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しおりを挟む驚愕するローゼライトが立つようにお願いしてもラルスは聞き入れなかった。手を土に食い込ませ、握り締めるように強く手を閉じたラルスが発したのは謝罪の言葉。
「ごめん、ごめんっ、ローゼ。僕が軽率だったばかりにローゼを苦しめてしまったっ」
「ラルス、いいから顔を上げてちょうだい。服や手が汚れたままに」
ラルスの側で膝を折り、立ってもらうよう腕を掴んだローゼライトであるが。ラルスは決して立とうとしない。それどころか、ローゼライトに再度頭を下げた。
「僕の軽率な言葉のせいでローゼを傷付けた。シーラデン伯爵に言われて初めてローゼが僕と距離を置いていた理由を知ったんだ」
一年前の爆死を偽装した日から十日後。婚約解消の手続きをするべく登城したラルスは、同じく登城したシーラデン伯爵にローゼライトの本心を話した。幼馴染のヴィクトリアに恋心を寄せていたのは事実で、婚約するのも時間の問題だった時にラルスが振り回したせいでローゼライトの額に消えない傷を作ってしまった。ローゼライトやシーラデン伯爵が治療代や慰謝料を払ってもらうだけで良いと断ってもベルティーニ公爵がそれを許さなかった。
「ラルス。私はラルスがアバーテ様を好きなのは知っていた。知っていて貴方の婚約者になれた時は申し訳なさを感じたのは本当だとしても嬉しかった」
「ローゼ……」
「でも、あの時の夜会でラルスがご友人達に言ったアバーテ様への告白を聞いて私の心はぽっきり折れちゃった。私の額に傷を付けた代償で好きな人と婚約出来なかったラルスを私という枷から解放させたかった」
「ちがっ」
咄嗟に否定の言葉を漏らそうとしたラルスの口を手で抑えた。瞠目するラルスに寂しげな面持ちを見せ首を振った。
「ダヴィデに弟子入りして一年。私でもちょっとは魔法の腕が上達したわ。ラルス、貴方の私に対する情を消す事は今の私にはまだ出来ない。けれど、もう私の事は忘れてちょうだい。どうせ私は死んだ事になっているもの」
「ローゼ、お願いだ、考え直してくれ。陛下に事情を話せば、ローゼの死亡届は取り消してくれる筈だ。僕はローゼが好きだ。一年間、君が死んだと思い続けていた。生きていると知って嬉しかったんだ」
「ラルス」
遂に涙を零し始めたラルスに慌てるローゼライト。
ヴィクトリアが好きだったのは本当でも、今好きなのはローゼライトただ一人。ヴィクトリアに対しての気持ちは幼馴染の令嬢という認識しかなく、夜会の時友人の前だからと無防備に口を滑らせた自分のせいだと謝り続けられた。声色に滲む後悔や己の軽率さに対する怒りによりラルスの声は終始震えていた。
「私とラルスは長年婚約者でいたでしょう? 私に情が湧いて好きだと思い込んでいるだけだと思う」
「ローゼは……僕をもう信じてくれないのか……?」
「信じる信じないというより……さっきも言ったでしょう? 私の心が折れたって。好きでいる事が出来なくなった」
「……」
あの会話を聞いていなければ、もっと穏便な方法で婚約解消の道を探した。ローゼライト自身、爆死偽装はやり過ぎたかと反省していたが後悔はない。
「アバーテ様と婚約が出来なくなっても、今度は自分が好きになった人を見つけてちょうだい」
額に傷を付けたローゼライトという枷から解放されたラルスには、好きな人と共にいる権利が復活した。ヴィクトリアを初恋の思い出に昇華し、新しい恋を見つけてほしいとローゼライトは願う。
「嫌だ……」
「ラルス」
「僕の婚約者はローゼだけだ。ベルティーニ家を継いでも親類から養子を貰って後継者に据えればいいと考えていた」
「独身を貫こうとしたの?」
重く頷いたラルスは顔を上げ、新しい婚約者を作る気にもなれず、ベルティーニ公爵が縁談を勧めても決して受け入れなかったと語った。
「ローゼが死んでしまって、僕だけが幸せになるのは違うと思った。シーラデン伯爵に初めてローゼの気持ちを聞いた時に尚更」
「貴方は幸せになっていい人よ」
「いいや。お願いだローゼ、僕に最後の機会をくれないかっ。今度こそ、ローゼに信用される男になってローゼとやり直したいんだ」
「……」
真摯な眼差しや態度を目の当たりにしてもローゼライトの考えは変わらない。緩く首を振ればラルスの表情は青く染まり、申し訳なさげな笑みを浮かべ見せた。
「この一年ダヴィデに魔法を習って本格的に魔法使いとして生きていこうと決めた。伯爵令嬢に戻れなくても、後悔のないように毎日ダヴィデに魔法を習ってる。いつか独り立ちが出来るようになったら、世界中を旅して回りたい」
ベルティーニ公爵家の当主になるよう育ったラルスの側に、世界を旅して回りたいローゼライトはいられない。
「お互いの道を歩んで行きましょうラルス。私への罪悪感をもう感じなくていい。これからは、自分の気持ちに素直になって生きてほしい」
「……」
ラルスに罪悪感を抱かせない為言葉を選んで伝えたものの、深く項垂れてしまったラルスを見るとこれ以上どう言葉を掛けるべきか分からなくなった。
重い沈黙が包み込む。
すると。
「ローゼ」
「ダヴィデ」
万能薬の薬草を探しに行ったダヴィデがやって来た。
項垂れるラルスを見やり、顔を上げさせたダヴィデが発したのは今日は帰れというもの。弾かれたようにダヴィデを見上げたラルスには相当な焦りが表情に滲み出ている。
「ローゼライトと会ったばかりでお前さんも混乱してるんだろう。一旦今日は帰って、また後日会えばいい」
何かを言い掛けたラルスは口を閉ざし、俯いてしまう。今ダヴィデに反論したところで状況が好転するとラルスも思っていない。
とても小さな声で「……分かりました」とのろのろと立ち上がり、ローゼライトとダヴィデに謝った後薬草園を出て行った。
ラルスの寂しげな後姿を何とも言えない気持ちで見送ったローゼライトは銀の髪をガシガシと掻くダヴィデへ視線を変えた。
「ダヴィデはどうして此処に?」
「ベルティーニの坊ちゃんの姿が見えたんでな。お前がどう対応するか見てみたくて隠れてた」
盗み聞きしていたのかと普段なら怒るところだが、今はとてもそんな気分にはなれない。
「ラルスを私から解放してあげたかったのに、全く出来ていなかった」
「なあローゼ。ベルティーニの坊ちゃんと……もう一度やり直す気はないか?」
ラルスに懇願されたやり直しをダヴィデに問われたローゼライト。ラルスにその気はないと言ったけれど、ダヴィデにも訊ねられると何が正解か分からなくなった。
考え込むローゼライトを見下ろし、余計な事を言った自覚はあれど、あまりにラルスが哀れでダヴィデは考えた末ある行動に出る事とした。
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