隠世の門

海谷ノ

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第4話 影の鼓動

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――いつも通りの朝は、もう戻らない。



晴翔はるとは家を出た瞬間、

皮膚の奥だけがひやりと冷えた。



外気の温度ではない。

風の流れでもない。



(……触られた?)



そんな錯覚が、首筋から背中へ細く走った。



昨日の森で触れた裂け目の余韻が、

まだ晴翔の身体の中でどこかざわついている。



肩で妖狐がかすかに息を呑む。

妖狐は晴翔の体にまとわせた冷気を、わずかに濃くした。



足元のカマイタチは、

“何かを切り裂こうとして待機している風”のざわめきをまとった。



(今日……やっぱり変だ)



晴翔は歩幅を小さくしながら登校した。



◆ 教室



学校のざわめきはいつも通り。

なのに、黒板から机の影へ落ちる光の角度が、

ほんの少しだけ“濁って”見えた。



影の輪郭が、ごく薄く波打っている。



(気のせい……じゃないよな)



晴翔が座ると、

隣の席から微かな“泣き声”が聞こえた。



実際には誰も泣いていない。

ただ、その生徒が抱える苛立ちが、

晴翔の胸の奥に影となって落ちてきたのだ。



影が少し揺れた。



そう思った瞬間――



二限目。影山かげやまが席を立った。



彼の影が、

床で一拍遅れて立ち上がった。



まるで“本体とは違うリズムの揺れ”を持ったかのように。



影は一瞬、影山の動きとズレて揺れた。

光の角度のせいにも思えるが、晴翔には“こちらへ傾いた”ように見えた。



「っ……」



晴翔は無意識のうちに椅子を引いた。



妖狐が肩で鋭い冷気を爆ぜさせる。

空気がきりりと張り詰め、温度が一瞬だけ下がった。



足元の風がざわりと逆巻く。

カ마イタチは完全に“戦闘前”の気配だ。



(やっぱり……昨日より、深い)



影山は気づくことなく席へ戻った。

その瞳の焦点は少しぶれていた。



晴翔は息を詰めた。



◆ 昼休み



教室の空気がひどく重い。



影山は机に突っ伏したまま、

呼吸だけがわずかに浅い。



影山の影が、淡く揺れた。

呼吸の乱れが影に滲んだだけにも思える。



だが晴翔には、その揺れが“影とは別の何か”に

触れたように感じられた。



妖狐は完全に警戒態勢に入り、

晴翔の肩ごしで“何か”を見つめている。



(やめろ……見るな、って言ってる?)



カマイタチの風が晴翔の足にまとわりつく。

“逃げろ”とも“動くな”とも取れる、複雑な揺れ。



晴翔は胸が苦しくなり、

思わず視線を切った。



◆ 放課後



廊下に出た瞬間、

晴翔の影の“端”に何かが触れた。



氷の指で引っかかれたような感触。

晴翔は反射的に振り返る。



誰もいない。



だが、廊下の端の鏡がふっと曇ったあと、

鏡面がわずかに歪んだ。



晴翔の肩の上で、妖狐の気配が鋭く跳ねる。

冷気がわずかに形を持ち、

晴翔の首の後ろに薄い守りの気配を張った。



(……やっぱり今日のはおかしい)



カマイタチの風が下駄箱の隙間をすり抜け、

“外に出るな” と言いたげに逆流してくる。



晴翔は目をつむり、一呼吸置いた。



◆ 帰り道



夕暮れの街。

人の声も車の音も聞こえるのに、

晴翔の周囲だけが“音の膜”に覆われたように静かだった。



分かれ道で、

足首に強い風が絡みついた。



(行くな……じゃなくて……)



次の瞬間、足元の影が勝手に伸びた。



夕日の方向ではない。

物理法則を無視して、影が“逆方向へ”流れた。



影は細く震え、

一瞬、“呼ばれた”ような気がして、すぐに消えた。



(引っ張られてる……?)



晴翔は一歩後退した。



その瞬間、

遠い森の方角で、空気が細く“割れた”ように見えた。



光の揺らぎか判別できないほどの黒い筋。

ただ昨日より、わずかに濃い。



妖狐の冷気が晴翔の肩で弾ける。

カマイタチの風が足元で“走り出したい風”になった。



(あれ……昨日の、よりも……)



喉が乾いた。

胸が詰まる。



◆ 家の前



スマホが震えた。

通知はないのに。



画面にノイズが走り、

今度ははっきりと数秒、

九曜に酷似した紋が浮かび上がった。



それは、まるで“誰かの探知に引っかかった”ように脈動していた。



晴翔は息を呑む。



(……もう、隠せない。

何かが起きてる……確実に)



そのとき、風がぴたりと止まり、

夕暮れの街が不自然な静けさに沈んだ。



“誰か”が見ている気配。昨日より濃い。



狙われているというより、

“探されている”ような感覚が晴翔の背を撫でた。



しかし、晴翔はまだ知らない。

その視線の主が、

斗泉とういという青年の領域へと、静かに侵食していることを。



世界の綻びは、もはや音を立てて開きつつあった。
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