四天王寺ロダンの冒険

ヒナタウヲ

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馬蹄橋の七灯篭――『四天王寺ロダンの挨拶』より

その17

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(17)

「いや…君…」
 老人の言葉遣いが丁寧に改まった。
 僕は足を上げたまま振り返る。見ればそこには老人が一人。その老人は目深く帽子を被り、杖を手にしてベンチに腰かけている。
 それは語るべき人を待つ老人ではなかっただろうか?
 僕は上げた足は下ろす場所を失い、老人には所作なげな若者に見えたかもしれない。だからかもしれない、老人は的確に言った。
「まぁ…まず、片足を下ろしたらどうかね」
 しっかりと状況を見定めた提案であった。
 僕は老人の言葉に従い足を下ろす。唯、下ろしたがそれで老人は言葉をやめない。止めないどころか僕にとってとても大事な事を言ったのだ。
「君かね?私をここに呼んだのは」
 僕は地につけた足から湧き上がる血の滾りを感じた。それは上げた足が単に地面に着いて血流が上がって来ると言う様な生理学的なことではない。それは自分が知ろうとしている問いに対する『解』を得たのでは無いかという、興奮に対する滾りなのだ。
『血』に対することではない。
『知』に対する滾りなのだ。
 一体、何の事だろうと恐らく読者諸君は思うだろう。
 そもそも問いかけに対する『解』なんぞ、冒頭に自分が書いたこととは全く縁も無き物語のミスリードではないか?
 何故ならこの僕は劇団の一員であり、かつ明後日本番を迎える『東夜楼蘭』での演者である。その演者が問いかけに対する『解』なんていうことなんぞ、全く埒外で、本当にミスリードだと思うべきだ。
 全くお門違いも甚だしい。
 だが違うのだ。
 僕は確かにバス停で仲間を待っている。それは確かな事実である。
 しかし、その一方で僕は秘めていた『解』を待っていた。それを冒頭では書いていない。
 いやいや全く全く混迷させてしまうかもしれない。
 唯、いたって僕は正気である。
 また頭脳は冷静である。
 但し、そんな自分でも間違いなくミスリードだった言いたくなるのは、その『解』を持ち得る人物は自分が待ってるバスでやって来ると見込んでいたらだ。
 読者の方にはもはや僕が何を言っているかてんで分らないだろう。でも今はそれでいい。
 何故ならこれから全ては明らかにされるのだ。そう『解』を持ち得ているこの老人から…。
 僕は老人を見て頭を掻いた。もじゃもじゃ頭に指が入り、それから首筋をパンと叩いた。その音が待合室の天井に響いてやがて地面に叩き落ちて来た。そんな錯覚を覚える自分に向かって僕は呟いた。
「…つまり、そのぉ…あなたは…?」
 老人は押し黙る。
 僕は再び首筋を叩く。
「いや?僕はどちらをお呼びしたんでしょか」
 間髪入れず、老人が言う。
「まぁ、どちらでもええ、それは同じことや、君」
 パンと頬を平手で叩かれた気がした。
 老人は婉曲にしかし適切に自分に『解』を示したのだ。
 僕は見る。
 佇む老人は明晰な頭脳の持ち主かもしれない。明晰な頭脳と言うのは何も学歴に裏付けされる必要はない。知性と言うものは愚者によってはじめて『恵』を得る。知恵とは知に対する恵みなのだ。恐れる者であればある程、知恵が身につく。難波に巨躯な邦を作り得た太閤秀吉はきっと歴史上最大なる愚者であろう。故にあれ程の人生の経験としてそして生き延びる為に明晰な知を得たのだ。だからこそ天下を取ったともいえる。
 勿論、是は自分の一つの論理ではあるが、しかしながら先程の老人の応対は自分が知り得ようとしてラストピースに対する見事な『解』であったのだ。まるで先手先を読む将棋指しのような詰みの見事な一手だった。
   僕は頭を掻いた。掻いてベンチに腰を下ろした。下ろすと老人を見る。
「いやぁ…ここの土地の方だとてっきり思っていました。まさか…びっくりです。油断をしたというか、まぁなんというか」
「いや間違ってはいまい。私はここの土地の者だから…」
 言って老人が帽子の鍔を挙げた。老人の相貌が覗いて見える。その相貌に黒縁の眼鏡が見えた。その眼鏡の奥で見つめる眼差しはとても冷ややかだ。それはまるで敵を見つけた時の蛇のように僕は見えた。
「まぁおっしゃる通りですね」
 僕は汗ばみ始めたシャツの背を嫌って、僅かにシャツを捲った。それで幾分か汗が引くのを感じた。老人は僕の所作を逃さない眼差しで見つめてる。
「ですが、封書を送ったのは昨日でしたでしょう?なのでどう考えても早くても今日の午後、そう丁度今待っている泉南からのバスに乗っていると思っていたもんでから」
「君はバスの時刻を見ていないんかね?」
「時刻を?」
 僕は首を伸ばす。伸ばして時刻を見た。
「いやいや見てますよ。えっと泉南からは朝八時丁度着以後はやはり次の午後二時十五分しかないですが…」
「それは泉南からだ、日根野ならどうだね?」
 僕は思わずあっと言った。言って老人の言われた日根野からの時刻表を見る。見れば午後七時着に続いて、午前十一時三十着とあった。
 僕は思いっきり頭を掻いた。縮れ毛のアフロヘアが激しく揺れた。それを見て老人が可笑しがるように笑った。
「いや、何と愉快やな。あれほど理路整然とした答えを持った君なのに、足元にある時刻を見落としているとはな」
 再び老人が高々と笑った。笑いながら、だが徐々に目を細めてゆく。やはり心の底で警戒を解かぬ慎重さが老人の眼の奥底に見え隠れしているのかもしれない。老人は再び蛇の様な眼差しに戻った。
「誰の差し金かね?」
 僕は口をすぼめる。
「演技をされても困る」
「いやぁ…何のことか」
「しらばっくれても何も意味はあるまい。私達は或る意味、既に秘密を通じた共通の友人ではないか?」

 ――友人?

 奇妙ではあるが僕には麻薬の様な囁きだ。人の心を蕩かすような詭弁。手慣れたものならば、物事の本質を捉えてすり替える様に詐術に持ち得ることは造作ないだろう。
 老人は友人である、と言った。
 まるで禁断の果実を食したものを共に犯罪者とは言わず、友人という事で『正』と『邪』をすり替える知的な言葉遊び。知性を持つ者だけが愉悦に浸ろうとする人間心理に忍び込む蛇の舌のような甘く、ぬるりとした感触があった。
「…いや、とんでもない」
 僕はへらへら笑う。
「それはこちとらの自分勝手な趣味でさぁ、ご老人」
 僕はどこの方言とも分からぬ言葉で老人のぬめりを躱した。だが老人はまるで掴んだウナギの殺し方を心得ていのか、口を開いて白い歯を出すと舌先で舐めて言った。
「東珠子やろ?いやそれだけじゃない、西条未希の差し金やろが。今週末、山上の『東夜楼蘭』でなんでも劇があることはテレビでも宣伝されて知ってる。まぁそれにかこつけて、君がここに送り込まれた?ちゃうか?」
 老人は杖で地面を叩いた。
 待合室に響く地面を叩く音。それは裁判の終わりを告げる鐘の様に僕には聞こえた。





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