【完結】忘却令嬢と忘れられたい男

雫まりも

文字の大きさ
10 / 19
本編

5.同じ毎日と予想外の日

しおりを挟む
 
 婚約成立後はエリーセの希望であった通り一緒に暮らし始めた。
 結婚後の生活を意識してそれと同じように過ごしたいということだった。
 マリウスは戦争での報奨として報奨金とは別に屋敷をもらっていた。
 その屋敷に結婚後は移り住むことを考えていたため、婚約中の生活もここでできればと思い彼女を招いた。
 マリウスは基本的にはエリーセの状況を一番に考え、彼女を混乱させないような環境を作っていった。
 当然、エリーセとマリウスの寝室は別だ。
 目が覚めていきなり知らない男と二人きりだなんて、彼女にとっては信じられないようなことだろうから。

 そして、実家でもそうしていたようにエリーセ自身の字で手帳にメモを書いてもらい、状況を理解できるようにしておく。
 それと、彼女が記憶を無くす前から知っている使用人のノーラにもついてきてもらうことになった。

 できる限りの準備をして、マリウスとエリーセとの生活が始まった。
 エリーセは冷静に状況をすぐに受け入れられると言っても、見知らぬところにいたら戸惑うのも必然だろう。
 だから、マリウスはエリーセが自分から部屋を出てくるまでは待つことにした。

「はじめまして。君の婚約者のマリウス・ホルデイクです。これからよろしく」

「はじめまして。エリーセ・リーフェットと申します。よろしくお願いします」

 自室で待っていたマリウスがその日、初めて顔を合わせたのは昼を過ぎた頃だった。
 初日は思ったよりも時間がかかった。
 マリウスはエリーセに今の状況を説明し、彼女は少し戸惑っていたものの酷く取り乱すようなことはなかった。

「何か聞きたいことはある?」

「それでは、この辺りの地域はどんなところか教えていただけますか?」

「ああ。ここは君の実家から馬車で半日ほどのラリエンという街だ。麦の農耕で栄えている穏やかなところだよ」

 マリウスは準備していた一通りの説明を終えた後、エリーセに質問はないか尋ねた。
 明日からの説明で足りないところがないか確認するために。

 そんな調子で会話を続け、大きな問題はなく一日を終えた。
 まずまずの一日ではあるが、改善点も多くある。
 しかし、マリウスはそのことを少しも苦痛とも面倒とも感じていなかった。
 むしろ、明日からも楽しみだと思っていた。

 次の日、マリウスはエリーセの部屋に軽くつまめるフルーツや菓子を用意しておいた。
 部屋を出るのが昼過ぎになるなら、食事が取れなくなってしまうだろうと考えたからだ。
 そしてえ、昨日エリーセがこの地域のことを気にしていたため、分かりやすいように地図やこの地についての歴史の本も置いておくことにした。
 すると、エリーセは前日よりも時間が経ってから部屋を出てきた。
 つい本を読んでしまったとのことだ。
 一日しかないエリーセとの時間が減ってしまうのは大きな問題だ。
 改善の余地がある。

 さらに次の日は5分ほどで読み終えることのできる簡単なこの辺りについての資料を作成し、エリーセの部屋に置いた。
 そして、エリーセがメモと資料を読み終わったタイミングで使用人を部屋へと向かわせた。
 今度はなかなか良かったようで、太陽が真上に昇り切る前にエリーセと会うことができた。

 そんなことを毎日毎日繰り返し一進一退しながら一ヶ月経つ頃にはマリウスとエリーセが共に朝食を取れるまでになっていた。
 エリーセに出す食事のメニューはいつも同じものだ。
 食べ物の好き嫌いなどは聞いていないが、これまでの彼女の反応で一番良かったものを選んでいる。
 会話の内容もほとんど決まっている。
 それも、彼女の反応が良かったものを選んで話題に出している。
 三ヶ月経つ頃には完成系と言えるようなエリーセとの一日ができていた。

 朝、エリーセは目覚めると昨日までの自分のメモを見てから部屋を出て朝食をマリウスととる。
 昼間は各自で過ごし、夜には再び食堂で共に夕食をとる。
 エリーセにとっては初めての一日として快適に過ごせるように。
 しかし、マリウスにとっては初めてではない。
 快適と言っても、毎日毎日同じやり取りに同じ反応。
 普通の人間ならきっとすぐにうんざりして嫌になってしまうだろう。
 だが、マリウスは少しもそんなことは思わなかった。
 むしろ、その日常にとても満足していた。
 予定調和の日々。
 気を遣和なくても安心してできる会話。
 そして、たとえ失敗したとしても忘れてくれるという安心感。
 マリウスにとっては、そのことの方が重要だった。

 それでも、毎日が全く同じ一日というわけでもない。
 エリーセは毎日同じものを食べているが、さすがにマリウスは同じものを食べると飽きてくるので別のものを食べる日もある。
 それに、新しい屋敷に移り住んでからその土地の領主や貴族たちとの付き合いも必要になった。
 だから、昼間に家を空けなければならない日もあった。
 そんな日はエリーセは屋敷でほとんど同じような行動をしているが、マリウスが帰ってくる時間によって少し違った反応をするのだ。
 新しい会話に対する反応は少し緊張もするが、彼女に対しては木を張るようなこともなくその会話を楽しむことができた。

 だが、その日はあまりにも大きいイレギュラーだった。
 マリウスはその日、この街の貴族の商人と会う約束をしていた。
 相手の屋敷にマリウスが訪問する予定だった。
 しかし、手違いで商人がマリウスの屋敷に来てしまったのだ。
 朝食を終え、自室で出かける準備をしていたところだったので対応することは問題ない。
 だが、この屋敷にはエリーセがいる。
 マリウスは彼女に不要な負担はかけたくないと思っている。
 エリーセにとってはこの屋敷は知らない場所で、マリウスでさえ今日の彼女にとっては知らない人間だ。
 そんなところにさらに知らない人間が加わるのはストレス以外のなにものでもないだろう。

 けれど、来てしまったものは仕方がない。
 追い返すわけにもいかないので、商人を客間に通し、この屋敷で応対することにした。

 今回の面談はそんな始まりだったためマリウスは内心では苛立っていたが、そんな態度は表に出さずににこやかに対応した。
 その商人はぜひ使ってみてほしいと色々と商品を持ってきていた。
 英雄が使っているとあれば箔がつくからと。

 はあ、とマリウスはもう少しでため息が漏れ出しそうだった。
 この商人には数回しか会ったことはないが異様にマリウスを英雄扱いしてくるような人物だった。
 媚びへつらいながらマリウスの英雄としての利用価値を見定めているような態度。
 そんな人物と話すことなど苦痛でしかなかった。
 門が立たないよう、その後の面倒がないよう何とかその場をやり過ごし、会話に耐え切ったマリウスは商人を玄関口まで見送った。

「本日は大変有意義な時間をありがとうございました」

「こちらこそ、わざわざお越しいただきありがとうございました」

「いつも思いますが、先の戦争を終わらせた英雄様とお話しできるとは、なんと光栄なことでしょうか」

「周りのおかげであって私自身は大したことはないただの人間ですよ。普通に接していただければ」

「そんなご謙遜なさらず。英雄様のしたことは……」

 そこから、商人の英雄談は止まらなかった。
 巷で流れているマリウスの戦争での活躍について本人を前に語り出す。
 マリウスは相槌を打ちながらも聞き流し、何とか話に区切りをつけて商人を帰らせることができた。
 やっと終わった、とほっと息をつこうと踵を返したマリウスだったが、振り返った先の玄関脇に立っていたエリーセの姿に目を見張った。
 いつから、そこにいたのだろうか。

「お客様をお見送りできず、申し訳ありません」

「いや、気にしないで。気を遣わせてしまってすまない。騒がしかっただろう?」

「とんでもありません。私のことこそ気にせずにお仕事なさって下さい。お疲れ様です」

 エリーセはにこやかにそうマリウスに声をかけた。
 マリウスと違って、きっとエリーセのにこやかさは内面も一致したものなのだろう。
 自分との違いを見せつけられているようで、何だか心が少し騒ついた。

「部屋に戻ろうか」

「はい」

 それでも、やはりマリウスはそんな心を表には出さずにエリーセに笑いかけた。
 内面と態度を乖離させるなどいつもやっていることだ。
 マリウスにとっては造作もないことだった。そのはずだった。
 部屋までの道、隣を歩くエリーセがところで……と話し出すまでは。

「ところで、聞こえてしまったのですが、マリウス様は英雄様だったのですね。そうとは知らず、申し訳ありません。戦争が終わったのはマリウス様のおかげだったのですね。ありがとうございます」

 くもりのない瞳で見つめられて発せられた言葉にマリウスは足を止めた。
 ただいつも通り聞き流して無難な答えをすれば良かった。
 だが、きっとこの日は色々と重なっていっぱいいっぱいになってしまったのだろう。
 ふとした話題だったエリーセの言葉を、マリウスは軽く流すことができなかった。

「君まで俺のことを英雄だなんて、そんな風に言わないでくれ!」

 気づけば、マリウスは心から拒絶を表したような態度、口調でその言葉を発してしまっていた。
 エリーセはマリウスがそんな反応をするとは思いもしなかっただろう。
 いきなり声を荒げてしまったので、彼女は怯えているだろうか。恐縮してしまっているだろうか。
 マリウスはそう思い、ハッとしてすぐに謝罪しようとエリーセに向き直った。
 だが、彼女の表情はそのどちらでもなく、ただ真剣に真っ直ぐとマリウスを見ていた。

「英雄と言われるのが嫌なんですか?」

「嫌というか……俺は本当はそんな器じゃないんだ」

「でも、先の戦争で活躍なさったのは本当のことなんですよね」

「戦争の前線で戦ったことは事実ではあるけれど……」

 エリーセは躊躇うことなくマリウスに質問し、会話を続ける。
 その問いに、マリウスはなぜだか素直に答えてしまっていた。

 ……もういいか。
 マリウスはふっとそう思った。
 今日は失敗の一日だ。
 この屋敷に来てから、一番の失言をしてしまった。
 だから、今日はもう何をしてもいいか、と。

「立ち話も何だから、お茶でも飲みながら話そうか」

 少しの落ち着きを取り戻したマリウスは、この屋敷に来てから初めてエリーセを自室に招いた。
 そして、マリウスが英雄と言われるようになるまであったとこを初めてエリーセに話すこととなった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました

小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」 二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。 第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。 それから二十年。 第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。 なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。 不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。 これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。 ※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

お久しぶりです旦那様。そろそろ離婚ですか?

奏千歌
恋愛
[イヌネコ] 「奥様、旦那様がお見えです」 「はい?」 ベッドの上でゴロゴロしながら猫と戯れていると、侍女が部屋を訪れて告げたことだった。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

処理中です...