グッバイ、親愛なる愚か者。

鳴尾

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 結局、僕が彼とまともに交わした会話は朝と昼食前のあれだけで、そのあとは会話らしい会話なんてしなかった。僕は午前中の言動がなんだったのか僕自身に聞きたくなるくらい彼の言葉を無視し続けた。彼自身も、昼食中こそなんとか会話を広げようと喋っていたが、苦しくなったのかボロが出そうになったのか、それとも午前中のことは記憶から消すことにでもしたのか、結局夕方にはいつもの静かな部屋に戻っていた。
 次の日、僕と彼はまるで昨日なんてなかったみたいにいつも通り学校へ行った。ひと言の会話もないまま支度を済ませ、別々に部屋を出て、別々に学校へ行き、教室へ入る。そして彼が昨日の欠席についての詳細を友人たちに問い詰められている姿を横目に授業の準備をする。
 唯一違ったことがあるとすれば、ひとつ前の席に座る坊主頭が僕におはようと言ったくらいだ。けど僕はそれに返事をしなかったから、いつもと変わらない日常だ。

 彼の不調は頻繁ではなかったけれどそれからもときどきあって、その度に僕は学校を休んだ。顔を熱らせて、必死に息を整えていた朝。酷い顔色で、立っているのもやっとの朝。眉を顰めて咳か吐き気か、何かを我慢して口をおさえていた朝。僕は何度も下手くそな嘘を吐いて、彼はその嘘を信じてくれた。
 当然、彼は僕の嘘には気づいていた。だって僕は明らかにずっと元気だったし、不調だという割に薬は一度も飲まなかった。けれど彼はそのことについて何の言及もしなかった。どこが辛いの、とか薬飲まなきゃ、とかなんでもない日に今日は大丈夫?って聞いたりとか、そういうことは一切せずにただ僕の嘘を信じた。

 一年の授業を終える頃、病弱の肩書きを手にした僕は医務室で過ごすことが増えていた。彼の体調に付き合っていたわけではない。なんとなく、教室にいたくなかっただけだ。いくら無視を続けても諦めるどころかさらに距離を詰めてくる前の席の坊主頭。みんなで一緒に、とか仲間と協力して、とかことあるごとに熱血を吐く教師。監視するように少し離れたところからただじっと僕を見ている一部のクラスメイトたち。
 不愉快だ。僕は見世物小屋の猿か何かか。自分と違う存在がそんなに珍しいか。面白いか。
 少しだけ、彼の気持ちが分かった気がした。彼が病を隠していた理由。彼はきっと、以前にこうなったことがあるのだろう。話しかけることは決してなく、かといって空気のように無視するわけでもなく、じろじろと舐め回すように、観察するようにこっちを見ている。この状況をよしとする人なんていないだろう。
 不快感に耐えきれず、僕は医務室に入り浸るようになっていた。
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