社長の×××

恩田璃星

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せめて、最高のはじめてを 5

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 「側に居るの、限界だったんだ?」

 遠慮がちに葵の肩に手を置くと、そのまま力なく俺の胸に収まった。

 「よく頑張ったね」

 その言葉が引き金となったのか、葵は堰を切ったように泣き始めた。

 しがみ付く手が、嗚咽を漏らす口が、小刻みに震える体が、全身で真田律を好きだと叫んでいるようだ。

 行き場を失って宙に浮いていた手を、葵の背中に回してそっと撫でてやることしかできない。

 好きじゃなきゃこんなふうに慰めたりしない。
 でも、好きだからこそこの役目は辛い。

 大粒の涙が次々に葵の綺麗な目から溢れては、俺のパジャマに染み込んでいく。
 俺はそこから体の芯が冷たくなっていくような感触にひたすら耐えた。




 しゃくり上げるペースが落ちて来た頃、俺を掴んでいた手が緩み、葵が俺の胸からゆっくりと顔を上げた。

 未だ涙を湛えたままの瞳で俺を見た葵は、請い願うように言った。

 「…っ、課長、忘れさせてくれますか?」






 自分の心臓の音が、次第に速く、大きくなっていくのが分かる。

 確かに昨日、『俺を誘惑してみて』とは言った。
 それがまさか、こんな展開になるなんて。

 「…意味分かって言ってる?」

 「はい」

 「俺でいいの?」

 「…課長が良いんです」


 一度視線が絡み合えば、解くことなんてできなくて。

 葵はやっぱり『真田のお姫様』なのだ、と痛感する。

 真田律を忘れる為に、俺を利用するのだ。
 目的の為なら手段を選ばない。
 完全に真田家のやり方じゃないか。

 俺に拒否するという選択肢はない。

 葵の望みはどんな手を使ってでも叶えよう。
 俺の全てを差し出そう。
 そう誓ったのだから。

 「…すごい殺し文句」

 葵の一言が作り出したこの状況が苦しすぎて、本当に死ねそうだ。
 でも、だからと言って他の誰かに委ねるなんて、死んでもできない。

 「いいよ。りっちゃん忘れさせるだけじゃなくて、俺から離れられないようにしてあげる」

 せめて、本当にそうなればいい。
 呪いにも似た想いを込めて、葵に唇を重ねた。





 葵の唇は緊張のせいかキュッと結ばれているのに、想像以上に柔らかく、温かかった。
 角度を変えて、何度も軽く触れているうちに、僅かに開いた隙間に舌を侵入させた。

 ヌルリとした熱い感触と、葵の味に一気に狂わされる。

 貪るように舌で口腔内をかき回していると、葵が喘いだ。

 「ハァッ、課長っ、んぅ、苦しっ…んむっ」

 「唯人」

 「ゆぃ?…んんっ」

 「ちゃんと名前呼んで、誰にサレてるか脳に刻んで?」

 俺が葵に触れているこの瞬間は、『課長」なんて肩書き呼びじゃなく、ちゃんと名前を呼んで、俺のことだけ考えて欲しい。
 そして真田律のことは頭の片隅からさえも消して欲しい。

 みっともない独占欲。

 「ゆい、と」

 鼻にかかった、甘えたような声。
堪らない。

 「…もう一回」

 「唯人…ん…ん」

 俺の名を呼ぶ葵の顔が見たくなって、唇を離した。

 焦点の合わなくなった瞳。
 真っ赤に染まった頬。
 混ざり合った俺と葵の唾液が、口の端から一筋垂れている。

 欲情した女のカオ。




 二人が本当に関係じゃないのなら…。

 「真田さんのこと何でも知ってるりっちゃんも、こんなハシタナイ真田さんの顔は知らないんだ」

 歪んだ優越感が、葵を辱めるような台詞セリフを口走らせた。

 でも、優越感そんなものは呆気なく吹き飛ばされた。
 押し倒した葵の首にチラつく真田律アイツの残した痕。

 こんなもの、今すぐ皮膚ごと剥ぎ取ってしまいたい。

 「ん、いたっ…」

 対抗心剥き出しで、赤い印を覆うようにして思い切り吸い付くと、葵が小さく悲鳴を上げた。

 真田律の付けた印が、俺の付けた印に上書きされたのを見て、やっと少し冷静さを取り戻せた。

 俺がはだけさせた胸元は、本来の白い肌がピンク色に染まっていて、熟れた桃のようだ。

 今度は優しく唇を滑らせると、葵の全身がビクッとなって硬直した。
 ぎこちない反応を確かめるかのように、わざと音を立てると、熱い吐息に混じった葵の嬌声が聞こえた。

 吸い付くような肌に何度も同じように唇を這わせながら、他に真田律の印がないかを探したが、着衣のままの葵には見当たらなかった。





 ーもしかして、見えないところにあるとか?

 そう思ったらさっき取り戻した僅かな冷静さは消え失せ、確かめずにはいられない。
 性急な手つきで葵の着ていたものを捲り上げた。

 「やっ…!」

 慌てて隠したつもりらしいけど、しっかり見えた。

 一点のシミも黒子も、真田律の痕もない、真っ白な…いや、薄桃色に染まった上半身。

 隠されると見たくなるのは、男のサガだ。

 「見せて」

 細い手首を捉えて胸の前で交差していた腕を優しく開かせる。

 見たことない程、美しい身体に息を飲む。
 それを羞恥に震わせながら、下唇を噛む葵の艶かしさは尋常じゃない。

 自分の喉が生唾を飲み下す音が鼓膜に体に響く。

 『ねぇ、本当に真田律と寝たことないの?』

 声に出さなかったのは、強い色香を放つ身体とは対照的な、俺を受け入れたぎこちない唇と、初々しすぎる反応に、真田律と葵二人が本当に関係じゃないという説明を、納得し始めていたから。

 加えて、一つの可能性も頭を過っていた。





 そもそも葵は、経験自体ないんじゃないだろうか?
 あの真田律が、葵を抱いていないのなら、そう考えるのが自然だ。

 「ふ…」

 意図せず笑いが漏れた。

 葵がまだ誰のものでもない事が嬉しくて。
 葵がそこまでして忘れたいほど、真田律アイツを想ってるのが、悲し過ぎて。

 乱れた呼吸のせいで上下する胸に、耳を当てる。
 皮膚を突き破りそうな程、葵の心臓が緊張で跳ね上がっている。

 多分、間違いない。

 耐えきれない程の羞恥心と、これから俺にされることへの不安と期待が、鼓動から伝わってくる。

 何年も何年も真田律を想って、焦がれて、こんなにも熟した身体を持て余して来たのだろう。

 それならー

 「な、課長!?」

 「課長じゃなくて、唯人だって」

 「ゆ、唯人。何笑って!?」

 「こうやってると真田さんの動悸で頭が跳ねそう」

 「っ!?だって!!」

 「可愛い」

 「…っ!」

 「あ、また跳ねた」

 「もうっ…!」

 「ごめんね。だからもう止められそうにない」


 せめて、キミに最高の初めてをー





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