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しおりを挟むそんなことが行われているとは露知らず。
デューク・エリントンは、エスタを売り飛ばした大金でさる貴族の令嬢の入り婿に収まっていた。
エスタに囁いた愛の言葉より一層情熱的で激しいものを捧げ。
その愛の告白に心揺れた令嬢は、デューク・エリントンを受け入れた。
身分違いを乗りこえて、二人は結婚する。
大勢の人々に祝福され、そのまま披露宴が行われるーーーーそう思われたが。
「デューク、大切な話があるの」
「なんだい?」
「知っての通り、我が家は由緒ある格式高い家柄なの。当然しきたりも厳しいわ」
「もちろん知っているさ」
「古くからのしきたりで、我が家の花婿は目上の貴族のご当主様に一人で挨拶に行かなければならないの。供も付けてはいけなくて、先方が迎えの使者を寄越すからその方と一緒に向かってほしいの」
いずれはこの家の当主になるデュークにとって、これは最初の仕事になる。
それに令嬢にさんざん、“頼りにしている”や“最愛の旦那様…”などと甘い言葉で寄りかかられたものだから。
そこまで言われてしまえば、断る訳にはいかなかった。
急いで正装に着替え、迎えの使者と合流し。
その目上の貴族の当主が待つ城に馬車で向かう。
「おや?おやおや~?これは面白い展開になりそう!」
オルヴァミアの予感は、見事的中することになる。
デュークは使者の案内で、薄暗い城の中を歩いていた。
古い城はその存在だけで、不気味な雰囲気をかもし出すものだが。
この城は特に異様だ。
不気味の一言ではおさまらない何かが、城中に漂っているように見える。
エスタを通して見ているオルヴァミアの目にはそう映って見えるが。
頭の中がピンク一色に埋まっている愚か者は、特に何も感じていないようだ。
むしろ上機嫌で道を歩いているデュークに、オルヴァミアは苦笑をこぼす。
「最高の『ざまぁ』の予感」
使者が扉の前で立ち止まると、デュークに中に入るよう促す。
言われた通りに扉を開け、中に足を踏み入れた。
「ーーーーようやく、待ちわびたものが届いたねぇ。あの小娘、渋ってた割りには仕事が早いじゃないか」
中にいたのは、およそ八十歳近いと思われる老婆だった。
上質な皮張りの椅子に座り、元々細い目が笑みによってさらに細くなっている様はまるで魔女のように見える。
デュークを上から下までじっくり眺めると、わかりやすく舌なめずりする老婆を目の当たりにして。
そこでようやくおぞましい悪寒に襲われた。
なんとも鈍い神経の持ち主である。
「あの、この城のご当主様…ですよね?」
「そうだよ。お前、名前は?」
「デューク・エリントンと申します。今は結婚してデューク・ズィーダです」
「姓なんざ意味はないんだ、さっさと忘れな。今日からお前はただの玩具なんだからね」
「は?」
老婆がベルを鳴らすと、奥の部屋から男たちが数十人やって来た。
その男たちの目は、老婆と同じように暗い真っ黒な欲が宿っているのだが。
残念ながら、デュークにはハッキリとわからないようだ。
ただただ困惑するばかりで。
顔を右往左往しながら、怯えた様子を隠さず老婆を窺っていた。
「そうか、何も知らされていないんだね。これは面白い」
「何を…?」
「お前はね、私に売られたんだよ。お前が入り婿になった家は、格式は高いが内情は火の車なのさ。借金返済を待ってやる代わりに、花婿を寄越せと要求した。最初こそ渋っていたが…どうしてどうして、こうもあっさり事が運ぶとは」
老婆が目で男たちに合図を送る。
すると、隠し持っていた拘束具を取りだし男たちはデュークに近づいた。
これはマズイと入ってきた扉から逃げようとしたが、そこは施錠され開かない。
必死に抵抗するが、数十人の男たちに敵うはずもなく。
デュークは捕まり、拘束され。
そこから始まる地獄の毎日。
代わる代わる男たちになぶり者にされ、それを老婆に眺められる。
時おり老婆も参加し、デュークは全力でそれに応えなくてはならない。
無気力に対応すれば死なない程度の拷問が待っているのだから、気は抜けなかった。
己が望まない日々を過ごし、むごたらしく扱われるうちに。
デューク・エリントンとしての意識を保てなくなりつつあった。
自分が誰なのかさえ分からなくなりそうになっているのだから、いよいよ末期である。
こんな人生はまっぴらだ。
元から無駄に行動力があったデュークは、人がいなくなった時を見計らい傷だらけの体を死ぬ気で動かし城から逃亡した。
目指すは令嬢が待っている屋敷だ。
老婆は令嬢がデュークを売ったと言っていたが、きっと令嬢の父親が勝手に仕組んだに違いない。
あの心優しい令嬢が、自分を貶めるはずがないのだから。
最愛の夫であるデュークが帰らぬことに、心痛めて涙を流し続けているはずだ。
「それはどうかな」
デュークが屋敷にたどり着くと、すぐさま門番に取り次ぎを頼んだ。
この家の次期当主が帰還したと。
そう告げたら、ものすごい力で突き飛ばされた。
「何をする!?私はっ…!!」
「黙れ騙りもの!!!お前のような乞食が貴族様の屋敷に入ることなど許されぬ!!その上、次期当主様を名乗るなどっ…この場で殺されても文句は言えんぞ?!」
「私は次期当主だ!この家のご令嬢と結婚し、入り婿になった!!」
「馬鹿め!当家のお嬢様は三日前に名門貴族の婿君を迎えられたわ!!貴様のようなどこの誰かもわからぬ馬の骨とご結婚されるはずがないだろう!」
「はっ…!?」
屋敷の中、門を見おろせる部屋の窓から美しい女性がデュークたちのやり取りを見ていた。
その側に寄り添うように、やはり美しい青年が同じようにして眺めている。
はた目から見てもそれは仲むつまじく、お似合いの『夫婦』の姿そのものだ。
オルヴァミアも、エスタも、間近で目の当たりにしたデュークも、全てを理解した。
ようするに、デューク・エリントンは替え玉にされたのだ。
貴様の令嬢は、最愛の婚約者と結婚するはずだった。
名門貴族で金持ちの婚約者、結婚すれば借金も完済できるはずだったのである。
ところが、人の弱味につけこんだ例の老婆が令嬢の家の借金を肩代わりして返済を迫ってきた。
婚約者と結婚すれば返せると説得しても、男のことでは譲らない老婆は素直に納得などしない。
借金返済を待つ代わりに、令嬢の最愛の婚約者を寄越せと脅したのだろう。
令嬢は老婆の噂をよくよく聞いて、内情を嫌と言うほど知っていた。
最愛の婚約者を老婆の元へ送れば、どうなるか。
だからこそ、替え玉を見つけたのだ。
あの老婆の元へ送っても、少しも心が痛まないロクデナシの男。
デューク・エリントンを。
「嘘だ…嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!!」
「ーーーーまだそんなに元気があるのかい。お前たち、可愛がり方が足りなかったようだよ」
悪夢が足音を立てて、すぐ側までやって来ていたのを。
デュークはすぐには気づけなかった。
「ひいぃぃぃぃ!!」
足を上手く動かせない男と馬車、どちらが早く屋敷に着くかは明白だ。
しかし老婆はあえて、デュークが全ての事実を知るまで馬車の中でのんびり待っていた。
より深い絶望を与える為に。
「情けない声を出すねぇ。…連れてお行き」
「さっさと来い、くそ野郎。大人しく豚小屋に帰るぞ」
「嫌だ嫌だ嫌だ!!!もうっ…もうあんなところは嫌だ!!!!」
「あんなところとはご挨拶だね。お前が騙した娘の境遇に比べたら、全然大したことはないよ」
「!?」
デュークの表情が、驚愕と恐怖が入り交じったものに変わる。
なぜそのことを老婆が知っているのか。
その疑問に答えたのは、取り巻きの男の一人だった。
「ご当主様は色々イカれてるが、真っ当な女には優しい方だ。善良の塊だったエスタ・ミランを、小さな頃からご存じだったんだよ」
「え…?」
「健やかに成長して、結婚して子供を産んで穏やかに歳を重ねていくだろうと望まれた希少な『お気に入り』を。あろうことか、テメェのようなロクデナシがたぶらかして売り飛ばした。あまりのことにご当主様は、飼っていた玩具を何人かぶっ壊しちまったがな」
「それっ、それで、俺を…?」
「無理やりひっ拐ってきてもよかったんだが…それではつまらぬとの仰せでな。件の令嬢にも協力させて、わざわざテメェを誘き寄せたって訳だ」
魅力的な貴族の令嬢というエサをぶら下げていれば、ノコノコやって来た愚かな男が一人。
これで引っかからずとも、他にも色々誘き寄せる算段はつけていたが。
まさかこうも簡単に網にかかるとは、老婆も思っていなかったに違いない。
こんなにも単純で愚かしい男に、自分のお気に入りの少女が貶められたのだと思うと腸が煮えくりかえるなどと考えながら。
絶望を増長させる笑みを見せながら、デュークに死刑宣告をした。
「逃げ出した、ということは…人間はもう飽きがきたってことだね」
「…へ?」
「飽いたのなら仕方ない。今度からはあたしの可愛いペットたちが、お前の相手をしてくれるよ」
老婆の言葉に、付き人の男たちがあからさまに眉を寄せ心底嫌そうな表情になった。
今までの出来事ですら、表情の一つも変えなかった男たちがだ。
それだけで、どれほどのものが待ち受けているか。
わかっていないのは一人だけだ。
「うわ、エグッ!ご当主様ご自慢のペットたちが相手とか…良かったな?俺らもそろそろ面倒になってきたところだったし、丁度いい」
付き人の男の言葉は、デュークの耳には入らなかった。
なぜなら許されるはずのないことをやらかした逃亡者を、今まで通りの折檻で終わらせるはずがないとようやく理解したからだ。
これから行われるであろうことを、想像すら出来ないデュークはその場で吐いた。
吐く物なんて何もないが、胃液や唾液をこれでもかと吐き出して。
ゆっくりと顔を上げ、絶望を宿した目で老婆を見た。
「せいぜい、己の行った罪の深さを呪うがいいさ。まぁ、すぐに何も考えられなくなるだろうがね」
その場に、デュークの悲鳴が木霊する。
どれだけ泣き叫ぼうが暴れようが、痩せ細り力を無くした男に抵抗しきれるはずがない。
馬車に取り付けられた鉄の檻に入れられ、その中で狂ったようにひたすらエスタに謝罪し続ける。
その光景を、エスタは鳥の姿で静かに眺めていた。
顔を背けることも言葉を発することもせず。
ただ、哀れな男の『最期』を見届けた。
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