隠世の門

海谷ノ

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第5話 影が歩く

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朝の空気はまだ夏の名残を引きずっていた。

けれど、晴翔はるとの周りだけが、

どこか“温度の違う場所”になっている気がした。



(……今日も、変だ)



昨日から続く胸のざわめきが、

皮膚の内側に薄い膜のように貼りついている。



肩にひやりと冷気が走った。

妖狐が、晴翔の背後の“揺れ”を探っている。



足元の風がそわそわと動く。

カマイタチがすでに警戒しているのが分かる。



(学校……行きたくない、ってほどじゃないけど)



ただ、何かが「近づいている」感覚だけが離れない。



◆ 教室──“影が歩く”音



一限目は無事に過ぎた。

ただ、教室の空気はいつもより重かった。



黒板に差す光が細かく揺れ、

誰かの机の影がときどき“深く沈む”。



晴翔は意識しないように視線を外していた。



二限目。

影山かげやまが席を立った瞬間だった。



昨日までとは違う。



影山の影が、

本体より先に動いた。



まるで、

“影だけが教室の別の場所へ行こうとしている”ように

扉の方へ細く伸びる。



伸びた影が、

晴翔の机の脚に触れた。



ひたり、と。

湿った何かが這うような感触。



(……っ!)



晴翔の呼吸が止まる。



次の瞬間、肩が一気に冷え込んだ。

妖狐が冷気を鋭く張った証拠だ。



足元では風が巻き、

カマイタチが“切り裂く構え”を見せる。



誰も気づかない。

ただ一人、晴翔だけが影の“這い寄り”を感じ取っていた。



影は晴翔の足元まで来ると、

じわりと形を変え──

晴翔の“影”に触れようとした。



(……やめろ……!)



晴翔は後ずさりし、椅子がかすかに音を立てた。



その反動で、影山の影はびくりと震え、

本体の方へと戻る。



影山本人は気づかず席に座ったが、

その瞳は“どこかの闇”を見ているようだった。



◆ 昼休み──妖狐の残影



晴翔は校庭の端で弁当を広げた。

いつもなら静かな時間のはずだった。



けれど今日は、風が落ち着かない。



葉がざわりと逆巻き、

砂埃が一定方向にしか流れない。



(妖狐……いる? どこ……)



肩の冷気はずっと晴翔の体に沿っていた。



視界の端でふっと、

白い“尾のような影”が揺れた。



(……え?)



振り返っても誰もいない。

けれど確かに見えた。



柔らかく、細く、透明に近い“残影”。

狐の尾のような形。



それは、妖狐が意図して見せたものではない。

晴翔の感覚が異常に敏感になり、

“本来見えないはずの層”を捉えてしまった結果だった。



(……守ってくれてる?)



応えるように肩の冷気がふっと揺れた。



カマイタチの風も、晴翔の靴先の周りで静かに回る。

“離れるな”と伝えるように。



だが――その優しい揺れと対照的に、

校庭の隅の影がひとつだけ“不自然な黒さ”を持っていた。



太陽の角度では説明できない濃さ。



(……影山の……? いや、違う)



それは“別の影”だった。



◆ 放課後──鏡の揺れ



下駄箱の前で靴を履き替えた瞬間。

鏡がふっと曇り、晴翔の背後に誰かの影が立った。



振り返る。

誰もいない。



だが鏡には薄く、

晴翔の肩越しに“揺らいだ黒”が映っていた。



妖狐の冷気が一気に張りつめる。

刺すような冷たさ。

まるで“押し返している”ような感触。



カマイタチの風が激しく逆巻き、

晴翔の足をその場に固定する。



(……また、来てる)



影は鏡の奥でふっと形を変え、

顔のない“誰かの輪郭”をつくりかけて──

すぐ霧散した。



その消え方は、

まるで“どこかへ引き戻された”ようだった。



(……誰が、引いた?)



晴翔は気づいていない。

斗泉とういが近くの階段陰から

その揺れを静かに観測していることに。



「……あの学校、揺れてきてるな」



彼は低くつぶやき、踵を返した。



晴翔の周りだけ、

世界の歪みが加速度的に集まり始めている。



◆ 帰り道──影が“歩く”



夕暮れの街に出た。

風はあるのに、音だけがない。



分かれ道を前にした時だ。



晴翔の影が──



勝手に前へ歩き出した。



晴翔はその場に立っているのに、

影だけが進み、

曲がり角の向こうへ“滑るように”移動していく。



(……なんで……?)



影が歩くたびに、

足元の地面がじわりと黒く染みる。



雨でも落ち葉でもない。

“影が滲む音”。



異常だった。



妖狐が肩で鋭く息を吐き、

冷気の守りを一気に展開する。

白い残影が尾のように大きく揺れた。



カマイタチの風が晴翔の体を強く引いた。

“行くな”と全力で止める。



影は、こちらを見上げるような形をつくると、

ゆっくりと手のように伸びてきた。



(……触れられたら、戻れない……そんな気がする)



次の瞬間。



風が一気に晴翔を引き戻す。

影はぱたりと消えた。



残ったのは、

夕暮れの街に似つかわしくない“異様な静けさ”だけだった。



◆ 家の前



スマホが震えた。

画面にノイズ。

そしてまた――



九曜の紋に似た形が、

今度は長く、じわりと浮かんだ。



動悸が一拍だけ強くなる。



(……普通じゃない。

誰か……何かが……呼んでる……?)



そのとき。



妖狐が肩でふっと冷気をゆるめた。

慰めるように。

“まだ間に合う”と言うように。



白い残影の尾が、

夕暮れの中でそっと揺れた。



晴翔は気づいていない。

その揺れの奥で、

九曜スーツの起動に似た“微かな振動”が

世界の歪みに共鳴しつつあることを。



世界のほつれはもう、

晴翔を中心に静かに収束しはじめていた。
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