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馬蹄橋の七灯篭――『四天王寺ロダンの挨拶』より
その33
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(33)
沈黙にも彩色があるとすれば、今の老人の沈黙は何色だろうか。見上げる空のような青かもしれないし、木々の色映える森の緑かもしれない。
いや、と僕は思った。
それは違う。
どちらかと言えばそんな森の木々の奥深くに細む『闇』のようなそんな漆黒かもしれない。光届かぬその奥底に照らされた沈黙こそが今の老人の沈黙の『色』と言えるかもしれない。
沈黙を押し破るように老人の唇が動いた。動きながら僅かだが濡れた舌先が見えた気がしたのは気のせいだろうか。
「…よくもまぁそこまで短期間で調べたもんだ」
関心と満足と軽蔑、そうした感情が混ざり合った言葉と共に沈黙を奥へと押しやり、やがて老人は帽子の鍔先を上げて、顔を陽光の中に晒す。黒縁の眼鏡の奥で見えるのは年輪を経た老樹の険しさかもしれない。
「ほんなら…あんた、雲竜寺の向かいの中華そばやに行ったんやな?そこで『たこべぇ』に会(お)うた訳か、俺の別名を知っていると言うことはそこでテキヤ仲間だったあいつと会ったな?」
僕は頭を掻く。それはとても恥ずかしく、照れていた。
「…ええ、まぁ。それはですね本当に偶然なんですよ。偶然雲竜寺へ行った時に腹がへりましてねぇ、ぐぅと腹が鳴りやんしょ?そうしたら面前に中華そば、それも手ごろな値段。それに中々の繁盛店、そうと見ればあっし一目散に駆け出しました」
まるで江戸時代頃の東海道を旅する股旅者のような口調で僕は話す。この瞬間、僕は過去の時間を旅する股旅者。何も背負うもの無く飄々と風の中を生きる。それだけの何も知らぬ男がひょいと暖簾をくぐり席に座った。
そこで荷物を下ろして僕は席に座った。それだけだった。
「そしたらね。店主が来て言うんですよ。あんたテキヤさんってね?」
僕は声をかけられたときの様に顔を上げる。
「いいや違いますよ、そう言ったんですよ。そしたらね、向うが言うんです。
――いや、てっきり何となくその風を方で切る様な股旅みたいな身のこなし方がね、昔の俺の兄貴によく似ててね、そのどこか飄々としたところっていうか、何とも言えぬ人を食ったようなところがね」
僕は肩を竦めた。
「いや、不思議じゃないですか。いきなり見も知らずの他人を見てそう言うなんて、でも僕は瞬時にこれは店主の客に対する愛嬌ある挨拶というか商売上の饒舌だと気付いた時、なんかピン!と来たんですよ。実はこの雲竜寺に来たのは勿論、戸川瀧子さんのことを調べたくて来たわけですが、ただもう一つ気になることが此処にはあってね。だから言ってみたんですよ。外れてもいいからと思って思い切って――そうですか?似てましたか?もしかしてその兄貴って『明石の辰』じゃないですか?って」
老人は僅かに瞼を閉じた。
「それで?」
僕に聞く。
「ええ、相手は驚きました。
――そう、その通りだ――と。それから言うんです。
――オメェは兄貴の知り合いかい?って
僕は言いました。息子ですと。
一瞬、深く何か視点が揺れ動く不思議な沈黙が店主の心の中で在ったたようですが、それを振り払うようにへぇと笑うと向こうが言います。
――だからか、兄貴に間違えてもしょうがない。
彼は満面の笑みを浮かべて言います。
――俺は昔『たこべぇ』って言われて少年自分兄貴に可愛がられたんや。知ってるか?あんたの親父『証の竜』って言われた仲間内の秘密を絶対漏らさない男の中の男だってことを――
僕はね、そこであれ?と思ったんです。不思議ですよね、僕は秘密を守る男なんて意味じゃ言っていない。でも彼は秘密を守る男って言う。意味の食いちがいも甚だしい。だから僕はもう一度言おうとした…んですが、止めて『そうです』といったんですよ。実は或る事実をここで引き出したくて」
「事実?」
僕は頷く。
「そうです。その事実とはつまり僕が『たこべぇ』に言った次の言葉です――そっかぁ、じゃあここが不審火で焼けた雲竜寺の別邸だったんですね、そこにあなた方は家を建てられた訳だ――」
――不審火。
その言葉で老人は再び立ち上がらんばかりに杖を激しく叩き鳴らした。
陽の光に照らしだされていた老人の顔はまるで火にあたって溶けだした楼の様になってドロドロになり、激しく燃える不審火に照らし出された憤怒の夜叉のような貌つきになってゆくのが僕には見えた。
沈黙にも彩色があるとすれば、今の老人の沈黙は何色だろうか。見上げる空のような青かもしれないし、木々の色映える森の緑かもしれない。
いや、と僕は思った。
それは違う。
どちらかと言えばそんな森の木々の奥深くに細む『闇』のようなそんな漆黒かもしれない。光届かぬその奥底に照らされた沈黙こそが今の老人の沈黙の『色』と言えるかもしれない。
沈黙を押し破るように老人の唇が動いた。動きながら僅かだが濡れた舌先が見えた気がしたのは気のせいだろうか。
「…よくもまぁそこまで短期間で調べたもんだ」
関心と満足と軽蔑、そうした感情が混ざり合った言葉と共に沈黙を奥へと押しやり、やがて老人は帽子の鍔先を上げて、顔を陽光の中に晒す。黒縁の眼鏡の奥で見えるのは年輪を経た老樹の険しさかもしれない。
「ほんなら…あんた、雲竜寺の向かいの中華そばやに行ったんやな?そこで『たこべぇ』に会(お)うた訳か、俺の別名を知っていると言うことはそこでテキヤ仲間だったあいつと会ったな?」
僕は頭を掻く。それはとても恥ずかしく、照れていた。
「…ええ、まぁ。それはですね本当に偶然なんですよ。偶然雲竜寺へ行った時に腹がへりましてねぇ、ぐぅと腹が鳴りやんしょ?そうしたら面前に中華そば、それも手ごろな値段。それに中々の繁盛店、そうと見ればあっし一目散に駆け出しました」
まるで江戸時代頃の東海道を旅する股旅者のような口調で僕は話す。この瞬間、僕は過去の時間を旅する股旅者。何も背負うもの無く飄々と風の中を生きる。それだけの何も知らぬ男がひょいと暖簾をくぐり席に座った。
そこで荷物を下ろして僕は席に座った。それだけだった。
「そしたらね。店主が来て言うんですよ。あんたテキヤさんってね?」
僕は声をかけられたときの様に顔を上げる。
「いいや違いますよ、そう言ったんですよ。そしたらね、向うが言うんです。
――いや、てっきり何となくその風を方で切る様な股旅みたいな身のこなし方がね、昔の俺の兄貴によく似ててね、そのどこか飄々としたところっていうか、何とも言えぬ人を食ったようなところがね」
僕は肩を竦めた。
「いや、不思議じゃないですか。いきなり見も知らずの他人を見てそう言うなんて、でも僕は瞬時にこれは店主の客に対する愛嬌ある挨拶というか商売上の饒舌だと気付いた時、なんかピン!と来たんですよ。実はこの雲竜寺に来たのは勿論、戸川瀧子さんのことを調べたくて来たわけですが、ただもう一つ気になることが此処にはあってね。だから言ってみたんですよ。外れてもいいからと思って思い切って――そうですか?似てましたか?もしかしてその兄貴って『明石の辰』じゃないですか?って」
老人は僅かに瞼を閉じた。
「それで?」
僕に聞く。
「ええ、相手は驚きました。
――そう、その通りだ――と。それから言うんです。
――オメェは兄貴の知り合いかい?って
僕は言いました。息子ですと。
一瞬、深く何か視点が揺れ動く不思議な沈黙が店主の心の中で在ったたようですが、それを振り払うようにへぇと笑うと向こうが言います。
――だからか、兄貴に間違えてもしょうがない。
彼は満面の笑みを浮かべて言います。
――俺は昔『たこべぇ』って言われて少年自分兄貴に可愛がられたんや。知ってるか?あんたの親父『証の竜』って言われた仲間内の秘密を絶対漏らさない男の中の男だってことを――
僕はね、そこであれ?と思ったんです。不思議ですよね、僕は秘密を守る男なんて意味じゃ言っていない。でも彼は秘密を守る男って言う。意味の食いちがいも甚だしい。だから僕はもう一度言おうとした…んですが、止めて『そうです』といったんですよ。実は或る事実をここで引き出したくて」
「事実?」
僕は頷く。
「そうです。その事実とはつまり僕が『たこべぇ』に言った次の言葉です――そっかぁ、じゃあここが不審火で焼けた雲竜寺の別邸だったんですね、そこにあなた方は家を建てられた訳だ――」
――不審火。
その言葉で老人は再び立ち上がらんばかりに杖を激しく叩き鳴らした。
陽の光に照らしだされていた老人の顔はまるで火にあたって溶けだした楼の様になってドロドロになり、激しく燃える不審火に照らし出された憤怒の夜叉のような貌つきになってゆくのが僕には見えた。
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