9 / 68
行き過ぎた愛は嫉妬を生む 第1話
scene8 情報屋、猫田狼夜の情報
しおりを挟む
『喫茶ヤエ』は桜が丘で一番美味いコーヒーを出す店として有名な、レトロな喫茶店である。しかし、僕は仕事以外で行ったことがない。プライベートでコーヒーを嗜むことがないからだ。
仕事以外、ということは仕事ではよく行くのだが、もちろんコーヒーを飲みに行くのではない。猫田狼夜という情報屋に会うためだ。彼の自宅や経歴は全く知らない。猫田狼夜という名前も、本名か分からない。職業柄、本性を知られるのはまずいということなのか、用があるときは連絡をして『ヤエ』で会うことになっている。なんだか不思議な人物だ。
僕は昨日のうちに彼にコンタクトをとり、会う約束をした。店の入り口から一番遠い席に、店には不相応な黄色いキャップが座っていた。彼が猫田狼夜である。僕はその席に歩み寄って、「やあ、狼夜」と声をかけて、座った。
「キャットって呼んでほしいって言ってるじゃないっすか」
狼夜はにやにやと笑いながら言った。
「君は猫じゃなくて、牙がない狼だろう」
「ひどいなあ、まるで弱いって言ってるみたいじゃないっすか」
そこでウェイターが来たから、会話は途切れた。僕は紅茶を二つ注文して、狼夜に向き直った。
「やっぱり、紅茶なんすね」
「コーヒーは苦手なんだよ」
「おこちゃまな味覚なんすね、大人なのに」
「うるさいなあ。別にいいだろう」
紅茶に口を付けて、少し飲んだ。液体を口の中で転がすたびに深く優しい香りが鼻を抜ける。ここにミルクとシュガーを入れることで、甘さとマイルドさが加わり、味と香りが深まる。
コーヒーもいいが、紅茶も最高だ。
「で、旦那。なんで逢坂家のメイドがいるんすか? 探偵辞めてお手伝いさんにでもなったんすか?」
「協力者だよ。今回の依頼人が逢坂家のご令嬢でね、その子から借りたメイドさんだ」
「逢坂家のお嬢様って高校生くらいっすよね、宿題のお手伝いでも頼まれたんすか?」
「お嬢様は宿題を他人に任せるような不真面目なお方ではありません。お嬢様をけなすことは、九条様のお友達でも許すことはできません」
大川さんが突然立ち上がって、言った。僕を主としていてもはるねちゃんのことは大切に思っているらしい。
「すみませんね、メイドさん。冗談なんで、許して下さいよ。食事でも奢るんで」
「申し訳ございませんが、私にはお仕事があるので、ご遠慮させていただきます」
狼夜は「そうっすか……」と言って、満杯のコーヒーをちびちびと飲んだ。
「話を戻すけど、そのご令嬢からの依頼が人探しなんだ。この人、見たことないか?」僕はテーブルに桐原さんの写真を置いた。
「もしかして、失踪したとか?」
「よく分かったね」
「この事件、知らないんすか?」狼夜はスマートフォンの画面をこっちに見せた。どうやらニュースの記事らしい。見出しに『桜が丘連続失踪事件 てがかり未だ見つからず』と出ている。
「ニュース見てないんすか? テレビでめっちゃやってるっすよ」
「最近、忙しくて」
「ここ一か月で六人の人が謎の失踪をしている。全員に共通するのは、失踪直前の様子からいいなくなる理由がないってことと、この町でいなくなったということ。警察も調べているんすけど、手がかりなし」
「誘拐事件にしては、なんだか大きいっていうか、ミステリアスっていうか……」
上手くは言えないが、変な感じがする。誘拐事件にしては犯人からの要求があってもよさそうだが、このニュースを見る限りそれはなさそうだ。絶対になにかある。
「そ、これはだだの誘拐事件じゃない。むしろ誘拐事件ですらない。麻薬事件だ」
「麻薬?」
「マーメイド・ユートピア――旦那なら聞いたことあるっすよね」
聞いたことがあるどころか、十年前に嫌になるほど聞いた。その名前は僕に忌まわしき記憶を呼び起こさせた。目頭が熱くなる感覚、痛み、血の匂い、腐った匂い、死体の山――頭に浮かんだだけでも目を閉じたくなる。
「……でも、あれはずっと昔に」
「全滅させたって? 確かに全滅したっすよ。けど、手を出した人間がもう一度作れば、また使われる。失踪事件が始まった頃とマーメイド・ユートピアが出回り始めた時期が見事に被っている。ヤバイ事件が同時に二つも起こるなんて、何かあると考えるしかねえっすよね」
彼はテーブルの上に一枚の名刺を置いた。『Ber Bule Rose』と書かれている。店の名前らしい。
「今夜、ここで売買が行われる」
「確かな情報なのか?」
「六・七割っすね」
「残りの三・三割は?」
「例外がありうるってことっす。売人はその店で週に一度、商売をやっていて、毎回同じ曜日、同じ時間、同じ席でやるんすけど、今週は別の日に来てたって情報が入っているんす。そいつが言うは、店に入ってすぐ出て行ったらしいんすけど」
「だから、来ないかもしれないのか。来るとしたら、何時ごろ?」
「二十三時に、首に人魚の入れ墨を入れてるやつっす」
入れ墨か、危険な匂いがプンプンする。
「ありがとう。とりあえず行ってみることにするよ」
「気を付けて下さいよ、こういう連中は他に何持ってるか分からないっすから」
「全力で警戒するよ。じゃあ、代金はこれで」
情報提供代として一万円札を四枚、テーブルに置いて立ち上がった。情報屋にはその情報に見合ったお金を払わなければいけないのである。いつもは千円札を何枚か払っているが、今回は危険度が高いから値段も高めだ。
狼夜はそれを受け取るとニヤリと笑った。
「またごひいきに、探偵の旦那」
ひいきにしたいが、四万円も払うのはこれきりだと願いたいものだ。
仕事以外、ということは仕事ではよく行くのだが、もちろんコーヒーを飲みに行くのではない。猫田狼夜という情報屋に会うためだ。彼の自宅や経歴は全く知らない。猫田狼夜という名前も、本名か分からない。職業柄、本性を知られるのはまずいということなのか、用があるときは連絡をして『ヤエ』で会うことになっている。なんだか不思議な人物だ。
僕は昨日のうちに彼にコンタクトをとり、会う約束をした。店の入り口から一番遠い席に、店には不相応な黄色いキャップが座っていた。彼が猫田狼夜である。僕はその席に歩み寄って、「やあ、狼夜」と声をかけて、座った。
「キャットって呼んでほしいって言ってるじゃないっすか」
狼夜はにやにやと笑いながら言った。
「君は猫じゃなくて、牙がない狼だろう」
「ひどいなあ、まるで弱いって言ってるみたいじゃないっすか」
そこでウェイターが来たから、会話は途切れた。僕は紅茶を二つ注文して、狼夜に向き直った。
「やっぱり、紅茶なんすね」
「コーヒーは苦手なんだよ」
「おこちゃまな味覚なんすね、大人なのに」
「うるさいなあ。別にいいだろう」
紅茶に口を付けて、少し飲んだ。液体を口の中で転がすたびに深く優しい香りが鼻を抜ける。ここにミルクとシュガーを入れることで、甘さとマイルドさが加わり、味と香りが深まる。
コーヒーもいいが、紅茶も最高だ。
「で、旦那。なんで逢坂家のメイドがいるんすか? 探偵辞めてお手伝いさんにでもなったんすか?」
「協力者だよ。今回の依頼人が逢坂家のご令嬢でね、その子から借りたメイドさんだ」
「逢坂家のお嬢様って高校生くらいっすよね、宿題のお手伝いでも頼まれたんすか?」
「お嬢様は宿題を他人に任せるような不真面目なお方ではありません。お嬢様をけなすことは、九条様のお友達でも許すことはできません」
大川さんが突然立ち上がって、言った。僕を主としていてもはるねちゃんのことは大切に思っているらしい。
「すみませんね、メイドさん。冗談なんで、許して下さいよ。食事でも奢るんで」
「申し訳ございませんが、私にはお仕事があるので、ご遠慮させていただきます」
狼夜は「そうっすか……」と言って、満杯のコーヒーをちびちびと飲んだ。
「話を戻すけど、そのご令嬢からの依頼が人探しなんだ。この人、見たことないか?」僕はテーブルに桐原さんの写真を置いた。
「もしかして、失踪したとか?」
「よく分かったね」
「この事件、知らないんすか?」狼夜はスマートフォンの画面をこっちに見せた。どうやらニュースの記事らしい。見出しに『桜が丘連続失踪事件 てがかり未だ見つからず』と出ている。
「ニュース見てないんすか? テレビでめっちゃやってるっすよ」
「最近、忙しくて」
「ここ一か月で六人の人が謎の失踪をしている。全員に共通するのは、失踪直前の様子からいいなくなる理由がないってことと、この町でいなくなったということ。警察も調べているんすけど、手がかりなし」
「誘拐事件にしては、なんだか大きいっていうか、ミステリアスっていうか……」
上手くは言えないが、変な感じがする。誘拐事件にしては犯人からの要求があってもよさそうだが、このニュースを見る限りそれはなさそうだ。絶対になにかある。
「そ、これはだだの誘拐事件じゃない。むしろ誘拐事件ですらない。麻薬事件だ」
「麻薬?」
「マーメイド・ユートピア――旦那なら聞いたことあるっすよね」
聞いたことがあるどころか、十年前に嫌になるほど聞いた。その名前は僕に忌まわしき記憶を呼び起こさせた。目頭が熱くなる感覚、痛み、血の匂い、腐った匂い、死体の山――頭に浮かんだだけでも目を閉じたくなる。
「……でも、あれはずっと昔に」
「全滅させたって? 確かに全滅したっすよ。けど、手を出した人間がもう一度作れば、また使われる。失踪事件が始まった頃とマーメイド・ユートピアが出回り始めた時期が見事に被っている。ヤバイ事件が同時に二つも起こるなんて、何かあると考えるしかねえっすよね」
彼はテーブルの上に一枚の名刺を置いた。『Ber Bule Rose』と書かれている。店の名前らしい。
「今夜、ここで売買が行われる」
「確かな情報なのか?」
「六・七割っすね」
「残りの三・三割は?」
「例外がありうるってことっす。売人はその店で週に一度、商売をやっていて、毎回同じ曜日、同じ時間、同じ席でやるんすけど、今週は別の日に来てたって情報が入っているんす。そいつが言うは、店に入ってすぐ出て行ったらしいんすけど」
「だから、来ないかもしれないのか。来るとしたら、何時ごろ?」
「二十三時に、首に人魚の入れ墨を入れてるやつっす」
入れ墨か、危険な匂いがプンプンする。
「ありがとう。とりあえず行ってみることにするよ」
「気を付けて下さいよ、こういう連中は他に何持ってるか分からないっすから」
「全力で警戒するよ。じゃあ、代金はこれで」
情報提供代として一万円札を四枚、テーブルに置いて立ち上がった。情報屋にはその情報に見合ったお金を払わなければいけないのである。いつもは千円札を何枚か払っているが、今回は危険度が高いから値段も高めだ。
狼夜はそれを受け取るとニヤリと笑った。
「またごひいきに、探偵の旦那」
ひいきにしたいが、四万円も払うのはこれきりだと願いたいものだ。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転
小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。
人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。
防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。
どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる