194 / 222
第八章 『白面の鬼女』 大雪が降る北海道の山頂で繰り広げられる生き残りを賭けたシリアルキラーとの推理戦に白黒探偵が挑む!
8-20.勘太郎、不甲斐なさに落ち込む
しおりを挟む
20
少し遅めの朝食を兼ねた休憩を終え部屋のドアを開けると、それと同時に宮鍋功と島田リリコの二人がお辞儀をしながら神妙な面持ちで自分達の部屋へと戻っていく。
その様子をジ~と眺めていた勘太郎に羊野が和やかに話しかける。
「あ、黒鉄さん、戻って来たんですね。こちらも事情聴取は一通りは終わりました」
「一通りって、江田俊一に続いて……宮鍋功と島田リリコの取り調べが終わったと言うことか。宮鍋功と島田リリコの取り調べにはそれなりに時間を掛けていたようだが、何か分かったのか?」
「昨日このホテル内に現れた白面の鬼女についての事ですが、その時はまだ彼らはこのホテルには居なかったので犯行は不可能だと考えます。ですが麓で、土砂崩れ現場に現れた白面の鬼女については彼らにも犯行は可能な訳ですからいろいろと話を聞きましたわ」
「それで、どうだったんだ」
勘太郎は左の胸ポケットから黒革の手帳と鉛筆を取り出すとその言葉の一字一句を聞き逃さないとばかりにメモを取る態勢を取るが、羊野はそんな勘太郎に向けて一つ咳払いをしながら静かに話し出す。
「宮鍋功さんと島田リリコさんの二人は麓のゴンドラには一番で乗ったらしいですから、その時点では彼らのアリバイを証明してくれる人は誰もいないとの事です。ですがその後に江田俊一さんがゴンドラに来ていますからその時点で二人がゴンドラに乗っていたというアリバイは江田俊一さんが知っていると言う事になります」
「まあ、江田俊一にしても、宮鍋功と島田リリコにしても、これといったアリバイがないんだよな。宮鍋功と島田リリコにしたって、ゴンドラに乗る前になら陣内朋樹を殺せるし。その後から来た江田俊一に至っては最初からでも後からでも陣内朋樹を殺せただろうからな」
「ええ、江田俊一さんにはこれといったアリバイがありませんからね。ですが何度も言うようですが陣内朋樹さんを殺害する動機もないのですよ」
「確かに江田俊一・宮鍋功・島田リリコの三人には登山サークル部の人達との接点は何も無いからな。だがだ、あの三人の内の誰かが闇の依頼人から殺しの依頼を受けた狂人だとしたならば、その殺害動機は最初から必要はないとも考えられる。そうだよな」
「まあ確かに、殺し屋に殺害動機は最初からないですからね。ただ依頼人の依頼のままに人を殺すだけですから」
「なら一体どうやって殺人鬼と化したあの白面の鬼女を見つけるんだ。このままじゃ埒が明かないぞ。そう言えば白面の鬼女が使う瞬間移動の秘密を教えてくれるとか言っていたよな。いい加減に今お前が知っている全ての事を教えろよ!」
「仕方有りませんわね。では白面の鬼女が使う瞬間移動トリックと……そのアリバイトリックについてお話しますわ」
そう羊野が話したその時、誰かが部屋のドアを激しくノックする。
ダン・ダン・ダン・ダン・ダン!
「たく、一体誰だ、こんな時に……」
ぼやきながらも勘太郎が部屋のドアを開けると、そこに現れたのは大学三年の田代まさやだった。田代まさやは体をブルブルと震わせながら今にも泣きそうな顔で叫ぶ。
「鬼女だ。白面の鬼女がまた現れたんだよ。三階の食堂でくつろいでいたら行き成り厨房の中からあの白面の鬼女が現れて、その場にいた大石学部長・飯島有先輩・斉藤健吾先輩・そしてこの俺にも襲いかかって来やがった。だけど瞬時に一階に降りて外へと逃げだした斉藤健吾先輩を追って白面の鬼女が下へと降りたから、一早く探偵さんにこの事を知らせようと思って部屋のドアを叩いたんだよ!」
「なにぃぃぃぃー、また白面の鬼女がこの山荘ホテル内に現れただとう! それで、白面の鬼女は外に逃げた斉藤健吾さんを追って外に向かったと言う事ですね」
「はい、白面の鬼女は今正に斉藤健吾先輩を殺しのターゲットに選んだのだと思います。その後を大石学部長と飯島有先輩が追ってはいますが、探偵さんだけが頼りなので直ぐに来て下さい!」
「分かりました、直ぐに行きます。行くぞ、羊野!」
黒革の手帳を左胸のポケットにしまいながら部屋を飛び出した勘太郎は羊野と田代まさやと共に二階を降り、一階の廊下を走り、玄関前まで来ると表玄関の引き戸を勢いよく引くが、そこで見た光景はその場にいる人達の目を嫌でも釘付けにする物だった。
何故ならそこには白面の鬼女によって首に鎖鎌の刃を当てられ羽交い締めにされている斉藤健吾の姿があったからだ。
その絶体絶命的な光景をただ見つめながら立ち竦む事しかできないでいる大石学部長と飯島有は青い顔をしながら震える声で叫ぶ。
「や、やめろ、止めるんだ。斉藤から手を離せ!」
「そ、そうよ、あなたは一体誰なのよ。まさか本当にあなたは如月妖子なの? そ、そんなはずはないわよね。な、なんとかいいなさいよ!」
そんな大石学部長と飯島有の呼びかけに白面の鬼女は不気味にだんまりを決め込んでいたが、荒々しく伸びた長い白い髪と真っ赤な血で汚れたと思われる赤いワンピースのスカートを揺らしながらその目も鼻も口もない真っ白な顔をその場にいる人達に向ける。
「キッイイイイイイイイイイイイイーィィィ!」
白面の鬼女のその不気味な謎の奇声を聞いた瞬間、羽交い締めにされていた斉藤健吾は逃げ出すのは今しか無いと思ったのか、行き成り力任せに暴れ出す。
「離せ、離しやがれ。この殺人鬼が。大石学部長……飯島……田代……それに探偵さん……早く助けてくれ!」
斉藤健吾は余りの恐怖に取り乱しているのか勢いのままにジタバタと暴れるが、その必死で逃れようとする斉藤健吾の力を持ってしても微動だにしない白面の鬼女は羽交い締めにしているその腕に更に力を込めると、暴れている斉藤健吾を半ば強制的に黙らせる。
「ぐっ……ぐぐぐぐ……や、やめろ……ぐぐ……」
首に思いっきりヘットロックを決められ羽交い締めにされているせいか意識を失い掛けている斉藤健吾の姿を見かねた勘太郎が白面の鬼女の前に立ちはだかる。
「そこまでだ白面の鬼女。いい加減に斉藤健吾さんを放すんだ!」
勘太郎は行き成り現れた白面の鬼女に内心かなりの恐怖を覚えていたが、今斉藤健吾が絶体絶命なこの時に逃げ出す訳にはいかないので、勇気を振り絞り彼女に話しかける。
「お前の真の目的は一体何なんだ。本当に俺達全員を殺す事なのか。もしもお前を雇った殺しの依頼人がいると言うのならそこには必ずターゲットとなる人間がいるはずだ。そして被害者でもある大学三年の陣内朋樹が殺され、そして今正に今度は大学四年の斉藤健吾に何らかの危害を与えようとしていると言う事は、やはりお前の狙いは登山サークル部のメンバーと言う事になるよな。もしそうならこの殺しにはやはり一年半前にこの山で行方不明になった如月妖子が関わっていると言う事なのか。どうなんだ白面の鬼女、その推測で間違いはないんだな。いい加減に答えろよ!」
「ク……クロガネノタンテイ……クロガネカンタロウ……ヤハリ……アクマデモジャマヲ……スルか」
白面の鬼女が勘太郎に向けて機械音にも似た声をマスク越しに出していると、後ろで怯えてみていた田代まさやが震える声で呼び掛ける。
「白面の鬼女……お前の正体はやはりあの……如月妖子なのか? そこがどうしても知りたいんだ。どうなんだよ、答えろよ!」
そんな田代まさやの必死な呼び掛けに話を聞いていた白面の鬼女が白面のマスクに触りながら応える。
『そうです、私はあなた方に無残にも殺された如月妖子です。皆さん、お久しぶりですね。皆さんを迎えに来ましたよ。じ、地獄ノ……ソコカラネ。さあ、皆さんで……地獄二……行きまショウ……ワタシが……案内……シマスわ……ギギギイィィーっ!」
白面の鬼女から発せられたその声は紛れもなく一年半前に行方不明になった如月妖子の声その物だった。
「その声はやはり如月妖子。とても信じられない事だが……やはりお前の正体は……あの如月妖子だったのか。お前は死んだはずだぞ。そんな馬鹿な……そんな馬鹿な……うわあぁぁぁあぁぁあぁぁーぁぁ!」
白面の鬼女が如月妖子かも知れないという現実を受け入れられないでいる田代まさやと、その声を聞いて更に青ざめる大石学部長と飯島有の怯えた反応を見ていた勘太郎だったが、その後ろから現れた白い羊のマスクを被った羊野が勘太郎の横で堂々と呟く。
「惑わされてはいけませんよ。あの機械的な声から行き成り変わった女性の声にはなんだか違和感があります。もしかしたら白面の鬼女のマスクにはICレコーダーのような機能が内蔵されていて。生前生きていた時の如月妖子さんの声を(彼女の家に合ったかも知れない)デジタルビデオから保存されている記録動画を収集して……その動画の中から如月妖子さんの声の記録データを元にパソコンの機材と声編集ソフトを使って声を加工して好きなように言葉を作り変えた可能性があります。そうです今の技術なら死人に言葉を話させる事くらいの芸当はやろうと思えば出来ると言う事です。そういう声の編集ソフトもあるみたいですからね、決して不可能ではないかと」
「でもそれはあくまでもお前の仮説の話だろ。白面の鬼女を取り押さえられない今のこの段階で、それをどうやって証明するんだよ?」
「簡単な事ですわ。白面の鬼女はその一方的な声の吹き替えをICレコーダーに吹き込んで登山サークル部の人達に如月妖子さんの存在を強く印象づけ確信させる為に持って来たはずですから、そのICレコーダーにはない予想を超えた有り得ない質問をすれば、その質問に白面の鬼女は言い返せないと思いますよ」
「よし、なら試してみるか。おい、如月妖子さん、もしあなたが如月妖子だと言うのなら、あなたのお姉さんの名前を言ってみてくれ。今すぐにだ!」
その勘太郎の問いに如月妖子の声を発する白面の鬼女が答える。
「私の名前は如月妖子……皆さんを迎えに来ました……」
「皆さんとは具体的に誰のことなんだ。答えろよ」
「そうですよ、私はあなた方に無残にも殺された如月妖子ですよ。皆さん久し振りですね。皆さんを迎えに来ましたよ……」
「話が噛み合ってないし、その台詞はさっきも聞いたぞ」
「行きまショウ……ワタシが……案内……シマスよ……」
「やはり羊野の言う用に、音声編集ソフトで作り上げた声をICレコーダーに吹き込んで、如月妖子の声を断片的に流していただけだったか。全くよ、いちいち紛らわしい事をしやがって」
その姑息な行いを羊野と勘太郎に見破られた事で白面の鬼女は白面のマスクの裏に隠し持っていた小型ICレコーダーを雪が積もる地面へと叩き付ける。
「ギギギイィィィーっ……ギギギイィィィーっ!」
「はた迷惑な嘘も見抜けた所で、そろそろ斉藤健吾を離して貰おうか。お前に斉藤健吾を殺させる訳にはいかないからな」
勘太郎は凄みのある言葉で少しずつ間合いを詰めて行くと、その動きに気付いた白面の鬼女が斉藤健吾の首元に当てている鎌の刃先を更に首に押しつける。
「ギギギイィィィーっ、ギギギイィィィーっ!」
「まさかこんなまっ昼間からのこのことその姿を現すとは正直思わなかったから流石に面食らったが、出てきたからにはもう逃がさないぞ。白面の鬼女、お前をここで捕まえてやるぜ。行くぞ羊野!」
勘太郎のその言葉を聞くな否や隣にいる羊野瞑子が、姑息にも人質を取る白面の鬼女に臆すること無く目の前に立つ。
「「……。」」
無言で睨み合うこと二~三秒。
羊野がスキーウエアの背中に隠し持っている後ろから二本の鋭利な打ち刃物の包丁を素早く取り出すと、物凄いスピードで白面の鬼女が振り下ろす鎌の刃と、白い腹黒羊こと羊野瞑子が持つ重量感のある包丁が鈍い金属音を響かせながら激しく交差する。
ガッキィィィィィィィーン!
「オ、オマエは、シロイ…腹黒ヒツジ……またオマエか……ドウアッテモ私のジャマヲ……スルか!」
「ええ、やっとこうしてあなたとまともに対峙をすることが出来たのですからここは楽しまないとですわ。昨日は直ぐにあなたは帰ってしまいましたから、ちゃんと自己紹介が出来ていませんでしたわね。では改めて自己紹介をさせて貰いますわ。私は白い腹黒羊と呼ばれている、元円卓の星座の狂人・羊野瞑子という者です。今は呼び名が省略されて白い羊とも呼ばれていますわ。どうぞお見知りおきを。聞きましたわよ。黒鉄さんが麓に降りた際は随分とお世話になったそうですが、今度は私がその心のこもったおもてなしを返す番ですから五体満足に帰れるとは思わないで下さい。まあ、できるだけ殺さないように努力はするつもりですが、あなたも私を殺す気満々で挑んで来るのでしょうから最初から手は抜きませんわよ。もしも運悪く私の攻撃が当たってしまったらその時は諦めて死んで下さいな。あなたも円卓の星座の狂人の一人なら、その覚悟くらいはあるんですよね。腕力にはそれなりに自信があるようですが、直ぐにあなたの実力を見極めてあげますわ。さあ一緒に死の共演を楽しみましょう。白面の鬼女さん。ホホホホホホっ!」
「白いハラグロ……ヒツジ……ウワサドウリノ……殺人キョウが……。だがスコシダケ……付きアって……ヤルか!」
「円卓の星座の中に白面の鬼女などという狂人がいる事を私は知りませんでした。と言う事は意図的にその存在を隠されている狂人か、あるいは私が組織を抜け出した後に加入した新参者かのどちらかですわ。このアスレチックのような山頂はどうやらあなたのテリトリーのようですが、狂人の格の違いと言う物を見せつけて差し上げますわ!」
「ソ、ソイツハ……楽しみダ……相手にナッテヤル、こい、白いハラグロヒツジ!」
精巧に出来た不気味な白い羊のマスクから見える赤い眼光を白面の鬼女に向けながら羊野瞑子は、大きな打ち刃物の包丁を力強く押しつける。今現在交差している打ち刃物の包丁と鎖鎌の刃が離れた瞬間に二人の本格的な戦いが始まるからだ。
グググググ……っ!
互いに顔を間近まで近づけながら睨み合う二人の狂人の異様な迫力に皆が目を見張り、その緊迫した状況に思わず息を呑む。
そんな緊縛した状況に飲み込まれながらも勘太郎はいつでも飛び出せる態勢を取りながら二人の戦いを静かに見守る。
「ホホホホホホっ! 行きますわよ!」
「キイイイーィィッ! コイ、相手にナッテヤル!」
白面の鬼女は間合いを取る為に一旦羊野から離れると柔道のような絞め技で羽交い締めにしている斉藤健吾の首を一気に締め上げる。その瞬間斉藤健吾は意識を失い、静かに雪が積もる地面へと崩れ落ちる。
「ぐっグググググ……っ」
ドサリ!
気絶をした斉藤健吾が地面に倒れるのと同時に鎖鎌を振るう白面の鬼女が不気味に「キッイイイーィィィ」と奇声を発しながら素早い一撃を繰り出すが、その一撃を軽々と避けた羊野瞑子が楽しげにステップを踏みながらその間合いを直ぐさま詰めて行く。だがそんな狂気を楽しむ二人の狂人の不気味な笑い声が周りにいる人達を嫌でも不安にさせる。
「キイイイイイーィィッ!」
「ほほほほほほほほーっ!
白面の鬼女は物凄い雄叫びを上げながら鎖鎌を振り回し切りつけるが、そのどれもが羊野瞑子にことごとく避けられ尚且つ防がれてしまう。だが足場が悪いのか凸凹の地面が雪で氷結した山道では思うようには動けず、羊野瞑子は本来の動きが出せないでいるようだ。
恐らくは動体視力や反射速度といったスピード的な能力では羊野瞑子の方が上のようだが、腕力を生かしたパワー的な耐久力や持続力といった方では白面の鬼女の方が上のようだ。しかもそれに加えてこの山は白面の鬼女のテリトリーでもあるので、地の利としても白面の鬼女の方が断然戦いやすいと思われる。
その危惧が当たってしまったのか、最初は勢いに任せて戦いを有利に運んでいた羊野瞑子だったが、疲れが出て来たのか徐々に動きが鈍くなりどうしても攻撃に決定打がつかめないでいるようだ。
そうここへ来て羊野瞑子の体力の持続性の無さが出てしまったのだ。つまりはスタミナ、体力の無さが羊野瞑子の致命的な弱点でもある。だからこそ羊野は体力のある内に勝負を急いでいるのだ。
そんな羊野瞑子とは対照的に動きこそ平均的だがその持続性のあるスタミナとその両腕から繰り出される剛力は白面の鬼女が有する最大の武器のようだ。ともなればその両手で羊野瞑子を一度でも捕まえる事ができれば、その時点で自慢の握力で羊野瞑子の喉元をいとも容易く握り潰す事も出来るだろう。
だが一瞬でも気を抜き油断をすれば逆に羊野瞑子の反射速度についてこれない白面の鬼女は羊野瞑子が持つ刃物による連続攻撃で急所を突かれ瞬時に死に至る可能性も充分にある。なのでできるだけ羊野瞑子とは間合いを取り、相手が疲れて完全に動けなくなるまで地道に待つ作戦にでたようだ。
勿論羊野もそれが分かっているので尚も激しく刃物による素早い連続攻撃を休みなく仕掛けて行く。
「ハア・ハア・ハア、直接的な接近戦を避けて守りに入りやがって……全く面倒ですわ!」
羊野は瞬時に白面の鬼女の間合いに入ると二双の打ち刃物の包丁を振り回しながら怒濤の連続の突きを浴びせるが、白面の鬼女はその突きの連打を手に持つ鎖鎌で裁いたり除けたりしながら冷静に防いで行く。
そんな二人の狂人のエキサイティングな激しい攻めぎ合いに、勘太郎はまるでアクション映画のワンシーンでも見ている用な錯覚へと陥ってしまう。
だが三分ほど時間が経過したその時、羊野の持つ打ち刃物の包丁の連打が白面の鬼女が着ている赤いワンピースの衣服をかすめ、当たった個所を少しずつ切り裂いて行く。どうやらここへきて羊野の執念が、受けに徹している白面の鬼女の体に届きつつあるようだ。
「ホホホホホホっ、どうやら刃物を使った武器の速さは私の方に武があるみたいですわね。あなたはその長身と細身の見た目に反して動きが若干遅いのですよ。反射神経と瞬発力が私よりも劣っていると言う事でしょうか。フフフ、そんなあなたを見ていると狂人・悪魔の水瓶というむかつく馬鹿女の事を思い出してしまいますわ。それにキャラや身体能力もダブって見えますから、ここは嫌でも力が入ってしまいますわ!」
羊野は言葉で挑発しながら、徐々に後ろへと下がる白面の鬼女を少しずつ追い立てて行く。
そんな二人の戦いの状況を見ていた勘太郎は後ろの腰ベルトに隠し持っている鉄で出来た警棒を右手で取り出すと、警棒を一振りしながらグリップの端にあるボタンを押す。するとグリップの先端が力強くシャキンと伸び、長さ五十センチくらいの警棒へと変わる。
「よし、俺も加勢するぞ。白面の鬼女、大人しくしろ!」
白面の鬼女が後ろへと徐々に後退しだした事でこの気を逃すまいと思った勘太郎は白面の鬼女の背後を取り後ろから手に持つ警棒を振り下ろすが、白面の鬼女はその奇襲を難無く振り払うとそのまま片腕を捕まれて豪快な背負い投げを雪で固められた地面へと決める。当然その衝撃で雪が積もる地面へと叩き落とされた勘太郎は激しく悶絶をする。
ドカン!
「ぐっ、はあぁ!」
また昨日の再現かと勘太郎が走馬灯のように思っていると白面の鬼女に瞬時に羽交い締めにされ、あっという間に人質にされてしまう。
「ウゴクナ、ウゴケバ……このタンテイノ……首が……キレルゾ……」
そう言いながら身構える白面の鬼女の手には、鋭利な刃を持つ鎖鎌がしっかりと強く握り締められていた。
勘太郎の首に、白面の鬼女が持つ鎖鎌の刃がゆっくりと伸びる。
(し、しまったぁぁ。新たな武器、黒鉄の警棒を持って意気揚々と考えも無しに飛びかかってしまったが、簡単に攻撃を防がれて、あっさりと押さえ込まれてしまった。まさか俺の背後からの奇襲にも気付くとは流石に思いもしなかったぜ。しかもそのまま人質にされてしまうとは、これは大きな大失態だ。流石に屈辱でしかないぜ。ちくしょう、ちくしょう!)と思いながらも勘太郎は何気に羊野の方を見てみると、その視線に応えるかの用に羊野は「はあ~、相変わらず黒鉄さんは学習しませんわね……」と言う無情な言葉が返って来る。
そんな勘太郎を人質に取った事で圧倒的な有利な状況を手に入れた白面の鬼女は、勘太郎の首筋に鎖鎌の刃を当てながら、機械音にも似た言葉を発する。
「武器をステロ、白イ……ハラグロ……羊……」
機械的な片言の言葉で話す白面の鬼女の要求に、羊野瞑子は従う気は全くないようだ。
勘太郎の今までの経験上、円卓の星座の狂人と呼ばれている者は皆、自分の欲望や自らのルールに定めた掟に従って行動する者達ばかりだが、勿論それはこの二年間一緒にいる狂人・白い腹黒羊とて例外では無い。
その証拠に勘太郎が人質に取られていると言うのに落ち着き払っている羊野瞑子は、鎖鎌の刃を突きつけられ羽交い締めにされている勘太郎に向けて何やら意味ありげな問いかけをする。
「敵に簡単に捕まってしまうとは、黒鉄さんは相変わらずですわね。時に黒鉄さん、いつも持ち歩いている黒革の手帳はちゃんといつもの場所に入れてありますか」
羊野は徐に本をめくるジェスチャーをしながら語りかける。
その真意に気付いた勘太郎は「ああ、勿論だ」と言いながらこれから羊野が行うであろういかれた行動に覚悟を決める。
その勘太郎の言葉を聞くな否や羊野は、手に持つ打ち刃物の包丁を構えると、猛ダッシュで勘太郎の懐へと入り込み、羽交い締めにされている勘太郎の心臓へとその刃を勢いよく突き立てる。その瞬間勘太郎の着ているスキーウエアの胸の木地が深々と沈み、風に乗って中にある綿が宙へと舞う。
羊野が深々と勘太郎の左の心臓部分に打ち刃物の包丁を突き刺した衝撃で体が大きく揺れ動き、後ろで抑えていた白面の鬼女にもその手応えがずっしりと伝わる。
そう羊野瞑子は何を思ったのか行き成り勘太郎の心臓を目がけて手に持つ包丁を深々と突き刺したのだ。
その信じられない予想外の光景に流石の白面の鬼女も一体何が起きたのかが分からず混乱する。
「白いハラグロヒツジ……オマエは一体……ナニヲカンガエテ……いるんだ。マサかここに来て……クロガネノ探偵を……コロスとは……気でも触れたか?」
「羊野……お、おまえぇ……」と言いながらその場へと倒れ込む勘太郎を見ていた白面の鬼女の動きが一瞬固まる。
「バ……バカナ……バカナ……ナゼ殺した……白いハラグロヒツジ?」
その一瞬の動揺を見逃さなかった羊野が好かさず「隙あり!」といいながら、もう片方の左手に持つ打ち刃物の包丁を白面の鬼女に目がけて突き立てるが、伸びきった左腕を素早く持ち上げ肩へと巻き込んだ白面の鬼女はそのまま背負い投げの態勢へと持ち込む。
「ギギギギギギイィィィーっ!」と謎の奇声を上げながら勢いよく羊野を空中へと投げ飛ばした白面の鬼女だったが、その一本背負いのような攻撃を羊野は空中で華麗に交わすと、前中返りをしながら雪が降り積もる地面へと静かに着地をする。
が、その瞬間、羊野は気付く。羊野が着ている白いスキーウエアの左肩の部分が大きく引き裂かれ、中の羽毛の繊維があらわとなっていた事を。
恐らくは豪快に投げ飛ばされた時に、白面の鬼女の指が羊野の着ているスキーウエアの左肩の部分の生地をつかんでいたのだろう。だから破けたのだ。全く持って恐ろしい握力である。
完全に体の力が抜け地面へと倒れ込む勘太郎から離れた白面の鬼女は羊野瞑子を警戒しながら勢いよく離れると、その隙をついてホテルの裏側の方へと行き成り猛ダッシュで走り出す。
その際、気絶から意識を取り戻し立ち上がろうとしている斉藤健吾の前まで来ると白面の鬼女は、すれ違いざまに手に持つ鎖鎌の刃の刃先を豪快にその首元の頸動脈へと振り下ろす。
その瞬間斉藤健吾の首筋に付けられた切り傷がパックリと開き、その頸動脈からは夥しい血がまるで噴水のように吹き上がる。
「あああぁ……おれ……まさか……首を切られたのか? 大石学部長……飯島……田代……一体俺……どうなってんだよ。さ、寒い……それに首が痛えよぉ……」
まるで白昼夢のようにそう呟くと斉藤健吾はそのまま雪が積もる地面へと倒れ込む。
ドサリ!
白面の鬼女が物凄いスピードで山荘ホテルの裏側にある慰霊碑方面に向けて走り去った後。その一部始終を見ていた大石学部長・飯島有・田代まさやの三人はまるで夢から覚めたかのように行き成り騒ぎ出す。
「うわあぁぁぁあっぁぁぁー、斉藤が、斉藤がやられた。早く止血をしろ!」
「駄目だ、血が止まらないわ。首の頸動脈を切られているんだからもう助からないわ。ちくしょう、ちくしょう、このままじゃみんなあの白面の鬼女に殺されてしまうわ。早くこの山頂から私達だけでも脱出して……逃げないと!」
「ちょっと飯島有先輩、何を言ってんですか、まだ斉藤先輩は生きていますよ!」
「頸動脈を切られているんだからもうすぐ死ぬわよ。斉藤健吾はもう駄目ね。なら私達だけでも助かる方法を何としてでも見つけないと絶対に生き残れないわ!」
「そうだよな。あの黒鉄の探偵とか言う弱っちい人も何故かあの頭の可笑しな羊の探偵助手とやらに殺されてしまったようだし、ここは部屋に閉じこもって救助隊が来るまで籠城を決め込むしかないようだな!」
「そんな、確かにあの探偵さんはかなり頼りなかったが斉藤先輩を助けるために身を挺して救おうとしてくれていたじゃないか。それなのにそんな言い方はないでしょ!」
「死んでしまったら俺達の弾よけにすらならないだろう。でもまさか同じ同業者に刺されるとはな。一体なにが原因でそうなったのかは知らないが、あの羊の探偵助手とやらにも注意をしないといけないな。あの羊人間からはあの白面の鬼女と同じ人種の臭いがするからな」
「あの羊の探偵助手とやらはかなりやばいでしょ。絶対に出で立ち的にも精神的にも頭がおかしいんだから、あまり近づかない方がいいと思うわ。包丁も持ち歩いている事だし、なんだか危険よ!」
「そうだな、飯島さんの言うとおりだぜ!」
冷酷な言葉を語る飯島有に続き今度は大石学部長が部屋に閉じこもりながら救助隊を待つ事を提案するが、そんな二人の態度に田代まさやはどうやら不満を感じているようだ。
今回の事で仲間にすら冷酷になれる大石学部長と飯島有の冷たさに人としてついて行けなくなって来ているようだ。
そんな三人の動揺と恐怖と思惑を何気にみていた羊野瞑子だったが、まるで何事も無かったかのように仰向けに倒れている勘太郎の前まで来ると、左胸に突き刺さっている包丁をゆっくりと引き抜きながら溜息交じりに言う。
「いつまで死んだ振りをしているのですか。早く起きて下さいな黒鉄さん、このままだとせっかく現れてくれた白面の鬼女を見失ってしまいますよ!」
その言葉を聞いた勘太郎は目をカッと見開きながら、勢いよく起き上がる。
「もう少し手加減をしろよ。物凄く痛かったぞ。俺が普段から鉄製のプレート入りの黒革の手帳を左胸ポケットに入れているとはいえ、もし少しでも突き刺す箇所がずれていたら間違いなく俺はお前の包丁に突き刺されて死んでいる所だぞ。もしそうなっていたらお前はどうするつもりだったんだよ!」
そういいながら勘太郎は黒色のウエアの中に着込んでいるワイシャツの左胸ポケットから黒革の手帳をゆっくりと取り出すと、その手帳をマジマジと確認する。どうやら黒革の手帳の表紙のカバーになっている鉄のプレートは貫通をしてはいないようだ。
そんな勘太郎の安堵の顔を見ながら羊野は、被ってある白い羊のマスクを傾けながら何やら不思議そうに言う。
「どうするもこうするも、心臓に間違って当たっていたらその時は間違いなく死ぬでしょうね。そんなのは当たり前じゃ無いですか? でも包丁で突き刺す前にちゃんと確認はしましたよね」
「確かにそうだが、お前のやることは行き成り過ぎるんだよ。咄嗟にお前がなにをするつもりなのかを何となく予想が付いていたから覚悟を決める事ができた物の。もしもお前の言葉の真意が分からずに黒革の手帳が入っていない時に軽はずみな返事をしてしまっていたら間違いなく俺は死んでいたかも知れないんだぞ。その可能性は考えなかったのか」
「ええ、全然考えませんでした。黒鉄さんがそんなヘマをこいて死んだのなら狂人ゲームに挑む挑戦者である以上、早かれ遅かれ死ぬ運命だったと言う事です。情けなくも呆気ない死だったと逆に笑って差し上げますわ。ですが黒鉄さんは運だけは異常にお強いですから特に心配はしてはいませんでしたけどね」
「いや、お前に聞いた俺が馬鹿だったよ。そうだよな、お前はそういう人間だったよな」
狂人・白い腹黒羊こと羊野瞑子はそういう人間だったと改めて再確認をした勘太郎は、今し方出血多量で全く動かなくなった斉藤健吾の生死を確認する。
無駄だと分かってはいるが頸動脈が切られて大量出血をしている首を田代まさやが貸してくれたマフラーでキツく押さえて見るが、だが当然のことながらその止血だけでは首からの出血を抑える事は出来ない。
「斉藤さん、聞こえますか。斉藤健吾さん!」
勘太郎の必死な呼びかけにも関わらず斉藤健吾の体温は急激にみるみる落ち、息が一段と荒くなる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「だ、駄目だ、血が全然止まらない。これじゃ……もう……いいやまだだ、俺は諦めないぞ。羊野、ホテルに戻って救急箱とありったけのタオルを持ってきてくれ。大至急だ!」
そんな勘太郎の必死な焦り具合を見つめながら、羊野が淡々と話し出す。
「頸動脈を切られているんですからそんな事をしても無駄ですよ。緊急ヘリも呼べない今、斉藤健吾さんを救う手段は全くありません。そんな事よりも今は白面の鬼女の行方の方を追う方が先決なのではありませんか」
「そんなのはまだ分からないだろ。タオルでキツく押さえていたら、もしかしたら血が止まるかも知れないじゃないか!」
「いえ、そんな事は絶対にないですから、諦めてください」
「うるさい、いいから早くタオルをもってこい!」
激高しながら心臓マッサージをする勘太郎に対し、羊野は斉藤健吾の目の瞳孔を覗きながら優しい声で言う。
「それにもう死んでいますから……心臓マッサージの必要はないと思いますよ」
「えっ?」
勘太郎は必死だったので全く気付かなかったが斉藤健吾はもう既に全く動かなくなっていて、当然息もしてはいないようだ。
そう斉藤健吾は既に死んでいたのだ。
諦めきれない勘太郎は更に三分ほど心臓マッサージを続けてみたが、あれから斉藤健吾の心臓が動くことはなかった。
「……。」
「そうか、もう亡くなってしまったか。くそぉぉ、俺達が近くにいながら斉藤健吾を救えなかったとは、またしても俺の失態だ。ちくしょう、ちくしょう!」
「ま、そういう時もありますよ。でも実際黒鉄さんは弱いながらも良くやっていると思いますよ。でも相手はあの狂人・白面の鬼女です。そう簡単にはいきませんよね。黒鉄さんが武器として持ち出した警棒で後ろから奇襲を仕掛けたにも関わらず不覚にも人質に取られてしまい。しかも黒鉄さんの心臓を刺して相手の動揺から隙を作ろうとした私の攻撃にも冷静に対応をし、逆に私を投げ飛ばすだなんて普通の人にはできない事です。しかも逃走する時間を稼ぐ為に斉藤健吾を瞬時に殺害して素早くこの場から逃げ去る事にも成功しています。それが実行出来たのは、間違いなく白面の鬼女の戦闘技術が高い証拠です」
「だが、そんなのは言い訳にはならないぜ。俺達がいる前で人が一人死んだ事は、間違いのない事実なんだからな。だが確かに今は人の死を嘆いている時ではないようだな。斉藤健吾の事は大石学部長達に任せて、俺達は山荘ホテルの裏側に逃走した白面の鬼女の後を追うぞ!」
もう既に息をしていない斉藤健吾の死を確認した勘太郎は、羊野を引き連れながら白面の鬼女の後を追う。
*
「白面の鬼女の奴は、一体どこへ行きやがった。こっちの方に逃げていることは間違いはないんだが?」
「全くもう、黒鉄さんが斉藤健吾さんの所で足止めを喰らっていたからですよ」
「うるさいな、あの状況じゃ仕方がないだろう! あ、ここは記念碑や慰霊碑がある場所だぞ。少し前にここで休憩をしていたんだが、この先にある断崖絶壁の方に続く雪道に誰かが歩いたと思われる靴跡が一つだけあったんだ。一体誰だろうな!」
「でも新雪の雪道に残されている足跡は今は二つになっていますね。少し古い方の足跡のサイズは二十六センチくらいでしょうか。そして今歩いたかのように新しいもう一つの足跡の方も同じく二十六センチくらいです。おそらくはこの後者に付けられた真新しい足跡の方が白面の鬼女の物のようですわね」
「それにしてもこの最初の足跡は一体だれの足跡なんだ。この崖へと続く行きの足跡からして、迂回して帰ってきた様子はないようだな。このまま崖の方に進んでも向こうは行き止まりだからな、帰ってくるにはまたこの道を歩かないと帰ってはこれない。と言う事はこの謎の人物は、同じく崖へと向かっている白面の鬼女と鉢合わせをすると言う事になる。これはまずい、非常にまずい展開だぜ!」
「あ、そう言えば如月栄子さんが山の風景を絵で描いてスケッチをしたいと言ってはいませんでしたか。もしかしたらこの足跡は、その如月栄子さんの物かも知れませんよ」
「如月栄子さんだと、まさかな。彼女は自室で大人しくしているんじゃないのか」
「でもあれから、彼女が部屋にいる所を誰も確認をしてはいませんよね」
「た、確かにな。いいや、でも有り得ない話ではないか。だとするならば、如月栄子さんの身が危ない。急ぐぞ、羊野!」
そう言うと勘太郎は更なる被害を心配しながら、羊野と共に再度全速力で走り出す。
大理石で出来た何かの記念碑や慰霊碑が立つ横を勢いよく通り過ぎ……回りの木々が生い茂る林の中に続く雪道を豪快に走っていたその時、行き成り「きゃあああぁーっ!」と言う誰かの悲鳴が勘太郎と羊野の耳へと届く。
(一体誰だ。まさか本当に如月栄子さんじゃないだろうな。まさか俺達の依頼人が白面の鬼女に襲われているのか? なら尚更急がなけねばなるまい。くそ、俺の足が遅いことがもどかしいぜ!)
勘太郎は更に走る速度を上げ、白面の鬼女が雪道に残した足跡をたどりながら断崖絶壁のある方角へと走る。
嫌な予感を抱きながら広い場所へ出た勘太郎は回りに人が誰も居ないことを確認すると、直ぐ後ろに付いて来ている羊野に向けて言う。
「ここが断崖絶壁のある場所だよな。だけど回りには人っ子一人いないぞ。本当に白面の鬼女はここに来ているのか?」
「はい、こちらで間違いはないと思いますよ。ここに来るまでに道は一本道しかありませんからね。たとえ林に隠れたり、どこかの獣道に曲がったのだとしても、私達からは必ず見えるはずです。なぜなら雪に残されてある足跡を消すことは絶対にできませんからね」
「だけどその理屈だと白面の鬼女が身を隠す所は何処にも無いと言う事になるぜ。白面の鬼女自身が山荘ホテルに戻ったのではないと言うのなら、一体奴はどこに消えたと言うんだ。まさか断崖絶壁のあるこの場所から、先に崖の前に来ていた人を道連れに飛び降りたんじゃないだろうな。そしてその犠牲になった一人の人物と言うのが、如月栄子と言う事になるぞ。ならその二人の死体は……この崖の下にあるとでも言うのか。そんな馬鹿な?」
そう叫びながら勘太郎は二つの足跡が続く雪道へとその視線を向けていたが、断崖絶壁のある岩場で二つの足跡が先端で綺麗に消えていた事を確認する。
更に勘太郎はその崖の下を急いで覗き見る。
「ここに携帯用の小さなパイプ椅子がある。それとスケッチブックと筆記用具もだ。その二つの足跡がこの崖の先端で途切れている……と言う事は……まさか」
そんな悪い予感を振り払いながら崖から顔を出し下を見下ろすと遙か下には密集している杉の木がまるでジオラマのように小さく見える。そうそれは標高千三百mという高さを強く強調していた。
「まさか、如月栄子さんはここで白面の鬼女に背後から襲われて、抵抗している内にそのまま一緒にこの崖から落ちたんじゃ無いだろうな。そうとしか考えられないぜ!」
「恐らくは私達の目を盗んでここで風景のスケッチでもしていたのでしょうね。これは明らかに私達の忠告を聞かなかった如月栄子さん自身のミスです。黒鉄さんは何も悪くはありませんよ」
「いいや、明らかにこれは俺のミスだ。ここに来て俺は一番守らないといけない依頼人を死なせてしまった。全く俺って奴は……誰一人として救えないのか!」
斉藤健吾に続いてまた人を守れなかった事に重い責任を感じている勘太郎は下に落ちていると思われる如月栄子の姿を懸命に探すが、標高が高いためかその姿を見つける事が中々できない。そんな悲嘆の表情を見せる勘太郎にすかさずフォローを入れる羊野だったが、錯乱している今の勘太郎の耳にはその言葉が全く届かない。
震える手で如月栄子の持っていたと思われるスケッチブックを持ち上げ、中を確認すると、そこにはこの山の風景と思われるいろんな絵が鉛筆で軽くスケッチされていた。
その描かれてあるスケッチブックの絵をめくりながら最後まで確認をしていた勘太郎は、裏表紙に如月栄子と書かれた彼女の名前を発見する。
このスケッチブックが本人の持ち物だと確信した勘太郎は目を伏せて項垂れると、依頼人を守れなかった自分自身の不甲斐なさをただひたすらに責めるのだった。
少し遅めの朝食を兼ねた休憩を終え部屋のドアを開けると、それと同時に宮鍋功と島田リリコの二人がお辞儀をしながら神妙な面持ちで自分達の部屋へと戻っていく。
その様子をジ~と眺めていた勘太郎に羊野が和やかに話しかける。
「あ、黒鉄さん、戻って来たんですね。こちらも事情聴取は一通りは終わりました」
「一通りって、江田俊一に続いて……宮鍋功と島田リリコの取り調べが終わったと言うことか。宮鍋功と島田リリコの取り調べにはそれなりに時間を掛けていたようだが、何か分かったのか?」
「昨日このホテル内に現れた白面の鬼女についての事ですが、その時はまだ彼らはこのホテルには居なかったので犯行は不可能だと考えます。ですが麓で、土砂崩れ現場に現れた白面の鬼女については彼らにも犯行は可能な訳ですからいろいろと話を聞きましたわ」
「それで、どうだったんだ」
勘太郎は左の胸ポケットから黒革の手帳と鉛筆を取り出すとその言葉の一字一句を聞き逃さないとばかりにメモを取る態勢を取るが、羊野はそんな勘太郎に向けて一つ咳払いをしながら静かに話し出す。
「宮鍋功さんと島田リリコさんの二人は麓のゴンドラには一番で乗ったらしいですから、その時点では彼らのアリバイを証明してくれる人は誰もいないとの事です。ですがその後に江田俊一さんがゴンドラに来ていますからその時点で二人がゴンドラに乗っていたというアリバイは江田俊一さんが知っていると言う事になります」
「まあ、江田俊一にしても、宮鍋功と島田リリコにしても、これといったアリバイがないんだよな。宮鍋功と島田リリコにしたって、ゴンドラに乗る前になら陣内朋樹を殺せるし。その後から来た江田俊一に至っては最初からでも後からでも陣内朋樹を殺せただろうからな」
「ええ、江田俊一さんにはこれといったアリバイがありませんからね。ですが何度も言うようですが陣内朋樹さんを殺害する動機もないのですよ」
「確かに江田俊一・宮鍋功・島田リリコの三人には登山サークル部の人達との接点は何も無いからな。だがだ、あの三人の内の誰かが闇の依頼人から殺しの依頼を受けた狂人だとしたならば、その殺害動機は最初から必要はないとも考えられる。そうだよな」
「まあ確かに、殺し屋に殺害動機は最初からないですからね。ただ依頼人の依頼のままに人を殺すだけですから」
「なら一体どうやって殺人鬼と化したあの白面の鬼女を見つけるんだ。このままじゃ埒が明かないぞ。そう言えば白面の鬼女が使う瞬間移動の秘密を教えてくれるとか言っていたよな。いい加減に今お前が知っている全ての事を教えろよ!」
「仕方有りませんわね。では白面の鬼女が使う瞬間移動トリックと……そのアリバイトリックについてお話しますわ」
そう羊野が話したその時、誰かが部屋のドアを激しくノックする。
ダン・ダン・ダン・ダン・ダン!
「たく、一体誰だ、こんな時に……」
ぼやきながらも勘太郎が部屋のドアを開けると、そこに現れたのは大学三年の田代まさやだった。田代まさやは体をブルブルと震わせながら今にも泣きそうな顔で叫ぶ。
「鬼女だ。白面の鬼女がまた現れたんだよ。三階の食堂でくつろいでいたら行き成り厨房の中からあの白面の鬼女が現れて、その場にいた大石学部長・飯島有先輩・斉藤健吾先輩・そしてこの俺にも襲いかかって来やがった。だけど瞬時に一階に降りて外へと逃げだした斉藤健吾先輩を追って白面の鬼女が下へと降りたから、一早く探偵さんにこの事を知らせようと思って部屋のドアを叩いたんだよ!」
「なにぃぃぃぃー、また白面の鬼女がこの山荘ホテル内に現れただとう! それで、白面の鬼女は外に逃げた斉藤健吾さんを追って外に向かったと言う事ですね」
「はい、白面の鬼女は今正に斉藤健吾先輩を殺しのターゲットに選んだのだと思います。その後を大石学部長と飯島有先輩が追ってはいますが、探偵さんだけが頼りなので直ぐに来て下さい!」
「分かりました、直ぐに行きます。行くぞ、羊野!」
黒革の手帳を左胸のポケットにしまいながら部屋を飛び出した勘太郎は羊野と田代まさやと共に二階を降り、一階の廊下を走り、玄関前まで来ると表玄関の引き戸を勢いよく引くが、そこで見た光景はその場にいる人達の目を嫌でも釘付けにする物だった。
何故ならそこには白面の鬼女によって首に鎖鎌の刃を当てられ羽交い締めにされている斉藤健吾の姿があったからだ。
その絶体絶命的な光景をただ見つめながら立ち竦む事しかできないでいる大石学部長と飯島有は青い顔をしながら震える声で叫ぶ。
「や、やめろ、止めるんだ。斉藤から手を離せ!」
「そ、そうよ、あなたは一体誰なのよ。まさか本当にあなたは如月妖子なの? そ、そんなはずはないわよね。な、なんとかいいなさいよ!」
そんな大石学部長と飯島有の呼びかけに白面の鬼女は不気味にだんまりを決め込んでいたが、荒々しく伸びた長い白い髪と真っ赤な血で汚れたと思われる赤いワンピースのスカートを揺らしながらその目も鼻も口もない真っ白な顔をその場にいる人達に向ける。
「キッイイイイイイイイイイイイイーィィィ!」
白面の鬼女のその不気味な謎の奇声を聞いた瞬間、羽交い締めにされていた斉藤健吾は逃げ出すのは今しか無いと思ったのか、行き成り力任せに暴れ出す。
「離せ、離しやがれ。この殺人鬼が。大石学部長……飯島……田代……それに探偵さん……早く助けてくれ!」
斉藤健吾は余りの恐怖に取り乱しているのか勢いのままにジタバタと暴れるが、その必死で逃れようとする斉藤健吾の力を持ってしても微動だにしない白面の鬼女は羽交い締めにしているその腕に更に力を込めると、暴れている斉藤健吾を半ば強制的に黙らせる。
「ぐっ……ぐぐぐぐ……や、やめろ……ぐぐ……」
首に思いっきりヘットロックを決められ羽交い締めにされているせいか意識を失い掛けている斉藤健吾の姿を見かねた勘太郎が白面の鬼女の前に立ちはだかる。
「そこまでだ白面の鬼女。いい加減に斉藤健吾さんを放すんだ!」
勘太郎は行き成り現れた白面の鬼女に内心かなりの恐怖を覚えていたが、今斉藤健吾が絶体絶命なこの時に逃げ出す訳にはいかないので、勇気を振り絞り彼女に話しかける。
「お前の真の目的は一体何なんだ。本当に俺達全員を殺す事なのか。もしもお前を雇った殺しの依頼人がいると言うのならそこには必ずターゲットとなる人間がいるはずだ。そして被害者でもある大学三年の陣内朋樹が殺され、そして今正に今度は大学四年の斉藤健吾に何らかの危害を与えようとしていると言う事は、やはりお前の狙いは登山サークル部のメンバーと言う事になるよな。もしそうならこの殺しにはやはり一年半前にこの山で行方不明になった如月妖子が関わっていると言う事なのか。どうなんだ白面の鬼女、その推測で間違いはないんだな。いい加減に答えろよ!」
「ク……クロガネノタンテイ……クロガネカンタロウ……ヤハリ……アクマデモジャマヲ……スルか」
白面の鬼女が勘太郎に向けて機械音にも似た声をマスク越しに出していると、後ろで怯えてみていた田代まさやが震える声で呼び掛ける。
「白面の鬼女……お前の正体はやはりあの……如月妖子なのか? そこがどうしても知りたいんだ。どうなんだよ、答えろよ!」
そんな田代まさやの必死な呼び掛けに話を聞いていた白面の鬼女が白面のマスクに触りながら応える。
『そうです、私はあなた方に無残にも殺された如月妖子です。皆さん、お久しぶりですね。皆さんを迎えに来ましたよ。じ、地獄ノ……ソコカラネ。さあ、皆さんで……地獄二……行きまショウ……ワタシが……案内……シマスわ……ギギギイィィーっ!」
白面の鬼女から発せられたその声は紛れもなく一年半前に行方不明になった如月妖子の声その物だった。
「その声はやはり如月妖子。とても信じられない事だが……やはりお前の正体は……あの如月妖子だったのか。お前は死んだはずだぞ。そんな馬鹿な……そんな馬鹿な……うわあぁぁぁあぁぁあぁぁーぁぁ!」
白面の鬼女が如月妖子かも知れないという現実を受け入れられないでいる田代まさやと、その声を聞いて更に青ざめる大石学部長と飯島有の怯えた反応を見ていた勘太郎だったが、その後ろから現れた白い羊のマスクを被った羊野が勘太郎の横で堂々と呟く。
「惑わされてはいけませんよ。あの機械的な声から行き成り変わった女性の声にはなんだか違和感があります。もしかしたら白面の鬼女のマスクにはICレコーダーのような機能が内蔵されていて。生前生きていた時の如月妖子さんの声を(彼女の家に合ったかも知れない)デジタルビデオから保存されている記録動画を収集して……その動画の中から如月妖子さんの声の記録データを元にパソコンの機材と声編集ソフトを使って声を加工して好きなように言葉を作り変えた可能性があります。そうです今の技術なら死人に言葉を話させる事くらいの芸当はやろうと思えば出来ると言う事です。そういう声の編集ソフトもあるみたいですからね、決して不可能ではないかと」
「でもそれはあくまでもお前の仮説の話だろ。白面の鬼女を取り押さえられない今のこの段階で、それをどうやって証明するんだよ?」
「簡単な事ですわ。白面の鬼女はその一方的な声の吹き替えをICレコーダーに吹き込んで登山サークル部の人達に如月妖子さんの存在を強く印象づけ確信させる為に持って来たはずですから、そのICレコーダーにはない予想を超えた有り得ない質問をすれば、その質問に白面の鬼女は言い返せないと思いますよ」
「よし、なら試してみるか。おい、如月妖子さん、もしあなたが如月妖子だと言うのなら、あなたのお姉さんの名前を言ってみてくれ。今すぐにだ!」
その勘太郎の問いに如月妖子の声を発する白面の鬼女が答える。
「私の名前は如月妖子……皆さんを迎えに来ました……」
「皆さんとは具体的に誰のことなんだ。答えろよ」
「そうですよ、私はあなた方に無残にも殺された如月妖子ですよ。皆さん久し振りですね。皆さんを迎えに来ましたよ……」
「話が噛み合ってないし、その台詞はさっきも聞いたぞ」
「行きまショウ……ワタシが……案内……シマスよ……」
「やはり羊野の言う用に、音声編集ソフトで作り上げた声をICレコーダーに吹き込んで、如月妖子の声を断片的に流していただけだったか。全くよ、いちいち紛らわしい事をしやがって」
その姑息な行いを羊野と勘太郎に見破られた事で白面の鬼女は白面のマスクの裏に隠し持っていた小型ICレコーダーを雪が積もる地面へと叩き付ける。
「ギギギイィィィーっ……ギギギイィィィーっ!」
「はた迷惑な嘘も見抜けた所で、そろそろ斉藤健吾を離して貰おうか。お前に斉藤健吾を殺させる訳にはいかないからな」
勘太郎は凄みのある言葉で少しずつ間合いを詰めて行くと、その動きに気付いた白面の鬼女が斉藤健吾の首元に当てている鎌の刃先を更に首に押しつける。
「ギギギイィィィーっ、ギギギイィィィーっ!」
「まさかこんなまっ昼間からのこのことその姿を現すとは正直思わなかったから流石に面食らったが、出てきたからにはもう逃がさないぞ。白面の鬼女、お前をここで捕まえてやるぜ。行くぞ羊野!」
勘太郎のその言葉を聞くな否や隣にいる羊野瞑子が、姑息にも人質を取る白面の鬼女に臆すること無く目の前に立つ。
「「……。」」
無言で睨み合うこと二~三秒。
羊野がスキーウエアの背中に隠し持っている後ろから二本の鋭利な打ち刃物の包丁を素早く取り出すと、物凄いスピードで白面の鬼女が振り下ろす鎌の刃と、白い腹黒羊こと羊野瞑子が持つ重量感のある包丁が鈍い金属音を響かせながら激しく交差する。
ガッキィィィィィィィーン!
「オ、オマエは、シロイ…腹黒ヒツジ……またオマエか……ドウアッテモ私のジャマヲ……スルか!」
「ええ、やっとこうしてあなたとまともに対峙をすることが出来たのですからここは楽しまないとですわ。昨日は直ぐにあなたは帰ってしまいましたから、ちゃんと自己紹介が出来ていませんでしたわね。では改めて自己紹介をさせて貰いますわ。私は白い腹黒羊と呼ばれている、元円卓の星座の狂人・羊野瞑子という者です。今は呼び名が省略されて白い羊とも呼ばれていますわ。どうぞお見知りおきを。聞きましたわよ。黒鉄さんが麓に降りた際は随分とお世話になったそうですが、今度は私がその心のこもったおもてなしを返す番ですから五体満足に帰れるとは思わないで下さい。まあ、できるだけ殺さないように努力はするつもりですが、あなたも私を殺す気満々で挑んで来るのでしょうから最初から手は抜きませんわよ。もしも運悪く私の攻撃が当たってしまったらその時は諦めて死んで下さいな。あなたも円卓の星座の狂人の一人なら、その覚悟くらいはあるんですよね。腕力にはそれなりに自信があるようですが、直ぐにあなたの実力を見極めてあげますわ。さあ一緒に死の共演を楽しみましょう。白面の鬼女さん。ホホホホホホっ!」
「白いハラグロ……ヒツジ……ウワサドウリノ……殺人キョウが……。だがスコシダケ……付きアって……ヤルか!」
「円卓の星座の中に白面の鬼女などという狂人がいる事を私は知りませんでした。と言う事は意図的にその存在を隠されている狂人か、あるいは私が組織を抜け出した後に加入した新参者かのどちらかですわ。このアスレチックのような山頂はどうやらあなたのテリトリーのようですが、狂人の格の違いと言う物を見せつけて差し上げますわ!」
「ソ、ソイツハ……楽しみダ……相手にナッテヤル、こい、白いハラグロヒツジ!」
精巧に出来た不気味な白い羊のマスクから見える赤い眼光を白面の鬼女に向けながら羊野瞑子は、大きな打ち刃物の包丁を力強く押しつける。今現在交差している打ち刃物の包丁と鎖鎌の刃が離れた瞬間に二人の本格的な戦いが始まるからだ。
グググググ……っ!
互いに顔を間近まで近づけながら睨み合う二人の狂人の異様な迫力に皆が目を見張り、その緊迫した状況に思わず息を呑む。
そんな緊縛した状況に飲み込まれながらも勘太郎はいつでも飛び出せる態勢を取りながら二人の戦いを静かに見守る。
「ホホホホホホっ! 行きますわよ!」
「キイイイーィィッ! コイ、相手にナッテヤル!」
白面の鬼女は間合いを取る為に一旦羊野から離れると柔道のような絞め技で羽交い締めにしている斉藤健吾の首を一気に締め上げる。その瞬間斉藤健吾は意識を失い、静かに雪が積もる地面へと崩れ落ちる。
「ぐっグググググ……っ」
ドサリ!
気絶をした斉藤健吾が地面に倒れるのと同時に鎖鎌を振るう白面の鬼女が不気味に「キッイイイーィィィ」と奇声を発しながら素早い一撃を繰り出すが、その一撃を軽々と避けた羊野瞑子が楽しげにステップを踏みながらその間合いを直ぐさま詰めて行く。だがそんな狂気を楽しむ二人の狂人の不気味な笑い声が周りにいる人達を嫌でも不安にさせる。
「キイイイイイーィィッ!」
「ほほほほほほほほーっ!
白面の鬼女は物凄い雄叫びを上げながら鎖鎌を振り回し切りつけるが、そのどれもが羊野瞑子にことごとく避けられ尚且つ防がれてしまう。だが足場が悪いのか凸凹の地面が雪で氷結した山道では思うようには動けず、羊野瞑子は本来の動きが出せないでいるようだ。
恐らくは動体視力や反射速度といったスピード的な能力では羊野瞑子の方が上のようだが、腕力を生かしたパワー的な耐久力や持続力といった方では白面の鬼女の方が上のようだ。しかもそれに加えてこの山は白面の鬼女のテリトリーでもあるので、地の利としても白面の鬼女の方が断然戦いやすいと思われる。
その危惧が当たってしまったのか、最初は勢いに任せて戦いを有利に運んでいた羊野瞑子だったが、疲れが出て来たのか徐々に動きが鈍くなりどうしても攻撃に決定打がつかめないでいるようだ。
そうここへ来て羊野瞑子の体力の持続性の無さが出てしまったのだ。つまりはスタミナ、体力の無さが羊野瞑子の致命的な弱点でもある。だからこそ羊野は体力のある内に勝負を急いでいるのだ。
そんな羊野瞑子とは対照的に動きこそ平均的だがその持続性のあるスタミナとその両腕から繰り出される剛力は白面の鬼女が有する最大の武器のようだ。ともなればその両手で羊野瞑子を一度でも捕まえる事ができれば、その時点で自慢の握力で羊野瞑子の喉元をいとも容易く握り潰す事も出来るだろう。
だが一瞬でも気を抜き油断をすれば逆に羊野瞑子の反射速度についてこれない白面の鬼女は羊野瞑子が持つ刃物による連続攻撃で急所を突かれ瞬時に死に至る可能性も充分にある。なのでできるだけ羊野瞑子とは間合いを取り、相手が疲れて完全に動けなくなるまで地道に待つ作戦にでたようだ。
勿論羊野もそれが分かっているので尚も激しく刃物による素早い連続攻撃を休みなく仕掛けて行く。
「ハア・ハア・ハア、直接的な接近戦を避けて守りに入りやがって……全く面倒ですわ!」
羊野は瞬時に白面の鬼女の間合いに入ると二双の打ち刃物の包丁を振り回しながら怒濤の連続の突きを浴びせるが、白面の鬼女はその突きの連打を手に持つ鎖鎌で裁いたり除けたりしながら冷静に防いで行く。
そんな二人の狂人のエキサイティングな激しい攻めぎ合いに、勘太郎はまるでアクション映画のワンシーンでも見ている用な錯覚へと陥ってしまう。
だが三分ほど時間が経過したその時、羊野の持つ打ち刃物の包丁の連打が白面の鬼女が着ている赤いワンピースの衣服をかすめ、当たった個所を少しずつ切り裂いて行く。どうやらここへきて羊野の執念が、受けに徹している白面の鬼女の体に届きつつあるようだ。
「ホホホホホホっ、どうやら刃物を使った武器の速さは私の方に武があるみたいですわね。あなたはその長身と細身の見た目に反して動きが若干遅いのですよ。反射神経と瞬発力が私よりも劣っていると言う事でしょうか。フフフ、そんなあなたを見ていると狂人・悪魔の水瓶というむかつく馬鹿女の事を思い出してしまいますわ。それにキャラや身体能力もダブって見えますから、ここは嫌でも力が入ってしまいますわ!」
羊野は言葉で挑発しながら、徐々に後ろへと下がる白面の鬼女を少しずつ追い立てて行く。
そんな二人の戦いの状況を見ていた勘太郎は後ろの腰ベルトに隠し持っている鉄で出来た警棒を右手で取り出すと、警棒を一振りしながらグリップの端にあるボタンを押す。するとグリップの先端が力強くシャキンと伸び、長さ五十センチくらいの警棒へと変わる。
「よし、俺も加勢するぞ。白面の鬼女、大人しくしろ!」
白面の鬼女が後ろへと徐々に後退しだした事でこの気を逃すまいと思った勘太郎は白面の鬼女の背後を取り後ろから手に持つ警棒を振り下ろすが、白面の鬼女はその奇襲を難無く振り払うとそのまま片腕を捕まれて豪快な背負い投げを雪で固められた地面へと決める。当然その衝撃で雪が積もる地面へと叩き落とされた勘太郎は激しく悶絶をする。
ドカン!
「ぐっ、はあぁ!」
また昨日の再現かと勘太郎が走馬灯のように思っていると白面の鬼女に瞬時に羽交い締めにされ、あっという間に人質にされてしまう。
「ウゴクナ、ウゴケバ……このタンテイノ……首が……キレルゾ……」
そう言いながら身構える白面の鬼女の手には、鋭利な刃を持つ鎖鎌がしっかりと強く握り締められていた。
勘太郎の首に、白面の鬼女が持つ鎖鎌の刃がゆっくりと伸びる。
(し、しまったぁぁ。新たな武器、黒鉄の警棒を持って意気揚々と考えも無しに飛びかかってしまったが、簡単に攻撃を防がれて、あっさりと押さえ込まれてしまった。まさか俺の背後からの奇襲にも気付くとは流石に思いもしなかったぜ。しかもそのまま人質にされてしまうとは、これは大きな大失態だ。流石に屈辱でしかないぜ。ちくしょう、ちくしょう!)と思いながらも勘太郎は何気に羊野の方を見てみると、その視線に応えるかの用に羊野は「はあ~、相変わらず黒鉄さんは学習しませんわね……」と言う無情な言葉が返って来る。
そんな勘太郎を人質に取った事で圧倒的な有利な状況を手に入れた白面の鬼女は、勘太郎の首筋に鎖鎌の刃を当てながら、機械音にも似た言葉を発する。
「武器をステロ、白イ……ハラグロ……羊……」
機械的な片言の言葉で話す白面の鬼女の要求に、羊野瞑子は従う気は全くないようだ。
勘太郎の今までの経験上、円卓の星座の狂人と呼ばれている者は皆、自分の欲望や自らのルールに定めた掟に従って行動する者達ばかりだが、勿論それはこの二年間一緒にいる狂人・白い腹黒羊とて例外では無い。
その証拠に勘太郎が人質に取られていると言うのに落ち着き払っている羊野瞑子は、鎖鎌の刃を突きつけられ羽交い締めにされている勘太郎に向けて何やら意味ありげな問いかけをする。
「敵に簡単に捕まってしまうとは、黒鉄さんは相変わらずですわね。時に黒鉄さん、いつも持ち歩いている黒革の手帳はちゃんといつもの場所に入れてありますか」
羊野は徐に本をめくるジェスチャーをしながら語りかける。
その真意に気付いた勘太郎は「ああ、勿論だ」と言いながらこれから羊野が行うであろういかれた行動に覚悟を決める。
その勘太郎の言葉を聞くな否や羊野は、手に持つ打ち刃物の包丁を構えると、猛ダッシュで勘太郎の懐へと入り込み、羽交い締めにされている勘太郎の心臓へとその刃を勢いよく突き立てる。その瞬間勘太郎の着ているスキーウエアの胸の木地が深々と沈み、風に乗って中にある綿が宙へと舞う。
羊野が深々と勘太郎の左の心臓部分に打ち刃物の包丁を突き刺した衝撃で体が大きく揺れ動き、後ろで抑えていた白面の鬼女にもその手応えがずっしりと伝わる。
そう羊野瞑子は何を思ったのか行き成り勘太郎の心臓を目がけて手に持つ包丁を深々と突き刺したのだ。
その信じられない予想外の光景に流石の白面の鬼女も一体何が起きたのかが分からず混乱する。
「白いハラグロヒツジ……オマエは一体……ナニヲカンガエテ……いるんだ。マサかここに来て……クロガネノ探偵を……コロスとは……気でも触れたか?」
「羊野……お、おまえぇ……」と言いながらその場へと倒れ込む勘太郎を見ていた白面の鬼女の動きが一瞬固まる。
「バ……バカナ……バカナ……ナゼ殺した……白いハラグロヒツジ?」
その一瞬の動揺を見逃さなかった羊野が好かさず「隙あり!」といいながら、もう片方の左手に持つ打ち刃物の包丁を白面の鬼女に目がけて突き立てるが、伸びきった左腕を素早く持ち上げ肩へと巻き込んだ白面の鬼女はそのまま背負い投げの態勢へと持ち込む。
「ギギギギギギイィィィーっ!」と謎の奇声を上げながら勢いよく羊野を空中へと投げ飛ばした白面の鬼女だったが、その一本背負いのような攻撃を羊野は空中で華麗に交わすと、前中返りをしながら雪が降り積もる地面へと静かに着地をする。
が、その瞬間、羊野は気付く。羊野が着ている白いスキーウエアの左肩の部分が大きく引き裂かれ、中の羽毛の繊維があらわとなっていた事を。
恐らくは豪快に投げ飛ばされた時に、白面の鬼女の指が羊野の着ているスキーウエアの左肩の部分の生地をつかんでいたのだろう。だから破けたのだ。全く持って恐ろしい握力である。
完全に体の力が抜け地面へと倒れ込む勘太郎から離れた白面の鬼女は羊野瞑子を警戒しながら勢いよく離れると、その隙をついてホテルの裏側の方へと行き成り猛ダッシュで走り出す。
その際、気絶から意識を取り戻し立ち上がろうとしている斉藤健吾の前まで来ると白面の鬼女は、すれ違いざまに手に持つ鎖鎌の刃の刃先を豪快にその首元の頸動脈へと振り下ろす。
その瞬間斉藤健吾の首筋に付けられた切り傷がパックリと開き、その頸動脈からは夥しい血がまるで噴水のように吹き上がる。
「あああぁ……おれ……まさか……首を切られたのか? 大石学部長……飯島……田代……一体俺……どうなってんだよ。さ、寒い……それに首が痛えよぉ……」
まるで白昼夢のようにそう呟くと斉藤健吾はそのまま雪が積もる地面へと倒れ込む。
ドサリ!
白面の鬼女が物凄いスピードで山荘ホテルの裏側にある慰霊碑方面に向けて走り去った後。その一部始終を見ていた大石学部長・飯島有・田代まさやの三人はまるで夢から覚めたかのように行き成り騒ぎ出す。
「うわあぁぁぁあっぁぁぁー、斉藤が、斉藤がやられた。早く止血をしろ!」
「駄目だ、血が止まらないわ。首の頸動脈を切られているんだからもう助からないわ。ちくしょう、ちくしょう、このままじゃみんなあの白面の鬼女に殺されてしまうわ。早くこの山頂から私達だけでも脱出して……逃げないと!」
「ちょっと飯島有先輩、何を言ってんですか、まだ斉藤先輩は生きていますよ!」
「頸動脈を切られているんだからもうすぐ死ぬわよ。斉藤健吾はもう駄目ね。なら私達だけでも助かる方法を何としてでも見つけないと絶対に生き残れないわ!」
「そうだよな。あの黒鉄の探偵とか言う弱っちい人も何故かあの頭の可笑しな羊の探偵助手とやらに殺されてしまったようだし、ここは部屋に閉じこもって救助隊が来るまで籠城を決め込むしかないようだな!」
「そんな、確かにあの探偵さんはかなり頼りなかったが斉藤先輩を助けるために身を挺して救おうとしてくれていたじゃないか。それなのにそんな言い方はないでしょ!」
「死んでしまったら俺達の弾よけにすらならないだろう。でもまさか同じ同業者に刺されるとはな。一体なにが原因でそうなったのかは知らないが、あの羊の探偵助手とやらにも注意をしないといけないな。あの羊人間からはあの白面の鬼女と同じ人種の臭いがするからな」
「あの羊の探偵助手とやらはかなりやばいでしょ。絶対に出で立ち的にも精神的にも頭がおかしいんだから、あまり近づかない方がいいと思うわ。包丁も持ち歩いている事だし、なんだか危険よ!」
「そうだな、飯島さんの言うとおりだぜ!」
冷酷な言葉を語る飯島有に続き今度は大石学部長が部屋に閉じこもりながら救助隊を待つ事を提案するが、そんな二人の態度に田代まさやはどうやら不満を感じているようだ。
今回の事で仲間にすら冷酷になれる大石学部長と飯島有の冷たさに人としてついて行けなくなって来ているようだ。
そんな三人の動揺と恐怖と思惑を何気にみていた羊野瞑子だったが、まるで何事も無かったかのように仰向けに倒れている勘太郎の前まで来ると、左胸に突き刺さっている包丁をゆっくりと引き抜きながら溜息交じりに言う。
「いつまで死んだ振りをしているのですか。早く起きて下さいな黒鉄さん、このままだとせっかく現れてくれた白面の鬼女を見失ってしまいますよ!」
その言葉を聞いた勘太郎は目をカッと見開きながら、勢いよく起き上がる。
「もう少し手加減をしろよ。物凄く痛かったぞ。俺が普段から鉄製のプレート入りの黒革の手帳を左胸ポケットに入れているとはいえ、もし少しでも突き刺す箇所がずれていたら間違いなく俺はお前の包丁に突き刺されて死んでいる所だぞ。もしそうなっていたらお前はどうするつもりだったんだよ!」
そういいながら勘太郎は黒色のウエアの中に着込んでいるワイシャツの左胸ポケットから黒革の手帳をゆっくりと取り出すと、その手帳をマジマジと確認する。どうやら黒革の手帳の表紙のカバーになっている鉄のプレートは貫通をしてはいないようだ。
そんな勘太郎の安堵の顔を見ながら羊野は、被ってある白い羊のマスクを傾けながら何やら不思議そうに言う。
「どうするもこうするも、心臓に間違って当たっていたらその時は間違いなく死ぬでしょうね。そんなのは当たり前じゃ無いですか? でも包丁で突き刺す前にちゃんと確認はしましたよね」
「確かにそうだが、お前のやることは行き成り過ぎるんだよ。咄嗟にお前がなにをするつもりなのかを何となく予想が付いていたから覚悟を決める事ができた物の。もしもお前の言葉の真意が分からずに黒革の手帳が入っていない時に軽はずみな返事をしてしまっていたら間違いなく俺は死んでいたかも知れないんだぞ。その可能性は考えなかったのか」
「ええ、全然考えませんでした。黒鉄さんがそんなヘマをこいて死んだのなら狂人ゲームに挑む挑戦者である以上、早かれ遅かれ死ぬ運命だったと言う事です。情けなくも呆気ない死だったと逆に笑って差し上げますわ。ですが黒鉄さんは運だけは異常にお強いですから特に心配はしてはいませんでしたけどね」
「いや、お前に聞いた俺が馬鹿だったよ。そうだよな、お前はそういう人間だったよな」
狂人・白い腹黒羊こと羊野瞑子はそういう人間だったと改めて再確認をした勘太郎は、今し方出血多量で全く動かなくなった斉藤健吾の生死を確認する。
無駄だと分かってはいるが頸動脈が切られて大量出血をしている首を田代まさやが貸してくれたマフラーでキツく押さえて見るが、だが当然のことながらその止血だけでは首からの出血を抑える事は出来ない。
「斉藤さん、聞こえますか。斉藤健吾さん!」
勘太郎の必死な呼びかけにも関わらず斉藤健吾の体温は急激にみるみる落ち、息が一段と荒くなる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「だ、駄目だ、血が全然止まらない。これじゃ……もう……いいやまだだ、俺は諦めないぞ。羊野、ホテルに戻って救急箱とありったけのタオルを持ってきてくれ。大至急だ!」
そんな勘太郎の必死な焦り具合を見つめながら、羊野が淡々と話し出す。
「頸動脈を切られているんですからそんな事をしても無駄ですよ。緊急ヘリも呼べない今、斉藤健吾さんを救う手段は全くありません。そんな事よりも今は白面の鬼女の行方の方を追う方が先決なのではありませんか」
「そんなのはまだ分からないだろ。タオルでキツく押さえていたら、もしかしたら血が止まるかも知れないじゃないか!」
「いえ、そんな事は絶対にないですから、諦めてください」
「うるさい、いいから早くタオルをもってこい!」
激高しながら心臓マッサージをする勘太郎に対し、羊野は斉藤健吾の目の瞳孔を覗きながら優しい声で言う。
「それにもう死んでいますから……心臓マッサージの必要はないと思いますよ」
「えっ?」
勘太郎は必死だったので全く気付かなかったが斉藤健吾はもう既に全く動かなくなっていて、当然息もしてはいないようだ。
そう斉藤健吾は既に死んでいたのだ。
諦めきれない勘太郎は更に三分ほど心臓マッサージを続けてみたが、あれから斉藤健吾の心臓が動くことはなかった。
「……。」
「そうか、もう亡くなってしまったか。くそぉぉ、俺達が近くにいながら斉藤健吾を救えなかったとは、またしても俺の失態だ。ちくしょう、ちくしょう!」
「ま、そういう時もありますよ。でも実際黒鉄さんは弱いながらも良くやっていると思いますよ。でも相手はあの狂人・白面の鬼女です。そう簡単にはいきませんよね。黒鉄さんが武器として持ち出した警棒で後ろから奇襲を仕掛けたにも関わらず不覚にも人質に取られてしまい。しかも黒鉄さんの心臓を刺して相手の動揺から隙を作ろうとした私の攻撃にも冷静に対応をし、逆に私を投げ飛ばすだなんて普通の人にはできない事です。しかも逃走する時間を稼ぐ為に斉藤健吾を瞬時に殺害して素早くこの場から逃げ去る事にも成功しています。それが実行出来たのは、間違いなく白面の鬼女の戦闘技術が高い証拠です」
「だが、そんなのは言い訳にはならないぜ。俺達がいる前で人が一人死んだ事は、間違いのない事実なんだからな。だが確かに今は人の死を嘆いている時ではないようだな。斉藤健吾の事は大石学部長達に任せて、俺達は山荘ホテルの裏側に逃走した白面の鬼女の後を追うぞ!」
もう既に息をしていない斉藤健吾の死を確認した勘太郎は、羊野を引き連れながら白面の鬼女の後を追う。
*
「白面の鬼女の奴は、一体どこへ行きやがった。こっちの方に逃げていることは間違いはないんだが?」
「全くもう、黒鉄さんが斉藤健吾さんの所で足止めを喰らっていたからですよ」
「うるさいな、あの状況じゃ仕方がないだろう! あ、ここは記念碑や慰霊碑がある場所だぞ。少し前にここで休憩をしていたんだが、この先にある断崖絶壁の方に続く雪道に誰かが歩いたと思われる靴跡が一つだけあったんだ。一体誰だろうな!」
「でも新雪の雪道に残されている足跡は今は二つになっていますね。少し古い方の足跡のサイズは二十六センチくらいでしょうか。そして今歩いたかのように新しいもう一つの足跡の方も同じく二十六センチくらいです。おそらくはこの後者に付けられた真新しい足跡の方が白面の鬼女の物のようですわね」
「それにしてもこの最初の足跡は一体だれの足跡なんだ。この崖へと続く行きの足跡からして、迂回して帰ってきた様子はないようだな。このまま崖の方に進んでも向こうは行き止まりだからな、帰ってくるにはまたこの道を歩かないと帰ってはこれない。と言う事はこの謎の人物は、同じく崖へと向かっている白面の鬼女と鉢合わせをすると言う事になる。これはまずい、非常にまずい展開だぜ!」
「あ、そう言えば如月栄子さんが山の風景を絵で描いてスケッチをしたいと言ってはいませんでしたか。もしかしたらこの足跡は、その如月栄子さんの物かも知れませんよ」
「如月栄子さんだと、まさかな。彼女は自室で大人しくしているんじゃないのか」
「でもあれから、彼女が部屋にいる所を誰も確認をしてはいませんよね」
「た、確かにな。いいや、でも有り得ない話ではないか。だとするならば、如月栄子さんの身が危ない。急ぐぞ、羊野!」
そう言うと勘太郎は更なる被害を心配しながら、羊野と共に再度全速力で走り出す。
大理石で出来た何かの記念碑や慰霊碑が立つ横を勢いよく通り過ぎ……回りの木々が生い茂る林の中に続く雪道を豪快に走っていたその時、行き成り「きゃあああぁーっ!」と言う誰かの悲鳴が勘太郎と羊野の耳へと届く。
(一体誰だ。まさか本当に如月栄子さんじゃないだろうな。まさか俺達の依頼人が白面の鬼女に襲われているのか? なら尚更急がなけねばなるまい。くそ、俺の足が遅いことがもどかしいぜ!)
勘太郎は更に走る速度を上げ、白面の鬼女が雪道に残した足跡をたどりながら断崖絶壁のある方角へと走る。
嫌な予感を抱きながら広い場所へ出た勘太郎は回りに人が誰も居ないことを確認すると、直ぐ後ろに付いて来ている羊野に向けて言う。
「ここが断崖絶壁のある場所だよな。だけど回りには人っ子一人いないぞ。本当に白面の鬼女はここに来ているのか?」
「はい、こちらで間違いはないと思いますよ。ここに来るまでに道は一本道しかありませんからね。たとえ林に隠れたり、どこかの獣道に曲がったのだとしても、私達からは必ず見えるはずです。なぜなら雪に残されてある足跡を消すことは絶対にできませんからね」
「だけどその理屈だと白面の鬼女が身を隠す所は何処にも無いと言う事になるぜ。白面の鬼女自身が山荘ホテルに戻ったのではないと言うのなら、一体奴はどこに消えたと言うんだ。まさか断崖絶壁のあるこの場所から、先に崖の前に来ていた人を道連れに飛び降りたんじゃないだろうな。そしてその犠牲になった一人の人物と言うのが、如月栄子と言う事になるぞ。ならその二人の死体は……この崖の下にあるとでも言うのか。そんな馬鹿な?」
そう叫びながら勘太郎は二つの足跡が続く雪道へとその視線を向けていたが、断崖絶壁のある岩場で二つの足跡が先端で綺麗に消えていた事を確認する。
更に勘太郎はその崖の下を急いで覗き見る。
「ここに携帯用の小さなパイプ椅子がある。それとスケッチブックと筆記用具もだ。その二つの足跡がこの崖の先端で途切れている……と言う事は……まさか」
そんな悪い予感を振り払いながら崖から顔を出し下を見下ろすと遙か下には密集している杉の木がまるでジオラマのように小さく見える。そうそれは標高千三百mという高さを強く強調していた。
「まさか、如月栄子さんはここで白面の鬼女に背後から襲われて、抵抗している内にそのまま一緒にこの崖から落ちたんじゃ無いだろうな。そうとしか考えられないぜ!」
「恐らくは私達の目を盗んでここで風景のスケッチでもしていたのでしょうね。これは明らかに私達の忠告を聞かなかった如月栄子さん自身のミスです。黒鉄さんは何も悪くはありませんよ」
「いいや、明らかにこれは俺のミスだ。ここに来て俺は一番守らないといけない依頼人を死なせてしまった。全く俺って奴は……誰一人として救えないのか!」
斉藤健吾に続いてまた人を守れなかった事に重い責任を感じている勘太郎は下に落ちていると思われる如月栄子の姿を懸命に探すが、標高が高いためかその姿を見つける事が中々できない。そんな悲嘆の表情を見せる勘太郎にすかさずフォローを入れる羊野だったが、錯乱している今の勘太郎の耳にはその言葉が全く届かない。
震える手で如月栄子の持っていたと思われるスケッチブックを持ち上げ、中を確認すると、そこにはこの山の風景と思われるいろんな絵が鉛筆で軽くスケッチされていた。
その描かれてあるスケッチブックの絵をめくりながら最後まで確認をしていた勘太郎は、裏表紙に如月栄子と書かれた彼女の名前を発見する。
このスケッチブックが本人の持ち物だと確信した勘太郎は目を伏せて項垂れると、依頼人を守れなかった自分自身の不甲斐なさをただひたすらに責めるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【アラウコの叫び 】第2巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる