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束の間の幸福 3
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ドアのところに立っていたのは、羽鳥という執事だった。
「真田前会長にお会いしたい」
「お約束のない方はお通しできません」
羽鳥は、俺に一瞥もくれることなく、無表情のまま言い放った。
「今ここで、あなたが真田会長のスパイだってことを大声で叫んでも?」
心の中では思い切り舌を出しながら、こちらも感情を伴わない声で返すと、羽鳥は何も言わず、一旦部屋の中に消えた。
そしてすぐに戻って来ると、部屋の中に通された。
「何故ここに来た?儂とのことは他に知られてはならんと言ってあっただろう?」
ただでさえすごい威圧感なのに、今日は無理を言って通してもらったせいで機嫌が悪いのか、凄みが増している。
でも、ここまで来たんだ。
引くわけにはいかない。
「はい。ですが、今日は一つどうしても聞いていただきたいお願いがあって参りました」
「お前ごときが何を…」
「今回のお話、なかったことにしてください」
「…何?」
「私の会社は、この二ヶ月で売り上げを伸ばし、今期すでに黒字の見込みが立っています。今後も数字は順調に伸びていく予定です」
「…二ヶ月で?」
「ですから、我が社には真田グループとの契約は、必要なくなりました」
「それは…葵との結婚を白紙にしたいと…葵が気に入らんということか!!」
「いえ、その逆です。純粋に葵さんとの結婚だけ、お許しいただくわけにはいかないでしょうか」
頭を下げ続けたまま、真田翁の返事を待っている時だった。
遠くで雷の様な怒声が聞こえたかと思うと、俄かにドアの外が騒がしくなった。
ほぼ同じタイミングでノックもせずに羽鳥が部屋に入って来て、
「大旦那様!律様と葵様がっ…!!」
と言ったのを耳にすると、請願の返事を聞くことも、退室の断りをすることも忘れて部屋を飛び出していた。
ロビーの方を見れば、確かに葵と真田律が何かを言い争っている。
すぐに二人のところへ駆けつけようと走り出す。
しかし、俺の足はすぐにブレーキを掛けさせられた。
突如出て来た、両手を広げた女に進路を妨害されたのだ。
「あんたなんかに律の大切なお姫様は渡さないわ」
派手な顔立ちと、強気な口調に覚えがあった。
礼美によく似ているが、違う。
この女はー
「…瑠美さん?礼美の姉の…?何でこんなところに!?」
「それはこっちのセリフよ。まさかあなたとこんなところで…東雲家の長女である私の婚約発表の場で会うなんてね」
「『私』の…婚約発表…?」
いつかホテルのロビーで見た背中は、この女のものだったか。
きちんと確認しなかったことが、今更ながら悔やまれる。
「あなた、また礼美のときと同じ様に、金目当てで資産家の令嬢をたぶらかしてるんでしょう?」
「誤解です!それに、縁談を一方的に断って来たのは貴女方のご両親だ!」
「あっさりと承諾したじゃない!あれから礼美がどれだけ泣いたかなんて、あなたは想像したこともないんでしょうね。こんなに早く次の女に乗り換えられるんですもの!!」
「それはっ…気持ちがないまま礼美さんとの結婚を進めたのは申し訳なかったと思っています。でも…瑠美さんは律さんの婚約者なんでしょう?何故こんなことを…」
「だって、律は私で、あの子も私で…。あの二人、本当は想い合ってるんだもの!!家のためなんかに諦めて…。私と違って、本当は何の障害もないはずだもの…ちゃんと結ばれなきゃ…」
泣き出しそうな顔で訴えられても、彼女の言っていることは半分くらいしか意味が分からない。
「何言って…?」
「だから…だから律に教えてあげたのよ。あなたがお姫様に近づいたのはお金のためだって!うちの親からの手切れ金が律のお姫様だったんだって!」
目の前が真っ暗になると同時に、この騒ぎの、真田律の怒りの原因が自分だったことを知った。
「アオ以外の真田の人間と話すことなんて、もう俺には何もない!!」
ロビーから聞こえる真田律の怒声にハッとさせられる。
こんなところで呆然としている場合じゃない。
葵にも、真田律にも自分の口からきちんと説明しなければ。
「礼美さんへの謝罪は後でいくらでもします。だから、今は通してください」
「いやよ!あの二人の邪魔はさせないわ!!」
「…っ、いいからどけっ!!」
食い下がろうとする瑠美を押し退けて、葵たちのところに走る間も、口論は続いていて、ついには真田律が葵を連れて走り出した。
「葵っ!待って!!」
俺の前方で真田会長が二人に向かって叫んでいるせいか、俺の声は届かない。
こちらを振り返ることもない。
「葵、行くな!葵ーーーっっ!!」
全力で走っても二人に追いつくことはできず、エントランスを出たところで、葵を乗せた真田律の白いSUVが、俺の目の前を走り去って行ってしまった。
追いかけようにも普段ホテルに詰めているタクシーは、こういう時に限って出払ってしまっている。
自分の車はここから走って5分はかかるコインパーキングだ。
「…っ、クソッッ!!!」
気が狂いそうなもどかしさに、大理石でできたホテルの支柱を思い切り殴りつけた。
国道まで出てタクシーを拾うしかない。
再び走りだそうとしたところで、腕を引いて止められた。
「…真田会長!?」
「天澤くん…頼む。追わないでやってくれ」
「葵は…葵さんは、今日律さんに東雲瑠美を紹介された時、もう吹っ切れたと言ってくれたんです。…葵次第だと仰っていたじゃないですか!!」
「それは、律が動こうとしなかったから…葵が律の気持ちを知らなかったからだ」
真田律が葵に思いを伝えれば、俺なんて出る幕はないということか。
正論過ぎて何も言い返せず、ただ唇を噛み締めるしかできない。
「君には…巻き込んで申し訳ないと思っているし、感謝してる。二人の為に、色々とありがとう。もちろん、それ相応の対価は払わせてもらうよ」
「…要り…ません」
『俺が欲しかったのは、葵だけです』という言葉は、喉が引き攣って声にならなかった。
「真田前会長にお会いしたい」
「お約束のない方はお通しできません」
羽鳥は、俺に一瞥もくれることなく、無表情のまま言い放った。
「今ここで、あなたが真田会長のスパイだってことを大声で叫んでも?」
心の中では思い切り舌を出しながら、こちらも感情を伴わない声で返すと、羽鳥は何も言わず、一旦部屋の中に消えた。
そしてすぐに戻って来ると、部屋の中に通された。
「何故ここに来た?儂とのことは他に知られてはならんと言ってあっただろう?」
ただでさえすごい威圧感なのに、今日は無理を言って通してもらったせいで機嫌が悪いのか、凄みが増している。
でも、ここまで来たんだ。
引くわけにはいかない。
「はい。ですが、今日は一つどうしても聞いていただきたいお願いがあって参りました」
「お前ごときが何を…」
「今回のお話、なかったことにしてください」
「…何?」
「私の会社は、この二ヶ月で売り上げを伸ばし、今期すでに黒字の見込みが立っています。今後も数字は順調に伸びていく予定です」
「…二ヶ月で?」
「ですから、我が社には真田グループとの契約は、必要なくなりました」
「それは…葵との結婚を白紙にしたいと…葵が気に入らんということか!!」
「いえ、その逆です。純粋に葵さんとの結婚だけ、お許しいただくわけにはいかないでしょうか」
頭を下げ続けたまま、真田翁の返事を待っている時だった。
遠くで雷の様な怒声が聞こえたかと思うと、俄かにドアの外が騒がしくなった。
ほぼ同じタイミングでノックもせずに羽鳥が部屋に入って来て、
「大旦那様!律様と葵様がっ…!!」
と言ったのを耳にすると、請願の返事を聞くことも、退室の断りをすることも忘れて部屋を飛び出していた。
ロビーの方を見れば、確かに葵と真田律が何かを言い争っている。
すぐに二人のところへ駆けつけようと走り出す。
しかし、俺の足はすぐにブレーキを掛けさせられた。
突如出て来た、両手を広げた女に進路を妨害されたのだ。
「あんたなんかに律の大切なお姫様は渡さないわ」
派手な顔立ちと、強気な口調に覚えがあった。
礼美によく似ているが、違う。
この女はー
「…瑠美さん?礼美の姉の…?何でこんなところに!?」
「それはこっちのセリフよ。まさかあなたとこんなところで…東雲家の長女である私の婚約発表の場で会うなんてね」
「『私』の…婚約発表…?」
いつかホテルのロビーで見た背中は、この女のものだったか。
きちんと確認しなかったことが、今更ながら悔やまれる。
「あなた、また礼美のときと同じ様に、金目当てで資産家の令嬢をたぶらかしてるんでしょう?」
「誤解です!それに、縁談を一方的に断って来たのは貴女方のご両親だ!」
「あっさりと承諾したじゃない!あれから礼美がどれだけ泣いたかなんて、あなたは想像したこともないんでしょうね。こんなに早く次の女に乗り換えられるんですもの!!」
「それはっ…気持ちがないまま礼美さんとの結婚を進めたのは申し訳なかったと思っています。でも…瑠美さんは律さんの婚約者なんでしょう?何故こんなことを…」
「だって、律は私で、あの子も私で…。あの二人、本当は想い合ってるんだもの!!家のためなんかに諦めて…。私と違って、本当は何の障害もないはずだもの…ちゃんと結ばれなきゃ…」
泣き出しそうな顔で訴えられても、彼女の言っていることは半分くらいしか意味が分からない。
「何言って…?」
「だから…だから律に教えてあげたのよ。あなたがお姫様に近づいたのはお金のためだって!うちの親からの手切れ金が律のお姫様だったんだって!」
目の前が真っ暗になると同時に、この騒ぎの、真田律の怒りの原因が自分だったことを知った。
「アオ以外の真田の人間と話すことなんて、もう俺には何もない!!」
ロビーから聞こえる真田律の怒声にハッとさせられる。
こんなところで呆然としている場合じゃない。
葵にも、真田律にも自分の口からきちんと説明しなければ。
「礼美さんへの謝罪は後でいくらでもします。だから、今は通してください」
「いやよ!あの二人の邪魔はさせないわ!!」
「…っ、いいからどけっ!!」
食い下がろうとする瑠美を押し退けて、葵たちのところに走る間も、口論は続いていて、ついには真田律が葵を連れて走り出した。
「葵っ!待って!!」
俺の前方で真田会長が二人に向かって叫んでいるせいか、俺の声は届かない。
こちらを振り返ることもない。
「葵、行くな!葵ーーーっっ!!」
全力で走っても二人に追いつくことはできず、エントランスを出たところで、葵を乗せた真田律の白いSUVが、俺の目の前を走り去って行ってしまった。
追いかけようにも普段ホテルに詰めているタクシーは、こういう時に限って出払ってしまっている。
自分の車はここから走って5分はかかるコインパーキングだ。
「…っ、クソッッ!!!」
気が狂いそうなもどかしさに、大理石でできたホテルの支柱を思い切り殴りつけた。
国道まで出てタクシーを拾うしかない。
再び走りだそうとしたところで、腕を引いて止められた。
「…真田会長!?」
「天澤くん…頼む。追わないでやってくれ」
「葵は…葵さんは、今日律さんに東雲瑠美を紹介された時、もう吹っ切れたと言ってくれたんです。…葵次第だと仰っていたじゃないですか!!」
「それは、律が動こうとしなかったから…葵が律の気持ちを知らなかったからだ」
真田律が葵に思いを伝えれば、俺なんて出る幕はないということか。
正論過ぎて何も言い返せず、ただ唇を噛み締めるしかできない。
「君には…巻き込んで申し訳ないと思っているし、感謝してる。二人の為に、色々とありがとう。もちろん、それ相応の対価は払わせてもらうよ」
「…要り…ません」
『俺が欲しかったのは、葵だけです』という言葉は、喉が引き攣って声にならなかった。
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