12 / 14
六章「愚なる豺狼に永訣の花束を」
法術と魔術~VSセリアナス
しおりを挟む
「メルティ! しっかりしろよおい!」
アルトが肩を強く揺さぶっても、メルティは焦点の合わない瞳をしたまま反応しない。茫然と自失が、メルティの正気を奪っていた。
(ヤバいぞ……くそっ!)
アルトは儀式の光景を見ていることしかできなかった。ふたつの命を取りこんだ黒い塊はぶよぶよとし、解放の時を待っていた。それを男が拾いあげるために、両手を伸ばしていく。
「これは魔狼の意思、その体現です。スウィードは――数十年まえロワア神父は希少録編纂にたずさわり、人狼に関与する古代魔術のなかでも秘術の存在を証明しようとして失敗した。魔狼の呪いにかかり、彼は人狼と化してしまった。魔狼の魔力に侵されてしまったのです。それは歴史のなかで繰り返されてきた悲劇であり 、人狼の起源となる出来事だったのです。だけど僕は違う。僕は魔属の亜種的な存在です。生来の魔力を持ち、だが見た目はソフィアの民と変わりない……あなたのようにね」
男は黒い塊を抱きあげながらこちらを見た。凶悪な目に幼い命を奪ったことによる罪悪の感情はなかった。
「これは本来は魔術の儀式です。魔力のないソフィア人が実行してはならない禁忌なのです。魔力に対抗しうるのは魔力のみ。同質の力でしか抗えない。あとは僕の魔力を、魔狼の意思と同調させるだけだ!」
「……勝手にしやがれ」
アルトはメルティから離れると男に近づいていった。男は恍惚の表情で魔力を黒い塊にこめる。おそらく魔術道具とさほど変わらない要領だ。グエフのペンダントのように。
魔力が注がれた黒い塊から黒々とした霧があふれだした。そして屋上に描かれた召喚の魔術方陣が発光を始める。その紋様は三重の円で暗黒の世界を、そして古代文字の羅列で魔狼を意味していた。
と、黒い霧が不気味な影に変じた。その影は巨大な魔狼を彷彿とさせ、しかし瞬時に消失したため判然としない。消失と同時、黒き稲妻が魔術の陣のなかを駆け巡り始めた。
「待っていた! この時を待ちわびたのですよ! 僕は力を得るのです! 魔属にこそ許された獣症化の秘術!」
感極まった男が歓喜の声をあげる。そして、極大の黒き稲妻が儀式の完了とともに穿たれた。近づくことができなくなり足を止めると、教会が激震する。
黒き稲妻が消失する――そしてそこにはバリバリと帯電する黒き人狼が立っていた。
「なるほどな……それが獣症化した魔術師の姿ってわけだ」
ロワア神父が人狼に変異した姿とそう変わらない見た目は、黒々とした毛並みをしている。だが決定的な違いがある。それは本能に支配されていない証明である、理性的な双眸が輝いていることだった。
「その通りです。僕は人間では到達しえない身体能力と魔力、さらには魔狼の術を得た最強の存在になった!」
「セリアナス……獣症魔術師たちの存在は口伝でしか残されてない。まさに伝説上の生物だ。だけどな、そんなもんのために命を貪るてめえは赦されねえ……!」
セリアナスとなった男は獣の顔で嘲笑した。構えた両手の爪が、雲の切れ間から覗く月光を反射して煌めく。
「誰が誰を赦さないと? 魔術の陣を描いていた僕のことを見かねて、伝書でそのことを教会本部に伝えようとしたロワア神父ですか? あれはしょうがなかった。最後の理性で邪魔をしようとするから処分するしかなかったのです。でも彼はあの高さから落下したにもかかわらず死に損なった。彼を助けようとしたメルティさんには悪いのですが、僕は村への移動中に彼を痛めつけましたよ。だってそうでしょう? 彼の後継者となるべく僕はここに来たのに、告発しようとするなんて酷いじゃありませんか。まあ人狼化してしまったので殺すことはできませんでしたがね……それとも僕を赦さないのは生け贄にしたこの子たちでしょうか?」
「てめえにはうんざりなんだよ!」
アルトは光球を喚んだ。同時に内在する魔力を向上させて、セリアナスへと走る。力天詞を詠い光球に触れる――が、セリアナスの速攻に反応できない。
(速い……!)
セリアナスの殴打による一撃は、アルトを鳩舎へ叩きつけた。バガァッ! と鳩舎を破壊し、さらには屋根を突き破る。全身が痛み、次にはバウンドしていた。パラパラと木片が降り積もるなか我に返ると、アルトは教会内の一室にいた。
うえを見ると自分が造った穴が空いている。そこから射す月明かりが室内を照らしていた。その部屋は屋上にあがる階段で遮られていた部屋だった。
(この部屋は……?)
なにもないガランとした部屋だ。床になにかの金属が打ちつけられていること以外には――
「ロワア神父……」
おそらく人狼化に伴う破壊衝動は定期的に起きていた。そのたびにこの部屋に籠り、ロワア神父は抵抗していたのだ。床にある鉄の拘束具には、おびただしい出血の痕跡があった。ロワア神父は戦っていたのだろう。光も射さないこの密室で……。
天井の穴の向こうから、朗々とセリアナスの口上は続いた。
「僕にはね、アルトさん。魔狼が好むという幼き魂が必要でした。だから魔属の村に入りこんで魔力を持つ子供を探した。そして都合よく魔属の少女を見つけることができました。しかし少女だけでは儀式が成功しなかった。なぜか分からず僕はロワア神父を訪ねました。彼は僕にこう言いましたよ。命を冒涜することを聖女は認めていないって」
「……黙れ」
アルトは両脚を跳ねさせた。跳躍ひとつで屋上に戻ると、セリアナスは陣に戻り月を仰いでいた。その横顔はまるで、そこに聖女の姿を見ているようだった。
「ロワア神父は自然派の教義を履き違えているのです。命を糧として命はある。それすなわち命あっての命なのです。魔狼を召喚するために贄を捧ぐのは自然の摂理ではありませんか? まあそのことはもういいでしょう……少女を贄とした数日後に僕は気づきました。少年が必要だったのです。なぜならこの子たちは双子の兄妹だった。だから魂が足りていなかった。双子とはひとつの魂が分けられた存在だったのです。だから少女は不完全にしか魔狼を召喚できなかった……出来損ないの魂だった」
森で出会ったあの不完全な人狼の姿は、不完全な魂による産物だった。
だがセリアナスの言う魂の理論が間違っていたとしたら、言い替えればそれは、下手な儀式が少女を怪物へと変えただけだ。ひとりの男の暴走が、簡単に命を奪っただけのことでしかない。
「黙れ……!」
「少女が少年を取りこめばうまくいく。だけどあなたがたに邪魔をされてしまった。しかもあなたがたが村に居座ってしまった。うまく立ちまわる必要があった。しかし上等な策は思いつきませんでした。成功したのはあなたたちを欺くことだけ……しかもただの一度きりです。ロワア神父になりきり、でも彼を殺し損なってしまっていたことには焦りました。まあですが、その一度でも僕を信用させることができたお陰で儀式が成功した。ですからこれでロワア神父は満足できるはずですよ」
「黙れってのが聞こえねえのか。ロワア神父がどんな想いで生きてきたと思ってやがる。後悔と懺悔、それを死ぬまで繰り返して来たんだ。それでもそのなかに自分を認めてくれる奴らがいた。ロワア神父にとっては本当に些細だが、自分の命を託してもいいほどの存在だった。針の穴ぐらいの幸福が、それだけが生き甲斐だったんだよ! 苦しむだけの人生を送るのが自然派の教義か。それがてめえらの聖女の導きか? 笑わせんな。てめえの私利私欲のためにロワア神父を、そのために聖女を利用してるだけだろうが」
「私利私欲……そうですね。否定はしませんよ。人が食事をするのとなんら違いはありません。人は私利私欲のために命を糧にしているのですからね。僕のしたことは全然違うことだと真っ向から否定しますか? 現状で例えるならば利とは生きること、欲とは食欲です。私とは聖女がひとに与えた利己的な判断基準です。私利私欲の言葉は人間の本質なのです」
「説教はいらねえよ。てめえは赦されねえことをした。ただ懸命に生きている者の命を簡単に奪ったんだ!」
アルトは魔力を解放した。人狼に向かっていった魔属たちのように、魔力が黒いモヤとなって可視化され、発せられる。
「赦さねえぞ……死に際にありがとうだと? 死が感謝される世界なんざあたしが赦さねえ!」
「いいえ、厳密に言えば死はありえないのです。命は巡る。だってほら、子供たちの命がこの崇高なる肉体を造りあげたではないですか。聖女の御言葉は正しいのです!」
セリアナスの高速の接近を、アルトは待ち構えていた。振りおろされた左の爪――その開かれた手の中心に全力で拳を振りあげる! ゴグッ……と鈍い音が響いた。
「ぐあっ……が……!」
どちらとともなく悲鳴をあげる。セリアナスは痛みに耐えきれずにたたらを踏んだ。アルトは砕かれた拳の激痛を無視して左拳をセリアナスの顔面に放つ。同時に魔術を、
「爪を喰み現出せ!」
左の五指の爪が砕かれ、魔術の斬撃が飛んだ。セリアナスは回避に移るが斬撃のほうが速い。
「ぐあ……があああっ!」
右目をえぐられたセリアナスが絶叫した。アルトはだが、残された左目が眼光を鋭くしたのを見逃がさなかった。すかさず囁く。
「祈誓に応えろ。此の弱き手に戴く……」
セリアナスが両掌を突き出す。その前方の空間に黒い魔力が充足していく。法術の光と魔術の闇が空間を二分した。
「無駄です! これは法術の防御など容易く貫きます……魔狼の力、その身に刻みなさい!」
(最強じゃねえ、てめえは弱い!)
アルトは回避しなかった。黒い稲妻の奔流に向かって跳ぶ。持ちうる全魔力の肉体強化はアルトに超速とも言うべき速攻を可能にさせた。強靭な脚力が屋上の板を破壊する。
「其の威武は破邪となりて!」
爪を失い、骨が砕けたボロボロの右拳がセリアナスの両掌を打つと、力天詞の衝撃が魔術ごとセリアナスを吹き飛ばす。体勢を崩したセリアナスの手から、魔狼の技が弾けて消えた。アルトは跳躍し、セリアナスの眉間に左拳を叩きこむ。流血が弧を描く。生爪が剥がれているからか、潰してやった眼窩からのものかは判別できない。
セリアナスが危機を脱するためか高速で後ろに跳んだ。
追うこともできた。だがアルトは追撃に移らずに俸唱する。
「祈誓に応えろ」
周囲に浮かんだふたつの光球は、夜の闇を押しのけるように停滞した。セリアナスがふらつきながら体勢を直す。
「くそっ……なぜだ! なぜ僕を圧倒する! たかが神官がなぜっ!」
セリアナスは右目を抑え、悪態をついた。骨が砕かれた左手を震わせながら、力なく前方に出す。その手に膨大な魔力が収束されていく。
「魔狼の術は現世においても右に出るものはないんだ。最も強く、脅威となる極の魔術のはずなんだ。なのになぜあなたにこの最強といえる身体が通用しないんだっ! なぜ人間の技が僕を傷つけられるっ!」
「やれよ。撃て。此の弱き手に戴く其の恩恵は――」
「魔狼の放つ凶爪に、法術の防御など意味がないんだぁっ!」
「護盾となりて!」
セリアナスの放った黒き稲妻。そのようにも見える幾本もの魔狼の爪痕が、アルトのガラス板に似た大盾を撃った。
ギャギャギャギャギャ――! と耳障りな高音が鼓膜を痺れさせながら、弾かれて消えていく。
アルトが肩を強く揺さぶっても、メルティは焦点の合わない瞳をしたまま反応しない。茫然と自失が、メルティの正気を奪っていた。
(ヤバいぞ……くそっ!)
アルトは儀式の光景を見ていることしかできなかった。ふたつの命を取りこんだ黒い塊はぶよぶよとし、解放の時を待っていた。それを男が拾いあげるために、両手を伸ばしていく。
「これは魔狼の意思、その体現です。スウィードは――数十年まえロワア神父は希少録編纂にたずさわり、人狼に関与する古代魔術のなかでも秘術の存在を証明しようとして失敗した。魔狼の呪いにかかり、彼は人狼と化してしまった。魔狼の魔力に侵されてしまったのです。それは歴史のなかで繰り返されてきた悲劇であり 、人狼の起源となる出来事だったのです。だけど僕は違う。僕は魔属の亜種的な存在です。生来の魔力を持ち、だが見た目はソフィアの民と変わりない……あなたのようにね」
男は黒い塊を抱きあげながらこちらを見た。凶悪な目に幼い命を奪ったことによる罪悪の感情はなかった。
「これは本来は魔術の儀式です。魔力のないソフィア人が実行してはならない禁忌なのです。魔力に対抗しうるのは魔力のみ。同質の力でしか抗えない。あとは僕の魔力を、魔狼の意思と同調させるだけだ!」
「……勝手にしやがれ」
アルトはメルティから離れると男に近づいていった。男は恍惚の表情で魔力を黒い塊にこめる。おそらく魔術道具とさほど変わらない要領だ。グエフのペンダントのように。
魔力が注がれた黒い塊から黒々とした霧があふれだした。そして屋上に描かれた召喚の魔術方陣が発光を始める。その紋様は三重の円で暗黒の世界を、そして古代文字の羅列で魔狼を意味していた。
と、黒い霧が不気味な影に変じた。その影は巨大な魔狼を彷彿とさせ、しかし瞬時に消失したため判然としない。消失と同時、黒き稲妻が魔術の陣のなかを駆け巡り始めた。
「待っていた! この時を待ちわびたのですよ! 僕は力を得るのです! 魔属にこそ許された獣症化の秘術!」
感極まった男が歓喜の声をあげる。そして、極大の黒き稲妻が儀式の完了とともに穿たれた。近づくことができなくなり足を止めると、教会が激震する。
黒き稲妻が消失する――そしてそこにはバリバリと帯電する黒き人狼が立っていた。
「なるほどな……それが獣症化した魔術師の姿ってわけだ」
ロワア神父が人狼に変異した姿とそう変わらない見た目は、黒々とした毛並みをしている。だが決定的な違いがある。それは本能に支配されていない証明である、理性的な双眸が輝いていることだった。
「その通りです。僕は人間では到達しえない身体能力と魔力、さらには魔狼の術を得た最強の存在になった!」
「セリアナス……獣症魔術師たちの存在は口伝でしか残されてない。まさに伝説上の生物だ。だけどな、そんなもんのために命を貪るてめえは赦されねえ……!」
セリアナスとなった男は獣の顔で嘲笑した。構えた両手の爪が、雲の切れ間から覗く月光を反射して煌めく。
「誰が誰を赦さないと? 魔術の陣を描いていた僕のことを見かねて、伝書でそのことを教会本部に伝えようとしたロワア神父ですか? あれはしょうがなかった。最後の理性で邪魔をしようとするから処分するしかなかったのです。でも彼はあの高さから落下したにもかかわらず死に損なった。彼を助けようとしたメルティさんには悪いのですが、僕は村への移動中に彼を痛めつけましたよ。だってそうでしょう? 彼の後継者となるべく僕はここに来たのに、告発しようとするなんて酷いじゃありませんか。まあ人狼化してしまったので殺すことはできませんでしたがね……それとも僕を赦さないのは生け贄にしたこの子たちでしょうか?」
「てめえにはうんざりなんだよ!」
アルトは光球を喚んだ。同時に内在する魔力を向上させて、セリアナスへと走る。力天詞を詠い光球に触れる――が、セリアナスの速攻に反応できない。
(速い……!)
セリアナスの殴打による一撃は、アルトを鳩舎へ叩きつけた。バガァッ! と鳩舎を破壊し、さらには屋根を突き破る。全身が痛み、次にはバウンドしていた。パラパラと木片が降り積もるなか我に返ると、アルトは教会内の一室にいた。
うえを見ると自分が造った穴が空いている。そこから射す月明かりが室内を照らしていた。その部屋は屋上にあがる階段で遮られていた部屋だった。
(この部屋は……?)
なにもないガランとした部屋だ。床になにかの金属が打ちつけられていること以外には――
「ロワア神父……」
おそらく人狼化に伴う破壊衝動は定期的に起きていた。そのたびにこの部屋に籠り、ロワア神父は抵抗していたのだ。床にある鉄の拘束具には、おびただしい出血の痕跡があった。ロワア神父は戦っていたのだろう。光も射さないこの密室で……。
天井の穴の向こうから、朗々とセリアナスの口上は続いた。
「僕にはね、アルトさん。魔狼が好むという幼き魂が必要でした。だから魔属の村に入りこんで魔力を持つ子供を探した。そして都合よく魔属の少女を見つけることができました。しかし少女だけでは儀式が成功しなかった。なぜか分からず僕はロワア神父を訪ねました。彼は僕にこう言いましたよ。命を冒涜することを聖女は認めていないって」
「……黙れ」
アルトは両脚を跳ねさせた。跳躍ひとつで屋上に戻ると、セリアナスは陣に戻り月を仰いでいた。その横顔はまるで、そこに聖女の姿を見ているようだった。
「ロワア神父は自然派の教義を履き違えているのです。命を糧として命はある。それすなわち命あっての命なのです。魔狼を召喚するために贄を捧ぐのは自然の摂理ではありませんか? まあそのことはもういいでしょう……少女を贄とした数日後に僕は気づきました。少年が必要だったのです。なぜならこの子たちは双子の兄妹だった。だから魂が足りていなかった。双子とはひとつの魂が分けられた存在だったのです。だから少女は不完全にしか魔狼を召喚できなかった……出来損ないの魂だった」
森で出会ったあの不完全な人狼の姿は、不完全な魂による産物だった。
だがセリアナスの言う魂の理論が間違っていたとしたら、言い替えればそれは、下手な儀式が少女を怪物へと変えただけだ。ひとりの男の暴走が、簡単に命を奪っただけのことでしかない。
「黙れ……!」
「少女が少年を取りこめばうまくいく。だけどあなたがたに邪魔をされてしまった。しかもあなたがたが村に居座ってしまった。うまく立ちまわる必要があった。しかし上等な策は思いつきませんでした。成功したのはあなたたちを欺くことだけ……しかもただの一度きりです。ロワア神父になりきり、でも彼を殺し損なってしまっていたことには焦りました。まあですが、その一度でも僕を信用させることができたお陰で儀式が成功した。ですからこれでロワア神父は満足できるはずですよ」
「黙れってのが聞こえねえのか。ロワア神父がどんな想いで生きてきたと思ってやがる。後悔と懺悔、それを死ぬまで繰り返して来たんだ。それでもそのなかに自分を認めてくれる奴らがいた。ロワア神父にとっては本当に些細だが、自分の命を託してもいいほどの存在だった。針の穴ぐらいの幸福が、それだけが生き甲斐だったんだよ! 苦しむだけの人生を送るのが自然派の教義か。それがてめえらの聖女の導きか? 笑わせんな。てめえの私利私欲のためにロワア神父を、そのために聖女を利用してるだけだろうが」
「私利私欲……そうですね。否定はしませんよ。人が食事をするのとなんら違いはありません。人は私利私欲のために命を糧にしているのですからね。僕のしたことは全然違うことだと真っ向から否定しますか? 現状で例えるならば利とは生きること、欲とは食欲です。私とは聖女がひとに与えた利己的な判断基準です。私利私欲の言葉は人間の本質なのです」
「説教はいらねえよ。てめえは赦されねえことをした。ただ懸命に生きている者の命を簡単に奪ったんだ!」
アルトは魔力を解放した。人狼に向かっていった魔属たちのように、魔力が黒いモヤとなって可視化され、発せられる。
「赦さねえぞ……死に際にありがとうだと? 死が感謝される世界なんざあたしが赦さねえ!」
「いいえ、厳密に言えば死はありえないのです。命は巡る。だってほら、子供たちの命がこの崇高なる肉体を造りあげたではないですか。聖女の御言葉は正しいのです!」
セリアナスの高速の接近を、アルトは待ち構えていた。振りおろされた左の爪――その開かれた手の中心に全力で拳を振りあげる! ゴグッ……と鈍い音が響いた。
「ぐあっ……が……!」
どちらとともなく悲鳴をあげる。セリアナスは痛みに耐えきれずにたたらを踏んだ。アルトは砕かれた拳の激痛を無視して左拳をセリアナスの顔面に放つ。同時に魔術を、
「爪を喰み現出せ!」
左の五指の爪が砕かれ、魔術の斬撃が飛んだ。セリアナスは回避に移るが斬撃のほうが速い。
「ぐあ……があああっ!」
右目をえぐられたセリアナスが絶叫した。アルトはだが、残された左目が眼光を鋭くしたのを見逃がさなかった。すかさず囁く。
「祈誓に応えろ。此の弱き手に戴く……」
セリアナスが両掌を突き出す。その前方の空間に黒い魔力が充足していく。法術の光と魔術の闇が空間を二分した。
「無駄です! これは法術の防御など容易く貫きます……魔狼の力、その身に刻みなさい!」
(最強じゃねえ、てめえは弱い!)
アルトは回避しなかった。黒い稲妻の奔流に向かって跳ぶ。持ちうる全魔力の肉体強化はアルトに超速とも言うべき速攻を可能にさせた。強靭な脚力が屋上の板を破壊する。
「其の威武は破邪となりて!」
爪を失い、骨が砕けたボロボロの右拳がセリアナスの両掌を打つと、力天詞の衝撃が魔術ごとセリアナスを吹き飛ばす。体勢を崩したセリアナスの手から、魔狼の技が弾けて消えた。アルトは跳躍し、セリアナスの眉間に左拳を叩きこむ。流血が弧を描く。生爪が剥がれているからか、潰してやった眼窩からのものかは判別できない。
セリアナスが危機を脱するためか高速で後ろに跳んだ。
追うこともできた。だがアルトは追撃に移らずに俸唱する。
「祈誓に応えろ」
周囲に浮かんだふたつの光球は、夜の闇を押しのけるように停滞した。セリアナスがふらつきながら体勢を直す。
「くそっ……なぜだ! なぜ僕を圧倒する! たかが神官がなぜっ!」
セリアナスは右目を抑え、悪態をついた。骨が砕かれた左手を震わせながら、力なく前方に出す。その手に膨大な魔力が収束されていく。
「魔狼の術は現世においても右に出るものはないんだ。最も強く、脅威となる極の魔術のはずなんだ。なのになぜあなたにこの最強といえる身体が通用しないんだっ! なぜ人間の技が僕を傷つけられるっ!」
「やれよ。撃て。此の弱き手に戴く其の恩恵は――」
「魔狼の放つ凶爪に、法術の防御など意味がないんだぁっ!」
「護盾となりて!」
セリアナスの放った黒き稲妻。そのようにも見える幾本もの魔狼の爪痕が、アルトのガラス板に似た大盾を撃った。
ギャギャギャギャギャ――! と耳障りな高音が鼓膜を痺れさせながら、弾かれて消えていく。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
私を婚約破棄した国王が処刑されたら、新しい国王の妃になれですって? 喜んで…と言うとでも?
あんど もあ
ファンタジー
幼い頃から王子の婚約者だったアイリスは、他の女性を好きになった王子によって冤罪をかけられて、田舎で平民として生きる事に。
面倒な貴族社会から解放されて、田舎暮らしを満喫しているアイリス。
一方、貴族たちの信頼を失った王子は、国王に即位すると隣国に戦争を仕掛けて敗北。処刑される。
隣国は、アイリスを新しい国王の妃にと言い出すが、それには思惑があって…。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる