115 / 131
束の間の幸福 3
しおりを挟む
ドアのところに立っていたのは、羽鳥という執事だった。
「真田前会長にお会いしたい」
「お約束のない方はお通しできません」
羽鳥は、俺に一瞥もくれることなく、無表情のまま言い放った。
「今ここで、あなたが真田会長のスパイだってことを大声で叫んでも?」
心の中では思い切り舌を出しながら、こちらも感情を伴わない声で返すと、羽鳥は何も言わず、一旦部屋の中に消えた。
そしてすぐに戻って来ると、部屋の中に通された。
「何故ここに来た?儂とのことは他に知られてはならんと言ってあっただろう?」
ただでさえすごい威圧感なのに、今日は無理を言って通してもらったせいで機嫌が悪いのか、凄みが増している。
でも、ここまで来たんだ。
引くわけにはいかない。
「はい。ですが、今日は一つどうしても聞いていただきたいお願いがあって参りました」
「お前ごときが何を…」
「今回のお話、なかったことにしてください」
「…何?」
「私の会社は、この二ヶ月で売り上げを伸ばし、今期すでに黒字の見込みが立っています。今後も数字は順調に伸びていく予定です」
「…二ヶ月で?」
「ですから、我が社には真田グループとの契約は、必要なくなりました」
「それは…葵との結婚を白紙にしたいと…葵が気に入らんということか!!」
「いえ、その逆です。純粋に葵さんとの結婚だけ、お許しいただくわけにはいかないでしょうか」
頭を下げ続けたまま、真田翁の返事を待っている時だった。
遠くで雷の様な怒声が聞こえたかと思うと、俄かにドアの外が騒がしくなった。
ほぼ同じタイミングでノックもせずに羽鳥が部屋に入って来て、
「大旦那様!律様と葵様がっ…!!」
と言ったのを耳にすると、請願の返事を聞くことも、退室の断りをすることも忘れて部屋を飛び出していた。
ロビーの方を見れば、確かに葵と真田律が何かを言い争っている。
すぐに二人のところへ駆けつけようと走り出す。
しかし、俺の足はすぐにブレーキを掛けさせられた。
突如出て来た、両手を広げた女に進路を妨害されたのだ。
「あんたなんかに律の大切なお姫様は渡さないわ」
派手な顔立ちと、強気な口調に覚えがあった。
礼美によく似ているが、違う。
この女はー
「…瑠美さん?礼美の姉の…?何でこんなところに!?」
「それはこっちのセリフよ。まさかあなたとこんなところで…東雲家の長女である私の婚約発表の場で会うなんてね」
「『私』の…婚約発表…?」
いつかホテルのロビーで見た背中は、この女のものだったか。
きちんと確認しなかったことが、今更ながら悔やまれる。
「あなた、また礼美のときと同じ様に、金目当てで資産家の令嬢をたぶらかしてるんでしょう?」
「誤解です!それに、縁談を一方的に断って来たのは貴女方のご両親だ!」
「あっさりと承諾したじゃない!あれから礼美がどれだけ泣いたかなんて、あなたは想像したこともないんでしょうね。こんなに早く次の女に乗り換えられるんですもの!!」
「それはっ…気持ちがないまま礼美さんとの結婚を進めたのは申し訳なかったと思っています。でも…瑠美さんは律さんの婚約者なんでしょう?何故こんなことを…」
「だって、律は私で、あの子も私で…。あの二人、本当は想い合ってるんだもの!!家のためなんかに諦めて…。私と違って、本当は何の障害もないはずだもの…ちゃんと結ばれなきゃ…」
泣き出しそうな顔で訴えられても、彼女の言っていることは半分くらいしか意味が分からない。
「何言って…?」
「だから…だから律に教えてあげたのよ。あなたがお姫様に近づいたのはお金のためだって!うちの親からの手切れ金が律のお姫様だったんだって!」
目の前が真っ暗になると同時に、この騒ぎの、真田律の怒りの原因が自分だったことを知った。
「アオ以外の真田の人間と話すことなんて、もう俺には何もない!!」
ロビーから聞こえる真田律の怒声にハッとさせられる。
こんなところで呆然としている場合じゃない。
葵にも、真田律にも自分の口からきちんと説明しなければ。
「礼美さんへの謝罪は後でいくらでもします。だから、今は通してください」
「いやよ!あの二人の邪魔はさせないわ!!」
「…っ、いいからどけっ!!」
食い下がろうとする瑠美を押し退けて、葵たちのところに走る間も、口論は続いていて、ついには真田律が葵を連れて走り出した。
「葵っ!待って!!」
俺の前方で真田会長が二人に向かって叫んでいるせいか、俺の声は届かない。
こちらを振り返ることもない。
「葵、行くな!葵ーーーっっ!!」
全力で走っても二人に追いつくことはできず、エントランスを出たところで、葵を乗せた真田律の白いSUVが、俺の目の前を走り去って行ってしまった。
追いかけようにも普段ホテルに詰めているタクシーは、こういう時に限って出払ってしまっている。
自分の車はここから走って5分はかかるコインパーキングだ。
「…っ、クソッッ!!!」
気が狂いそうなもどかしさに、大理石でできたホテルの支柱を思い切り殴りつけた。
国道まで出てタクシーを拾うしかない。
再び走りだそうとしたところで、腕を引いて止められた。
「…真田会長!?」
「天澤くん…頼む。追わないでやってくれ」
「葵は…葵さんは、今日律さんに東雲瑠美を紹介された時、もう吹っ切れたと言ってくれたんです。…葵次第だと仰っていたじゃないですか!!」
「それは、律が動こうとしなかったから…葵が律の気持ちを知らなかったからだ」
真田律が葵に思いを伝えれば、俺なんて出る幕はないということか。
正論過ぎて何も言い返せず、ただ唇を噛み締めるしかできない。
「君には…巻き込んで申し訳ないと思っているし、感謝してる。二人の為に、色々とありがとう。もちろん、それ相応の対価は払わせてもらうよ」
「…要り…ません」
『俺が欲しかったのは、葵だけです』という言葉は、喉が引き攣って声にならなかった。
「真田前会長にお会いしたい」
「お約束のない方はお通しできません」
羽鳥は、俺に一瞥もくれることなく、無表情のまま言い放った。
「今ここで、あなたが真田会長のスパイだってことを大声で叫んでも?」
心の中では思い切り舌を出しながら、こちらも感情を伴わない声で返すと、羽鳥は何も言わず、一旦部屋の中に消えた。
そしてすぐに戻って来ると、部屋の中に通された。
「何故ここに来た?儂とのことは他に知られてはならんと言ってあっただろう?」
ただでさえすごい威圧感なのに、今日は無理を言って通してもらったせいで機嫌が悪いのか、凄みが増している。
でも、ここまで来たんだ。
引くわけにはいかない。
「はい。ですが、今日は一つどうしても聞いていただきたいお願いがあって参りました」
「お前ごときが何を…」
「今回のお話、なかったことにしてください」
「…何?」
「私の会社は、この二ヶ月で売り上げを伸ばし、今期すでに黒字の見込みが立っています。今後も数字は順調に伸びていく予定です」
「…二ヶ月で?」
「ですから、我が社には真田グループとの契約は、必要なくなりました」
「それは…葵との結婚を白紙にしたいと…葵が気に入らんということか!!」
「いえ、その逆です。純粋に葵さんとの結婚だけ、お許しいただくわけにはいかないでしょうか」
頭を下げ続けたまま、真田翁の返事を待っている時だった。
遠くで雷の様な怒声が聞こえたかと思うと、俄かにドアの外が騒がしくなった。
ほぼ同じタイミングでノックもせずに羽鳥が部屋に入って来て、
「大旦那様!律様と葵様がっ…!!」
と言ったのを耳にすると、請願の返事を聞くことも、退室の断りをすることも忘れて部屋を飛び出していた。
ロビーの方を見れば、確かに葵と真田律が何かを言い争っている。
すぐに二人のところへ駆けつけようと走り出す。
しかし、俺の足はすぐにブレーキを掛けさせられた。
突如出て来た、両手を広げた女に進路を妨害されたのだ。
「あんたなんかに律の大切なお姫様は渡さないわ」
派手な顔立ちと、強気な口調に覚えがあった。
礼美によく似ているが、違う。
この女はー
「…瑠美さん?礼美の姉の…?何でこんなところに!?」
「それはこっちのセリフよ。まさかあなたとこんなところで…東雲家の長女である私の婚約発表の場で会うなんてね」
「『私』の…婚約発表…?」
いつかホテルのロビーで見た背中は、この女のものだったか。
きちんと確認しなかったことが、今更ながら悔やまれる。
「あなた、また礼美のときと同じ様に、金目当てで資産家の令嬢をたぶらかしてるんでしょう?」
「誤解です!それに、縁談を一方的に断って来たのは貴女方のご両親だ!」
「あっさりと承諾したじゃない!あれから礼美がどれだけ泣いたかなんて、あなたは想像したこともないんでしょうね。こんなに早く次の女に乗り換えられるんですもの!!」
「それはっ…気持ちがないまま礼美さんとの結婚を進めたのは申し訳なかったと思っています。でも…瑠美さんは律さんの婚約者なんでしょう?何故こんなことを…」
「だって、律は私で、あの子も私で…。あの二人、本当は想い合ってるんだもの!!家のためなんかに諦めて…。私と違って、本当は何の障害もないはずだもの…ちゃんと結ばれなきゃ…」
泣き出しそうな顔で訴えられても、彼女の言っていることは半分くらいしか意味が分からない。
「何言って…?」
「だから…だから律に教えてあげたのよ。あなたがお姫様に近づいたのはお金のためだって!うちの親からの手切れ金が律のお姫様だったんだって!」
目の前が真っ暗になると同時に、この騒ぎの、真田律の怒りの原因が自分だったことを知った。
「アオ以外の真田の人間と話すことなんて、もう俺には何もない!!」
ロビーから聞こえる真田律の怒声にハッとさせられる。
こんなところで呆然としている場合じゃない。
葵にも、真田律にも自分の口からきちんと説明しなければ。
「礼美さんへの謝罪は後でいくらでもします。だから、今は通してください」
「いやよ!あの二人の邪魔はさせないわ!!」
「…っ、いいからどけっ!!」
食い下がろうとする瑠美を押し退けて、葵たちのところに走る間も、口論は続いていて、ついには真田律が葵を連れて走り出した。
「葵っ!待って!!」
俺の前方で真田会長が二人に向かって叫んでいるせいか、俺の声は届かない。
こちらを振り返ることもない。
「葵、行くな!葵ーーーっっ!!」
全力で走っても二人に追いつくことはできず、エントランスを出たところで、葵を乗せた真田律の白いSUVが、俺の目の前を走り去って行ってしまった。
追いかけようにも普段ホテルに詰めているタクシーは、こういう時に限って出払ってしまっている。
自分の車はここから走って5分はかかるコインパーキングだ。
「…っ、クソッッ!!!」
気が狂いそうなもどかしさに、大理石でできたホテルの支柱を思い切り殴りつけた。
国道まで出てタクシーを拾うしかない。
再び走りだそうとしたところで、腕を引いて止められた。
「…真田会長!?」
「天澤くん…頼む。追わないでやってくれ」
「葵は…葵さんは、今日律さんに東雲瑠美を紹介された時、もう吹っ切れたと言ってくれたんです。…葵次第だと仰っていたじゃないですか!!」
「それは、律が動こうとしなかったから…葵が律の気持ちを知らなかったからだ」
真田律が葵に思いを伝えれば、俺なんて出る幕はないということか。
正論過ぎて何も言い返せず、ただ唇を噛み締めるしかできない。
「君には…巻き込んで申し訳ないと思っているし、感謝してる。二人の為に、色々とありがとう。もちろん、それ相応の対価は払わせてもらうよ」
「…要り…ません」
『俺が欲しかったのは、葵だけです』という言葉は、喉が引き攣って声にならなかった。
0
あなたにおすすめの小説
年上幼馴染の一途な執着愛
青花美来
恋愛
二股をかけられた挙句フラれた夕姫は、ある年の大晦日に兄の親友であり幼馴染の日向と再会した。
一途すぎるほどに一途な日向との、身体の関係から始まる溺愛ラブストーリー。
女嫌いな騎士が一目惚れしたのは、給金を貰いすぎだと値下げ交渉に全力な訳ありな使用人のようです
珠宮さくら
恋愛
家族に虐げられ結婚式直前に婚約者を妹に奪われて勘当までされ、目障りだから国からも出て行くように言われたマリーヌ。
その通りにしただけにすぎなかったが、虐げられながらも逞しく生きてきたことが随所に見え隠れしながら、給金をやたらと値下げしようと交渉する謎の頑張りと常識があるようでないズレっぷりを披露しつつ、初対面から気が合う男性の女嫌いなイケメン騎士と婚約して、自分を見つめ直して幸せになっていく。
君に何度でも恋をする
明日葉
恋愛
いろいろ訳ありの花音は、大好きな彼から別れを告げられる。別れを告げられた後でわかった現実に、花音は非常識とは思いつつ、かつて一度だけあったことのある翔に依頼をした。
「仕事の依頼です。個人的な依頼を受けるのかは分かりませんが、婚約者を演じてくれませんか」
「ふりなんて言わず、本当に婚約してもいいけど?」
そう答えた翔の真意が分からないまま、婚約者の演技が始まる。騙す相手は、花音の家族。期間は、残り少ない時間を生きている花音の祖父が生きている間。
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
お見合いから本気の恋をしてもいいですか
濘-NEI-
恋愛
元カレと破局して半年が経った頃、母から勧められたお見合いを受けることにした涼葉を待っていたのは、あの日出逢った彼でした。
高橋涼葉、28歳。
元カレとは彼の転勤を機に破局。
恋が苦手な涼葉は人恋しさから出逢いを求めてバーに来たものの、人生で初めてのナンパはやっぱり怖くて逃げ出したくなる。そんな危機から救ってくれたのはうっとりするようなイケメンだった。 優しい彼と意気投合して飲み直すことになったけれど、名前も知らない彼に惹かれてしまう気がするのにブレーキはかけられない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる