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五章「異端たちの夜」

回想

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  夢のなか、波の音が聞こえた。

  時に強く、時に弱く。サラサラとなびくその波は青々として、ただ気まぐれな風にその身を任せている。

  草の海原うなばらのさきには森が見える。

  悠然とした大地には生命の賛美がある。

  晴れ渡る空にはマシュマロのような雲がある――そして光がある。

  光。強烈な光。その閃光は安穏あんのんとした風景をめちゃくちゃにした。草原は燃えあがり、炎が逆巻く。

  炎のなかには友がいる。数百という黒焦げになった友がいる。遺骸いがいとなった友は叫ぶ。死にたくない。そう呪いながら這い寄ってくる。

  わたしのもとへ、這い寄ってくる――

       ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

  誰かに呼ばれた気がして目覚める。動悸と汗。極度の法術疲労による後遺症だが、どちらかと言えば夢への恐怖が強かった。

「――どういうことかきっちり説明してもらおうか!  なんでおまえとこいつが一緒に来るんだ!」

  視線のさきに怒鳴り散らすアルトが見えた。はっきりとしない頭ではよく分からない状況だった。なぜアルトは怒っているのだろう……。

「アルト……ここはどこ?」
「――!  よかったメルティ。目が覚めたか」

  絞り出すように声をかけると、アルトは眉間にシワを寄せながら顔を近づけてきた。

「ここは教会のシスターの部屋だ。メルティは治療のあとにすぐ倒れたし、さすがにあたしも体力的にきつくて村まで戻れなかった。メルティが意識をなくすまえにあたしがした話は覚えてるか?」
「うん……だいたいは」

  アルトがサイドテーブルにあるコップを持ち、水差しから水を注ぐと体を起こしてくれる。メルティはようやくそこで自分がベッドに寝ていたことに気づいた。丁寧ていねいに毛布までかかっていたようで、上体が起きるとハラリと落ちる。

  アルトのボロボロになった神官服が、自然と視界に入った。ほとんど全身に、赤い染みが点々と付着していた。すこしばかり心配にはなるが、当人はまったく気にしていないようだった。だからまあ、短時間で回復するような怪我だったのだろう――アルトにとっては、という意味で。

  メルティはそれ以上の心配をしないことにして、ゆっくりとシスターの部屋に視線を這わせた。

  外は嵐なのか、教会を雨粒が叩く音が聞こえた。風は強弱をつけて雨音を不規則なメロディーにしている。まるで草原が波立つような、サアァ……という雨音。それが夢の元凶だったかと、メルティは嘆息した。

  メルティがコップに口をつけながら室内を見ていくと、簡素なベッドがあとひとつあり、木の机とそのうえに自然派の紋様ががくに飾ってあった。

  ……そして男がふたりいる。ベッドにはグエフが座り、机に備えつけてある椅子に座っているのは、

「マーティン……?」

  仏頂面でいるのは間違いなく村長の息子だった。麻のシャツにジーンズと黒いブーツという格好は、あまり似合っていない。

「覚えてるか分からないけど、グエフに人狼の遺体を運んでもらったろ?  あたしも寝ちゃったから気づいたのは起きてからなんだけど、したの礼拝堂におりたらグエフとこいつがいてビックリしたんだ。だってそうだろ?  魔属は村に近づかないように生活してたんだぜ?  それってことはつまり、村の人間と魔属がいたらおかしいだろうがっ。隠者のくせに隠れてないだろ」
「そうね……」

  メルティはサイドテーブルにコップを置いて、ふたりの男を観察した。無表情のグエフと仏頂面のマーティン。どこにも緊張している様子はない。当然とふたりはそこにいた。

「……ふたりは旧知の仲だった。グエフが娘たちを殺害したのなら、マーティンは共犯ということよね」
「ちょい待てメルティ。旧知の仲ってことはこのふたり……友達か?」

  アルトは共犯よりもそちらに興味を示した。グエフとマーティンは別になにも言ってはこないために続ける。

「牧場の事件と怪物騒動。このふたつは関係しているけど、接しているのは本当にわずかなの。始まりは八日(九日?)まえ、グエフの妹が失踪したのと森の異変。マーティンはなぜかそこで牧場を荒らすことを思いつく」
「てことは首謀者マーティン、実行犯グエフ?」
「正確には魔属と考えて。不自然な現場を魔属たちは可能にする。娘たちの――もう雌牛めうしの遺体でいいかしら。雌牛の遺体が消えたのは、魔属たちが抱えて持ち、崖下へでも投げたんでしょう。こうすれば村人にもギャロムさんにも見つからずに遺体を消せる。わたしがなぜ一度遺体を運んだという説を否定したかというと、魔属たちの関わりをまだ知らなかったから。七百キロを三体……普通なら大がかりな作業が必要だけど、魔力による肉体強化は凄まじいわよね?」

  アルトへと視線を投げるとうなずきが返ってくる。アルトは百キロくらいなら平気で持てる。

「柵を破壊したのはとっさのことだった。ギャロムさんに遺体が見つかり仕事の効率をあげるため。崖まではたいした距離じゃないから、村長宅へ行ったギャロムさんが戻るまでに遺体が消せる。腕力さえあれば可能なの。荷車も使わず、残るのは最低限の証拠だけ。でもこれは余計だった……て、ウエストバッグどこ?」

  ベッドの足元にあったらしいウエストバッグをアルトに渡されると、メルティは紙の包みを取り出した。それを開いてふたりへ見せる。

「それ、ガクガク野郎が歩いたあとじゃなかったか?」
「ええそうよ。でもこれインクなの」
「はあ?  インクだあ?  現場を改竄かいざんしたってか?  ああでも、最初から似たようなことか。自作の現場だもんな」
「グエフが弟からナメクジの足を持つ、グールと言うか人狼モドキと言うか――と、神官が来たことを聞いた。さらにそれを聞いたマーティンが、現場にインクを垂らしておいた。より怪物の印象を強調するためよ」
「それを俺がやったという証拠はないだろ」

  マーティンがようやく開口した。ニュアンスには否定よりも挑発が色濃いようだが。

「確かに証拠がないから立証はできないわ。だけど村に人狼を近寄らせないために雌牛を殺害したというグエフの証言がある。しかしこれはおかしい。そもそも村に人狼が行ったところでグエフには困ることなどなにもない。でも人狼が雌牛をエサにして去っていったなら、そもそもインクを垂らしておく必要はない。誰かが森の怪物を犯人にしたかった。そういう意図がなければこんなことはしない」

  メルティは水を飲み干した。喉が渇いている。

「でも守るべきものがあったら話は変わる。人狼が餌場をひとつ所にしないことを知っていたグエフは、餌を用意することで村を守りたかった。マーティンのほうは犯人がグエフだと知ると、魔属たちが関与していないように見せかけるためにインクを垂らし、さも怪物のせいだと思わせた。怪物とすでに遭遇していたわたしたちが調査官だからこそ、マーティンはそんなことを思いついた。でも……」
「当て推量にすぎないか?」
「その通りよグエフ。確たる証拠はなにもない。だけどこれだけは言える。あなたたちの関係は深いということ。あなたが外界と接していないなら流暢りゅうちょうなソフィア語を話しているのはなぜ?  グエフという愛称だって、それはソフィア式よね?」
「なんだ……あんたは能無しじゃなかったな」

  そのとき、マーティンが真摯しんしな顔をつくった。

「もっと時間をかけていたら真実にたどり着いたと思う。だが、今の説明じゃあ落第点だな」
「マーティン……もういいだろう。俺たちはメルティを試しに来たわけではない。礼をしに来たんだ。ふたりの神官にな」
「途中からついていけてないし、今の言葉も意味が分からないぞっ」

  アルトがそろそろ理解の限界のようで、犬歯を見せている。マーティンがそれを落ち着けと手で制した。

「真実を教える。そうすれば俺たちがあんたらに礼をしなくちゃならない理由も分かるはずだ」

  グエフが膝のうえで手を組むと前かがみになる。お伽噺を始めるような格好で、

「俺たちは森で出会った。ずいぶんと小さなガキの頃だ。俺はその日の夕暮れ、狩り場を変えて森を歩いていた。そこで帰り道が分からなくなって、さ迷っているマーティンを見つけた。その時は苦労した。話しかけても怯えるばかりだったからな」
「古語が分からなかったからだ。そして俺は迷子になって混乱し、グエフを恐れていた。手には弓、褐色の肌。村の年寄りが言う森の悪魔にそっくりだったからでもある。だけど俺はすぐにグエフを人間だと思うんだ」
「俺は手を差しだした。なぜかは分からないが、どうしようもなくなった俺も混乱してたんだろうな。マーティンはだが、恐る恐る握手を返した。そこで俺も外界の人間を知った。おさからは関わりを禁じられていたから警戒はしてたんだが、そのとき悟った。同じ人間なんだとな」
「まあようするに、旧知の仲だというあんたの読みは当たってるってことだ。俺たちはお互いの村に黙って森で遊んだ。そして俺と関わっていくなかでグエフは言葉を覚えていったんだ。もう三十年はまえだろうな……」

  マーティンは思い出に浸るように微笑みながら室内を見わたした。

「お互いの生活に変化が起き始めたのは、神父が村に来てからだった。神父は親父に、村長にこう言った――自然派教会を村に置きたい。ここはまだ聖女の加護が届かぬ地だ――親父は突っぱねた。教会を建てたければ勝手にすればいい。だが村に教会を造ることは許さないってな」
「あなたの父は聖女崇拝者。他宗派である自然派の教会を置きたいわけがないわね」
「その通りだ。神父はじゃあ村外れに建てさせてもらうと言って去っていった。それを見聞きしていた俺はグエフと次に会った日に言った。ふたりで教会を建てようってな」
「俺はなにを馬鹿なと断った。マーティンならいざ知らず、教会の神父に近づくなんて自殺行為だ」
「それからはひたすらグエフの説得だ。しかし俺は自然派の考えを信じていた。命ある者への尊重……その教義の正しさを信じていたんだ。まあ産まれたときから牧場経営にたずさわってるから当然ちゃ当然なんだがな。けっきょくグエフが折れる形で、困り果てている神父の元へ向かった。木のりかたも知らないひょろ長いおっさんていうのが俺たちのイメージだったな」
「あんたらがこの教会を建てたってか? 信じられないな。完成度が高すぎる」
「そうか?  二階への階段は急勾配だし屋上にあがる階段はつけ忘れた」

  メルティはその言葉で納得した。確かにあの収納階段は不自然だったと思う。

「この教会は俺とグエフとロワア神父の三人で建てたんだ。何年かかったかも覚えてないが……」
「五年はかかったと思うぞ。俺たちは神父と仲良くなった。もちろん神父は俺が魔属だと知っていながら気にもしてなかった。そのことを神父になぜだと聞いたこともある。彼は笑いながら、命のまえに不平等があってはならないからといった。俺はそのとき信仰というものに触れ、感激した」
「神父はいいひとだったよ。でも秘密が多いひとだった。定期的に姿を消し、数日後に戻ってくる。俺たちが建築に来ると追い返されたことも……俺たちはだが、神父がなにをしているのか詮索せんさくはしなかった」

  それつまり、好きだからこそ触れられないと言う、神父に対するいたわりだったのだろう。そう考えるとロワア神父の自然派教徒としてのありかたは、正しいものだったように思えた。

「いつしか教会は完成した。最初はもっと質素な掘っ建て小屋みたいな印象だったが、改修してようやく教会らしくなった」

  ふたりは感慨深げに視線を落とした。メルティがアルトを振り返ると、自分たちも同じような顔をしていると気づく。

  絆を育んだ場所は誰にでもある。わたしたちにもある――

「……神父は俺たちに勉強を教えてくれた。内容は主に神学だったが、希少生物についても熱心だった。このあたりは未開の地が多いから未発見の生物もいるかも……とかなんとか。俺たちはそのとき十五かそこら。半信半疑だったが神父……いや、先生が楽しそうなのが嬉しかった」
「ヴァラヴォルフについては特にだ。俺が古代の知識を学んだのは神父からだ。ただ魔属は文字を使わないから文献を読み解く手伝いはできなかった。すこしはまあ、ソフィア語訳もできたがな」

  そういった意味では現場にインクを遺したのはマーティンだったと言えた。文字を使わないのにグエフがインクを持つことはないだろう。

「生活は順調だったな。いつしか教会にはウェルダニムスの村人も来るようになったし、グエフが兄弟たちを連れてくるようになった。夜は基本的に魔属たちの集会所になっていた。まあ、魔属と村人たちとのあいだに交流があったわけじゃないが、いつか魔属たちと村を歩ける日が来ると、先生は笑っていたな……」

  ロワア神父はそれを信じていたに違いない。一般的には受け入れがたい教義。マイノリティの宗派。しかし、その教えがひとつとして人間の心を動かさないのならば、地方ですら――言い替えれば農村だったとしても、自然派は認められなかったはずである。

  ロワア神父は聖職者として立派な人物のようだった。今メルティの目のまえには、その教えの崇高さやロワア神父の人格や言葉に、感銘を受けたふたりがいる。

  このふたりがなにか善からぬことを企む人間だとは、到底とうてい思えない。
  
「先生は時折だが教会に籠る日もあったが、俺とグエフは先生がなにをしているのか触れることはしないよう決めていた」
「魔属たちもだ。暗黙のルール……マーティンは村人たちに希少録の研究だとうそぶいていた。それでよかった。俺たち魔属も神父のことが好きだった。だからあの日、娘たちを殺害したあの日……」

  グエフが言い淀むと、マーティンも奥歯を噛んだ。メルティは静かな声音で促す。

「なにがあったの……平和な生活のなかにどんな変化が?」
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