷を負った時にしか使わない。装備として持つなら一般の解毒剤で十分。ポーションとヒーリングサブレは体力回復の薬でポーションは一般的な薬、ヒーリングサブレは妖精が好んで作る薬だ。作り手によって左右される魔法薬だが、私ならどれも高品質のものを作ることができる。
材料が不要で魔法式の理解と知識さえあればできる魔法薬を作るのもよいが、やはり材料を使う魔法薬を錬金術で手ずから作りたい。フェレスと会う前に帝国周辺の薬草の採取地も頭に入れよう。
紙に書いていくとやることが案外多いなと実感し、ペンを置いて腕を伸ばした。
「ふう」
溜め息を吐いてとりとめなく考えていると……
「セラティーナ様」といつの間にかナディアがカットされたオペラと紅茶を運んで来ていた。
「すみません、声は掛けたのですが、ご返事が聞こえず心配になって……」
私の許可なく部屋に入ったのを言っているようだ。
私は「気にしないで」と微笑み、ナディアが買ったオペラを食べようと机から離れ、ソファーへ移動した。
「何をしていらしたのですか?」
「大したことじゃないわ」
「そうですか。お顔色が優れないようですが……」
テーブルに置かれた紅茶とオペラ。
早速頂こうとティーカップを持ち上げた。
夕食は抜きにすると母に言われていたので食堂へは行かず、自室で昼の続きを紙に綴る。空腹ではない。その後、料理長が気を利かせてナディアに食事を運ばせてくれた。キャベツとベーコンがたっぷりのコンソメスープと焼きたてのパン、それから分厚いステーキ。こっそり渡すにしては豪勢ねと苦笑した。
「料理長にお礼を言っておいて」
「きっと喜びます」
「お願いね」
屋敷の中では数少ない、私を気に掛けてくれる人。小さい頃、表立って擁護すれば立場が危うくなるからと自ら伝えてからは、陰から私を支えてくれている。
夕食も食べ終わり、湯浴みもそろそろ支度してもらおう。
「そういえば、フェレスは何をしに王都へ来るのかしら」
基本、引き籠もりで外へは自主的に出ないフェレス。
探し物と言うからには彼にとってよほど大事なものだろう。欲しいものがあっても使い魔を放つか魔法で取り寄せるくらいなのだから、王都まで来るなんて相当珍しい。
「フェレスが欲しがるもの……」
王都にあるもの限定で……
「……駄目ね。全然わからない」
フェレス限定にせず、魔法使いが欲しがるもので考えてもさっぱりわからない。
当日、聞く機会があれば聞いてみよう。
「貴方に一目会いたいわ、フェレス。ただ……もしも、貴方の側にほかに愛する人がいるなら、それはそれで嬉しい」
一人ではなく誰かと幸せに暮らしていたとしても、嬉しく思う気持ちは本心。
一人でいることに慣れたと言っていたのに、私と共に生活を始めると一人は嫌だとよく言っていた。
根は寂しがりやなフェレス、どうか幸せであるようにと願う。
翌朝。ナディアと朝の身支度をし、食堂へ向かおうとして、足を止めた。
「お嬢様? どうされました?」
「うーん……」
昨日夕食は抜きだと言われ、ずっと部屋に引き籠もっていたのだ。
両親からありがたくもない説教付きで、きっと普段の二倍増しで小言を貰うだろう。
そう考えると食堂で食事を摂るのが嫌になる。
「部屋で食べるから、食事を持って来てもらえる?」
「奥様と旦那様が後から何と言うか……」
「私が我儘を言っているって言えば、ナディアは叱られないから大丈夫よ」
「そういう意味ではなくて、セラティーナ様が心配で」
「ありがとう。慣れたから私は平気」
「……わかりました」
万が一の事態になっても私には魔法がある。手を上げられそうになっても防御結界くらいたやすく展開可能だ。
ナディアの背をポンポンと押して食事を取りに行かせ、自身は部屋に戻って食事を待つ。
――トントン。
「うん?」
窓ガラスを叩く小さな音が聞こえた。
窓に近付きカーテンを開けると小鳥が嘴でコツコツと叩いている。
窓を開けると小鳥は私の掌に乗り「ピー、ピーピー」と鳴いた。
「ランス……?」
小鳥は昨日組合で出会ったランスの使い魔らしく、魔法言語の伝言を受け取った。
「ありがとうね」
お礼として私の魔力を分け、小鳥を空へ飛ばした。
ちょうどタイミングよくナディアが食事を運んで来た。
席に座り、テーブルに食事を並べるナディアに両親から何も言われなかったか確認する。
「いえ、私は何も。ただ、セラティーナ様にかなりご立腹で……」
「でしょうね」
私が何をしても気に食わないのだ、あの二人は。
「朝食を食べたら出掛けるわ」
「どちらへ行かれますか?」
「昨日と同じ。今日はオペラを買わないから一人で行くわね」
「いけません。私もお供します」
組合に行って人と会うと言ったら、必ず理由を訊ねられるだろう。
上手く誤魔化す方法はないかと、朝食を頂きながら思案する。
魔法で相手の意識を逸らして従わせるのは可能だ。
けれど後から疑問に思われても困るので使わない方向で考えたい。
ナディアに納得してもらう方法はないだろうか。
幸いにもプラティーヌ家にも未練はない。あるとしたらナディアくらいだが、彼女は優秀な召使だ。私がいなくなっても解雇はされないだろう。
元々、誰も両親に愛されていない私の世話をしたがらなかった。給金の高さに惹かれて挙手したナディア以外は。
彼女もほかの使用人達と同じで私を雑に扱うのかと警戒したが、仕事はきちんとする人だった。公私混同もしない。それがとても助かった。
「思い出してみるとシュヴァルツ様と婚約者らしいことってあまりしていないわね」
婚約者になってから月に一度デートをするが、場所は毎回街の噴水広場で待ち合わせてグリージョ家お抱えのカフェでスイーツを頂き、私が話題を振ってシュヴァルツ様が適度に相槌を打って終わるのが定番だ。たまに両家を行き来するが、お互い私室には通さない。
そこでも私が話題を振って会話は終了。シュヴァルツ様が自発的に話そうとすることはほとんどなかった。そう考えると昨夜の会話は長く話した部類に入る。
私は誕生日の時などに定期的に贈り物をするが、彼からはメッセージカードが来るだけ。誕生日の時くらい花束でも贈ってくれても良いと思うが、そこは頑なにメッセージカードのみ。それでも私から抗議を入れたことはない。
私という婚約者がいてもルチア様を優先するシュヴァルツ様だ、したところで嫌悪を露わにするだけだろう。シュヴァルツ様から贈り物の感想がないあたり、所詮その程度なのだ。メッセージカードは贈られるので貰う度お礼を言うが、彼には険しい表情をされるか、静かな怒りが込められた灰色の瞳で睨まれる。口を開くなと言いたいのかもしれないが、黙ったままでは時間が無駄に過ぎていくだけ。
とりあえず、自分がいなくなっても困る人がいない事実にショックを受けながらも、ある意味では後ろめたさを感じないのだから幸せだと思っておこう。
時間になると部屋にナディアが来て薄く化粧をし、髪を結ってくれる。帽子を被って部屋を出た。
「あら、お姉様。どこかへお出掛け?」
廊下で出会ったのはエルサ。何だか機嫌が良さそうだ。
「ええ。エルサは?」
「わたくしはお母様と今から来る商人から宝石を買うの。お姉様は呼ばれてないから、来たって無駄よ」
「ええ。しばらく戻らないからゆっくり選びなさい」
「しばらくってどこへ行くのですか……?」
「ちょっとね」
なぜか、エルサは不安げな面持ちをする。
そんな彼女に行き先を濁し、お姉様と呼ぶ声に背を向けて玄関ホールから外に出た。
手配した馬車にナディアと共に乗り込むと馬車は動き出した。
向かいに座ったナディアに「エルサは私を嫌っている割に、自分からたくさん話し掛けて来るのだけど……どうしてかしらね?」と訊ねてみた。
「えっと……おそらくセラティーナ様に構ってほしいのかと」
「正面から大嫌いって、昔言われたわよ? 一応、私も気にして彼女に接触しないよう、注意を払っているのだけど」
「エルサ様は素直ではありませんから……」
素直ではない? そうかしら。むしろとても素直だ。
公爵家の娘として思ったことをそのまま言葉にするのはいただけないが、包み隠さず私への敵意を表し、真正面からぶつけてくる妹が何だかとても可愛い。
悪意がないと言われると違うが、両親や私を馬鹿にする周囲と違って嫌悪の濃度が極端に薄い。悪者ぶっても完全に悪になれない。エルサは根が良い子なのだ、元から。
馬車が街の広場に停車するとすぐさま降り、慌てて降りたナディアに微笑んだ。
「ナディアはオペラを買って来て」
「セラティーナ様は?」
「私は用事があるの。長引くかもしれないから、オペラを買ったら馬車で待っていて」
「いけません、私が代わりに」
「いいえ。私が行かないと駄目よ」
ナディアが言葉を続ける前に令嬢らしからぬ速度でその場を離れる。
おかげで目的地にはすぐに着いた。王国で最も大きな組合『グレーテル』。
確か、初代マスターの名前がグレーテルだからと聞いた。
そっと扉を引いて中に入り、カウンターにいる受付嬢に声を掛ける。
「あの」
「どうされました? ご依頼は?」
「帝国の地理に詳しい方を紹介していただきたいのですが」
「帝国の? 旅路の護衛者をお探しで?」
「いえ。帝国に用があって、王都から帝都まで定期便があるのは知っていますが、帝都の外となるとどう進んだらいいかわからないので……」
「でしたら、護衛の者を付けた方がよろしいのでは?」
受付嬢からすれば、見るからに裕福な娘が訳アリの空気を醸し出しているのだ、疑われて当然かもしれない。組合に入る前、身元がわからないように髪色を茶色に変え、顔も少し魔法で変えたのだが、仕方ない。鞄から多目のお金を出して受付嬢の前に置いた。
「代金はきちんと払います」
「そういう問題ではなく……」
困った。善意で言っているのは承知しているが、私からすると地理について教えてくれるだけでいい。
どうしようかお互いに困り果てていると「どうしたー?」と男性の声が飛んで来た。
「ランスさん」
坊主頭で額に斜め線の傷が入った大柄の男性が興味深げに会話に入った。
どこかで見たような……と既視感を覚えるも、受付嬢を納得させるのが先だ。
「この方が『帝国の外へ行くために帝国の地理に詳しい方を』と言われているのですが、護衛者をご希望ではないようで」
「そりゃあいけねえ。あんた、どんな事情があるか知らないが、一人で行くのは危険だ」
彼らは親切心からの忠告だと解しているものの、正直に事情を明かせないのが辛い。
「ところで帝都の外なんて、どこまで行くんだい?」
「えっと……帝都から北に二十キロほど離れた森へ行きたくて」
「確かそこは朝の妖精っていう、小さい妖精族が好む森だな。そこに何の用が?」
ここまで来たら話さないと納得してくれなさそうだ。
「その森に住む魔法使いに会いたくて……」
「それは……ひょっとしてフェレス・カエルレウムか?」
「ご存じなのですか?」
「ああ。知り合いでな」
フェレスに会いたいのは事実だ。ただ、帝国に行くだけのもっともらしい理由が必要だろう。
私は妖精族の魔力から作られる、妖精の粉が欲しいからだと告げた。彼はやって来る依頼人を大抵受け入れると聞いて、どうしても会いに行きたいのだ、と。妖精の粉は主に魔力増幅の材料となり、また、非常に美しい代物で婚約者に贈りたいのだと理由を作った。
「妖精の粉を婚約者にか……立派だが、あんた変装魔法を使っているな?」
「ええ……」
「ってことは、貴族のお嬢さんか」
「お金はきちんと払います。だから、どうか紹介していただけないでしょうか」
「うーん。お嬢さん一人で、っていうのがネックだなあ……」
やはり、護衛者同伴でないと駄目だろうか。
腕を組んで悩むランスと呼ばれた男性に、私と受付嬢の視線が集中する。
「あ。でも確か」
「え」
「数日前だったか。フェレスから連絡が来たんだ。四日後に王都に来るって」
「王都に?」
「ああ。何でも王都にしかないものがあるらしくて、それを探しに来るんだと」
フェレスほどの魔法使いが欲するものが王都にある……?
かれこれ十八年は王都に住んでいるけれど、見当がつかない。
「王都に来たら顔を出すって言っていたから、あいつが来たらお嬢さんに連絡を入れよう」
「本当ですか?」
「その代わり、あんたの身分を証明してくれ」
「わかりました」
自ら会いに行こうと思っていた前世の夫が王都に来るのだ、その機会は逃せない。
ランスに言われ、私は変装魔法を解除した。
途端に変わる髪色や顔立ちに二人が息を呑む。
「こりゃあ驚いた……あんた、かなりの別嬪さんだな」
「ありがとうございます。私はセラティーナ・プラティーヌと申します」
「俺はランスだ。プラティーヌといえば、超大金持ちの公爵家だな。だがプラティーヌ家は魔法が得意じゃない奴がほとんどだろう?」
「ええ。でも、私はたまたま魔法が得意な方みたいで」
「そうか」
「婚約者も魔法が得意な方なので、妖精の粉が欲しくて」
嘘ではないが、シュヴァルツ様のためではない。
ランスは受付嬢の方を向き、私の依頼は自分が受けると言い、受付嬢もそれを承諾した。
カウンターに置いてあるリストに何やら書き込みをしている。依頼は正式に受理されたようだ。
「フェレスが来たら、魔法で連絡を送ろう」
「ありがとうございます。助かります」
これでフェレスに会える手段が整った。
もしも、彼の側にほかに愛する女性がいたとしても一目で良い、彼に会いたい。
会ったら王国を去ろう。帝国に移住しても良い。
流れ者でも魔法使いなら重宝してくれるはずだ。
改めてランスと受付嬢にお礼を言い、組合を出た。
ナディアの待つ馬車に戻ろうと体の向きを変えようとした時、前に知っている人がいた気がした。視線を其方へ向けて、あ、と思ったら向こうも私に気付いた。
鋭く冷たい灰色をした瞳が揺れ動く。彼は小さく瞠目した後、目を逸らした。
彼――シュヴァルツ様の側にはルチア様がいる。腕を組んで恋人のようにデートをしていた。今日は何も約束をしていないから良いが、そうか、私との先約を反故にして毎回ああやってルチア様とデートしているのか。
シュヴァルツ様に恋情を抱いていなくて良かったと心の底から安堵する。
――これも前世の記憶を持っているおかげね。
どうして前世の記憶を持っているかは謎だが、感謝する場面は幾度もある。
私は二人に軽く会釈をして、馬車の方へ歩を進めた。
馬車に着くと「セラティーナ様!」とオペラの購入を済ませたナディアが心配げに駆け寄ってきた。
「お待たせ。オペラは買えたようね。偉い、偉い」
「セラティーナ様はどちらへ行かれていたのですか」
「ちょっとね。危険な場所じゃないから安心して」
「ですが」
「大丈夫、誰の迷惑にもならないから。ナディアは心配性ね」
「ですが……はい、わかりました」
納得してくれてホッとする。
馬車に乗り込み、ナディアも腰を下ろしたのを確認後、御者に馬車を出すよう命じた。
屋敷に戻り、後でオペラと紅茶を持って来るようナディアに告げて、一人自室に足を向けた。
途中で商人から宝石を買ってもらったエルサと会った。首に光る首飾りはサファイアで、何も聞いていないのに値段を告げられる。
私は興味がなく「似合っているわよ」とだけ言い、早々に部屋へ向かおうとするが――
「仕方ないのでお姉様の分も買ってあげましたわ。わたくしがお母様に言わなければ、お姉様の宝石はなかったのだから、感謝してくださいね」
「ああ、私はいらないわ。エルサが使って」
「いらない……?」
「ええ。私より、エルサの方が似合うわ。宝石なんてパーティーがある時しか、必要ないから」
「……わかりました」
高価な宝石好きなエルサなら、譲れば嫌味を言いながら喜ぶと思っていたが、かなり落ち込んでいる。とぼとぼと去って行く背中は寂しそうだった。
エルサが好きではない宝石だったのかしら? だとしたら申し訳ない。
エルサもいらないとなればその内売り払うだろう。
今度こそ誰にも邪魔されないで部屋に戻った。
エルササイド 姉とお揃いの宝石
「いらないって言われるなんて……」
予想外だった。素直にお姉様のための宝石だと言えば良かった。
お姉様の宝石もサファイアで作られた首飾りだ。デザインは違うが同じ宝石の首飾りを姉と持つ、というささやかな願いはあっさりと消え去った。
沈んだ気分のまま部屋に戻り、ちょこんとソファーに座った。
「……今さら……仲良くなんてできる訳ないのに……」
自分でも取り返しのつかないほど関係が悪化していると自覚はある。そこから挽回するには、たくさんの努力と我慢が必要だとも。でも簡単にできない。できていれば苦労はしない。
仲良くなりたい。姉に素直に何でも言えるようになりたい。
最初は両親の影響を受けてわたくしはお姉様を嫌い、婚約者のグリージョ様に愛されない様を見て小馬鹿にしてきた。そうすれば両親はわたくしにだけ愛情を注ぎ、何でも願いを聞いてくれた。お姉様という、プラティーヌ家の枠から外れた魔法の才能を持つ姉など不要だ……と信じていた自分は大馬鹿だ。
三年前、お姉様に助けてもらった時からとてつもなく後悔を抱いていた。どうやってお姉様に謝ればいいか、声を掛けたらいいかとそればかり考え、いざ実行に移そうとすると空回って逆効果となる。わたくしが何を言おうとお姉様は気に掛けず、淡々と対処をする。昨夜のようにわたくしについて気になる点があるとああやって指摘したり助けたりしてくれる。お姉様にリボンの緩みを直された時はとても嬉しかった。それを口で、言葉で伝えられたらどれだけよかったか。
商人が並べた宝石を見ている最中、他人の前でよき親を演じたい母はお姉様を呼ぶよう使用人に命じた。確か出掛けると言っていたような……と思い出していると、母は戻った使用人にお姉様の不在を聞いて激怒した。
『わたしは何も聞いてないわ! お前! もう一度見てきなさい!』
『で、ですがセラティーナお嬢様は本当にいらっしゃらないんですっ。ナディアもいないので街へ向かわれたのでは』
今は母を落ち着かせるのが先だとわたくしは間に入った。
『まあまあ、お母様。お姉様の宝石なんて適当でよいではないですか。与えられるだけ感謝してほしいですわ』
『そうね! セラティーナには安物を与えましょう。あれに高級品は似合わない』
値段はどうであれ、同じサファイアで作った首飾りを選んだのは、お姉様とちょっとでもいいからお揃いを持ちたかったからだ。
呆気なく実現されなかった夢となって終わったが……
〇 ● 〇
部屋に戻ると扉が乱暴に叩かれた。誰だと思い返事をすると勢いよく扉が開いた。
現れたのは母、凄まじい形相である。
「セラティーナ! 貴女どこへ行っていたの!?」
「街へ散歩に行っておりました」
「せっかく貴女にも宝石を買ってあげようと呼んだのに、使用人に呼びに行かせたらいないなんて! 出掛けるなら前もって一声掛けるのがマナーでしょう!」
「申し訳ありません」
私がどこへ行こうが何をしようが毛ほどの興味も示さないでしょうに。
大方、外出の報せを受けていないのが商人の前でばれ、恥をかいたと怒っているのだ。
どうせプラティーヌ家での私の扱いは、馴染の商人ならほとんど知っている。大事にされていない娘を擁護しても得にならないので、商人達も見て見ぬ振りだ。
母の気が済むまで怒鳴られ、今夜は夕食抜きだと吐き捨てるとようやく母は出て行った。長かったと嘆息して椅子に座り、机に白紙を置いた。家を出て帝国へ行く決意は変わっていない。フェレスと会ったら家を、王国を出て行く。
帝国で流れ者として住むには何が必要だろう。優秀な魔法使いだと判断されれば、向こうでの待遇はよくなるはずだ。
「魔法薬を作るのもありね。作り手が強い魔法使いであるほど、魔法薬の効果も大きく絶大だから、評判もすぐに上がるわ」
狙う客層はもちろん平民だ。貴族御用達は店の評判が上がってからになる。平民でも気軽に買える魔法薬にする、などと何かと紙に綴っていく。
「ポーションとヒーリングサブレは欠かせない。毒と麻痺……なら、解毒剤、重傷なら万能薬を……」
万能薬は複数の毒を食らうか、重傷を負った時にしか使わない。装備として持つなら一般の解毒剤で十分。ポーションとヒーリングサブレは体力回復の薬でポーションは一般的な薬、ヒーリングサブレは妖精が好んで作る薬だ。作り手によって左右される魔法薬だが、私ならどれも高品質のものを作ることができる。
材料が不要で魔法式の理解と知識さえあればできる魔法薬を作るのもよいが、やはり材料を使う魔法薬を錬金術で手ずから作りたい。フェレスと会う前に帝国周辺の薬草の採取地も頭に入れよう。
紙に書いていくとやることが案外多いなと実感し、ペンを置いて腕を伸ばした。
「ふう」
溜め息を吐いてとりとめなく考えていると……
「セラティーナ様」といつの間にかナディアがカットされたオペラと紅茶を運んで来ていた。
「すみません、声は掛けたのですが、ご返事が聞こえず心配になって……」
私の許可なく部屋に入ったのを言っているようだ。
私は「気にしないで」と微笑み、ナディアが買ったオペラを食べようと机から離れ、ソファーへ移動した。
「何をしていらしたのですか?」
「大したことじゃないわ」
「そうですか。お顔色が優れないようですが……」
テーブルに置かれた紅茶とオペラ。
早速頂こうとティーカップを持ち上げた。
夕食は抜きにすると母に言われていたので食堂へは行かず、自室で昼の続きを紙に綴る。空腹ではない。その後、料理長が気を利かせてナディアに食事を運ばせてくれた。キャベツとベーコンがたっぷりのコンソメスープと焼きたてのパン、それから分厚いステーキ。こっそり渡すにしては豪勢ねと苦笑した。
「料理長にお礼を言っておいて」
「きっと喜びます」
「お願いね」
屋敷の中では数少ない、私を気に掛けてくれる人。小さい頃、表立って擁護すれば立場が危うくなるからと自ら伝えてからは、陰から私を支えてくれている。
夕食も食べ終わり、湯浴みもそろそろ支度してもらおう。
「そういえば、フェレスは何をしに王都へ来るのかしら」
基本、引き籠もりで外へは自主的に出ないフェレス。
探し物と言うからには彼にとってよほど大事なものだろう。欲しいものがあっても使い魔を放つか魔法で取り寄せるくらいなのだから、王都まで来るなんて相当珍しい。
「フェレスが欲しがるもの……」
王都にあるもの限定で……
「……駄目ね。全然わからない」
フェレス限定にせず、魔法使いが欲しがるもので考えてもさっぱりわからない。
当日、聞く機会があれば聞いてみよう。
「貴方に一目会いたいわ、フェレス。ただ……もしも、貴方の側にほかに愛する人がいるなら、それはそれで嬉しい」
一人ではなく誰かと幸せに暮らしていたとしても、嬉しく思う気持ちは本心。
一人でいることに慣れたと言っていたのに、私と共に生活を始めると一人は嫌だとよく言っていた。
根は寂しがりやなフェレス、どうか幸せであるようにと願う。
翌朝。ナディアと朝の身支度をし、食堂へ向かおうとして、足を止めた。
「お嬢様? どうされました?」
「うーん……」
昨日夕食は抜きだと言われ、ずっと部屋に引き籠もっていたのだ。
両親からありがたくもない説教付きで、きっと普段の二倍増しで小言を貰うだろう。
そう考えると食堂で食事を摂るのが嫌になる。
「部屋で食べるから、食事を持って来てもらえる?」
「奥様と旦那様が後から何と言うか……」
「私が我儘を言っているって言えば、ナディアは叱られないから大丈夫よ」
「そういう意味ではなくて、セラティーナ様が心配で」
「ありがとう。慣れたから私は平気」
「……わかりました」
万が一の事態になっても私には魔法がある。手を上げられそうになっても防御結界くらいたやすく展開可能だ。
ナディアの背をポンポンと押して食事を取りに行かせ、自身は部屋に戻って食事を待つ。
――トントン。
「うん?」
窓ガラスを叩く小さな音が聞こえた。
窓に近付きカーテンを開けると小鳥が嘴でコツコツと叩いている。
窓を開けると小鳥は私の掌に乗り「ピー、ピーピー」と鳴いた。
「ランス……?」
小鳥は昨日組合で出会ったランスの使い魔らしく、魔法言語の伝言を受け取った。
「ありがとうね」
お礼として私の魔力を分け、小鳥を空へ飛ばした。
ちょうどタイミングよくナディアが食事を運んで来た。
席に座り、テーブルに食事を並べるナディアに両親から何も言われなかったか確認する。
「いえ、私は何も。ただ、セラティーナ様にかなりご立腹で……」
「でしょうね」
私が何をしても気に食わないのだ、あの二人は。
「朝食を食べたら出掛けるわ」
「どちらへ行かれますか?」
「昨日と同じ。今日はオペラを買わないから一人で行くわね」
「いけません。私もお供します」
組合に行って人と会うと言ったら、必ず理由を訊ねられるだろう。
上手く誤魔化す方法はないかと、朝食を頂きながら思案する。
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ナディアに納得してもらう方法はないだろうか。
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