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一章「俺がやらなきゃ誰がやる!」
俺は日常的に戦う
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時間帯はだいたい晩飯時。まわりは田んぼ。そのまわりは深い森……つまりは田舎だ。収穫前の稲穂が重くなった頭を垂らしている。実りの秋というやつだろう。
「だからいま帰ってるんだよ! 遅い? あれだよ。アニキのカツカレーのカツが揚がってなかった!」
いま畦道で俺は、晩飯の弁当を待っているアニキと電話中。そして黒いゼリーで作ったような化け物と戦闘中でもある。
俺はTシャツにスウェット、スニーカーという部屋着のまんまで戦っている。敵の向こうには倒したままのチャリンコが見える。
敵は半魚人みたいな外見で、目は赤い。腕が伸びたり、変な毒液を吐いたり、変な臭いがするわでとにかく気持ちが悪い。
「忙しいから切るぞ? はい? 片手で電話してんだって」
俺は半魚人の高速の爪をしゃがんでかわす。奴は隙だらけになるが、俺は反撃に移れない。なぜなら俺の左腕はとっくにもがれていた。すなわちケータイで右手がふさがっている。弁当を持っていた左腕はそこらへんに転がっているだろう。
俺は畦道の土を蹴って後方に跳び、距離を離す。半魚人の動きはたいして早くはないが、なぜか攻撃の時にだけスピードがあがる。なので攻撃を見極めてしまえば、喰らう道理はない。それに気づいていれば左腕は残っていたはずだった。
「左手はふさがってんだって。はぁ? そうじゃねえよ! そんなんは夜中に部屋でこっそりやるわ! 外でやったら問題だろうが!」
遠くではカエルが元気に大合唱している。そのなかでのアニキのシモイ言葉がシュールだった。てか早く切れよ。
「とにかく切るぞ。急いで帰るから。つーか肉なんて食うなよナマグサ坊主!」
俺はアニキにいつもの文句を言ってやる。俺の家は代々が寺だか神社の家系で、アニキはじいちゃんの跡を継ぐことになっている。
まあ、それといまの俺の生活スタイルはまったく関係ない。とにかく俺は戦いに集中するためにアニキとの通話を終わらせた。
と、直後にガラケーに着信が入る。相手を確認する時間もなく、半魚人の伸びる腕をかわしながら出る。
「はい……って、オーコか? こっちはまだ終わってない。しょうがないだろ晩飯買いに行った帰りにおまえに……おい! もしもーし!」
こっちの状況が分かると、オーコはとっとと通話を終わらせた。アニキにしろオーコにしろ、まったく勝手な奴が多すぎる。 誰のために命張ってると思ってんだよ!
半魚人はノコギリのような歯を見せながら毒液を吐き出した。毒液はシャボン玉に似た見た目だが、不規則な動きなうえに豪速球みたいに早い。それが三つ飛んでくる。俺はガラケーをポケットにしまった。
「待たせて悪かったな。左腕の借りはきっちり返すぜ?」
俺は毒液の動きを予測しながら横に跳び、ついでに右手の『サントノアザ』を額にかざした。黒い霧が右手と額から溢れ、周囲に飛散する。
「これでおまえは倒せる。俺が決めたからな。これがおまえに懺を課す!」
右手と額のサントノアザが共鳴し、甲高い音が田んぼを駆け巡った。次には、俺の右手に武器が握られている……いや、分からん。俺はこれをどうすればいいんだ。
俺の手には扇風機が握られていた。しかも卓上で使うような、USBケーブルでつなげるアレだった。決めゼリフが凄くむなしい。
いや確かに、季節は残暑の厳しい九月。派手に動き回って汗だくだし、田舎のくせに盆地だからフェーン現象やらなんやらあるから暑い。涼をとって頑張れってか?
そもそも半魚人を倒すのに卓上扇風機はないだろう。せめて家庭用のやつなら『毒液を跳ね返すのかな?』とか考えるが……卓上だもんなあ……。
左腕は二の腕から先がないため、とりあえずアゴでスイッチを入れてみる。
カチッ…………。
「だよなぁっ! 電源がねえもんなぁっ!」
俺は泣きそうな声で、半魚人の横からと上からの腕を転がってかわす。サントノアザの出す武器は最強だったが、使い方に難儀することも多い。なにに使うんだと思う物がけっこうある。
だが、これで半魚人型の『ニエモノ』が倒せるのは確実だった。
こういう時はよく見ることが大事だ。武器をよく観察し、使い方を見極める。俺は卓上扇風機をくまなく観察した。よし、暗い!
月明かりは弱々しく田んぼには街灯もない。なんとか目をこらして手がかりを得たいが、どこにでもある卓上扇風機にしか見えない。
だが、ケーブルの端子を見てわかった。これってマイクロUSBじゃないか。てことは俺のガラケーでも使える。俺のガラケーはスマホの充電器を使うタイプで、アニキが汎用性があるからと、このタイプにしたんだ。
俺は残った二の腕に卓上扇風機を挟み、ポケットからガラケーを取り出した。さっそくUSB端子を差そうとするが、左手が迷子になっているのでどうすりゃいいんだ!
俺は半魚人の攻撃を予測しながら、ガラケーを左の二の腕に挟み、卓上扇風機のUSB端子を右手で持った。つまりは持ち替えた。攻撃をかわす。
USB端子を差しこもうとするんだが、半魚人の動きを二度見、三度見やってるもんだからなかなか入らない。かわす。
そうなんだよ。なんか知んないけどこういう端子って横着するとなかなか入らないんだよ。かわす。
あーもうイライラしてきた! なんで入らない! いっそこのまま卓上扇風機で殴るか! それでいいかもう! かわす。
「ドーマくん……なにしてんの?」
俺がガチャガチャとやっていると、どこからか透き通った鈴の音のような声がした。次いで、ドゴシャアァァッ! というなんとも形容しがたい激突音が背後から聞こえた。もう一体のニエモノが空から叩き落とされたんだと思う。
「そっちはもう終わっちまったのか」
俺はやや上空を見上げながら、拗ねた子供のような声を出す。満月を背に、赤々と燃える夕陽のような髪をした少女が飛んでいる。オーコだった。
オーコは俺達の通う空海高校の制服を着ていたが、そのほとんど全身が返り血で染まっていた。オーコの腰まで届きそうな赤いロングヘアーが、体に巻きついているような錯覚さえ覚える。
「闘りながらタベタよ。ドーマくんが遅いからそうするしかなかった」
オーコは俺の前に着地すると、その赤い爪を横薙ぎにした。半魚人の腕が、あっさりとバラバラになって近くの稲穂に降りかかる。
俺はその姿に瞬間だけ見とれていた。ふわりと舞う赤髪から覗いた彼女の肢体は、官能的までとはいかないもののプロポーションがいい……いや、エロスではない。けしてこれは思春期男子が特有に爆発させるアレではない。けして。
「わたしが相手してるから、ドーマくんは狙って。クラッシャブルゾーン付近、右側の胸鎖関節あたりだから」
「いつもながら全然わからないんだが……」
オーコはニエモノ達の弱点がわかる。まあ、そういう能力だ。彼女が教えて、俺が狙う。だがいつも指摘する箇所が的確過ぎてわからない。だからいつも適当に狙ってなんとか倒している。
俺はオーコが作ってくれたチャンスを活かし、ついにUSB端子を差しこむことができた。オーコが半魚人の攻撃を捌く音がしている。俺は卓上扇風機のスイッチを入れた。
ブオォォォン……おし、動いた! しかしこれが武器になるとは……え? おい……ちょっと待ってくれ!
「おおおおおおぉぉぉっ!?」
俺は糸の切れた凧のように、畦道を空中疾走していた。格闘アニメで吹っ飛ばされたキャラクターを疑似体験しながら、オーコと半魚人を見送る。
「さすがはサントノアザだ! たいした威力だ! 俺はこれをどうすればいいんだごふっ!」
足が地面に引っかかったはずみで卓上扇風機の向きが変わり、俺は横っ飛びに田んぼへと疾走する。Gが凄いGがっ! そしてお百姓さんの涙の結晶が無惨にもっ!
ドバババババババババッ!
「くっ……そおおおぉあぁっ!」
俺は米が好きだ。今日の晩飯の弁当だって大盛りにプラスしてライスをつけてやったくらいだ。稲が不憫に撒き散らされていくのが我慢ならず、裂帛の気合いをこめて卓上扇風機を下に向ける。俺は空へと飛んだ。
要するにあれだ。宇宙空間で空気を噴き出して移動するあれの要領だ。気合いをこめた俺の手はガクガクと震えている! ていうか握力が限界だ!
卓上扇風機の風圧で空へと高く飛び、目標を視界に捉える。と言っても暗すぎるのでなんとなくしかわからない。
しかし横っ飛びよりも上の方向に飛ぶほうが安定するらしく、俺には少なからずの余裕が生まれていた。
そういやガラケーがよく抜けないなと、卓上扇風機のケーブルを追ってガラケーを見る。やばいことになっていた。赤ランプが点灯してやがる。バッテリーが切れたらこれも使えないんだろうなきっと。
俺は卓上扇風機の向きを変え、目標へと向かった。と、体への圧力が増したように感じる。自由落下を凌駕するスピードだからだろうか。想像以上に早く、目標へと接近していく。
オーコと半魚人がはっきりと見えるくらいに近づく……いや! このスピードやばくないか! 急勾配の下り坂をチャリンコで爆走するより早――!
「おぉぉぉらあぁぁあっ!」
半魚人にぶつかるまったくの直前、俺は卓上扇風機を奴に向けた。ぶつかったらどうなるか分からないスピードなうえに、半魚人が毒液を吐こうとしていたからだった。毒液は吐かれたと同時に半魚人に当たる。くそ、効果はなしか。
「……ドーマくん! 早くしないとわたしが限界だよ!」
オーコは五体満足のくせにそんなことを言った。まあ、理由はすぐにわかる。
それよりもおかしいぞ? 俺はいま卓上扇風機を半魚人のほうに、正面に向けてるのに、その場でホバリングするみたいになっている。てっきりまた後ろ向きに飛ぶのかと思ったんだが……まさか電力が限界か?
「んな!?」
いきなり、ぐん! と引っ張られて変な声が出る。これは予想でしかないが、卓上扇風機の羽根の向きが逆になったんだろう。攻撃モードってやつか! 息がしづらいって言うか、息ができないんだがっ!
バラエティー番組で送風機を顔に当てられた出演者が変な顔になる。俺もちょうどそんな風になっている。オーコが見てるのにかぁ……いや、もはやなにも言うまい。
本当にまったくの勘で、俺は半魚人のクラッシャブルゾーン付近右側の胸鎖関節っぽいあたりに卓上扇風機を向けたんだと思う。視界が涙であふれているせいで、まったく見えないんだよ。
ギャギャギャギャギャッ! 手に衝撃が伝わってくる。それに加えてヌメヌメした生暖かいドロッドロッの……ビシャアァァァッ!
「うっ……ぷっ! ぐぬぬぬぬっ!」
ぎゃあ! やめてくれぇ! 三流ホラー映画のように半魚人の残骸が全身に降りかかる。顔やら体やらが半魚人に侵されていくみたいだ。息ができないどころじゃない、もうなにもしたくない。いっそ終わりたい……。
と、俺はいきなり畦道に叩きつけられた。卓上扇風機の効果が消えてしまったからだった。腹から落ちてとてつもなく痛い。
顔にまんべんなくまとわりついた、気持ち悪いドロドロを手で拭い取って見上げると、半魚人がごぐんっ……と揺れる光景が目に入る。次に起こったのは闇の球体が半魚人を包むよくわからん現象だ。細かい説明は省くが、奴の『イコン』が解放された証だった。そして半魚人は時間が止まったように動かなくなる。
「ドーマくんお疲れさま」
「毎度のことながらよく倒せるなと思う……」
俺は寝たままの姿勢で、げんなりしながら卓上扇風機を放った。卓上扇風機は空中で溶けるように消えてなくなり、カラカラとガラケーが落ちてくる。ドロッドロッの液体にまみれたそれを拾う気力はなかった。ていうかもう使いたくない。
片腕でなんとか体を起こして地面に座る。オーコが走り寄ってきて、俺の左肩に手を置いた。彼女がなにかを言おうとする前に口を開く。
「能力での止血は覚えた」
「うん、すぐに治す」
オーコは残っている左腕を持ち上げると、髪を耳にかける仕種をした。それが妙に色っぽく見えた。オーコは傷口へと口唇を近づけていき、それが切断面に触れた。俺はゾクゾクして体を揺らす。動かないでと彼女に言われ、今度は心臓が高鳴った。
いやらしい意味じゃないぜ? くすぐったかったんだよ。変な想像はしてない。俺はしてない。よし! してない!
俺は寺だか神社だかの末裔らしく精神力を高め、なんとか男子特有のあの現象を静めた。間一髪で危なかったが。
オーコが離れていくと、切断面から赤黒い体液のようなものが流れ始めた。あまり見たくはないが観察していると、二の腕のほうから少しずつ肌色が出てくる。それが完全な腕になるまでは十数秒程度だ。
「早くやっちまえよ。俺はもう大丈夫だから」
「うん。ありがとう」
オーコは闇の球体に包まれて停止しているニエモノへと近づいて、イコンの解放された部位へ赤い爪を突き立てた。ザシュッといういやに耳障りな音がして、オーコがそこからなにかを取り出した。
なんて表現すればいいのか……黒々とした野球ボールのようなものが、ドクンドクンと脈動している異様な物体がオーコの手のなかにあった。それの内側ではホタルに似た発光が起きている。光は脈動に合わせて明滅を繰り返していた。
オーコは水をすくって飲むような仕種で、その物体を口元へと運んだ。皮をかじる。出てきたのは黒い霞みのような、なにか、だ。オーコは黒い物体を高く挙げ、霞みが滴り落ちてくる場所で口を大きく開いた。
ごくっ……ごくっ……と、喉を鳴らしながら霞みを飲みこんでいく。オーコの瞳は恍惚を浮かべ、さも美味しそうに喉へと流しこんでいく。
ぼんやりとした月明かりのもと、その姿は異様だった。どこからか聞こえてくるカエル達の合唱も、この不気味な光景の一役を買っている。夏の怪談にでも出てきそうな数瞬を、俺は見つめていた。
恐ろしくはない。不快でもない。俺がなにを思うか……? 俺は美しいと思ってる。オーコという少女が恍惚のなかで、甘露を味わっている。それは筆舌に尽くしがたいほど妖艶で、俺にはオーコが女神のように美しく見えるんだ。
惚れた弱みってやつか。俺が命をかけて戦う理由の一つがこれだ。俺はこれが見たい。これは俺にとっての勝利の美酒……心にも体にも、魂にすら沁み渡るんだよ……。
オーコが『儀式』という名の食事を終えた。ニエモノの周囲に広がっていた闇の球体が、ニエモノに収縮していき見えなくなる。オーコの食事とは、ある種の『浄化』を目的にしているからだ。
その証拠に半魚人を造形していた黒いゼリー……オーコの言う『昏土』も地面に沈んでいく。クラウドが大地に還った後には、依代にされていた人間が出てきた。見たところ二十代の、どこにでもいる人間には、俺とオーコの攻撃でズタズタにされた傷があった。腕はなく、右肩のあたりはなんだかわからないほどに損傷して、肋がメチャクチャに飛び出していた。
被害者であるその人が倒れる。まるで人形のように空っぽな表情で死んでいる。
「ドーマくん……大丈夫……大丈夫だから」
食事を終わらせたオーコは、俺の顔を見てそう言ってくれた。俺はいつも知らずに泣いているらしい。オーコは声も出さずに泣いている俺のもとへ走ってきた。オーコは……俺を優しく抱きしめる。そして暖かい春の風のような声で言う。
「クラウドは人を侵すんだよ。だから依代にされた時には死んでるんだ。痛みなんて感じないし、ニエモノから解放してあげたんだよ。ドーマくんがあの人の魂を助けてあげたんだから、あの人を楽土に導いたんだよドーマくんはね。だから泣かないで……ドーマくんのせいじゃないよ? 哀しみがなくなるまで、わたしがずっとここにいるから……」
オーコは俺の顔を覗きこんだ。愛らしい顔がすぐ間近になるが、下心なんて湧かない。
視界いっぱいに映るオーコの笑顔があった。それは戦いの時には絶対に見れない笑顔だ。学校でも評判のオーコの笑顔。それを俺はいま、独りじめにしている。
俺はただ、迷子の子供のように小さく頷きを返した。それでもオーコは離れない。俺の哀しみが晴れるまで、ずっと笑顔でいてくれるんだ……。
「だからいま帰ってるんだよ! 遅い? あれだよ。アニキのカツカレーのカツが揚がってなかった!」
いま畦道で俺は、晩飯の弁当を待っているアニキと電話中。そして黒いゼリーで作ったような化け物と戦闘中でもある。
俺はTシャツにスウェット、スニーカーという部屋着のまんまで戦っている。敵の向こうには倒したままのチャリンコが見える。
敵は半魚人みたいな外見で、目は赤い。腕が伸びたり、変な毒液を吐いたり、変な臭いがするわでとにかく気持ちが悪い。
「忙しいから切るぞ? はい? 片手で電話してんだって」
俺は半魚人の高速の爪をしゃがんでかわす。奴は隙だらけになるが、俺は反撃に移れない。なぜなら俺の左腕はとっくにもがれていた。すなわちケータイで右手がふさがっている。弁当を持っていた左腕はそこらへんに転がっているだろう。
俺は畦道の土を蹴って後方に跳び、距離を離す。半魚人の動きはたいして早くはないが、なぜか攻撃の時にだけスピードがあがる。なので攻撃を見極めてしまえば、喰らう道理はない。それに気づいていれば左腕は残っていたはずだった。
「左手はふさがってんだって。はぁ? そうじゃねえよ! そんなんは夜中に部屋でこっそりやるわ! 外でやったら問題だろうが!」
遠くではカエルが元気に大合唱している。そのなかでのアニキのシモイ言葉がシュールだった。てか早く切れよ。
「とにかく切るぞ。急いで帰るから。つーか肉なんて食うなよナマグサ坊主!」
俺はアニキにいつもの文句を言ってやる。俺の家は代々が寺だか神社の家系で、アニキはじいちゃんの跡を継ぐことになっている。
まあ、それといまの俺の生活スタイルはまったく関係ない。とにかく俺は戦いに集中するためにアニキとの通話を終わらせた。
と、直後にガラケーに着信が入る。相手を確認する時間もなく、半魚人の伸びる腕をかわしながら出る。
「はい……って、オーコか? こっちはまだ終わってない。しょうがないだろ晩飯買いに行った帰りにおまえに……おい! もしもーし!」
こっちの状況が分かると、オーコはとっとと通話を終わらせた。アニキにしろオーコにしろ、まったく勝手な奴が多すぎる。 誰のために命張ってると思ってんだよ!
半魚人はノコギリのような歯を見せながら毒液を吐き出した。毒液はシャボン玉に似た見た目だが、不規則な動きなうえに豪速球みたいに早い。それが三つ飛んでくる。俺はガラケーをポケットにしまった。
「待たせて悪かったな。左腕の借りはきっちり返すぜ?」
俺は毒液の動きを予測しながら横に跳び、ついでに右手の『サントノアザ』を額にかざした。黒い霧が右手と額から溢れ、周囲に飛散する。
「これでおまえは倒せる。俺が決めたからな。これがおまえに懺を課す!」
右手と額のサントノアザが共鳴し、甲高い音が田んぼを駆け巡った。次には、俺の右手に武器が握られている……いや、分からん。俺はこれをどうすればいいんだ。
俺の手には扇風機が握られていた。しかも卓上で使うような、USBケーブルでつなげるアレだった。決めゼリフが凄くむなしい。
いや確かに、季節は残暑の厳しい九月。派手に動き回って汗だくだし、田舎のくせに盆地だからフェーン現象やらなんやらあるから暑い。涼をとって頑張れってか?
そもそも半魚人を倒すのに卓上扇風機はないだろう。せめて家庭用のやつなら『毒液を跳ね返すのかな?』とか考えるが……卓上だもんなあ……。
左腕は二の腕から先がないため、とりあえずアゴでスイッチを入れてみる。
カチッ…………。
「だよなぁっ! 電源がねえもんなぁっ!」
俺は泣きそうな声で、半魚人の横からと上からの腕を転がってかわす。サントノアザの出す武器は最強だったが、使い方に難儀することも多い。なにに使うんだと思う物がけっこうある。
だが、これで半魚人型の『ニエモノ』が倒せるのは確実だった。
こういう時はよく見ることが大事だ。武器をよく観察し、使い方を見極める。俺は卓上扇風機をくまなく観察した。よし、暗い!
月明かりは弱々しく田んぼには街灯もない。なんとか目をこらして手がかりを得たいが、どこにでもある卓上扇風機にしか見えない。
だが、ケーブルの端子を見てわかった。これってマイクロUSBじゃないか。てことは俺のガラケーでも使える。俺のガラケーはスマホの充電器を使うタイプで、アニキが汎用性があるからと、このタイプにしたんだ。
俺は残った二の腕に卓上扇風機を挟み、ポケットからガラケーを取り出した。さっそくUSB端子を差そうとするが、左手が迷子になっているのでどうすりゃいいんだ!
俺は半魚人の攻撃を予測しながら、ガラケーを左の二の腕に挟み、卓上扇風機のUSB端子を右手で持った。つまりは持ち替えた。攻撃をかわす。
USB端子を差しこもうとするんだが、半魚人の動きを二度見、三度見やってるもんだからなかなか入らない。かわす。
そうなんだよ。なんか知んないけどこういう端子って横着するとなかなか入らないんだよ。かわす。
あーもうイライラしてきた! なんで入らない! いっそこのまま卓上扇風機で殴るか! それでいいかもう! かわす。
「ドーマくん……なにしてんの?」
俺がガチャガチャとやっていると、どこからか透き通った鈴の音のような声がした。次いで、ドゴシャアァァッ! というなんとも形容しがたい激突音が背後から聞こえた。もう一体のニエモノが空から叩き落とされたんだと思う。
「そっちはもう終わっちまったのか」
俺はやや上空を見上げながら、拗ねた子供のような声を出す。満月を背に、赤々と燃える夕陽のような髪をした少女が飛んでいる。オーコだった。
オーコは俺達の通う空海高校の制服を着ていたが、そのほとんど全身が返り血で染まっていた。オーコの腰まで届きそうな赤いロングヘアーが、体に巻きついているような錯覚さえ覚える。
「闘りながらタベタよ。ドーマくんが遅いからそうするしかなかった」
オーコは俺の前に着地すると、その赤い爪を横薙ぎにした。半魚人の腕が、あっさりとバラバラになって近くの稲穂に降りかかる。
俺はその姿に瞬間だけ見とれていた。ふわりと舞う赤髪から覗いた彼女の肢体は、官能的までとはいかないもののプロポーションがいい……いや、エロスではない。けしてこれは思春期男子が特有に爆発させるアレではない。けして。
「わたしが相手してるから、ドーマくんは狙って。クラッシャブルゾーン付近、右側の胸鎖関節あたりだから」
「いつもながら全然わからないんだが……」
オーコはニエモノ達の弱点がわかる。まあ、そういう能力だ。彼女が教えて、俺が狙う。だがいつも指摘する箇所が的確過ぎてわからない。だからいつも適当に狙ってなんとか倒している。
俺はオーコが作ってくれたチャンスを活かし、ついにUSB端子を差しこむことができた。オーコが半魚人の攻撃を捌く音がしている。俺は卓上扇風機のスイッチを入れた。
ブオォォォン……おし、動いた! しかしこれが武器になるとは……え? おい……ちょっと待ってくれ!
「おおおおおおぉぉぉっ!?」
俺は糸の切れた凧のように、畦道を空中疾走していた。格闘アニメで吹っ飛ばされたキャラクターを疑似体験しながら、オーコと半魚人を見送る。
「さすがはサントノアザだ! たいした威力だ! 俺はこれをどうすればいいんだごふっ!」
足が地面に引っかかったはずみで卓上扇風機の向きが変わり、俺は横っ飛びに田んぼへと疾走する。Gが凄いGがっ! そしてお百姓さんの涙の結晶が無惨にもっ!
ドバババババババババッ!
「くっ……そおおおぉあぁっ!」
俺は米が好きだ。今日の晩飯の弁当だって大盛りにプラスしてライスをつけてやったくらいだ。稲が不憫に撒き散らされていくのが我慢ならず、裂帛の気合いをこめて卓上扇風機を下に向ける。俺は空へと飛んだ。
要するにあれだ。宇宙空間で空気を噴き出して移動するあれの要領だ。気合いをこめた俺の手はガクガクと震えている! ていうか握力が限界だ!
卓上扇風機の風圧で空へと高く飛び、目標を視界に捉える。と言っても暗すぎるのでなんとなくしかわからない。
しかし横っ飛びよりも上の方向に飛ぶほうが安定するらしく、俺には少なからずの余裕が生まれていた。
そういやガラケーがよく抜けないなと、卓上扇風機のケーブルを追ってガラケーを見る。やばいことになっていた。赤ランプが点灯してやがる。バッテリーが切れたらこれも使えないんだろうなきっと。
俺は卓上扇風機の向きを変え、目標へと向かった。と、体への圧力が増したように感じる。自由落下を凌駕するスピードだからだろうか。想像以上に早く、目標へと接近していく。
オーコと半魚人がはっきりと見えるくらいに近づく……いや! このスピードやばくないか! 急勾配の下り坂をチャリンコで爆走するより早――!
「おぉぉぉらあぁぁあっ!」
半魚人にぶつかるまったくの直前、俺は卓上扇風機を奴に向けた。ぶつかったらどうなるか分からないスピードなうえに、半魚人が毒液を吐こうとしていたからだった。毒液は吐かれたと同時に半魚人に当たる。くそ、効果はなしか。
「……ドーマくん! 早くしないとわたしが限界だよ!」
オーコは五体満足のくせにそんなことを言った。まあ、理由はすぐにわかる。
それよりもおかしいぞ? 俺はいま卓上扇風機を半魚人のほうに、正面に向けてるのに、その場でホバリングするみたいになっている。てっきりまた後ろ向きに飛ぶのかと思ったんだが……まさか電力が限界か?
「んな!?」
いきなり、ぐん! と引っ張られて変な声が出る。これは予想でしかないが、卓上扇風機の羽根の向きが逆になったんだろう。攻撃モードってやつか! 息がしづらいって言うか、息ができないんだがっ!
バラエティー番組で送風機を顔に当てられた出演者が変な顔になる。俺もちょうどそんな風になっている。オーコが見てるのにかぁ……いや、もはやなにも言うまい。
本当にまったくの勘で、俺は半魚人のクラッシャブルゾーン付近右側の胸鎖関節っぽいあたりに卓上扇風機を向けたんだと思う。視界が涙であふれているせいで、まったく見えないんだよ。
ギャギャギャギャギャッ! 手に衝撃が伝わってくる。それに加えてヌメヌメした生暖かいドロッドロッの……ビシャアァァァッ!
「うっ……ぷっ! ぐぬぬぬぬっ!」
ぎゃあ! やめてくれぇ! 三流ホラー映画のように半魚人の残骸が全身に降りかかる。顔やら体やらが半魚人に侵されていくみたいだ。息ができないどころじゃない、もうなにもしたくない。いっそ終わりたい……。
と、俺はいきなり畦道に叩きつけられた。卓上扇風機の効果が消えてしまったからだった。腹から落ちてとてつもなく痛い。
顔にまんべんなくまとわりついた、気持ち悪いドロドロを手で拭い取って見上げると、半魚人がごぐんっ……と揺れる光景が目に入る。次に起こったのは闇の球体が半魚人を包むよくわからん現象だ。細かい説明は省くが、奴の『イコン』が解放された証だった。そして半魚人は時間が止まったように動かなくなる。
「ドーマくんお疲れさま」
「毎度のことながらよく倒せるなと思う……」
俺は寝たままの姿勢で、げんなりしながら卓上扇風機を放った。卓上扇風機は空中で溶けるように消えてなくなり、カラカラとガラケーが落ちてくる。ドロッドロッの液体にまみれたそれを拾う気力はなかった。ていうかもう使いたくない。
片腕でなんとか体を起こして地面に座る。オーコが走り寄ってきて、俺の左肩に手を置いた。彼女がなにかを言おうとする前に口を開く。
「能力での止血は覚えた」
「うん、すぐに治す」
オーコは残っている左腕を持ち上げると、髪を耳にかける仕種をした。それが妙に色っぽく見えた。オーコは傷口へと口唇を近づけていき、それが切断面に触れた。俺はゾクゾクして体を揺らす。動かないでと彼女に言われ、今度は心臓が高鳴った。
いやらしい意味じゃないぜ? くすぐったかったんだよ。変な想像はしてない。俺はしてない。よし! してない!
俺は寺だか神社だかの末裔らしく精神力を高め、なんとか男子特有のあの現象を静めた。間一髪で危なかったが。
オーコが離れていくと、切断面から赤黒い体液のようなものが流れ始めた。あまり見たくはないが観察していると、二の腕のほうから少しずつ肌色が出てくる。それが完全な腕になるまでは十数秒程度だ。
「早くやっちまえよ。俺はもう大丈夫だから」
「うん。ありがとう」
オーコは闇の球体に包まれて停止しているニエモノへと近づいて、イコンの解放された部位へ赤い爪を突き立てた。ザシュッといういやに耳障りな音がして、オーコがそこからなにかを取り出した。
なんて表現すればいいのか……黒々とした野球ボールのようなものが、ドクンドクンと脈動している異様な物体がオーコの手のなかにあった。それの内側ではホタルに似た発光が起きている。光は脈動に合わせて明滅を繰り返していた。
オーコは水をすくって飲むような仕種で、その物体を口元へと運んだ。皮をかじる。出てきたのは黒い霞みのような、なにか、だ。オーコは黒い物体を高く挙げ、霞みが滴り落ちてくる場所で口を大きく開いた。
ごくっ……ごくっ……と、喉を鳴らしながら霞みを飲みこんでいく。オーコの瞳は恍惚を浮かべ、さも美味しそうに喉へと流しこんでいく。
ぼんやりとした月明かりのもと、その姿は異様だった。どこからか聞こえてくるカエル達の合唱も、この不気味な光景の一役を買っている。夏の怪談にでも出てきそうな数瞬を、俺は見つめていた。
恐ろしくはない。不快でもない。俺がなにを思うか……? 俺は美しいと思ってる。オーコという少女が恍惚のなかで、甘露を味わっている。それは筆舌に尽くしがたいほど妖艶で、俺にはオーコが女神のように美しく見えるんだ。
惚れた弱みってやつか。俺が命をかけて戦う理由の一つがこれだ。俺はこれが見たい。これは俺にとっての勝利の美酒……心にも体にも、魂にすら沁み渡るんだよ……。
オーコが『儀式』という名の食事を終えた。ニエモノの周囲に広がっていた闇の球体が、ニエモノに収縮していき見えなくなる。オーコの食事とは、ある種の『浄化』を目的にしているからだ。
その証拠に半魚人を造形していた黒いゼリー……オーコの言う『昏土』も地面に沈んでいく。クラウドが大地に還った後には、依代にされていた人間が出てきた。見たところ二十代の、どこにでもいる人間には、俺とオーコの攻撃でズタズタにされた傷があった。腕はなく、右肩のあたりはなんだかわからないほどに損傷して、肋がメチャクチャに飛び出していた。
被害者であるその人が倒れる。まるで人形のように空っぽな表情で死んでいる。
「ドーマくん……大丈夫……大丈夫だから」
食事を終わらせたオーコは、俺の顔を見てそう言ってくれた。俺はいつも知らずに泣いているらしい。オーコは声も出さずに泣いている俺のもとへ走ってきた。オーコは……俺を優しく抱きしめる。そして暖かい春の風のような声で言う。
「クラウドは人を侵すんだよ。だから依代にされた時には死んでるんだ。痛みなんて感じないし、ニエモノから解放してあげたんだよ。ドーマくんがあの人の魂を助けてあげたんだから、あの人を楽土に導いたんだよドーマくんはね。だから泣かないで……ドーマくんのせいじゃないよ? 哀しみがなくなるまで、わたしがずっとここにいるから……」
オーコは俺の顔を覗きこんだ。愛らしい顔がすぐ間近になるが、下心なんて湧かない。
視界いっぱいに映るオーコの笑顔があった。それは戦いの時には絶対に見れない笑顔だ。学校でも評判のオーコの笑顔。それを俺はいま、独りじめにしている。
俺はただ、迷子の子供のように小さく頷きを返した。それでもオーコは離れない。俺の哀しみが晴れるまで、ずっと笑顔でいてくれるんだ……。
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