【完結】忘却令嬢と忘れられたい男

雫まりも

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本編

幕間2.酒飲みと恋愛下手な男

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「先輩、今日も飲みに行きますよね」

 建設現場での仕事終わり、作業着を脱いでいる大工の男によく面倒を見ている後輩の男が声をかけてきた。
 可愛い後輩に誘われたのなら断るわけにはいかないと、ほとんど毎日言っているような言い訳を内心で思いながら、大工で酒好きの男は二つ返事で誘いを受けた。

「もちろん、いつものところでいいよな」

 男は荷物を持ち上げると、後輩と連れ立って行きつけの飲み屋へ向かった。
 街の中心部にあるその飲み屋はいつも賑わっていて騒がしい。
 そんな騒がしさも気に入っていた男だったが、何となく今日はいつもと違った騒めきがあるように感じられた。

「なんでしょう?あの席、人が集まってますね」

 後輩の示す方に目を向けると、入り口から少し離れた奥の席が確かに賑わっている。
 気になって引き寄せられるように注視した大工だったが、すぐにその理由が分かった。
 その中心には戦争を勝利に導いたあの英雄がいた。
 この街に英雄が来ているという噂は聞いていたが、自分が英雄と同じ場に居合わすことになるとは思ってもいなかった。
 人違いという可能性もあるが、聞いていた特徴も一致していたため間違いないだろう。
 だが、英雄がこんな大衆酒場に来るなんてことが驚きで、目を疑った。
 しかも、その英雄が話している内容が……

「一体どうしたら、彼女は俺と結婚してくれるだろうか。誰か助言してくれないか?」

 そんな悲痛な嘆きだった。
 英雄と聞いて想像するのは隙がなく欠点が一つもないような完璧な人間だ。
 しかも、英雄という引く手数多な存在であれば、恋愛面でも困ることはないだろう。
 そんな風に思っていた。
 だが、そうではないようだ。
 この場にいる英雄と言われる人物は酷く悩んでいるように見えたし、その男の手には“結婚についての読本”という絶対に参考にならなそうな本が握られていた。

「ここに書かれていることを実践してみたが駄目だったんだ。結婚指輪も用意したけど、受け取ってもらえなかった……」

 大工の男は後輩と席につき、酒とつまみを注文したが、聞こえてくるそんな英雄の声が気になって仕方がなかった。

「それなら、先輩に聞いたらいいですよ!先輩は金もなくて見た目もそこそこなのに、高嶺の花を落としたすごい人ですから!」

 運ばれてきた酒に口をつけた時、目の前に座っていた後輩が一気に酒を煽ると立ち上がり、そんなことを叫んだ。
 聞き捨てならない言葉も聞こえてきた事に苦言を呈しようと口を開きかけたが、その前に英雄の方が反応した。

「それは本当か!?」

 後輩に負けず劣らずの声を出した英雄は立ち上がってこちらの席に近づいてきた。
 思ってもみなかった後輩の行動と英雄の反応に大工の男は勘弁してくれと思ったが、すでに英雄は隣に腰掛けていた。

「そんな、人に話すような事じゃないから……」

「いや、ぜひ聞かせてほしい。少しでもヒントになるようなことがあるなら知りたい。本当に困っているんだ。頼む!」

 そう言って頭を下げる英雄を前に、大工の男は酷く面食らった。
 英雄と呼ばれる男が自分に頭を下げることなど、天と地がひっくり返っても起きることだとは思っていなかった。
 きっと彼は誰に対しても真摯で真っ直ぐなんだろう。
 それに、彼はなんて不器用なんだろうと思った。
 そして、不器用ながらもなんて一生懸命なんだろうと。
 そんな彼の手助けをしたいと思ってしまった。

「……分かった。でも、俺の話じゃなくて、あんたの話を聞かせてくれ。俺の経験でアドバイスできることがないか、一緒に考えるから」

 大工の男が観念して英雄の肩をポンと叩くと、彼は目を輝かせて顔を上げた。
 そんな二人のやり取りに、後輩も何故か誇らしそうにしていた。

 それから酒を飲みつつ、英雄の想い人について聞き出す。
 恋愛でも何でも、相手を知ることが第一歩だ。
 だが、まずそこから驚きだった。
 相手にとって英雄は初対面だったというのだから。
 それは難しすぎるだろう。
 結婚指輪も受け取らないはずだ。
 そういうものは少しずつ距離を縮めてから渡すものだと教えると、なるほどと真剣にメモまで取って話を聞く。

「……だけど、距離を縮める時間はないんだ。初対面だとしても成功させる方法はないだろうか」

 なんて横着な!と思わなくもなかったが、切実な様子の英雄からして何か理由があるのかもしれない。
 だから、男は深く追求することはせずに、その条件で真剣に考えた。
 まずは最初から結婚となるとハードルが高いから、婚約にするのが良いのではないかということ。
 そして、自分の気持ちをしっかりと相手に伝えること。
 ありきたりな言葉だっていい。好きだと伝えるだけでもいい。
 そんなアドバイスをした。

「そうか。婚約なら少し成功率も上がるかもしれない。それと、自分の気持ちを伝える……か」

 そう呟くと、英雄は何かを考えるように少しの間、俯いていた。
 そんなに難しく考えなくても、と声をかけようと思ったが、英雄は次の瞬間には顔を上げていた。

「ありがとう、とても参考になったよ。さすが高嶺の花を落としただけある。明日から頑張ってみるよ」

 英雄は男の手を握って感謝を伝えると、満足そうに店を出ていった。

「……何だか、すごい時間でしたね」

 英雄をこの席に呼んでから聞き役に徹していてほとんど話していなかった後輩が久しぶりに口を開いた。

「そうだな。俺が英雄と、しかも恋愛相談するなんて思ってもなかったよ」

「英雄がここにいたことは驚きですけど、先輩なら適任だったじゃないですか。でも、先輩の恋愛談は話さなくても良かったんですか?」

「まあ、英雄に話すことでもないしな」

 そんなことないですよーと、後輩は残念そうにしていたが、男は言葉を濁した。
 後輩は大工の男が酒の席で何度も聞かせていた、妻との馴れ初めの話のことを言っているのだろう。
 少しだけ、いやだいぶ格好の良いように変えて話しているその話のことを。
 後輩には高嶺の花だった妻をスマートに落としたというように話していたが、実際には違う。
 男は妻にアプローチしていた頃のことを思い出しながら、残っていた酒に口をつけた。

 何度気持ちを伝えても軽くあしらわれるだけ。
 あの手この手を使っても上手くいかない。
 でも、最後には彼女と付き合い、結婚することができた。
 好きだという心からの気持ちを何度も伝え続けたことで、相手の気持ちを動かすことができた。
 英雄に伝えたアドバイスは、男の実体験でもあった。

 男は話すのに忙しくまだ1杯目の酒であったグラスを飲み干すと、そのまま立ち上がった。

「あれ?先輩、おかわりはいらないんですか?」
「悪いな。今日はこれで帰るわ」

 大工の男は後輩に詫びを入れ、机に少し多めに代金を置くと店を後にした。
 いつも飲みに出れば最低でも二件は梯子し、ましてや一杯で終わることなど一度もなかった。
 しかし、今日は随分と早い帰宅だ。そんな男に後輩も不思議そうな顔をしていた。

 家路につきながら、月夜を見上げる。
 あんなに必死になって結婚できた妻とも、最近は一緒にいることが当たり前になって帰り道に寄り道して遅くなることも多い。
 そのことを特に気にしたことはなかった。
 でも、今日は何となく妻が待つ家に早く帰りたくなった。
 早く妻に会いたいと思った。

 一緒に暮らすようになって、忘れていた感覚だ。
 そして、随分と久々ではあるが、今日は妻に好きだと言葉にして伝えようと思った。

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