from破戒神官~愚なる豺狼に詠訣の花束を

イヌカミ

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四章「人獣死すべし」

激突ヴァラヴォルフ2

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「まさか魔術を使うなんてな……人狼が魔力を内在してるってのは納得できるけど、魔術なんて使うか人狼が」

  人狼について詳しくはない。満月の夜に変身する狼男と大差ないものだという漠然ばくぜんとした知識はあるが、その違いすらも判然としない。

  アルトは人狼のすぐ脇に立つと、その顔を見おろした。狼をもうすこし人間に寄せたような顔は、開いたままの口から舌をだらりと出していて、吐血により赤く濡れている。事切こときれたその姿は剥製はくせいのように動かない。

「……終わったか。とりあえずメルティに報告しないとな」

  アルトはふぅと息を吐いた。とりあえず危険の排除は終わったが、魔属のことや大教会への報告内容の検討など、事後処理が山積みだ。

  事件の証拠として人狼の遺体も運ばなければならない。神官は慈善事業ではなく、信教国ソフィアの国防組織である。お役所仕事のほとんどはデスクワークだが、それはアルトのもっとも苦手とするところだった。

  アルトは余計にげんなりとして、次の瞬間には重要なことを思い出した。

「そうだ!  グエフの兄弟だかなんだかの怪我をどうにかしないとな。やつらの村に運ぶより、メルティを呼んだほうが早いか?」

  と、アルトは人狼のことを魔属に頼んでみようときびすを返した。と――

「……殺し……」
「……え?」

  それは間違いなく、人狼のほうから発せられて――

  人狼を瞬間的に振り返る。だが遅かった。人狼の顔は奇妙に歪み、ほくそ笑んでいるように見えた。

  直後、アルトの体は空中に浮いていた。凄まじい風切り音、斬撃による裂傷――風の魔術がアルトを切りきざんで通り過ぎていく。

  アルトは同時、風圧に吹き飛ばされていた。気づけば数メートルほどの距離を飛び、放物線を描きながら空中を飛び、どうっ!  と地面に落ちる。アルトはすぐに立ちあがろうとしたが、起こせたのは顔だけだった。神官服が流血に染まっている。そして咆哮が――

「なん……で!  なんで生きてんだよ!」

  歯を食いしばりながら上体を起こす。体の傷は多いが致命傷はない。だがもう、体はそれ以上起きあがることを拒否していた。

  ――ワオォォォォォォォッッ!

  空を仰ぎ、人狼は咆哮する。風が人狼へと集約していた。凄まじい風圧が広範囲に放出されている。アルトは腕で顔をかばいながらその光景を見続ける。

  そして人狼は集約された風を、全方向へと魔術によって解き放った……!

(頼むから間に合え!)

「祈誓に応えろ。此の弱き手に戴く、其の恩恵は――」
「其の恩恵は護盾となりて!」

  自分の声と重なるような祝詞――アルトの前方に出現した法術の盾はガラス板などではなく、蒼白に輝く頑強な大盾だった。神聖を表す複雑な紋様が描かれた聖女の加護は、人狼が放った魔術を軽々と受け止めた。同じ座天詞だが、精度も練度もレベルが違う。

「おっせぇぞメルティ!」
「勝手にどっかいっちゃったくせに!  しかもなんか死にかけてるしっ」

  草原一帯が、周囲にあるものが、破壊的な真空波と風速をともなう暴風にめちゃくちゃにされていく。草原の土がめくれあがり草は跡形もなく剥がされ、魔術の有効範囲にあった森の一部が裂かれ、木々が薙ぎ倒された。

  だがそんななかで法術の大盾をかまえたメルティは、気楽に話しかけてきた。

「スウィードさんは息があったからロワア神父に任せて村までいってもらったわ。それでアルトを探しに森に入ったけど、全然見つけられなくて手がかりは川で消えちゃうし、なんか騒がしいなぁってこっちに来てみたらスカートの切れ端を見つけて、アルトはまさか大勢の男に?  とか余計な心配しちゃったわよ!」
「いや、大勢の男に襲われたのは事実だけど……説教はあとにしてどうにか人狼を止めないと……なにこれ?」
「気つけ痛み止め。即効性のやつ。この攻撃がやんだら攻めるわよ」
「おまえは鬼か……」

  アルトはどう見ても怪しい茶色の小瓶に口をつけ、中身を飲み干した。苦い。風の魔術が終息していくと、ちょうどメルティの法術も効果を終えて霧消していった。

  人狼は荒涼とした大地に立っていた。草原はただの土くれになり、生命が死に絶えたような風景に変貌している。人狼は縦横無尽の破壊に満足したのか、にやにやと不適に笑いながら高鼻を始めた。

「力天詞が通じなかった。しかも第三節をまともに食らってあれだ。どう攻める?」
「じつはクリーンヒットじゃなかったのよきっと。力天詞は効果範囲が狭いから、うまく後方に跳べばダメージは半減できる。動ける?」
「いや……もうちょい。そんなことできるのはメルティくらいかと思ってたよ。しかもあいつは獣だろ?」
「人狼については諸説あるけど本来は人間らしいの。だから知能が高い。獣だと思って相手してたらそれが油断になるわ。人語を介す人狼もいるらしいし……まあ魔術を使う人狼は希少録にもいなかったけどね」
「新種か……そういやあたしもいくつか報告があるんだ」
「了解、わたしもあるの。じゃあとりあえずあの子を止めてあげないとね……どういうわけで人狼になってしまったのかはさておき、あのままじゃ可哀想だから」

(殺し?  殺し……てくれ?)

  人狼が発したのだろう言葉を思い出す。アルトはまさかなと自嘲気味じちょうぎみに笑うと、気つけ痛み止めとかいう怪しい薬の効果か、メルティが来てくれたことによる高揚からか、ゆっくりと立つことができた。出血箇所が多いが、今すぐ止血が必要なところはない。

「アルトは無理な動きはしないこと。タイミングをわたしの座天詞にあわせて攻撃、当てることだけに集中よ。オーケイ?」
「はいはい」

  気のない返答を聞いて、メルティが人狼へと走る。

  アルトはいつのまにか消えていた光球をふたたび喚んだ。メルティから遅れて人狼へとただ歩く。

  メルティの周囲に七つの光球が浮かんだ。風の魔術の影響か風があちこちから吹いているようで、人狼はすぐにメルティに気がついたように咆哮した。その風の利用すらも狙いだとしたら、確かに知能が高いのだろう。

  人狼がメルティに跳ぶ。アルトの一撃が警戒心を持たせたのか、人狼は最初から殺す気のようだ。腕を払い風の斬撃を飛ばす。だがアルトには分かっていた。

(メルティには無駄だよ)

  アルトは確信をもって独りごちた。メルティは風の斬撃を体を半身にしただけでかわす。次にメルティは人狼にほとんどくっつくように肉迫していた。そして法術の盾を出現させ、人狼を弾き飛ばす。

  だが人狼は着地の瞬間に四肢を跳ねさせて高速の突進をした。しかしメルティはすでにおらず、数歩分だけ真横に移動している。人狼はすかさずメルティを追った。

  アルトもやられたあの動きだ――しかしメルティは横にかわしながら盾を人狼へと放った。人狼は横殴りにされたように弾き飛ばされる。盾に攻撃力がないためダメージは微々たるものだが、相手を翻弄ほんろうするには十分だった。

  そして守勢にまわったメルティは攻撃を受けない。人狼が体勢を立て直すさいに鎌鼬かまいたちを収束させたような風球ふうきゅうを放つが、その万物を巻きこむ力を利用して回転しながら横に跳ぶ。吸いこむ力を回転で受け流したわけだ。風球はただ飛んでいき、遠くの森の一部を破壊した。

  ちょうど自分とメルティのあいだに人狼が重なると、アルトは走った。メルティとともに光球に触れる。

『此の――!』

「細き手が探りし玄室げんしつに――」
「差し出されし愚かなる両掌を――」

  人狼はメルティに集中していた。しかしメルティを補足しておきながら攻撃はかすりもしない。メルティの動きは同時に人狼を一ヶ所に誘いこんでいた。つまり、メルティとアルトの中間に来るようにだ。

  人狼がメルティに飛びかかる。そこで、

「――其の聖櫃せいひつはあった!」

  座天詞第二節。メルティが第一節よりもさらに堅固かつ巨大な盾を出現させる。巨盾きょじゅんは人狼を力場で抑えこんで動きを封じた。背後を、

「――其の震怒は讃えた!」

  アルトは手のひらを押しつけるようにして法術を放つ。破壊振動は巨盾ごと人狼を撃った。

  巨盾は破壊振動を受け止めて力を停滞させ、人狼は逃げ場をなくして絶叫をあげた。力の放出に混じってかすかに風が起こり始めた。アルトは自分すらも吹き飛ばしそうな力の停滞に堪えながら、人狼の顔を見あげる。人狼は法術の挟撃から逃れようと苦悶にあえいでいた。必死で脱けだそうと足掻いていた。

(早く終わらせてやってくれ……頼むぜ聖女さんよ!) 

  アオォォォォォォォンンン!

  人狼が咆哮する。それは圧縮された力が限界に達したからだった。

「あ……と……」

(……まただ!)

  ごぎゃっ――!!

  耳にいつまでも残る人狼の骨が砕ける音は、まるで呪詛のように不快だった。アルトの望みが聞き届けられたのかどうかはさておき、圧縮が極限になり、衝撃が生まれたのがとどめの一撃にかわったようだ。その力は同時に、ふたりの法術の効力を消失させた。

「うわぁっ!」
「きゃあぁぁぁぁぁ!」

  爆風が起こり、アルトもメルティもかなりの勢いで飛ばされる。

  そして人狼は全身から煙を立ち昇らせながら、その巨体を地面に叩きつけるようにして崩れ落ちた。

  アルトは猫のように器用に回転して爆風から逃れ、足から着地すると人狼を見つめた。もうおそらく、動きだしはしないだろう。

「元人間か……」

  反対側にいるメルティに手を貸してやろうと歩きだすが、メルティはたいしたこともなかったようで埃を払いながら立ちあがる。白かった神官服は土でだいぶ汚れたようだが、たいしたダメージもなくこちらに歩いてくる。

  アルトは人狼を見おろした。火傷や裂傷が体をボロボロにしている。空っぽの剥製のように横たわる姿は無惨の一言に尽きる。

「せっかく生きようとしてたとこ悪いな。だけどあたしたちにはこうするしかなかったんだよ……」
「感傷に浸るのはあとよ。彼らは?」

  そばに来たメルティが魔属たちを指差した。忘れかけていたことを思いだして、

「メルティッ!  人狼にやられた奴がいるんだ。あいつらの村に医者がいるらしいんだけど、なんかいい方法ないかな」

  メルティがすかさず駆けだす。体全体が悲鳴をあげていて、それを追いかけるのはきつかった。メルティとの距離は離れ、魔属たちと言い争いを始めるのを遠くに眺めながら進む。

「いますぐ診せなさいってば!」
「俺たちは神官とかかわりたくはない。今さら善人面をするな神官」
「このさい善悪なんてどうでもいいでしょうがぁっ!」

  魔属たちが人垣ひとがきをつくり、メルティの邪魔をしている。アルトは色んな意味のため息を吐いてから、ようやくその場にたどり着いた。

「おいグエフ、信用しろよ。こいつは相棒だ」

  人垣の隙間から、負傷した兄弟を呆然と眺めているグエフに声をかけるが、彼は静かに首を横に振った。

「……出血が止まらん。もう兄弟は山に眠ることを決めた。俺たちを放っておいてくれないか……ただ静かに送りたい……」
「このっ……!」

(やばい、キレた!)

  メルティが光球を喚んで祝詞を詠った。ドゴンッ!  と法術の大盾が人垣を蹴散らす!  そして魔属たちはそれぞれのポーズでそこら辺の地面に突っ伏した。

「全員しょっぴくわよ!  それが嫌なら今すぐ通しなさいっ!」
「落ち着けメルティ。もう全員吹っ飛ばしたろ?」

  メルティは聞く耳を持たず、ずかずかと歩いた。グエフは吹き飛ばされた兄弟たちを驚きながら見まわし、メルティに食ってかかる。

「貴様!」
「助けてやるからどけっつーのが分からないのバカッ!」
「魔属を助けるだと?   神官のくせに……貴様らが俺たちを卑下ひげし、罵倒し、住みかどころか尊厳そんげん剥奪はくだつした。それは現代でも変わらん。むしろその迫害の年月がソフィア国民の共通の意志となり――」
「な、なあグエフ、そのへんにしとけよ、な?」
「……魔属?   あなたたち魔属だったの……?」「……そういや説明してなかったか」
「その顔だ。俺たちを魔属だと認めたときの驚愕と嫌悪が、神官の本心なんだ。もういいだろう神官。魔属だと分かったなら助けようとも思わないはずだ。俺たちのことは――」

  グエフが言い終わるまえにメルティが手を伸ばした。シャツのえりを掴んで足をかけると、あっさりと投げ飛ばす。アルトはグエフが叩きつけられたのを見て顔をしかめた。痛そうである。

「人命第一。そのての文句ならあとで聞くわ」

(怖いなぁもう……)

  アルトはメルティの剣幕にドン引きしていた。昔から変化しない姿勢はだいたい見慣れたものだったが、こうなるとメルティは手がつけられなくなる。自分が正しいと信じたなら引かないのがメルティで、そうでなければメルティ足りえない。だが鬼気迫る様子は昔から苦手だった。

  メルティが兄弟のまえでかがむ。兄弟の意識はほとんどない。汗を流しながら荒い呼吸を繰り返し、ひどく顔色が悪かった。

「酷い……でも魔属なら体力も並外れてるから……」

  メルティは眉根を寄せてぶつぶつと言葉を漏らした。アルトはその横に立ち、メルティの提げているウェストバッグからいくつか瓶を取り出して渡す。

「戦闘で割れてないやつだ」
「これはアルトにあげたのと同じやつよ。気休めだけど飲ませて。よかった、消毒薬は無事だわ」

  メルティがためらいもなく消毒薬を千切れかけた箇所にかけると、兄弟が体をばたつかせた。骨と健が断たれて肉と皮だけの状態だ。動けば余計に痛みが走るし、完全にとれてしまえば治療がより困難になる。

「助けたいなら手を貸しなさい!」

  メルティの怒声に様子を傍観していた魔属たちが動きだした。暴れる兄弟の肩や足を押さえる。そのうちのひとりにメルティは腕を正確に持っていろと命じた。ずれてしまえば元には戻らない。

「これはあなたの兄弟の腕よ。いい?  あなたが不真面目な態度で失敗しても責任はわたしにはないから。あなたの落ち度よ」

(だからいちいち怖いんだってば……)

《いいかおまえら、これから相棒が法術で治療を試みる――》

  アルトは兄弟の口に少量ずつ気つけ痛み止めを流しこんでやりながら、古語で魔属たちに言葉をかける。アルトが古語を話すことに魔属たちは動揺したが、腕を支える男がたしなめると耳を貸してくれるようになった。

《絶対に相棒に話しかけるな。集中を乱さないでくれ。とてつもなく長い詠唱をする必要があるんだ。神官がどうとか過去の遺恨より、まずあんたらの仲間のためにそうしてくれ》

  ひいてはメルティのためとは、さすがに口にしない。魔属たちはだが、協力を惜しまないと言うような頷きを返した。メルティが光球を浮かべた。

「此の力無き手に智天使の、光纏いし大翼から注ぐ、慈悲深き優渥を以て、この掲げし先にある――」

  智天詞が囁かれる。メルティが負傷部位にかざした両掌から、月光に似た淡い光が生まれ、右腕を優しく包みこみ始めた。

  治療が始まってしまえば異義を唱えるものはいなかった。グエフですらも。

  陽はまだ高いが治療には数時間はかかる。そして終わればメルティは法術疲労で倒れるだろう。高位法術に位置づけられる智天詞は扱いが困難で、一語一句の間違いも許されない。要は精神力を削る法術疲労と集中力との戦いである。

(損な役まわりだよなお互いにさ。あたしは半殺し状態、メルティは昏倒確実だもんな)

  ふと、土が剥き出しになっている場所を見る。アルトの視線のさきには動かない人狼の遺体があった。

  今ここに救われなかった命と、救われるだろう命があった……。




  数時間が経ち――

  山を黄昏が染めていた。森は夕陽を受け止めて赤々と燃える。だが歩いているのは木と闇ばかりの森深き道である。ところどころ枝葉から射している赤い陽が、壁かけのランタンの灯火あかりのようだった。

  アルトはメルティをおぶって教会へと歩いていた。背中ではメルティが浅い眠りについているような状態だった。もしくはもう気を失っているか。

「あたしは嘘をついた。つーか黙ってた……いや、わざとじゃなくて確信が持てなかったからなんだけど……とにかく謝る」

  アルトはひとりで話していた。林道は特に危険のないただの道だったし、だいぶ暇だった。あとはまあ、罪悪感に負けてしまったからだった。

「あのガキを見たときに魔属だと気づいた。でも言わなかった。半信半疑だったしそれに……なんでもかんでも魔属のせいにしたくなかった。いやまあ、あたしも魔力がからんでるかもって奴らを疑ったけど……とにかく意見を出さなかったから――」

  アルトは弁明を続けた。メルティが許す許さないよりも、なんとなく黙っていたのが恥に思えた。

「魔力はからんでる。でも魔属じゃない。だから首謀者はほかにいる。それに……」

  アルトの独り言は続く。背中でメルティがうっすらと笑っているのも知らずに続ける。アルトは半信半疑のまま続けた。

「人狼はまだいる」
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