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第4品「俺であって俺でない? ま、なんでもいっす」
潜入ミッションは失敗……ソヨギはどこにでも現れる
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「斬るよ。いま怒ってるよ?」
「は……はあ……うぐ……こ……このわたくしが恐怖を……?」
フィアは聖剣を片手に提げながら歩く。
翅王はただガクガクと震えていた。
「そんなに怖いのかよ。言っとくけど、わたしは勇者のなかで一番アニミス少ないよ?」
アニミスの絶対量で言えばシーフのほうが遥かにうえである。だがシーフは戦闘利用を苦手としているので、フィアのほうが強い。ただの殺し合いだった場合の話だが。
「か……う……なぜ勇者がここに……?」
翅王は震えながら徐々に後退していった。余裕の笑みは消えてガチガチと歯を鳴らしている。
「悪い奴をやっつけるためだよ。おまえは悪い奴だよ?」
「悪い……いいえ、わたくしは悪くない! すべてガデニデグさまの謀略ですわ!」
「……命乞いは見苦しいんだよ」
フィアが進み、翅王は退く。いつのまにかシンディラの倒れた位置まで来ていた。
フィアは翅王を無視し、膝をついて屈みこんだ。シンディラの状態を把握したい。
シンディラはあまりよい状態とは言えなかった。気絶しているところを見ると、なにかしらの力で眠らされているのかもしれない。床の水や雨に濡れているのも最悪だ。コンビニであらかたシンディラのことは聞いていたのだ。水属性が直接シンディラを殺すことはないものの、こうしていては一生目覚めない。
(水分を吸収し続けるから……とにかく乾かさないと。それと眠っちゃった理由も聞きださなきゃ!)
「ねえ、なんでシンディラは眠ってるんだよ?」
「わ……わたくしのフラストレィションギルティによって……ですわ」
「解除はできるのかよ?」
「不可能ですわ! わたくしの技は挫折や失望を抱えている精神をコントロールするのですから! わたくしは灰の女神に眠れと言いましたわ。そして灰の女神は眠った……それはつまり彼女自身に挫折や失望が存在するということ――」
「そんなことは聞いてないんだよ!!」
「ひいぃ……!」
フィアが聖剣を横に振る。水しぶきをくらいながら、翅王は手で顔をかばいつつ後退した。無様ではあるが、笑う気にはなれない。
「方法はあるはずだよ! 目覚めないなら利用することなんてできないじゃないかよ!」
「ほ……方法があるとすれば――」
「早く言いなよ!」
「こ……これから言いますわよ! わたくしの技に必要なのは精神ですわ。それもまっとうな精神がです。つまりアニミスが害悪になっているのですわよ。神性が牙を剥くのですわ……」
「……タチが悪いよ」
フィアの我慢を超えた我慢も、限界に達しようとしていた。心の深層でざわめく怒り。
「だから! アニミスをなくしてしまえばよいのですわ。そうすればまっとうな精神ではなくなる……つまり魔性転換をすれば……」
「女神になれたシンディラを、また妖女にしろってのかよ」
「一度だけすればよいのですわ。わたくしの技を解除したら、今度は神性転換すればよいのです……それが唯一の方法なのですわ」
「そうかよ……」
(ソヨギさま……ソヨギさまがいればできる!)
フィアは聖剣を鞘に納めた。もう聞きたいことはない。シンディラを元に戻せるのならそれでいいのだ。そんな現金なところはまだまだ子供である。
とりあえず別のフロアに移動しなければならない。なにやらシンディラの周囲の水が濁っているのだ。もしかしたらシンディラの体にあるなにかが、水に溶けだしてしまっているのかもしれない。それがシンディラに有害だったら困る。
(……おっもい!)
フィアはシンディラを抱きあげようとしたが、ちょっとだけしか持ちあがらなかった。
水を吸っているせいである。シンディラの体格から考えても、全身に水が行き渡っていれば十キロ以上にはなるはずだ。フィアは腕力強化などの術は知らない。戦士がいれば――
――と、降り続いていた雨がやんだ。円盤型の装置からポタポタと残留した水が垂れている。少し待てばわたしにも持てるかもしれないよ。
「た……確かに伝えましたわよ?」
「消えていいよ。次に会ったときは殺すよ」
「し、承知いたしましたわ……」
フィアはもう翅王のことはどうでもよかった。シンディラに目覚めてほしいだけなのだ。蝕まれている種族にも優しいシンディラに目覚めてほしいだけなのだ。
フィアはデニムのスカートのポケットからハンカチを取りだした。これもシーフとおそろいである。なんとか脱水をさせなくてはならない。火を焚ければいいのだが、人間がどこかに捕まっている以上は危険なことはできない。
しかしハンカチはずぶ濡れで使い物にならなかった。儡王に蹴り飛ばされて床に倒れたし、ずっと雨に濡れていたせいだ。ほかの方法を探さなくちゃいけない。
フィアはなにかないかとキョロキョロと探す。あのアイテム倉庫に行けば使えるものがあるかも! フィアは立ちあがってトイ○らスに向かった。
……いや、向かおうとして足を止める。いつのまにかフィアの周囲にはキラキラと輝く粒が浮いていた。それは一メートルの範囲を完全に埋めつくしており、まるで濃霧のようだった。
「敵から意識を反らすのはよくありませんわよ。勇者フィア」
「これがフラなんとかギルティかよ?」
翅王の姿は濃霧にさえぎられていて見えない。声だけが聞こえてくる。
「そうですわ! このわたくしの美しい燐粉を少しでも吸いこめば、あなたはたちどころにわたくしの思いのまま!」
「天使の――」
フィアは聖剣を抜いた。使うつもりのなかった神技を放つために。
「叢樹!」
聖剣を上段から振りおろす。剣風で濃霧のような燐粉がゆらめき――なにも起きない。翅王の嘲笑が聞こえた。
「ほーほっほっほ! なにをするのかと思えばただ剣を振るだけ! そんなものでわたくしのフラストレィションギルティは破れませんわ!」
「ガデニデグはさ、くだらない怪物を造っただけだと思うよ。わたしの神技はさ……」
ボギャアッ! と、固いものが圧縮、もしくは拡張されたような怪音が燐粉の向こうから聞こえた。
次には爆風が起こる。物体が通りすぎれば風が起こるが、爆風の原因はそれが急激な成長をとげたせいだった。いきなりでかくなったせいで空気が押されたのだ。
フィアは息をとめて、シンディラに覆い被さりながら爆風が去るのを待つ。爆風はフラストレィションギルティすらもどこかに吹っ飛ばした。
……爆風が去ると濃霧もなくなっていた。しかし目のまえには大きな変化があった。フィアは顔をあげた。
「わたしの神技は速すぎて見えないんだよ」
そこには天井や床を突き抜けて、一本の大木が存在していた。幹はかなり太く、八メートルくらいである。フィアの視界にはその樹皮ばかりが目立っているし、フロアを突き抜けてしまっているのでこの大木の正確な大きさ――樹高がどれほどかは分からないが、こちらの世界でならば御神木とか樹齢千年とか言われちゃうサイズだろう。
これがなんなのかと言えば、アンゲロステロスにより大木にされてしまった翅王である。この神技の効果は『内在魔力を強制的に神性化し、大樹アニミスに変換。強制浄化』するもので、かなりエグい。簡単に言えば魔力を肥やしにして、大木を寄生させるみたいなことである。
フィアの素振りはその樹賜を放つためのものだったのである。翅王は気づかなかったようだが、しっかり輝く種みたいなアルラアルヒが飛んでいくのがフィアには見えていた。神技使ってる側だからあたりまえだけど。
まあとにかく、地味なわりに魔族とかにとっては凶悪な神技だった。
「わたしはアニミス使っちゃったよ。あとは聖剣のアニミス頼みになっちゃったよ……」
フィアはこつんと、グーで自分の頭を叩いた。
全部ではないものの、敵地で無駄にアニミスを使ってしまった。アンゲロステロスは高威力の神技であり、消費量も凄いのだ。怒りで我を忘れてしまうのが、フィアの弱点だった。
そんなことよりもシンディラであるが、ビデガンならば運べるのではないだろうか。イギギの毒の効果が魔力によるものならば、アニミスを与えることで相殺できるかもしれない。豆腐も目を覚ましそうなわけだし……と言ってもあれか、豆腐は水で回復できるから目を覚ましそうなわけか。
となると、必要なのはやはり回復魔法や神技ということか。
「賢者くんがいればな……」
お互いが欠けているところをそれぞれが補う。それが勇者パーティーなのだ。
まあ、泣き言を言っていても始まらない。フィアは立ちあがると聖剣を鞘にしまった。覚醒状態の聖剣を納めるために、鞘もその形状を変化させているのだ。いま鞘は剣をひっかけるタイプに変わっている。フィアはカチャリと聖剣をはめるようにしまうと、豆腐の様子を確認しようと歩きだした。
戦闘を終えたフロアはメチャクチャである。なんでか樹は生えているし、アイテム倉庫の入り口では気味悪い人形がバラバラになっている。中央は燃え残ったなにかが置いてあるだけだ。あとはだいたい水浸しであり、フィアがあがってきてからほとんど一瞬で散々な光景になっていた。
フィアが黒い階段まえの植木鉢に向かうと、豆腐はいまだに眠っているようだった。
「豆腐の女神、目を覚ましてよ」
「ん~……そんな……絹ごしだなんて……むにゃ」
「いや、言ってないよ! シンディラを助けたいんだよ~」
……ダメか。なにか方法を見つけないといけない。とりあえず敵は一掃したものと思うことにして、ビデガンの様子を見に行ってみよう。
フィアは黒い階段をトテテッと駆けおりて、四階に足をついた。
そしてそこでフィアは、自分のした愚かさに気づいてギョッとした。黒い階段から足をおろした瞬間に、薄膜を通りすぎたような違和感を覚えたのである。ギョッとしてから見まわしてみれば、フロアの――というよりデッドプリズンの雰囲気がガラッと変わっていたのである。
「アニミスを持ったまま黒い階段を使ったから……!」
人間は護神と違い、アニミスを体外へと発し続けたりはしていない。アニミスのしまい方の違いみたいなものなのだが、護神は敵には感知されない微量のアニミスを発し続けている。それは神々の意思である『自然』、またはそれを司る『嘱神』たちとアニミスを介して密接につながっているためである。細部の説明は省くが、人間の場合は完全に内包という形でアニミスや魔力を持っている。
それは常に携帯を開いていないと気がすまない奴と、いらない時はしまっておく奴くらいの違いだったが、アニミス感知系の罠にはよろしくないことである。フィアのアニミスはかなり減少したものの、覚醒した聖剣は護神同様にアニミスを発していた。なぜならばフィアの聖剣は覚醒すると、アルラと密接につながってしまうのだ。アニミスによって――
(誤算じゃない! これは失態だ!)
フィアは泣きそうになるのをなんとか我慢して、さきほどモンスターたちが倒れまくっていたケーキの場所へと向かう。たどり着いてみれば、そこには変化どころではないことが起きていた。
配置された物はすべておなじだったが、生物の痕跡が排除されている。倒されたモンスターはどこにもいないし、人間やモンスターがいるような空気が流れていないのである。生気のないというよりかは、『作り物』のような世界である。
フィアはぎゅっと手を握りしめていた。どこかバカにしているようなケーキたちを眼光を尖らせて見つめる。自然と奥歯を噛む。
(分かっていたはずなのに! これじゃあもうみんなは寝たままじゃないか!)
フィアの内在アニミスはほとんど尽きかけていて、魔性変化をすることも難しい。いまそれをやれば、微量のアニミスを残すことができずに魔剣士から戻れなくなる。勇者に戻れなくなる。
焦った行動はせずにダークフサルクの解読を優先していれば、この裏世界から脱する方法も分かっていたはずだ。確かにタイミングを見れば仲間たちを助けるには絶好ではあったが、完全に助けられないのでは意味のない行動だった。
フィアの胸中には後悔だけがあふれていた。このデッドプリズンのトラップに似た現象はよく知っている。
(迷いの森効果……)
エリア、もしくはフィールドに効果を発揮する魔法である。もちろんダンジョンにも効果的であり、何度も苦労させられたものだ。
しかしシーフのマッピングの精確さや、賢者の知識、戦士の忍耐力、勇者のリーダーシップにより、困難は困難じゃなかった。でもいまは違う……わたしはひとりじゃなにもできないよ……。
(悔しい……悔しいよ!)
フィアはいつのまにか涙を流していた。仲間ひとり助けられないのになにが勇者か。破滅から世界を救う勇者のくせに、こんなありさまでは示しがつかないではないか。
世界にも仲間にも示しがつかないではないか。
「泣いてるひまなんか……ひぐ……ないんだよぉ~……」
どうにかしなくては。ダークフサルクのすべてではなくとも、いくつかの文字は分かっている。
『した』、『方向』、『触れる』。デッドプリズンはダークフサルクにより、なにかしらの意味が付与されている。フィアが黒い階段をおりたら違うデッドプリズンにはいっていた。つまり黒い階段を起点にしてこの『異動』が発動しているのだ。
それの発動条件はアニミス。魔力には反応せずにモンスターたちは難なく移動できる。アニミスがなければ反応しない。
(あ……! もしかして魔力を持っていればあちら側に戻れるとか)
その発想は逆説に近い。デッドプリズンが魔力に有利に働くとして、例えば護神とモンスターが手を繋ぎながら黒い階段を利用したらどうなるのだろう。両方ともこっちに来てしまうのか、それとも護神だけか――もしも両方だった場合、モンスターが戻れなくては魔力に有利な設定の意味がないのではないだろうか。アニミスは送り、魔力は受ける設定だったら……魔力があれば戻れるかもしれない。
(三階で爆発があったあと、ビデガンが出てきた……)
ビデガンはイギギと戦闘して負け、そのあとにイギギに連れられて空間を移動した。別空間の攻撃がつながっている……? どういう言いかたをすればいいのか分からないが、そういうことだろう。
(お皿は豆腐の女神が出てくるまえから落ちていた……)
皿を発見したあとにイギギに捕まっている豆腐を発見したのだ。アニミスで空間移動してしまうなら、豆腐もこの別世界にいたのだと思う。ダークフサルクにある言葉が『落下』を意味し、そのままの意味なら皿は落下したから世界を移動したのか……。
(それならジャンプしたら移動するってこと?)
ぐすん。鼻を鳴らしつつ目をごしごしする。発想は安直だが試すことはしなくては。向こうに戻るためのとっかかりを掴むのだ!
(アニミスがあれば移動してしまう。それはつまりそれ以上の条件を必要としないということだ)
この罠の仕掛けが単純だという証明だろう。罠は単純なほど目立たなくなるので、相手に気づかせないというメリットにもなる。とりあえずジャンプ! ぴょん。スタ……変化なし!
(いや……これでいいんだよきっと。お皿は空間を移動したはずだし、ビデガンの光撃があちら側に影響したんだから、なにかすれば戻れる)
五階にあがった瞬間に起きた爆発もそうだ。あれはきっとシンディラの技。
「五階に行ってみればなにか分かるかもよ?」
よし、とりあえず行動しよう。考えて分からないならヒントを探すほうがいい。
フィアは走って黒い階段へ行き、そのまま駆けあがった。五階につくとパシャッという感じで濡れた床を踏んでいた。しかし移動した感覚はない。さらに豆腐を寝かせていた植木鉢に豆腐はいなかった。フロアには炎上が起きた痕跡があった。しかしあれがない。
あのアンゲロステロスで大樹化した翅王の姿がなかった。さすがに見落とすサイズではない。フィアは大樹があるはずの場所に行く。すると、
「大穴が空いてるよ?」
大樹がそこに生えているかのような穴が空いていた。かなりでかく、まるで奈落そのものである。しかしなぜだかしたのフロアが見えず、暗黒が広がっていた。
フィアはそして、あらかたデッドプリズンの正体を見きわめ始めていた。
(物体はお互いの世界にも影響する。だから穴が空いたり焼けてたり、水に濡れたり爆発する。でも生命はお互いの世界に影響しない。だから大樹が存在してない。ケーキはあったのにモンスターはいなかったし、生命があっちにもこっちにも存在するならシンディラと翅王がいきなり現れるわけがない)
あっちで破壊した床に穴が空いているのが証拠だろう。デッドプリズン自体は別の空間にあっても同じものなのだ。なのでつまりは、ダークフサルクが示していたのは生命に関しての呪いなのだと思う。
そして皿だが、豆腐が捕らわれた瞬間に落下して、あちら側に強制的に戻されたのではないか。皿があるべき正しい世界に戻されたのだ。こちらが『鏡の世界』的なものだとしたら、あちらにないものは映せない。こちらで存在が確立する条件は、あちら側にある物体に限る。ただし生命は除外する。
(じゃあ翅王はどうやって空間移動したんだろう。ん……あの儡王もそうか。いきなり蹴られたっぽいし)
そういう能力と言われたらそれまでだが、その空間移動術を真似できないだろうか。
フィアは思うところがあり、ハンカチを取りだした。いままでの考えでいけば、このハンカチを落とせばあちらの世界に戻るはずである。
あとでちゃんと拾うから、と高々とかかげたハンカチを落とす。ハンカチは床に触れた瞬間に、
「消えたよ……!」
まさにヒュンッ! という感じでハンカチが消失した。物体が落下により移動することが証明できたわけである。こまかい理由は分からないけど!
でもフィアは生命なので、ジャンプしてもダメである。なのでやれることがあるとすればふたつ。
ひとつは完全なる魔性転換をおこなう。ダークフサルクの意味が『堕落』を表しているのなら、魔力を持ちながら黒い階段を移動すれば戻れる可能性はある。
(それはでも、勇者を捨てるのと同じこと……)
ソヨギによって神性転換したビデガンやシンディラと違い、フィアは人間である。エクリプシオンは魔性に蝕まれた民ではあるが、微量のアニミスを持っている。魔力を持ち、通常の人間よりも魔性への傾倒が強いために、魔族に思われてしまうこともあるが、元を正せば人間なのだ。
そしてソヨギが人間の魂の在り方まで変えられる保証はない。
「みんなのために勇者でなくなるんだよ。本当の……本当の勇者は……」
自分をなげうって他を救うもの――その行きすぎた自己犠牲は、勇者である条件のひとつのように思える。だがしかし、完全魔性化が間違っていたら、あちらに戻れなかったら、フィアはただ魔族になってしまうだけだ。
だがもうひとつの選択もかなりキツい。
(聖剣を手にあの穴から飛び降りる!)
物体が移動するのはいましがた見たばかりである。完全魔性化よりは遥かに戻れる公算が高い。だが失敗したら……そもそもしたのフロアが見えていない。あの穴は異次元に通じていたら? したの景色が見えないのは明らかにおかしいだろう。
いや、それが杞憂だったとしても、物体と一緒に戻れなかったら? 自分だけが取り残されて聖剣だけが移動すれば、フィアは床に叩きつけられてしまう。最悪……死ぬということもあるだろう。
勇気だけではどうしようもない。こんな状況はフィアにも初めての経験だった。なにせフィアが確実に戻れなければ仲間たちがどうなるか分からないのだから。
(どうする? どうすればいい? こんなところに助けなんか来ないよ! 決めなくちゃいけない。わたしのことを二の次にしないと……みんなを助けないと!)
まず完全魔性化をして『魔力に有利』の考えを試す。それがダメならば落下を試す。だけど、それがダメなら……?
「うう……怖い……怖いよ……」
……ひとりでずっとこの世界にいることになるのだろうか。
「怖い……だ、だって……」
フィアはガクガクと震えている肩を抱いた。嗚咽の混じる呼吸。歯もガチガチと鳴る。
フィアは怖いのだ。とにかく恐ろしくてたまらないのだ。この世界から戻れないとか、魔族になるとか、死ぬとか――そんなことはどうでもよかった。
「みんなと離ればなれなんて嫌だよぉ!」
……そうなのだ。それが怖いのだ。エクリプシオンである自分を受け入れてくれた仲間たちを失うのが怖いのだ。あんなに優しいひとびとを失うのが怖いのだ。死ぬことはまだマシだった。死んでも魂はみんなと一緒にいられるはずなんだから……。
「う……う……うわああああああ! 嫌だよ! そんなの嫌だよ! みんなのこと大好きだよぉ! みんなと一緒にいたいよおぉぉぉぉ!」
フィアは泣く。だって嫌なのだ。みんなといたいのだ。でもどうしようも……どうすることも――
――そう絶望していたのだが。
「……あ、大丈夫っすか?」
「うわあああ! あぁぁぁぁ!」
「いや、号泣してないで返事……」
「嫌だよおぉぉぉ!」
「そこを拒否られちゃうと……会話できませんが?」
「会話って! 会話って! ……ふぇ?」
聞きなれた声である。フィアはいきなり泣くのをやめた。ふぇ? ひたすらにふぇ? である。
「ソヨギさま……?」
「まさしくソヨギですが?」
そう、ソヨギである。
しかし声だけなので、フィアはキョロキョロした。声は近いのだが姿が見えない。
「どこにいるんだよ?」
「ああ……なんか難しいんすよね。しょせんは一般人なんで。制御しろとか言われても……ねえ?」
いや、ねえ? と言われても……と、フィアが困惑していると、ややうえのほうの空間にソヨギの頭が見えていた。それだけでソヨギと判断することはできない。新手のウィッグ神と言われても納得しちゃいそうだ。
「……本当にソヨギさまかよ?」
「まさしくソヨギ中のソヨギですが?」
「なんで頭だけなんだよ?」
「難しいんすよね。ちょっと引っ張るとかどうです?」
どうです? って……まあ、引っ張るくらいなら。フィアはうんしょと背伸びをしつつ、ソヨギの頭っぽいのを引っ張った。髪をわしづかみである。
「……痛い」
「……なんかキモいよ?」
にょにょにょにょん、という感じでソヨギが空間から姿を現す。壁からでてくる感じでなにもない空間からでてくるのだ。キモいよ?
すぽん。
擬音にするならそんな感じでソヨギである。別れたときとなにも変わらない格好であり、ソヨギ以外のなに者でもない。だが、
「ソ……ソソソソソソヨギさま……?」
「なんすか?」
「あう……なんでソヨギさまから……なんで魔力を感じるんだよ!?」
「……でてます?」
「いや、でるとかでないとかじゃないんだよ!?」
ソヨギはいつもの感じで頭を掻いた。本人はいたって冷静である。ていうか魔力持ってるのに変化なしって……、
「人間は普通、魔力を得ちゃったら悪い奴になっちゃうんだよ? とにかく破滅志向になっちゃうんだよ」
「らしいっすね……ガデニデグさんの操作説明によると」
「操作説明ってなんだよ……?」
「ほら、このゴーストソヨギの。まあ、ダークソヨギか悩んでますが」
「どっちでもいいよ?」
「じゃあ、ダーストソヨギにしますか」
「いや、なんでもいいよ! とにかくなにがあったか説明してよ!」
「そうしますか? じゃあとりあえず……」
……ぎゅーきゅるるるる。ソヨギのお腹が鳴った。
「飯でも食べましょうか」
「ソヨギさまの好きにしていいよ」
フィアはなんかいろいろバカらしくなってため息を吐いてみた。ソヨギと話をしていると、真面目にやってることが時間の無駄のような気がしてくる。
フィアはとりあえず、歩きだしたソヨギの背中を追いかけた。
いったいソヨギになにがあったのだろうか。そんなことを考えていると、ソヨギはさらに衝撃的な発言をする。
「なんか俺、死んじゃったらしいんすよー」
……え? 言いかた軽くね?
続く
「は……はあ……うぐ……こ……このわたくしが恐怖を……?」
フィアは聖剣を片手に提げながら歩く。
翅王はただガクガクと震えていた。
「そんなに怖いのかよ。言っとくけど、わたしは勇者のなかで一番アニミス少ないよ?」
アニミスの絶対量で言えばシーフのほうが遥かにうえである。だがシーフは戦闘利用を苦手としているので、フィアのほうが強い。ただの殺し合いだった場合の話だが。
「か……う……なぜ勇者がここに……?」
翅王は震えながら徐々に後退していった。余裕の笑みは消えてガチガチと歯を鳴らしている。
「悪い奴をやっつけるためだよ。おまえは悪い奴だよ?」
「悪い……いいえ、わたくしは悪くない! すべてガデニデグさまの謀略ですわ!」
「……命乞いは見苦しいんだよ」
フィアが進み、翅王は退く。いつのまにかシンディラの倒れた位置まで来ていた。
フィアは翅王を無視し、膝をついて屈みこんだ。シンディラの状態を把握したい。
シンディラはあまりよい状態とは言えなかった。気絶しているところを見ると、なにかしらの力で眠らされているのかもしれない。床の水や雨に濡れているのも最悪だ。コンビニであらかたシンディラのことは聞いていたのだ。水属性が直接シンディラを殺すことはないものの、こうしていては一生目覚めない。
(水分を吸収し続けるから……とにかく乾かさないと。それと眠っちゃった理由も聞きださなきゃ!)
「ねえ、なんでシンディラは眠ってるんだよ?」
「わ……わたくしのフラストレィションギルティによって……ですわ」
「解除はできるのかよ?」
「不可能ですわ! わたくしの技は挫折や失望を抱えている精神をコントロールするのですから! わたくしは灰の女神に眠れと言いましたわ。そして灰の女神は眠った……それはつまり彼女自身に挫折や失望が存在するということ――」
「そんなことは聞いてないんだよ!!」
「ひいぃ……!」
フィアが聖剣を横に振る。水しぶきをくらいながら、翅王は手で顔をかばいつつ後退した。無様ではあるが、笑う気にはなれない。
「方法はあるはずだよ! 目覚めないなら利用することなんてできないじゃないかよ!」
「ほ……方法があるとすれば――」
「早く言いなよ!」
「こ……これから言いますわよ! わたくしの技に必要なのは精神ですわ。それもまっとうな精神がです。つまりアニミスが害悪になっているのですわよ。神性が牙を剥くのですわ……」
「……タチが悪いよ」
フィアの我慢を超えた我慢も、限界に達しようとしていた。心の深層でざわめく怒り。
「だから! アニミスをなくしてしまえばよいのですわ。そうすればまっとうな精神ではなくなる……つまり魔性転換をすれば……」
「女神になれたシンディラを、また妖女にしろってのかよ」
「一度だけすればよいのですわ。わたくしの技を解除したら、今度は神性転換すればよいのです……それが唯一の方法なのですわ」
「そうかよ……」
(ソヨギさま……ソヨギさまがいればできる!)
フィアは聖剣を鞘に納めた。もう聞きたいことはない。シンディラを元に戻せるのならそれでいいのだ。そんな現金なところはまだまだ子供である。
とりあえず別のフロアに移動しなければならない。なにやらシンディラの周囲の水が濁っているのだ。もしかしたらシンディラの体にあるなにかが、水に溶けだしてしまっているのかもしれない。それがシンディラに有害だったら困る。
(……おっもい!)
フィアはシンディラを抱きあげようとしたが、ちょっとだけしか持ちあがらなかった。
水を吸っているせいである。シンディラの体格から考えても、全身に水が行き渡っていれば十キロ以上にはなるはずだ。フィアは腕力強化などの術は知らない。戦士がいれば――
――と、降り続いていた雨がやんだ。円盤型の装置からポタポタと残留した水が垂れている。少し待てばわたしにも持てるかもしれないよ。
「た……確かに伝えましたわよ?」
「消えていいよ。次に会ったときは殺すよ」
「し、承知いたしましたわ……」
フィアはもう翅王のことはどうでもよかった。シンディラに目覚めてほしいだけなのだ。蝕まれている種族にも優しいシンディラに目覚めてほしいだけなのだ。
フィアはデニムのスカートのポケットからハンカチを取りだした。これもシーフとおそろいである。なんとか脱水をさせなくてはならない。火を焚ければいいのだが、人間がどこかに捕まっている以上は危険なことはできない。
しかしハンカチはずぶ濡れで使い物にならなかった。儡王に蹴り飛ばされて床に倒れたし、ずっと雨に濡れていたせいだ。ほかの方法を探さなくちゃいけない。
フィアはなにかないかとキョロキョロと探す。あのアイテム倉庫に行けば使えるものがあるかも! フィアは立ちあがってトイ○らスに向かった。
……いや、向かおうとして足を止める。いつのまにかフィアの周囲にはキラキラと輝く粒が浮いていた。それは一メートルの範囲を完全に埋めつくしており、まるで濃霧のようだった。
「敵から意識を反らすのはよくありませんわよ。勇者フィア」
「これがフラなんとかギルティかよ?」
翅王の姿は濃霧にさえぎられていて見えない。声だけが聞こえてくる。
「そうですわ! このわたくしの美しい燐粉を少しでも吸いこめば、あなたはたちどころにわたくしの思いのまま!」
「天使の――」
フィアは聖剣を抜いた。使うつもりのなかった神技を放つために。
「叢樹!」
聖剣を上段から振りおろす。剣風で濃霧のような燐粉がゆらめき――なにも起きない。翅王の嘲笑が聞こえた。
「ほーほっほっほ! なにをするのかと思えばただ剣を振るだけ! そんなものでわたくしのフラストレィションギルティは破れませんわ!」
「ガデニデグはさ、くだらない怪物を造っただけだと思うよ。わたしの神技はさ……」
ボギャアッ! と、固いものが圧縮、もしくは拡張されたような怪音が燐粉の向こうから聞こえた。
次には爆風が起こる。物体が通りすぎれば風が起こるが、爆風の原因はそれが急激な成長をとげたせいだった。いきなりでかくなったせいで空気が押されたのだ。
フィアは息をとめて、シンディラに覆い被さりながら爆風が去るのを待つ。爆風はフラストレィションギルティすらもどこかに吹っ飛ばした。
……爆風が去ると濃霧もなくなっていた。しかし目のまえには大きな変化があった。フィアは顔をあげた。
「わたしの神技は速すぎて見えないんだよ」
そこには天井や床を突き抜けて、一本の大木が存在していた。幹はかなり太く、八メートルくらいである。フィアの視界にはその樹皮ばかりが目立っているし、フロアを突き抜けてしまっているのでこの大木の正確な大きさ――樹高がどれほどかは分からないが、こちらの世界でならば御神木とか樹齢千年とか言われちゃうサイズだろう。
これがなんなのかと言えば、アンゲロステロスにより大木にされてしまった翅王である。この神技の効果は『内在魔力を強制的に神性化し、大樹アニミスに変換。強制浄化』するもので、かなりエグい。簡単に言えば魔力を肥やしにして、大木を寄生させるみたいなことである。
フィアの素振りはその樹賜を放つためのものだったのである。翅王は気づかなかったようだが、しっかり輝く種みたいなアルラアルヒが飛んでいくのがフィアには見えていた。神技使ってる側だからあたりまえだけど。
まあとにかく、地味なわりに魔族とかにとっては凶悪な神技だった。
「わたしはアニミス使っちゃったよ。あとは聖剣のアニミス頼みになっちゃったよ……」
フィアはこつんと、グーで自分の頭を叩いた。
全部ではないものの、敵地で無駄にアニミスを使ってしまった。アンゲロステロスは高威力の神技であり、消費量も凄いのだ。怒りで我を忘れてしまうのが、フィアの弱点だった。
そんなことよりもシンディラであるが、ビデガンならば運べるのではないだろうか。イギギの毒の効果が魔力によるものならば、アニミスを与えることで相殺できるかもしれない。豆腐も目を覚ましそうなわけだし……と言ってもあれか、豆腐は水で回復できるから目を覚ましそうなわけか。
となると、必要なのはやはり回復魔法や神技ということか。
「賢者くんがいればな……」
お互いが欠けているところをそれぞれが補う。それが勇者パーティーなのだ。
まあ、泣き言を言っていても始まらない。フィアは立ちあがると聖剣を鞘にしまった。覚醒状態の聖剣を納めるために、鞘もその形状を変化させているのだ。いま鞘は剣をひっかけるタイプに変わっている。フィアはカチャリと聖剣をはめるようにしまうと、豆腐の様子を確認しようと歩きだした。
戦闘を終えたフロアはメチャクチャである。なんでか樹は生えているし、アイテム倉庫の入り口では気味悪い人形がバラバラになっている。中央は燃え残ったなにかが置いてあるだけだ。あとはだいたい水浸しであり、フィアがあがってきてからほとんど一瞬で散々な光景になっていた。
フィアが黒い階段まえの植木鉢に向かうと、豆腐はいまだに眠っているようだった。
「豆腐の女神、目を覚ましてよ」
「ん~……そんな……絹ごしだなんて……むにゃ」
「いや、言ってないよ! シンディラを助けたいんだよ~」
……ダメか。なにか方法を見つけないといけない。とりあえず敵は一掃したものと思うことにして、ビデガンの様子を見に行ってみよう。
フィアは黒い階段をトテテッと駆けおりて、四階に足をついた。
そしてそこでフィアは、自分のした愚かさに気づいてギョッとした。黒い階段から足をおろした瞬間に、薄膜を通りすぎたような違和感を覚えたのである。ギョッとしてから見まわしてみれば、フロアの――というよりデッドプリズンの雰囲気がガラッと変わっていたのである。
「アニミスを持ったまま黒い階段を使ったから……!」
人間は護神と違い、アニミスを体外へと発し続けたりはしていない。アニミスのしまい方の違いみたいなものなのだが、護神は敵には感知されない微量のアニミスを発し続けている。それは神々の意思である『自然』、またはそれを司る『嘱神』たちとアニミスを介して密接につながっているためである。細部の説明は省くが、人間の場合は完全に内包という形でアニミスや魔力を持っている。
それは常に携帯を開いていないと気がすまない奴と、いらない時はしまっておく奴くらいの違いだったが、アニミス感知系の罠にはよろしくないことである。フィアのアニミスはかなり減少したものの、覚醒した聖剣は護神同様にアニミスを発していた。なぜならばフィアの聖剣は覚醒すると、アルラと密接につながってしまうのだ。アニミスによって――
(誤算じゃない! これは失態だ!)
フィアは泣きそうになるのをなんとか我慢して、さきほどモンスターたちが倒れまくっていたケーキの場所へと向かう。たどり着いてみれば、そこには変化どころではないことが起きていた。
配置された物はすべておなじだったが、生物の痕跡が排除されている。倒されたモンスターはどこにもいないし、人間やモンスターがいるような空気が流れていないのである。生気のないというよりかは、『作り物』のような世界である。
フィアはぎゅっと手を握りしめていた。どこかバカにしているようなケーキたちを眼光を尖らせて見つめる。自然と奥歯を噛む。
(分かっていたはずなのに! これじゃあもうみんなは寝たままじゃないか!)
フィアの内在アニミスはほとんど尽きかけていて、魔性変化をすることも難しい。いまそれをやれば、微量のアニミスを残すことができずに魔剣士から戻れなくなる。勇者に戻れなくなる。
焦った行動はせずにダークフサルクの解読を優先していれば、この裏世界から脱する方法も分かっていたはずだ。確かにタイミングを見れば仲間たちを助けるには絶好ではあったが、完全に助けられないのでは意味のない行動だった。
フィアの胸中には後悔だけがあふれていた。このデッドプリズンのトラップに似た現象はよく知っている。
(迷いの森効果……)
エリア、もしくはフィールドに効果を発揮する魔法である。もちろんダンジョンにも効果的であり、何度も苦労させられたものだ。
しかしシーフのマッピングの精確さや、賢者の知識、戦士の忍耐力、勇者のリーダーシップにより、困難は困難じゃなかった。でもいまは違う……わたしはひとりじゃなにもできないよ……。
(悔しい……悔しいよ!)
フィアはいつのまにか涙を流していた。仲間ひとり助けられないのになにが勇者か。破滅から世界を救う勇者のくせに、こんなありさまでは示しがつかないではないか。
世界にも仲間にも示しがつかないではないか。
「泣いてるひまなんか……ひぐ……ないんだよぉ~……」
どうにかしなくては。ダークフサルクのすべてではなくとも、いくつかの文字は分かっている。
『した』、『方向』、『触れる』。デッドプリズンはダークフサルクにより、なにかしらの意味が付与されている。フィアが黒い階段をおりたら違うデッドプリズンにはいっていた。つまり黒い階段を起点にしてこの『異動』が発動しているのだ。
それの発動条件はアニミス。魔力には反応せずにモンスターたちは難なく移動できる。アニミスがなければ反応しない。
(あ……! もしかして魔力を持っていればあちら側に戻れるとか)
その発想は逆説に近い。デッドプリズンが魔力に有利に働くとして、例えば護神とモンスターが手を繋ぎながら黒い階段を利用したらどうなるのだろう。両方ともこっちに来てしまうのか、それとも護神だけか――もしも両方だった場合、モンスターが戻れなくては魔力に有利な設定の意味がないのではないだろうか。アニミスは送り、魔力は受ける設定だったら……魔力があれば戻れるかもしれない。
(三階で爆発があったあと、ビデガンが出てきた……)
ビデガンはイギギと戦闘して負け、そのあとにイギギに連れられて空間を移動した。別空間の攻撃がつながっている……? どういう言いかたをすればいいのか分からないが、そういうことだろう。
(お皿は豆腐の女神が出てくるまえから落ちていた……)
皿を発見したあとにイギギに捕まっている豆腐を発見したのだ。アニミスで空間移動してしまうなら、豆腐もこの別世界にいたのだと思う。ダークフサルクにある言葉が『落下』を意味し、そのままの意味なら皿は落下したから世界を移動したのか……。
(それならジャンプしたら移動するってこと?)
ぐすん。鼻を鳴らしつつ目をごしごしする。発想は安直だが試すことはしなくては。向こうに戻るためのとっかかりを掴むのだ!
(アニミスがあれば移動してしまう。それはつまりそれ以上の条件を必要としないということだ)
この罠の仕掛けが単純だという証明だろう。罠は単純なほど目立たなくなるので、相手に気づかせないというメリットにもなる。とりあえずジャンプ! ぴょん。スタ……変化なし!
(いや……これでいいんだよきっと。お皿は空間を移動したはずだし、ビデガンの光撃があちら側に影響したんだから、なにかすれば戻れる)
五階にあがった瞬間に起きた爆発もそうだ。あれはきっとシンディラの技。
「五階に行ってみればなにか分かるかもよ?」
よし、とりあえず行動しよう。考えて分からないならヒントを探すほうがいい。
フィアは走って黒い階段へ行き、そのまま駆けあがった。五階につくとパシャッという感じで濡れた床を踏んでいた。しかし移動した感覚はない。さらに豆腐を寝かせていた植木鉢に豆腐はいなかった。フロアには炎上が起きた痕跡があった。しかしあれがない。
あのアンゲロステロスで大樹化した翅王の姿がなかった。さすがに見落とすサイズではない。フィアは大樹があるはずの場所に行く。すると、
「大穴が空いてるよ?」
大樹がそこに生えているかのような穴が空いていた。かなりでかく、まるで奈落そのものである。しかしなぜだかしたのフロアが見えず、暗黒が広がっていた。
フィアはそして、あらかたデッドプリズンの正体を見きわめ始めていた。
(物体はお互いの世界にも影響する。だから穴が空いたり焼けてたり、水に濡れたり爆発する。でも生命はお互いの世界に影響しない。だから大樹が存在してない。ケーキはあったのにモンスターはいなかったし、生命があっちにもこっちにも存在するならシンディラと翅王がいきなり現れるわけがない)
あっちで破壊した床に穴が空いているのが証拠だろう。デッドプリズン自体は別の空間にあっても同じものなのだ。なのでつまりは、ダークフサルクが示していたのは生命に関しての呪いなのだと思う。
そして皿だが、豆腐が捕らわれた瞬間に落下して、あちら側に強制的に戻されたのではないか。皿があるべき正しい世界に戻されたのだ。こちらが『鏡の世界』的なものだとしたら、あちらにないものは映せない。こちらで存在が確立する条件は、あちら側にある物体に限る。ただし生命は除外する。
(じゃあ翅王はどうやって空間移動したんだろう。ん……あの儡王もそうか。いきなり蹴られたっぽいし)
そういう能力と言われたらそれまでだが、その空間移動術を真似できないだろうか。
フィアは思うところがあり、ハンカチを取りだした。いままでの考えでいけば、このハンカチを落とせばあちらの世界に戻るはずである。
あとでちゃんと拾うから、と高々とかかげたハンカチを落とす。ハンカチは床に触れた瞬間に、
「消えたよ……!」
まさにヒュンッ! という感じでハンカチが消失した。物体が落下により移動することが証明できたわけである。こまかい理由は分からないけど!
でもフィアは生命なので、ジャンプしてもダメである。なのでやれることがあるとすればふたつ。
ひとつは完全なる魔性転換をおこなう。ダークフサルクの意味が『堕落』を表しているのなら、魔力を持ちながら黒い階段を移動すれば戻れる可能性はある。
(それはでも、勇者を捨てるのと同じこと……)
ソヨギによって神性転換したビデガンやシンディラと違い、フィアは人間である。エクリプシオンは魔性に蝕まれた民ではあるが、微量のアニミスを持っている。魔力を持ち、通常の人間よりも魔性への傾倒が強いために、魔族に思われてしまうこともあるが、元を正せば人間なのだ。
そしてソヨギが人間の魂の在り方まで変えられる保証はない。
「みんなのために勇者でなくなるんだよ。本当の……本当の勇者は……」
自分をなげうって他を救うもの――その行きすぎた自己犠牲は、勇者である条件のひとつのように思える。だがしかし、完全魔性化が間違っていたら、あちらに戻れなかったら、フィアはただ魔族になってしまうだけだ。
だがもうひとつの選択もかなりキツい。
(聖剣を手にあの穴から飛び降りる!)
物体が移動するのはいましがた見たばかりである。完全魔性化よりは遥かに戻れる公算が高い。だが失敗したら……そもそもしたのフロアが見えていない。あの穴は異次元に通じていたら? したの景色が見えないのは明らかにおかしいだろう。
いや、それが杞憂だったとしても、物体と一緒に戻れなかったら? 自分だけが取り残されて聖剣だけが移動すれば、フィアは床に叩きつけられてしまう。最悪……死ぬということもあるだろう。
勇気だけではどうしようもない。こんな状況はフィアにも初めての経験だった。なにせフィアが確実に戻れなければ仲間たちがどうなるか分からないのだから。
(どうする? どうすればいい? こんなところに助けなんか来ないよ! 決めなくちゃいけない。わたしのことを二の次にしないと……みんなを助けないと!)
まず完全魔性化をして『魔力に有利』の考えを試す。それがダメならば落下を試す。だけど、それがダメなら……?
「うう……怖い……怖いよ……」
……ひとりでずっとこの世界にいることになるのだろうか。
「怖い……だ、だって……」
フィアはガクガクと震えている肩を抱いた。嗚咽の混じる呼吸。歯もガチガチと鳴る。
フィアは怖いのだ。とにかく恐ろしくてたまらないのだ。この世界から戻れないとか、魔族になるとか、死ぬとか――そんなことはどうでもよかった。
「みんなと離ればなれなんて嫌だよぉ!」
……そうなのだ。それが怖いのだ。エクリプシオンである自分を受け入れてくれた仲間たちを失うのが怖いのだ。あんなに優しいひとびとを失うのが怖いのだ。死ぬことはまだマシだった。死んでも魂はみんなと一緒にいられるはずなんだから……。
「う……う……うわああああああ! 嫌だよ! そんなの嫌だよ! みんなのこと大好きだよぉ! みんなと一緒にいたいよおぉぉぉぉ!」
フィアは泣く。だって嫌なのだ。みんなといたいのだ。でもどうしようも……どうすることも――
――そう絶望していたのだが。
「……あ、大丈夫っすか?」
「うわあああ! あぁぁぁぁ!」
「いや、号泣してないで返事……」
「嫌だよおぉぉぉ!」
「そこを拒否られちゃうと……会話できませんが?」
「会話って! 会話って! ……ふぇ?」
聞きなれた声である。フィアはいきなり泣くのをやめた。ふぇ? ひたすらにふぇ? である。
「ソヨギさま……?」
「まさしくソヨギですが?」
そう、ソヨギである。
しかし声だけなので、フィアはキョロキョロした。声は近いのだが姿が見えない。
「どこにいるんだよ?」
「ああ……なんか難しいんすよね。しょせんは一般人なんで。制御しろとか言われても……ねえ?」
いや、ねえ? と言われても……と、フィアが困惑していると、ややうえのほうの空間にソヨギの頭が見えていた。それだけでソヨギと判断することはできない。新手のウィッグ神と言われても納得しちゃいそうだ。
「……本当にソヨギさまかよ?」
「まさしくソヨギ中のソヨギですが?」
「なんで頭だけなんだよ?」
「難しいんすよね。ちょっと引っ張るとかどうです?」
どうです? って……まあ、引っ張るくらいなら。フィアはうんしょと背伸びをしつつ、ソヨギの頭っぽいのを引っ張った。髪をわしづかみである。
「……痛い」
「……なんかキモいよ?」
にょにょにょにょん、という感じでソヨギが空間から姿を現す。壁からでてくる感じでなにもない空間からでてくるのだ。キモいよ?
すぽん。
擬音にするならそんな感じでソヨギである。別れたときとなにも変わらない格好であり、ソヨギ以外のなに者でもない。だが、
「ソ……ソソソソソソヨギさま……?」
「なんすか?」
「あう……なんでソヨギさまから……なんで魔力を感じるんだよ!?」
「……でてます?」
「いや、でるとかでないとかじゃないんだよ!?」
ソヨギはいつもの感じで頭を掻いた。本人はいたって冷静である。ていうか魔力持ってるのに変化なしって……、
「人間は普通、魔力を得ちゃったら悪い奴になっちゃうんだよ? とにかく破滅志向になっちゃうんだよ」
「らしいっすね……ガデニデグさんの操作説明によると」
「操作説明ってなんだよ……?」
「ほら、このゴーストソヨギの。まあ、ダークソヨギか悩んでますが」
「どっちでもいいよ?」
「じゃあ、ダーストソヨギにしますか」
「いや、なんでもいいよ! とにかくなにがあったか説明してよ!」
「そうしますか? じゃあとりあえず……」
……ぎゅーきゅるるるる。ソヨギのお腹が鳴った。
「飯でも食べましょうか」
「ソヨギさまの好きにしていいよ」
フィアはなんかいろいろバカらしくなってため息を吐いてみた。ソヨギと話をしていると、真面目にやってることが時間の無駄のような気がしてくる。
フィアはとりあえず、歩きだしたソヨギの背中を追いかけた。
いったいソヨギになにがあったのだろうか。そんなことを考えていると、ソヨギはさらに衝撃的な発言をする。
「なんか俺、死んじゃったらしいんすよー」
……え? 言いかた軽くね?
続く
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