Primordial Reverie — 原初幻想 —

海谷ノ

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第一章

EIK Arc  A Feather Falling at Dusk — Episode.1

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赤は想い、黒は影。

その羽根を落とす時、
依頼は静かに果たされる。


依頼人は十歳
 豪奢な屋敷の三階、一番奥の部屋の窓は、今日もきちんと磨かれていた。

 けれど、その窓の内側にいる少女の目は、誰にも磨かれていなかった。

 アデルは十歳だった。

 両親は忙しい。
 それは事実で、嘘ではない。
 父は商会を束ね、母は慈善事業で名を知られている。
 どちらも立派で、誰からも尊敬されている。

 だからこそ、娘が寂しがる理由は、どこにもないはずだった。

 今夜もまた、食卓には三人分の皿が並んでいる。
 けれど椅子に座っているのは、アデルひとりだけだった。

「お嬢さま、旦那さまと奥さまはお戻りが遅くなると……」

 使用人の声は、いつも丁寧で、どこか遠い。

 アデルはうなずく。
 慣れている。

 慣れている、はずだった。

 机の上には、小さな銀の懐中時計が置いてある。
 祖父の代からこの家に伝わるものだと聞いたことがある。

 蓋を開けると、針は正確に時を刻む。
 そして、普通の時計とは少し違う音がする。

 カチ、ではない。

 トン、とも違う。

 どこか、深く、やわらかな響き。

 アデルはその音が好きだった。
 夜にひとりで聞いていると、誰かがそばにいるような気がしたから。

 今夜も、約束は破られた。

「今度こそ、三人で夕食を」

 そう言っていたのは、昨日のことだった。

 アデルは、時計を閉じる。

 それから、机の引き出しを開けた。

 中には、白い封筒が一枚。

 差出人も、宛名も書いていない。

 ただ、噂だけは聞いたことがある。

 夜の街に現れる、静かな怪盗。

 奪うのは金銀財宝だけではなく、ときに“願い”も盗むのだと。

 アデルは羽根ペンを取り、少し迷ってから書き始めた。

 

 ――お願いがあります。

 ――わたしの両親に、わたしを見てほしいのです。

 

 それだけ。

 涙は落ちなかった。
 代わりに、胸の奥が少し軽くなる。

 封をして、窓をそっと開ける。

 夜風が入る。

「本当に来るわけ、ないよね……」

 独り言は、夜に溶ける。

 そのときだった。

「依頼内容、確認しました。」

 背後から、落ち着いた声がした。

 アデルは振り向く。

 そこには、窓辺に寄りかかるひとりの男。

 黒いコート。
 手袋。
 影に溶けるような佇まい。

 顔はよく見えないのに、不思議と怖くはなかった。

「……あなた、だれ?」

「依頼を受ける者です。」



 軽く帽子を傾ける。

「あなたのご両親に、あなたを見てもらう。
 それが依頼ですね。」

 アデルは、小さくうなずく。

「……できますか?」

 男は、ほんのわずかだけ視線を室内へ巡らせた。

 机の上の懐中時計に、一瞬だけ目が止まる。

 だが何も言わない。

「可能かどうかではなく、受けるかどうかです。」

 静かな声。

 そして、わずかに口元が緩む。

「依頼は、確かに受け取りました。」

 そう言うと、男は一歩後ろへ下がる。



 風が吹く。

 次の瞬間、そこにはもう誰もいなかった。

 窓は静かに揺れ、
 部屋には懐中時計の音だけが残る。

 トン、……トン。

 アデルは、胸に手を当てた。

 ほんの少しだけ、明日が楽しみになっている自分に気づきながら。

 

 その夜、屋敷の屋根の上で、
 黒い影が静かに街を見下ろしていた。

「十歳の依頼人とは……珍しい。」

 低く、独り言のように呟く。

 視線は、あの窓へ向けられている。

 そしてもう一度だけ、あの銀の懐中時計へ。

「さて。」

 風が、コートを揺らす。

「依頼は依頼。報酬は報酬。」

 怪盗は、夜に溶けた。

 

 —— 第二話へ。
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