グッバイ、親愛なる愚か者。

鳴尾

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 分からない、というのは恐怖の一種だと僕は思う。僕はいつも、分からないものは分かるようになるまで考えていた。答えが出るまで考えていた。そうでないとそれがどんどんおぞましいものに見えてきて、気持ち悪くなる。
 分からないというのは悪だ。その言葉を使うのはとても簡単だけど、使ってしまえば認めてしまうことになる。自分はそれに及ばないのだと。認めたくないから、分かるまで全て解き明かす。そうして、それは決して及ばないものなどではないと自分自身に言い聞かせて、怖くはないと理解する。そうしたらやっと、僕は安心できるんだ。
 学校で習う物事は全てに答えがついているから好きだ。教科書に載っている答え、教師が啓示する答え、歴史の中で導き出された答え。答えがあるから、理解できる。怖くない。特に数学は好きだ。数字はとても分かりやすい。
 けれどそれが人の心になった途端、何ひとつ分からなくなる。今まで与えられていた答えが突然消滅する。教壇に立って自信満々に物語の主人公の心情を高説している教師も、実際に生きて存在している人の心を問われたら的外れで頓珍漢なことしか答えられない。当然その頓珍漢は答えとしては不正解で、ならば分からないと匙を投げてみたところで答えがどこからか降ってくる訳でもなく、ただ分からないという事実が恐怖として僕を苦しめるだけだ。
 自分がなんだかよく分からないものに侵食されていくのはすごく気持ち悪い。吐きそうになる。真っ直ぐ立っていられない。

「大丈夫?」

声がして、顔を上げたら坊主頭が僕を見ていた。
 やっぱりこの男のことは何も分からない。今でもたまに、あの頃みたいに気持ち悪くなるときもある。けど、

「大丈夫。」

彼のおかげで、あの頃よりは分からないことが怖くない。

 思えばあの頃、僕は僕以外の全てをはっきりと拒絶していた。一線を引いて、近づかせないようにしていた。分からないものに対して、恐怖と吐き気と不快感を我慢してまで無理に接する必要なんてないと思っていたから。
 僕はあんなお節介を焼いていたのに、彼のことも拒絶していた。僕の看病と称して彼を休ませていたくせに、話なんてろくにしようとしないで無視して、彼の存在そのものを否定し続けた。もしも僕があの頃、彼に少しでも興味を向けていたら、話をしていたら、顔を見ていたら、彼は自ら命を絶つなんてことをしないで、今も生きていたのかもしれない。
 いや、それは僕の勝手で烏滸がましい妄想だ。僕が彼の心配をしたら、その目はきっと僕に向けられたクラスメイトたちのそれと同じものになっていただろうし、口下手な僕が半端に口出ししたところで、彼に拒絶されて部屋替えでもされて終わるのがオチだ。
 でももしかしたら、彼にとってはそのほうが良かったのかもしれない。僕なんかより上手くやれるやつはたくさんいる。たとえばこいつとか。このお人好しがすぎる坊主頭なら、彼を死なせてしまうこともなく仲の良い友人として卒業までいられたのかもしれない。そう考えると僕より酷いルームメイトもいないだろう。彼のいちばんの悪運は、僕と同室になってしまったことだろう。
 まあそんなこと、今更考えたってどうにもならないことだけど。
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