その優しさに溺れる。〜一線を超えてから、会社の後輩の溺愛が止まらない〜

宮谷りく

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彼の過保護が止まりません。

最近、朝が少しつらい。



体が鉛みたいに重くて、起き上がるまでに時間がかかる。


なんとなく気持ち悪いような、胸の奥がずっとざわざわしているような、説明しづらい違和感。



眠気も抜けなくて、頭もぼんやりしている。



でも、仕事に行くと意外と平気だったりする。


やることがあって、そのことだけを考える余裕がないからかもしれない。



だけどふと手を止めた瞬間──



急に波のように、ぐっとこみ上げてくる気持ち悪さが襲ってきて、慌てて水を飲むこともあった。
 


「詩乃さん、顔色悪いよ? 体調大丈夫?」


帰ってきた湊くんに、そんなふうに言われて、私は慌てて首を振った。



「大丈夫。ちょっと疲れてるだけかも」



笑ってごまかしたけど、彼の視線はずっと心配気で、優しかった。




本当は、わかっていた。


これがいつもの疲れとは違うと。
 


だけど、まだ言えなかった。
なんとなく予感はしているけど、確かなことが何もない。



それに、もし違ったらって考えたら……



ぬか喜びさせるようなことは言いたくなくて。





夕飯の準備をしながら、ぼうっとして手元を間違える。


「えっと……これ、冷蔵庫じゃないよね」

「それ冷凍だよ」

「……だよね。ごめん、ぼーっとしてた」


苦笑いしながら言った私に、湊くんは何も言わず、そっと手を貸してくれた。


その静かな優しさが、かえって胸に刺さる。


 
夜になって、体の怠さはますます強くなっていた。


さっきから、ソファに座ってるだけでも、目の奥がじんわり痛む。


どうにか平気なふりをしていたけど、そろそろ限界だった。
 

「……ごめん、湊くん。ちょっとだけ、今日は……休んでもいい?」

 
驚いたように見えた彼の顔を見て、また胸がチクリとする。


言いたくないわけじゃない。でも今は、まだ――。


「全然いいよ。休んでて。
詩乃さん、本当に大丈夫?無理しないで。キツかったら明日会社休んで。」


優しい声が、やけに胸に響いた。
 

寝室のドアを閉めて、私はゆっくりベッドに体を横たえた。



ぼんやりと天井を見上げながら、ゆっくり深呼吸を繰り返す。
 


あした、ちゃんと病院に行こう。


 
全部、わかったら、ちゃんと湊くんに話そう。


 
きっと、大丈夫。
そう言い聞かせ、目を閉じた。





翌日。


午後にお休みをもらって、ひとりで病院に行った。


予約していた産婦人科。


受付を済ませ、待合室でじっと座っているだけなのに、胸がどきどきして落ち着かない。
 


「橘さん」



名前を呼ばれて立ち上がる。


湊くんの名字で呼ばれるのも、やっと少し慣れてきた。



でもまだ、どこかくすぐったくて、それでも嬉しくて。呼ばれるたびに、胸があったかくなる。
 


診察台に横になると、先生が穏やかな声で言った。


「妊娠、されていますね。おめでとうございます」
 


その一言を聞いた瞬間、胸の奥がじんわり熱くなって、
なんとも言えない気持ちが込み上げてきた。



嬉しい。びっくり。戸惑い。安堵。



全部が一度に押し寄せてきて、言葉にならない。



「ありがとうございます」とだけ、かすれた声で答えた。
 



診察室を出て、会計までのあいだ、待合室の隅の椅子に腰を下ろす。


手の中には、小さな封筒。中には、さっきもらったエコー写真。



 
そっと取り出して、光にかざす。
 


白黒のかすかな影。その中に、ぽつんと、ほんの小さな命の輪郭。


まだ“形”とも言えないほどちいさいのに、そこにいるだけで、胸がいっぱいになる。


 
――ほんとに、いるんだ。


私の中に、私たちの子が。


 
無意識に、お腹にそっと手を添えていた。
 

「……ここに、いるんだ…」

 
思わず、ぽつりと呟いていた。
 





帰り道。



なんでもない道。いつも見慣れた景色。



それなのに、今日はまるで世界が柔らかく包み込んでくれるように見えた。




夜。


湊くんが帰ってきた。
玄関で、私は彼を出迎えた。

 
「ただいまー。詩乃さん、今日早退してたけど、起きてて大丈夫?体調どう?」

 


帰宅後、開口1番に私の心配をする湊くん。


私は小さく笑って、そっと彼の手を取った。
 

「湊くん、ちょっと、こっち来てくれる?」

「うん……?」


リビングのソファに並んで座る。
彼は不思議そうな顔のまま、私を見つめていた。
私は一度、深呼吸をした。

 

「今日ね、病院、行ってきたの」


「え……?」
 


その顔に少し緊張が走ったのがわかった。
でも、私はちゃんと伝えたくて、安心させるようゆっくり告げた。
 


「……妊娠、してるって」
 


数秒の沈黙。


湊くんの目が見開かれた。


そして、何かを言おうと開いた口からは、音が出なかった。

 
「ほんとに……?え……?」

 
彼の瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
言葉にならないまま、ゆっくりと私のお腹に視線を落とす。



「すごい……、ほんとに……? 」


かすれた声。何度も何度も同じ言葉を繰り返す。



すると、彼の目尻から、


ぽろりと涙がこぼれて、静かに頬を伝った。



「み、湊くん……?」



私が呼ぶと、彼はまるで我に返ったように私の手を握りしめた。


 
「……ごめん、言葉、出ない。嬉しすぎて…………」


「うん。いいよ、言わなくて」



(ちゃんと、伝わってるよ。)



私も泣きそうになって、そっと彼の手を握り返す。


「私もね、正直まだ、実感ない。でもね、ちゃんといたの。私たちの子が、ここに」 


お腹にそっと手を当てながら言うと、湊くんはその手に、もう片方の手を重ねた。

 
「ありがとう……詩乃さん。ありがとう…」


震える声でそう言って、彼は私の額にキスを落とす。そして、気持ちを伝えるように、優しく抱きしめてくれた。
 


それから、何も言わず、そっとお腹に顔を寄せた湊くんの姿に、
私は思わず微笑んでしまった。
 


「まだ小さすぎて、見えないけど……湊くんに似てたら嬉しいな」
 

「え、俺は絶対、詩乃さんに似て欲しい。けど……俺たちの子どもなら、どんな子でも絶対かわいい。」


 
その返事に、私の目からも、自然と涙がこぼれた。
 







「おはよう、詩乃さん。……えっ、立ってて大丈夫?! ちょっと、もう、家事とかいいから。座って、座って!」
 


朝。


キッチンに立っていただけで、速攻で湊に連れ戻された。
 


「ちょっと、湊くん?私は妊婦であって、怪我人じゃないよ?」


「いや、もう詩乃さんは俺にとって、“最重要特別指定人物”ですから。なるべく無理しないでください」
 

「なにそれっ」


 
思わず笑ってしまうほどの過保護っぷり。


妊娠したと告げたあの日から、湊の“俺が全部守る”スイッチは完全にONになっていた。


 
「お水飲んだ? 今日の気温、昨日より2℃高いらしいから、体調管理しっかりね」

「……え、気象予報士さん?」

「あと、通勤の電車、ちょっと混むから、キツければタクシー使っていいよ。アプリ登録しておいた」

「……えっ」

「それと会社のランチ、最近脂っこいって言ってたから、今日からお弁当つくる。てか、もうつくった」
 
「つくったの!?」
 


驚いて冷蔵庫を開けると、しっかりと包まれたお弁当箱。保冷バッグも準備済み。
 

「昨日の夜、詩乃さんが寝てからこっそり。俺の全愛情を詰め込みました。」


「……なんだか…すごく味が濃そうだね」


「愛が濃いって言ってください」
 


照れもなく言ってくるから、こっちが赤くなる。
 

「詩乃さんには、元気で笑っててほしいんだよ。だから、できることは全部やる。……今までも、これからも」
 


真っ直ぐな目。優しくて、ちょっと強引で、でも全部私のためで。
 


「……もう、ほんと…湊くんって」


「過保護?」

 
「うん。でも……そういうの、すごく、嬉しい。」
 

「よかった。じゃあ遠慮なく、これからも溺愛させてもらいます。」
 


湊は私の手を握って、指先にそっとキスを落とした。


「もうね……俺の人生、詩乃さんと、赤ちゃんがすべてだから」
 

「……うん。わたしも」
 


そう答えると、胸の奥がじんと熱くなった。
どこまでも大げさで、優しすぎる人。
 

――でも、その“過保護”が、今の私には何より心強くて、愛しくて、



私の方が、


もう、この人なしじゃ生きていけないかもって思うのだった。






(fin.)



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