123 / 131
葵の帰還 1
しおりを挟む
唯人の秘書になってすぐの頃、関連企業や同業者の情報収集のために、地方紙を含む各社の新聞が読めるアプリをスマホに入れた。
それからは、スマホを触るとき、まずはそのアプリを開くのが習慣になった。
退職してからまだ日も浅いせいで、久々に電源を入れた今日も、無意識にそうしていたらしい。
『真田総合病院の副医院長真田律さん(26)が、(株)シノノメの会長の長女である東雲瑠美さん(27)と結婚することが分かった。』
「…何、これ」
頭が真っ白になる。
いつか、律がお見合いをすることになったと、日菜子さんに聞かされた時と同じくらいの衝撃。
「何で?一体何がどうなって…?」
足の力が一気に抜けて、立っていられなくなりそうだ。
よろめきながら、近くにあるソファーに、倒れこむように体を預けた。
もう一度読み返しても、間違いない。嘘じゃない。夢でもない。
呆然としつつも、頭の端っこが冷静に事態を整理し始める。
ああ、そうか。まただ。
私は一体何を自惚れていたのだろう。
どんな嘘をつかれても、どんな隠し事をされても、私にとって律は、簡単に嫌いになって縁を切れるような軽い存在じゃない。
だけど、律は違ったんだ。
どうして、きちんと自分の気持ちを整理して、素直に話せば、今までどおりとは行かなくても、律と仲直りできるなんて、甘いこと考えてしまったんだろう。
私の知っている律は、決断が速くて、正確。
自分に従わない私なんて、もう要らない。
瑠美さんとのことは、その意思表示。
もしそうでないと言うなら、誰でもいいから私が納得いくよう、この状況を説明してよ。
どうしよう。
今更のこのこ日本に帰っても、もう真田家に私の居場所はない。
私が帰ることで、律の結婚にだって影響が出かねない。
母に頼んでもう少し居させてもらおうか。
いや、無理だ。
今朝の二人を目の当たりにして、そんなことできるわけがない。
もう一度、無機質に並ぶ文字を眺めながら、この世界のどこにも、本当に自分の居場所がなくなったのだと思い知らされた。
どうしてもこのまま日本に帰る気になれなくて、飛行機の予約をキャンセルすることにした。
ところが、スマホを操作しようにも、動揺しているせいか、何度も入力ミスをしてしまう始末。
フライトの時間が迫っているため、確実にキャンセルできるよう、航空会社のサービスカウンターまで行き、なんとか無事に手続きを終えた。
*
それからどのくらいの間、ベンチに座っていただろう。
気付けば辺りはすっかり暗くなって、空港内を行き交う人も疎らになっている。
そんな中、少し離れたところから、現地人らしき若い男がこちらに向かって歩いて来た。
透き通るような白い肌が、私を混乱の沼に突き落とした張本人の面影と重なって、思わず目を逸らした。
それを知ってか知らずか、相手は私の目の前に立ち、やや癖のある英語で話しかけて来た。
これ…もしかして、ナンパされてる…?
作り笑いを浮かべながら、何度も断っているうちに、段々どうでも良くなってきた。
それに、よく考えれば、断る理由なんてない。
私なんて誰も待っていないんだし。
押し潰されそうな孤独に、差し出された手を取ろうとした時。
ひどく懐かしい、でも、聞いたことのない程恐ろしい声が、私の名を呼んだ。
「葵っ!!!」
弾かれたように顔を上げた私は、声の主を確認すると、驚きで声も出せなかった。
誰の声か、分かっていた筈なのに。
確かにさっき、『誰でもいいからこの状況を説明して』とは思ったけど、よりによって、どうしてー
ーどうして、唯人が?
夢でもみているのだろうか?
すごい速さで私の所まで駆け寄って来た唯人は、ナンパ男が差し出していた手を勢いよく払い退けると、相手を日本語で一喝し、あっという間に退散させた。
私はただ、その光景を呆然と眺めるしかできなかった。
ハァッと短くため息をついて、私に向き直った唯人の顔には、目尻のシワなんて一本もなくて。
代わりに眉間に、深いシワが一本刻まれている。
本当に、本物?
「行くよ」
不意に手首を掴まれ、伝わる体温が、私を一気に現実に引き戻す。
「な…なんで…アメリカに…」
「いいから来い!」
唯人のスケジュールは、覚えている限り3ヶ月先までビッシリ埋まっていた。
それなのに、なんでこんな所に?
引きずられるように歩きながら、理由はともかく、ここに唯人がいるということこそが、律の結婚の事実を裏付ける何よりの証拠のような気がした。
空港を出ると、そのままタクシーに押し込まれた。
すぐ後から乗り込んで来た唯人が、近くのホテルの名前を告げてから、車内は水を打ったような静けさ。
車が止まるまで、ただ、掴まれた手から唯人の怒りが伝わってくるのだけを感じていた。
私が逃げ出すとでも思っているのか、チェックインの手続をしている最中も、唯人は私の手を離さなかった。
それからは、スマホを触るとき、まずはそのアプリを開くのが習慣になった。
退職してからまだ日も浅いせいで、久々に電源を入れた今日も、無意識にそうしていたらしい。
『真田総合病院の副医院長真田律さん(26)が、(株)シノノメの会長の長女である東雲瑠美さん(27)と結婚することが分かった。』
「…何、これ」
頭が真っ白になる。
いつか、律がお見合いをすることになったと、日菜子さんに聞かされた時と同じくらいの衝撃。
「何で?一体何がどうなって…?」
足の力が一気に抜けて、立っていられなくなりそうだ。
よろめきながら、近くにあるソファーに、倒れこむように体を預けた。
もう一度読み返しても、間違いない。嘘じゃない。夢でもない。
呆然としつつも、頭の端っこが冷静に事態を整理し始める。
ああ、そうか。まただ。
私は一体何を自惚れていたのだろう。
どんな嘘をつかれても、どんな隠し事をされても、私にとって律は、簡単に嫌いになって縁を切れるような軽い存在じゃない。
だけど、律は違ったんだ。
どうして、きちんと自分の気持ちを整理して、素直に話せば、今までどおりとは行かなくても、律と仲直りできるなんて、甘いこと考えてしまったんだろう。
私の知っている律は、決断が速くて、正確。
自分に従わない私なんて、もう要らない。
瑠美さんとのことは、その意思表示。
もしそうでないと言うなら、誰でもいいから私が納得いくよう、この状況を説明してよ。
どうしよう。
今更のこのこ日本に帰っても、もう真田家に私の居場所はない。
私が帰ることで、律の結婚にだって影響が出かねない。
母に頼んでもう少し居させてもらおうか。
いや、無理だ。
今朝の二人を目の当たりにして、そんなことできるわけがない。
もう一度、無機質に並ぶ文字を眺めながら、この世界のどこにも、本当に自分の居場所がなくなったのだと思い知らされた。
どうしてもこのまま日本に帰る気になれなくて、飛行機の予約をキャンセルすることにした。
ところが、スマホを操作しようにも、動揺しているせいか、何度も入力ミスをしてしまう始末。
フライトの時間が迫っているため、確実にキャンセルできるよう、航空会社のサービスカウンターまで行き、なんとか無事に手続きを終えた。
*
それからどのくらいの間、ベンチに座っていただろう。
気付けば辺りはすっかり暗くなって、空港内を行き交う人も疎らになっている。
そんな中、少し離れたところから、現地人らしき若い男がこちらに向かって歩いて来た。
透き通るような白い肌が、私を混乱の沼に突き落とした張本人の面影と重なって、思わず目を逸らした。
それを知ってか知らずか、相手は私の目の前に立ち、やや癖のある英語で話しかけて来た。
これ…もしかして、ナンパされてる…?
作り笑いを浮かべながら、何度も断っているうちに、段々どうでも良くなってきた。
それに、よく考えれば、断る理由なんてない。
私なんて誰も待っていないんだし。
押し潰されそうな孤独に、差し出された手を取ろうとした時。
ひどく懐かしい、でも、聞いたことのない程恐ろしい声が、私の名を呼んだ。
「葵っ!!!」
弾かれたように顔を上げた私は、声の主を確認すると、驚きで声も出せなかった。
誰の声か、分かっていた筈なのに。
確かにさっき、『誰でもいいからこの状況を説明して』とは思ったけど、よりによって、どうしてー
ーどうして、唯人が?
夢でもみているのだろうか?
すごい速さで私の所まで駆け寄って来た唯人は、ナンパ男が差し出していた手を勢いよく払い退けると、相手を日本語で一喝し、あっという間に退散させた。
私はただ、その光景を呆然と眺めるしかできなかった。
ハァッと短くため息をついて、私に向き直った唯人の顔には、目尻のシワなんて一本もなくて。
代わりに眉間に、深いシワが一本刻まれている。
本当に、本物?
「行くよ」
不意に手首を掴まれ、伝わる体温が、私を一気に現実に引き戻す。
「な…なんで…アメリカに…」
「いいから来い!」
唯人のスケジュールは、覚えている限り3ヶ月先までビッシリ埋まっていた。
それなのに、なんでこんな所に?
引きずられるように歩きながら、理由はともかく、ここに唯人がいるということこそが、律の結婚の事実を裏付ける何よりの証拠のような気がした。
空港を出ると、そのままタクシーに押し込まれた。
すぐ後から乗り込んで来た唯人が、近くのホテルの名前を告げてから、車内は水を打ったような静けさ。
車が止まるまで、ただ、掴まれた手から唯人の怒りが伝わってくるのだけを感じていた。
私が逃げ出すとでも思っているのか、チェックインの手続をしている最中も、唯人は私の手を離さなかった。
2
あなたにおすすめの小説
年上幼馴染の一途な執着愛
青花美来
恋愛
二股をかけられた挙句フラれた夕姫は、ある年の大晦日に兄の親友であり幼馴染の日向と再会した。
一途すぎるほどに一途な日向との、身体の関係から始まる溺愛ラブストーリー。
女嫌いな騎士が一目惚れしたのは、給金を貰いすぎだと値下げ交渉に全力な訳ありな使用人のようです
珠宮さくら
恋愛
家族に虐げられ結婚式直前に婚約者を妹に奪われて勘当までされ、目障りだから国からも出て行くように言われたマリーヌ。
その通りにしただけにすぎなかったが、虐げられながらも逞しく生きてきたことが随所に見え隠れしながら、給金をやたらと値下げしようと交渉する謎の頑張りと常識があるようでないズレっぷりを披露しつつ、初対面から気が合う男性の女嫌いなイケメン騎士と婚約して、自分を見つめ直して幸せになっていく。
君に何度でも恋をする
明日葉
恋愛
いろいろ訳ありの花音は、大好きな彼から別れを告げられる。別れを告げられた後でわかった現実に、花音は非常識とは思いつつ、かつて一度だけあったことのある翔に依頼をした。
「仕事の依頼です。個人的な依頼を受けるのかは分かりませんが、婚約者を演じてくれませんか」
「ふりなんて言わず、本当に婚約してもいいけど?」
そう答えた翔の真意が分からないまま、婚約者の演技が始まる。騙す相手は、花音の家族。期間は、残り少ない時間を生きている花音の祖父が生きている間。
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
お見合いから本気の恋をしてもいいですか
濘-NEI-
恋愛
元カレと破局して半年が経った頃、母から勧められたお見合いを受けることにした涼葉を待っていたのは、あの日出逢った彼でした。
高橋涼葉、28歳。
元カレとは彼の転勤を機に破局。
恋が苦手な涼葉は人恋しさから出逢いを求めてバーに来たものの、人生で初めてのナンパはやっぱり怖くて逃げ出したくなる。そんな危機から救ってくれたのはうっとりするようなイケメンだった。 優しい彼と意気投合して飲み直すことになったけれど、名前も知らない彼に惹かれてしまう気がするのにブレーキはかけられない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる