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給仕は薄青 27
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―カメリア―
9月26日(木)16時07分
都心から少し外れたビル街。大通りにできた雑踏は、雨上がりに顔を出した日を反射してキラキラとした輝きを放っていた。
薄っすらと路地裏に手を伸ばすかの如く光が差し込んでいる。
雨の影響でところどころ水溜まりができている。土の匂いとでも言うべき特有の匂いが充満するそこに一人の男が立っていた。
男のコードネームは『カメリア』。
彼も六花たちと同様、AIの暴走を止めることを目的とする組織の工作員であり、24席ある中で3番目の席が与えられている。
頭髪はツーブロックにセットされているが、結月会の男と違って爽やかな印象を与える。
服装にも気を遣っているらしく、大通りに出れば、その端正な甘いマスクも相まってすぐさまファッションモデルとしてスカウトを受けることになるだろう。
「ここか……姉さん」
そこに横たわっていたであろう姉の影を見つめるように視線を落としていた。
8月の末、何の前触れもなく彼の双子の姉『ホリー』は死んだ。
彼らが物心ついた頃すでに両親はなく、家族と呼べる存在は双子の姉の柊乃だけだった。
彼女の仕事ぶりは非常に用心深く、輸送時のルート作りから輸送物品の偽装に至るまで歴代の輸送班の中でも抜きん出た評価を受けている。
更には高い推理力を持って物事の隠された部分を即座に見抜き、逆にそれを利用する計画を立案したりと輸送班の枠にとどまらない働きぶりを見せていた。
輸送班にはコードネームを持たない工作員――いわゆる“黒服”が複数おり、彼らがホリーたち名前持ちを護衛することになっていた。彼女が死んだ日も当然黒服の護衛が3人付いていたと記録されている。
何者かの奇襲を受けたとしてもホリーが逃走する時間くらいはあったはずだ。その隙すらなくホリーと護衛の黒服が全滅したという報告から当時のカメリアには「相手は相当の手練だろう」という程度のことしか分からなかった。
一カ月近くも経つと現場には報告書に記されたあの惨状の面影はなくなっている。広がる血溜りも散乱していたとされるゴミ箱やゴミ袋も何事もなかったかのように片付けられていた。
当時、彼は別の任務に就いており、ホリーの死を知ったのは司令部から届いた「ホリーが死んだ」という無機質な一文でだった。
―8月末―
報告を受け、すぐさま本部に駆けつけたカメリアは司令部の人間に説明を求めたが、大した情報は得られなかった。
分かったことは「相手は対多数の戦闘に長けた人物あるいは部隊であったのであろう」ということと「ホリーには鋭利な刃物による裂傷痕や打撲痕が見られたがどれも的確に急所を突いたものであった」ということくらいだ。
血溜まりは傷の様子から抵抗した黒服たちのものだろうと雑に結論づけられていた。
そんなことでは納得できないと無理を言ってホリーの遺体が運び込まれている病院を聞き出したが、到着した時には既に検死は終了していた。
ホリーの眠る部屋には非番だったはずの黒服が1人控えており、手にはバインダーが握られていた。おそらくは検死の結果を示したものだろう。
しかし、カメリアにとってそんなものは目の前に眠る姉に比べたらどうでも良かった。
姉の顔を覗き込む。ホリーの首の傷は目立たないよう丁寧な処置がされていて、彼には姉が静かに眠っているようにしか見えなかった。
「カメリアさんですね。検死担当から資料を預かっています」
カメリアは一頻り涙を流した後、黒服からバインダーを受け取った。
死因は失血によるショック死。喉元に突き立てられた薄刃のナイフが引き抜かれた時のものだと無感情に書かれていた。カメリアはその痛みを想像し、途轍もない吐き気に襲われながら、ホリーの喉元に視線を移す。
綺麗に縫合され傷があったということすら嘘のようだ。
カメリアは怒りを抑えてバインダーに食らいついた。何か犯人につながる手がかりがあるのではないかと必死に資料を睨みつけた。
そしてある一文に目が止まった。
「天近柊乃の傷は、以前発見された遺体にあるものと酷似している」
「……これは」
手がかりとは言えないほど些細なものだった。以前発見された遺体というのが何を指しているのかカメリアには見当もつかない。
部屋にいた黒服が一歩カメリアに歩み寄る。
「私はライースさんからこのバインダーをお預かりしました。その時本当に小さな声でR1108式と呟いたのを耳にしました。お役に立つでしょうか」
「R1108式……」
カメリアがそれを聞いて思いつくことはそのコードを持つ工作員がいること、その工作員が『オクタ』のコードネームで呼ばれていること。
そして、『オクタ』が独自に編み出したR1108式戦闘法は組織の中で高い評価を得ていた。更に、組織はその戦闘法を受け継ぐ“継承者”を生み出すことに注力していたことを知っている。
しかし、カメリアはR1108式戦闘法に関する知識を持ち合わせていない。
(R1108式戦闘法っていうのは一体どんなものなんだ?)
資料をめくってみても傷跡が似ているということ以上の情報は載っていなかった。
(くっ……だが、これは数少ない手がかりだ。諦めるわけにいくか!)
カメリアは翌日、本部の『ネペンス』を訪ねた。
都心に堂々とそびえ立つ12階建ての瀟洒なビル――末端の工作員では知る由もない組織の本部は警備会社の体をなしていた。
ネペンスはジャンクフードとアニメをこよなく愛する恰幅の良い男性で、戦闘には向いていないが情報関係に強く、組織の表の事務もこなしている。カメリアは彼が確か自分と同じくらいの年齢だったと記憶していた。
カメリアが彼のもとへ向かった目的は明確に決まっている。
「R1108式戦闘法について」と「その使用者」の情報だ。
本部にいる彼ならば司令部の動向についても情報が得られるかもしれないという藁にもすがる思いがあった。
しかし、ネペンスは当然ながら乗り気ではなかった。
カメリアが行おうとしていることは組織に対してのクラッキング。ネペンスがそれに加担し機密を渡したのだということが明るみになればカメリアだけでなくネペンスの命も危険にさらされることになる。
だが、カメリアでは厳重に守られている組織のデータベースに侵入することはできない。そういうことに詳しい仲間はいるが、今となっては司令部に所属してしまっており、いくら頼み込んでも情報を渡してはくれないだろう。
カメリアには後輩のネペンス以外に頼れる人物はいなかった。
「何とか頼めないか?」
「いやいや、そんなことやって僕が殺されたらどうすんだよ」
「君にしか頼めないんだ……!ステレコスのやつはもう司令部の人間だ。いくら言ったって情報を渡しちゃくれないさ」
ネペンスが本当に命が惜しいと思っているのか、面倒くさがっているだけなのか、カメリアには分からなかったが、ここで引くことはできない。
「う~ん、そうだ!君が好きだって言ってたアニメのライブ!その最前列のチケットでどうだ!」
「フッ、もう僕それ持ってるんだよね」
カメリアは愕然として崩れ落ちた。それと同時に微かに笑いが込み上げてきた。
カメリア自身、後輩にこんな手を使ってまで我を通そうとするなど考えたこともなかった。相当姉の死に参っていたのだろうと気づき、そんな自分に呆れて笑ってしまったのだ。
「らしくないことしちゃったな。ごめん、忘れてくれ」
カメリアがその場を去ろうとした時、ネペンスは振り返ることもなくカメリアを引き留めた。
「……そんなに気になるの?その『オクタ』って奴。そいつ男っしょ?女の子でもないのに気になるとかお前変じゃね」
調査対象が女の子なら興味を持ってデータベースを漁ってもいいということにはならないが、カメリアはこの好機に突っ込みなどしてはいられなかった。
「どうしても知りたいんだ。『オクタ』とオクタの使う『戦闘法』について」
ネペンスはその返答を聞いてしばらく考え込む様子を見せた。
「……わかった。カメリアがそこまで言うなら調べてあげるよ。僕も少し興味沸いてきちゃったし」
「そっか、ありがとう!金なら……あるからさ。必要になったら言ってくれよ」
カメリアはそれだけ言うとネペンスのいる部屋を後にした。
「あいよー。ってもういないか」
9月26日(木)16時07分
都心から少し外れたビル街。大通りにできた雑踏は、雨上がりに顔を出した日を反射してキラキラとした輝きを放っていた。
薄っすらと路地裏に手を伸ばすかの如く光が差し込んでいる。
雨の影響でところどころ水溜まりができている。土の匂いとでも言うべき特有の匂いが充満するそこに一人の男が立っていた。
男のコードネームは『カメリア』。
彼も六花たちと同様、AIの暴走を止めることを目的とする組織の工作員であり、24席ある中で3番目の席が与えられている。
頭髪はツーブロックにセットされているが、結月会の男と違って爽やかな印象を与える。
服装にも気を遣っているらしく、大通りに出れば、その端正な甘いマスクも相まってすぐさまファッションモデルとしてスカウトを受けることになるだろう。
「ここか……姉さん」
そこに横たわっていたであろう姉の影を見つめるように視線を落としていた。
8月の末、何の前触れもなく彼の双子の姉『ホリー』は死んだ。
彼らが物心ついた頃すでに両親はなく、家族と呼べる存在は双子の姉の柊乃だけだった。
彼女の仕事ぶりは非常に用心深く、輸送時のルート作りから輸送物品の偽装に至るまで歴代の輸送班の中でも抜きん出た評価を受けている。
更には高い推理力を持って物事の隠された部分を即座に見抜き、逆にそれを利用する計画を立案したりと輸送班の枠にとどまらない働きぶりを見せていた。
輸送班にはコードネームを持たない工作員――いわゆる“黒服”が複数おり、彼らがホリーたち名前持ちを護衛することになっていた。彼女が死んだ日も当然黒服の護衛が3人付いていたと記録されている。
何者かの奇襲を受けたとしてもホリーが逃走する時間くらいはあったはずだ。その隙すらなくホリーと護衛の黒服が全滅したという報告から当時のカメリアには「相手は相当の手練だろう」という程度のことしか分からなかった。
一カ月近くも経つと現場には報告書に記されたあの惨状の面影はなくなっている。広がる血溜りも散乱していたとされるゴミ箱やゴミ袋も何事もなかったかのように片付けられていた。
当時、彼は別の任務に就いており、ホリーの死を知ったのは司令部から届いた「ホリーが死んだ」という無機質な一文でだった。
―8月末―
報告を受け、すぐさま本部に駆けつけたカメリアは司令部の人間に説明を求めたが、大した情報は得られなかった。
分かったことは「相手は対多数の戦闘に長けた人物あるいは部隊であったのであろう」ということと「ホリーには鋭利な刃物による裂傷痕や打撲痕が見られたがどれも的確に急所を突いたものであった」ということくらいだ。
血溜まりは傷の様子から抵抗した黒服たちのものだろうと雑に結論づけられていた。
そんなことでは納得できないと無理を言ってホリーの遺体が運び込まれている病院を聞き出したが、到着した時には既に検死は終了していた。
ホリーの眠る部屋には非番だったはずの黒服が1人控えており、手にはバインダーが握られていた。おそらくは検死の結果を示したものだろう。
しかし、カメリアにとってそんなものは目の前に眠る姉に比べたらどうでも良かった。
姉の顔を覗き込む。ホリーの首の傷は目立たないよう丁寧な処置がされていて、彼には姉が静かに眠っているようにしか見えなかった。
「カメリアさんですね。検死担当から資料を預かっています」
カメリアは一頻り涙を流した後、黒服からバインダーを受け取った。
死因は失血によるショック死。喉元に突き立てられた薄刃のナイフが引き抜かれた時のものだと無感情に書かれていた。カメリアはその痛みを想像し、途轍もない吐き気に襲われながら、ホリーの喉元に視線を移す。
綺麗に縫合され傷があったということすら嘘のようだ。
カメリアは怒りを抑えてバインダーに食らいついた。何か犯人につながる手がかりがあるのではないかと必死に資料を睨みつけた。
そしてある一文に目が止まった。
「天近柊乃の傷は、以前発見された遺体にあるものと酷似している」
「……これは」
手がかりとは言えないほど些細なものだった。以前発見された遺体というのが何を指しているのかカメリアには見当もつかない。
部屋にいた黒服が一歩カメリアに歩み寄る。
「私はライースさんからこのバインダーをお預かりしました。その時本当に小さな声でR1108式と呟いたのを耳にしました。お役に立つでしょうか」
「R1108式……」
カメリアがそれを聞いて思いつくことはそのコードを持つ工作員がいること、その工作員が『オクタ』のコードネームで呼ばれていること。
そして、『オクタ』が独自に編み出したR1108式戦闘法は組織の中で高い評価を得ていた。更に、組織はその戦闘法を受け継ぐ“継承者”を生み出すことに注力していたことを知っている。
しかし、カメリアはR1108式戦闘法に関する知識を持ち合わせていない。
(R1108式戦闘法っていうのは一体どんなものなんだ?)
資料をめくってみても傷跡が似ているということ以上の情報は載っていなかった。
(くっ……だが、これは数少ない手がかりだ。諦めるわけにいくか!)
カメリアは翌日、本部の『ネペンス』を訪ねた。
都心に堂々とそびえ立つ12階建ての瀟洒なビル――末端の工作員では知る由もない組織の本部は警備会社の体をなしていた。
ネペンスはジャンクフードとアニメをこよなく愛する恰幅の良い男性で、戦闘には向いていないが情報関係に強く、組織の表の事務もこなしている。カメリアは彼が確か自分と同じくらいの年齢だったと記憶していた。
カメリアが彼のもとへ向かった目的は明確に決まっている。
「R1108式戦闘法について」と「その使用者」の情報だ。
本部にいる彼ならば司令部の動向についても情報が得られるかもしれないという藁にもすがる思いがあった。
しかし、ネペンスは当然ながら乗り気ではなかった。
カメリアが行おうとしていることは組織に対してのクラッキング。ネペンスがそれに加担し機密を渡したのだということが明るみになればカメリアだけでなくネペンスの命も危険にさらされることになる。
だが、カメリアでは厳重に守られている組織のデータベースに侵入することはできない。そういうことに詳しい仲間はいるが、今となっては司令部に所属してしまっており、いくら頼み込んでも情報を渡してはくれないだろう。
カメリアには後輩のネペンス以外に頼れる人物はいなかった。
「何とか頼めないか?」
「いやいや、そんなことやって僕が殺されたらどうすんだよ」
「君にしか頼めないんだ……!ステレコスのやつはもう司令部の人間だ。いくら言ったって情報を渡しちゃくれないさ」
ネペンスが本当に命が惜しいと思っているのか、面倒くさがっているだけなのか、カメリアには分からなかったが、ここで引くことはできない。
「う~ん、そうだ!君が好きだって言ってたアニメのライブ!その最前列のチケットでどうだ!」
「フッ、もう僕それ持ってるんだよね」
カメリアは愕然として崩れ落ちた。それと同時に微かに笑いが込み上げてきた。
カメリア自身、後輩にこんな手を使ってまで我を通そうとするなど考えたこともなかった。相当姉の死に参っていたのだろうと気づき、そんな自分に呆れて笑ってしまったのだ。
「らしくないことしちゃったな。ごめん、忘れてくれ」
カメリアがその場を去ろうとした時、ネペンスは振り返ることもなくカメリアを引き留めた。
「……そんなに気になるの?その『オクタ』って奴。そいつ男っしょ?女の子でもないのに気になるとかお前変じゃね」
調査対象が女の子なら興味を持ってデータベースを漁ってもいいということにはならないが、カメリアはこの好機に突っ込みなどしてはいられなかった。
「どうしても知りたいんだ。『オクタ』とオクタの使う『戦闘法』について」
ネペンスはその返答を聞いてしばらく考え込む様子を見せた。
「……わかった。カメリアがそこまで言うなら調べてあげるよ。僕も少し興味沸いてきちゃったし」
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