過霊なる日常

風吹しゅう

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猫地蔵編

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「何もない」

 駅構内を抜けて外にでてみると、タクシー乗り場はあるもタクシーは無く、通行人もチラホラとしか無いという状況。
 しかし、雲ひとつない晴天と普段は見ることが出来ない緑の景色が辺り一面に広がっていることと、空気だけはとても美味しく感じられる所はとても評価できるかもしれない。

「本当に一昔前は有名な場所だったの?」

「そうですよ、あ、ここからは旅館の方が迎えに来て送ってもらえるそうですよ」

「送迎ねぇ」

 マリアは携帯電話で旅館に連絡して、待ち時間を駅にあるベンチで飲み物でも飲みながら待っていたが、なかなか旅館からの迎えが来る様子は無く、私はだんだん心配になってきた。
 心配になってマリアに聞いてみるもマリアは「大丈夫ですよ」と言って駅周辺を歩きまわり、実に楽しそうにしている。

 そんなマリアに習い、私も少しだけ辺りを散策してみることにした。時期的なものなのか田んぼには水がはられており、これからの田植えシーズンに迎える準備が整っているように思えた。

 お米は基本的に販売されているものを食べているのだけど、実際に自分で作ったりして食べたほうが美味しいんだろうか?

 米を作ったことのない私にとって田んぼというものは小学校の頃の田植え体験をした時の思い出くらいしかない。

 確かあの時は泥の感触がとても気持ちよくてつい体中に塗りたくったら先生にめちゃくちゃ怒られた記憶や、たくさんの生物をポケットにしまい込んでりしていた気がする。

 そんな昔の思い出に浸りながら田んぼを覗きこんでいると、突然後ろから衝撃を受け、思わず田んぼに飛び込みそうになった。

 そして、そのあまりにも突然の出来事に叫び声を上げてしまった。

「ひゃぁっ」

 しかし、私の身体は田んぼに飛び込むこと無く肩をがっちりと支えられており、私は直ぐに後ろを振り返ると、マリアが楽しそうに笑って私の身体を支えていた。

「えへへ、すみません零さん。田んぼの傍にいる人にはこれをやりたくなっちゃうんですよ」

「おい、もし本当に落ちてたらどうしてた?」

「だ、大丈夫ですよ、ちゃんと支えてましたし、それより零さんって可愛い声出すんですね、なんだか興奮しちゃいました」

「う、うるさい、っていうか迎えはまだ来ないの?」

「もうすぐ来ると思うんですけど」

「もうすぐって、もう30分以上待ってるんだけど」

 そう言い合っていると、車通りが全くない道路に白いミニバンが走ってきて、私達の前でとまった。

 ミニバンの側面には「招喜旅館」と書かれた文字があり、ようやく迎えがやってきたようだった。そして、車の窓がゆっくりと開かれると、異様に黒い髪と、浅黒い肌の男が顔を出してきた。

「いやぁ、すみませんね、もしかしてうちのお客様でしょうか?」

「はい、さっき電話した音無です」

「そうですかそうですか、すみません旅館の方が少し忙しくて到着が遅れてしまい、申し訳ありません」

「大丈夫ですよ、それよりも車に乗ってもいいですか?」

「あぁっ、勿論ですっ」

 そう言って茶色の生地に白い文字で招喜旅館とプリントされているはっぴを着た、浅黒い肌の従業員はいそいそと車から降り、自らが旅館の若旦那であると名乗ってきた。

 そんな自己紹介を終えると若旦那は後部座席の扉を開いてくれた。私達は招喜旅館のミニバンに乗り少し生暖かい車内で腰を下ろした。

 ようやく当初の目的である旅館へと駒を進めることが出来た私達は旅館までの間、車の中から見える緑豊かな景色を眺めながら向かった。

 若旦那はとくに世間話をするわけでも私達の事を聞いてくることもなくただひたすら車を必死に走らせていた。しかし、そんな静かな空気をぶち壊そうとしたのか、マリアが若旦那に話しかけた。

「すみませぇん」

「おや、何でしょうか?」

 マリアの言葉に若旦那は気さくに返事した。

「噂で聞いたんですが、今から向かう招喜旅館って何か不思議なことが起こるんですよね?」

 マリアの言葉に対してバックミラー越しに見える若旦那の表情は暗かった。そして、そんな若旦那の変化に気づいた私は、直ぐにマリアの口を塞ぎ、耳打ちした。

「ちょっと、マリア」

 マリアは苦しそうにした後直ぐに私の手を振り払った。

「ちょっと、いきなり何ですか零さん?」

「あんまりそういうこと言わない方がいいんじゃないの?」

「いいじゃないですか、そういう噂があるんですから」

 相変わらずこういうことになると歯止めが利かないらしいマリアを押さえていると、若旦那が乾いた笑いを出した。

「あはは、いいんですよ、ちらほらとそんな噂も流れてるようですね」

 静かに語る若旦那は、心なしか悲しい表情をしているように思えた。

 私はどうなっても知らない、そう思いながら窓の外だけを眺めてひたすら黙って二人のやりとりを聞いてることにした。

「それで、実際の所どうなんですか、やっぱり出るんですか?」

「申し訳ございませんがお客様、出るとか出ないとか、そのような話は一切ございません。安心してごくつろぎ下さい」

 半ば強制的に話しを終わらせるためか若田南アはピシャリとマリアの口撃を封じ込めた。そりゃそうだ、自分の店の悪い評判を言われて気持ちの良い人なんているわけがない。

 そして、何よりこの反応だと噂話は旅館にとって苦肉の策ではなく、むしろ本当に迷惑しているようだ。

 だけど、雑誌ではひっそりとしか載ってなかったしマリアの話じゃ客足も減っていると聞いたのにどうしてに迎えに来た時に若旦那は忙しいと言っていたのだろう?

 やっぱり客はいないといってもそれなりに旅館経営というのは忙しい物なのだろうか?

 そんな事を思いながら暫く走ること数十分、ようやくたどり着いた場所で車から降り、深々と頭を下げる若旦那をよそに私達はひっそりと佇む風情のある温泉旅館を眺めた。

 見たところ歴史のある和風な作りの外観で庭にはたくさんの木々が青々としていた。

 若旦那は私達の荷物を持ち旅館の入口まで案内すると、数人の仲居と立派な服を着た女将らしき人が深々と頭を下げて出迎えてくれた。

 そんなたいそれた扱いに私は思わず不安になった。それとも旅館というのは基本的にこんな感じなんだろうか?

 なんて事を考えていると隣ではまるで有名温泉旅館に行き慣れた政治家の様にふんぞり返っているマリアがいた。
そんな彼女を横目に、若旦那は私達の荷物を一人の仲居に任せたと思えば、彼は足早に私達の元から去っていった。

 若旦那から荷物を受け取った仲居は、私達を部屋まで案内してくれるらしく、私達は直ぐにスリッパに履き替え旅館の中にはいった。

 旅館っぽい赤い絨毯に、独特な匂いと空気に私は少しワクワクしていた。

 なにしろ、こんな旅館に来て温泉に入るなんて事めったにない、むしろ興奮しない方がおかしいだろう。そんな私の気持ちをマリアに見ぬかれたのか、彼女はクスクスと嬉しそうに笑っていた。

 そうして、旅館内を歩いている途中、仲居がこの旅館での簡単な説明をしてくれた。招喜旅館では温泉は24時間入浴自由、一日二食付きのサービスになっているようだ。
 そして、近くには賑わいのある温泉街があるらしい、夕ちゃんのために温泉街のおみやげでも買って帰ってあげよう。

 それから、勿論のことではあるが貴重品には気をつけるよう言われた。

 なんでも、人間相手にも気をつける必要があるが、それ以外に、この辺り一体に住む猫達による盗難事件が頻発していることが故の注意らしい。

 そんな説明の中たどり着いた場所は二階にある、撫子の間と書かれた部屋だった。撫子の間に中に入ると、決して広くはないが、和室で内装がとても綺麗であり、高校生二人が泊まるのには十分すぎる部屋だった。

 仲居は私達の荷物を置き、部屋の内装を事細かに伝え、一言挨拶したあと、直ぐに部屋から出て行ってしまった。

 部屋から外を眺めると、緑に染まる木々が私の目を癒してくれ本当に旅行をしに来たのだと実感できた。

 マリアも私の隣で静かに外の景色を眺め風でくせっ毛を髪をなびかせている、こうして静かにしていれば可愛い女の子なのにどうしていつも、あんなに騒いでしまうのだろう?

 せめて旅行の時くらい幽霊のことなんか忘れて一思いに楽しめばいいのに、そう思っていると、マリアが私に話しかけてきた。

「零さん」

「ん?」

「いい所ですね、心が洗われるようです」

 そうだマリア、今はそうやって感傷にひたれるような事を言って私達は無事に2泊3日の旅を楽しむべきなんだろう。
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