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四天王寺ロダンの足音がする『四天王寺ロダンの挨拶』より
その13
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(13)
彼がビールを飲み干すのを待って僕は問いかけた。
「で…、まずは何を始めたの?」
グラスを畳の上に置くと、彼は胡坐を崩してやや中腰になりズボンのポケットから何かを出した。
「こいつです」
手にしたものを僕の前に置く。
それは都市銀行のM社のカードだった。
「これかい?」
「ええ、そうです。まずはこいつの暗唱番号を探せないかなと考えたんです」
彼はそこでふふふと笑みを浮かべた。それを見て僕がおかしそうだなと思って彼に言う。
「どうしたのさ、ふふふなんて笑ってさ」
彼が首を撫でまわす。
「いやぁ、存外僕も中々頭が切れる類(たぐい)何だなぁと思いましてね」
彼がニヤニヤして僕を見た。
「この番号、意外と早く分かったんですよ」
「何だって!!??」
僕は驚いて身体を乗り出す。
「本当かい…?」
「ええ、そうです。だから田中さん言ったでしょう。僕も中々頭が切れる類(たぐい)何だなぁって」
「そ、それはじゃあ、どんな番号だったんだい??」
急くように彼に言葉をかける。そんな僕を少し落ち着かせるようにまぁまぁと言って、彼が僕のグラスにビールを注いだ。
時を同じく、曲が変わる。
どこの国の音楽だろう。
そんな思いが急く心に挟む。
「こいつはいい曲ですねぇ。確かスペインの曲だと思いますが、月夜に僕らが話す内容にはおあつらえ向きですね」
言って彼が再び『三四郎』に手を伸ばしてページを開く。それから開いたまま、僕の方に手渡した。
それを受け取ると僕は彼に言った。
「これが…、どうかしたのかい?」
うん、と彼が頷く。
「田中さん、そこ…、見て下さい。ページ番号の所…」
僕は開いたページの番号を見る。
そこを見て、おや?と言う。
「ページ番号が…、丸囲みされているね」
僕が開いているのは20ページだった。
「田中さん、他にも囲まれているところがあるんです」
言われて数ページ捲る。確かに丸囲みがされている。最初の方に戻してみるとそれは幾つかのページだった。それを言葉に出す。
「えっと…、ちょっと待てよ。最初は…、19ページ…、えっと次が20ページ…、それから少し飛んで46ページ…、あとは…、そうだね。特に無いようだ…ね」
僕はそこまで言うと顔を上げる。上げるとロダンがにこにこしている。
「どうしたのさ?これ。別に不思議じゃない、読んだ人が何か気に入る場面とか…ひょっとしたらそんな言葉があって丸をしたんじゃないの?」
「成程ですねぇ…、それで田中さん、その該当ページは何か印象深いことが書いてありますか?」
(印象深い…?)
言われてから該当のページに目を通す。
19と20は続きのページだ。
――ここは主人公の三四郎が汽車に乗り豊橋でむくりと起きた男と話す場面、それも腿の事を話している場面だ。
ページを捲るとダ・ヴィンチについて二人は話している。では46ページはというと、昌之助という若者と三四郎が話している内容だ。娘(むすめ)義太夫(ぎだゆう)とか、何とか…。
「どうです?」
ロダンの声が僕の思索の世界に届く。
僕は本から目を離して彼を見る。
「…まぁ…人によりけりだね。別にこの本で特に文学的にも感想的にも…、重要な場面ではないように思うよ」
彼が目をぱちくりさせる。
「ご名答です。その通りですよ。僕も最初田中さんと同じ意見です。何度も読み込んでも何も湧かない。一応X氏以外の人が書き込んだかどうかも考えましたが、普通、本を売ろうとすればそんな落書きをすれば売れないでしょうからね。おそらくそれはX氏の手のものだろうと仮定できます、それで僕の出した結論は…つまり丸囲みはX氏が記入したが、本文ページその個所と恐らくX氏とは何も脈略も関係が無いと言うことになりました」
「…、うん」
静かに答える。それは同意している意味もあるが混迷しているという僕の理解でもある。
それに彼が答えてくれるのか?
彼がアフロヘアを掻いた。
「それでではと思い。こいつはだからひょっとすると…誰かに向けた『誘導』つまり、或る考えに至った人ならわかると言うような暗号なんではないかなと…」
「暗号??」
思わず、言ってから驚きの声を上げそうになったが、直ぐに彼が手で制す。
「それが銀行カードの暗証番号だと思った?違いますか、田中さん?」
制した手が人差し指を指して僕を向く。
僕は頷く。
しかし、その指はゆっくりと左右に振られる。
「そいつは早合点でさぁ。答えはノンノンですよ」
彼は苦笑いを浮かべる。
「違ったのかい?」
「ええ、見事に違いました。僕もそう思ったので急ぎ銀行まで走り番号を画面に打ちこみましたが、結果は駄目でした」
「なぁんだ…、期待したのに」
がっくりと肩を落とす。
それを見て彼が笑う。
「つまり19、46、20これらを組み合わせて暗唱番号になるかやってみたんですが、全然だめでね。おまけに銀行のATMの警備員に怪しまれる始末でした」
はっはっはっと笑って彼が僕に言う。
「でもね、実は田中さん。暗唱番号、実は僕分かったんですよ」
そこで先程黙った驚きが今度こそ声になった。
「どうやって?」
僕の驚きに彼が大きく笑う。
「いえいえ、やはり世の中の成功というのは多くの失敗の上にできているということが良く自分にも身に染みて分かりました。それは凄く簡単だったんです」
「どう簡単だったのさ??」
ええ、彼は言ってから本の表紙を叩く。
「つまり番号は『三四郎』数字で四桁『3460(さんしろう)』ちなみに『0346』も試してみたんですがこいつは違ってました」
僕は驚きに目を丸くする。
「えっとですね。つまりさっき本のページ番号が丸囲みされていたでしょう?あれは『答え』を導くための何でしょう…思索へのアナグラムというのか、まぁ答えを探らせるために、感じさせるためのヒントなんですね。つまり『鍵』なんですよ。つまり…19、46、20これらを組み合わせて暗唱番号になるのではないかと考えに至った人に対する、まぁ言い換えればこの謎を解こうとするものに対しての『誘導』という役割を持っていたんですね」
「でも何故、それが『3460(さんしろう)』なんだろう。回答を聞けば意外と幼稚で、何も…暗証番号としては高度性もない。ぎゃくにああそうかと分かりやすくて失望だよ」
僕は呟く。
そこで彼は言った。
「おそらく、数字を分かりやすいものにしたかったんじゃないですかね…」
「分かりやすいものに?」
ロダンが銀行カードを手に取ると、まじまじと見ながら話しだす。
「だってこの銀行カードに振り込まれた回数と金額が確か『不倫相手の名前』だった筈ですよねぇ。つまりX氏は心の中でその人物を世間に公開したいと願っているのですから、そんなにハードルを高く設定をしては誰にも分からずじまいになる…それは本望ではない。しかしながらその反面、謎が解けて欲しくもない、そんな『賭け』もしている」
僕等の背にスペインの音楽が流れて行く。それが汗と混じり、僕等の背中を濡らしている。
「全く持ってここでこのX氏という存在がますますもって『愉快』な気分で悦に浸る性格を顕著に表している人物なのだと言えますよね」
彼がビールを飲み干すのを待って僕は問いかけた。
「で…、まずは何を始めたの?」
グラスを畳の上に置くと、彼は胡坐を崩してやや中腰になりズボンのポケットから何かを出した。
「こいつです」
手にしたものを僕の前に置く。
それは都市銀行のM社のカードだった。
「これかい?」
「ええ、そうです。まずはこいつの暗唱番号を探せないかなと考えたんです」
彼はそこでふふふと笑みを浮かべた。それを見て僕がおかしそうだなと思って彼に言う。
「どうしたのさ、ふふふなんて笑ってさ」
彼が首を撫でまわす。
「いやぁ、存外僕も中々頭が切れる類(たぐい)何だなぁと思いましてね」
彼がニヤニヤして僕を見た。
「この番号、意外と早く分かったんですよ」
「何だって!!??」
僕は驚いて身体を乗り出す。
「本当かい…?」
「ええ、そうです。だから田中さん言ったでしょう。僕も中々頭が切れる類(たぐい)何だなぁって」
「そ、それはじゃあ、どんな番号だったんだい??」
急くように彼に言葉をかける。そんな僕を少し落ち着かせるようにまぁまぁと言って、彼が僕のグラスにビールを注いだ。
時を同じく、曲が変わる。
どこの国の音楽だろう。
そんな思いが急く心に挟む。
「こいつはいい曲ですねぇ。確かスペインの曲だと思いますが、月夜に僕らが話す内容にはおあつらえ向きですね」
言って彼が再び『三四郎』に手を伸ばしてページを開く。それから開いたまま、僕の方に手渡した。
それを受け取ると僕は彼に言った。
「これが…、どうかしたのかい?」
うん、と彼が頷く。
「田中さん、そこ…、見て下さい。ページ番号の所…」
僕は開いたページの番号を見る。
そこを見て、おや?と言う。
「ページ番号が…、丸囲みされているね」
僕が開いているのは20ページだった。
「田中さん、他にも囲まれているところがあるんです」
言われて数ページ捲る。確かに丸囲みがされている。最初の方に戻してみるとそれは幾つかのページだった。それを言葉に出す。
「えっと…、ちょっと待てよ。最初は…、19ページ…、えっと次が20ページ…、それから少し飛んで46ページ…、あとは…、そうだね。特に無いようだ…ね」
僕はそこまで言うと顔を上げる。上げるとロダンがにこにこしている。
「どうしたのさ?これ。別に不思議じゃない、読んだ人が何か気に入る場面とか…ひょっとしたらそんな言葉があって丸をしたんじゃないの?」
「成程ですねぇ…、それで田中さん、その該当ページは何か印象深いことが書いてありますか?」
(印象深い…?)
言われてから該当のページに目を通す。
19と20は続きのページだ。
――ここは主人公の三四郎が汽車に乗り豊橋でむくりと起きた男と話す場面、それも腿の事を話している場面だ。
ページを捲るとダ・ヴィンチについて二人は話している。では46ページはというと、昌之助という若者と三四郎が話している内容だ。娘(むすめ)義太夫(ぎだゆう)とか、何とか…。
「どうです?」
ロダンの声が僕の思索の世界に届く。
僕は本から目を離して彼を見る。
「…まぁ…人によりけりだね。別にこの本で特に文学的にも感想的にも…、重要な場面ではないように思うよ」
彼が目をぱちくりさせる。
「ご名答です。その通りですよ。僕も最初田中さんと同じ意見です。何度も読み込んでも何も湧かない。一応X氏以外の人が書き込んだかどうかも考えましたが、普通、本を売ろうとすればそんな落書きをすれば売れないでしょうからね。おそらくそれはX氏の手のものだろうと仮定できます、それで僕の出した結論は…つまり丸囲みはX氏が記入したが、本文ページその個所と恐らくX氏とは何も脈略も関係が無いと言うことになりました」
「…、うん」
静かに答える。それは同意している意味もあるが混迷しているという僕の理解でもある。
それに彼が答えてくれるのか?
彼がアフロヘアを掻いた。
「それでではと思い。こいつはだからひょっとすると…誰かに向けた『誘導』つまり、或る考えに至った人ならわかると言うような暗号なんではないかなと…」
「暗号??」
思わず、言ってから驚きの声を上げそうになったが、直ぐに彼が手で制す。
「それが銀行カードの暗証番号だと思った?違いますか、田中さん?」
制した手が人差し指を指して僕を向く。
僕は頷く。
しかし、その指はゆっくりと左右に振られる。
「そいつは早合点でさぁ。答えはノンノンですよ」
彼は苦笑いを浮かべる。
「違ったのかい?」
「ええ、見事に違いました。僕もそう思ったので急ぎ銀行まで走り番号を画面に打ちこみましたが、結果は駄目でした」
「なぁんだ…、期待したのに」
がっくりと肩を落とす。
それを見て彼が笑う。
「つまり19、46、20これらを組み合わせて暗唱番号になるかやってみたんですが、全然だめでね。おまけに銀行のATMの警備員に怪しまれる始末でした」
はっはっはっと笑って彼が僕に言う。
「でもね、実は田中さん。暗唱番号、実は僕分かったんですよ」
そこで先程黙った驚きが今度こそ声になった。
「どうやって?」
僕の驚きに彼が大きく笑う。
「いえいえ、やはり世の中の成功というのは多くの失敗の上にできているということが良く自分にも身に染みて分かりました。それは凄く簡単だったんです」
「どう簡単だったのさ??」
ええ、彼は言ってから本の表紙を叩く。
「つまり番号は『三四郎』数字で四桁『3460(さんしろう)』ちなみに『0346』も試してみたんですがこいつは違ってました」
僕は驚きに目を丸くする。
「えっとですね。つまりさっき本のページ番号が丸囲みされていたでしょう?あれは『答え』を導くための何でしょう…思索へのアナグラムというのか、まぁ答えを探らせるために、感じさせるためのヒントなんですね。つまり『鍵』なんですよ。つまり…19、46、20これらを組み合わせて暗唱番号になるのではないかと考えに至った人に対する、まぁ言い換えればこの謎を解こうとするものに対しての『誘導』という役割を持っていたんですね」
「でも何故、それが『3460(さんしろう)』なんだろう。回答を聞けば意外と幼稚で、何も…暗証番号としては高度性もない。ぎゃくにああそうかと分かりやすくて失望だよ」
僕は呟く。
そこで彼は言った。
「おそらく、数字を分かりやすいものにしたかったんじゃないですかね…」
「分かりやすいものに?」
ロダンが銀行カードを手に取ると、まじまじと見ながら話しだす。
「だってこの銀行カードに振り込まれた回数と金額が確か『不倫相手の名前』だった筈ですよねぇ。つまりX氏は心の中でその人物を世間に公開したいと願っているのですから、そんなにハードルを高く設定をしては誰にも分からずじまいになる…それは本望ではない。しかしながらその反面、謎が解けて欲しくもない、そんな『賭け』もしている」
僕等の背にスペインの音楽が流れて行く。それが汗と混じり、僕等の背中を濡らしている。
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