月見荘〜Part2〜

憂月柘榴

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新しい部屋と騒々しさと異物感

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 入居を決めてからの日々はあっという間だった。綾さんが手配をして、俺と怜は正式に『月見荘』の住人になった。まだ居心地の悪いベッドの上でごろごろしながら、考える。何故俺はここにいるのか。何故、それを選んだのか。何日も考え続けても、答えは出ない。
 窓の外では枯れた葉が風に舞っている。あの日、俺と怜は死んだはずだった。だがこうして、生きている。不思議な感覚だった。それは喜びでも悲しみでもない、俺にはまだわからない感情だった。
 他の住人との顔合わせも済んで、数日が経った。騒々しい人たちだなと思ったのが正直な感想だった。だが同時に、綾さんの持つようなあの、独特な黒い何かを、みんな抱えているのもわかった。俺も抱えているのだろうか。…わからない。
「蓮也。中庭に煙草吸いいかねぇか」
 司さんが扉を軽くノックして、顔を出した。気遣ってくれているのがよくわかる。優しい人だ。俺なんかに。
「あー…いきます」
 ベッドの脇に置いたままのハイライトとライターを握りしめ、立ち上がる。軽い眩暈があった。自律神経の異常だろう。そんなものには、慣れていた。
 中庭に司さんと降りていくと、先客がいた。スタンド式灰皿の横にあるベンチに座る、女性。守屋瑠璃。そう入居日に名前を聞いていた。
「あ?あー司と蓮也か。まぁ座れや」
 瑠璃さんはベンチの背に首をもたげるようにしながら、自らの隣をぽんぽんと叩いた。
「失礼します…」
 司さんを間に挟んで腰掛けた俺に、瑠璃さんが声をかける。
「蓮也。お前硬い奴だよなぁ。もっと砕けねぇと疲れんぞ」
「あんたみたいに砕けすぎてねぇだけだろ」
「ウルセェよ司」
 苦笑を返して、煙草に火をつける。三つの煙がゆらゆらと立ち昇る。誰かと煙草を吸うのも、いつぶりだろうか。そんなことを思いながら、ゆっくり呼吸をした。
「臭いと思ったら蓮也、ハイライト吸ってんのか。見かけによらず渋いなお前」
「あぁ、昔からこれだけなんです。なんとなく」
「ほー。いい趣味だ」
 片側の口角だけを上げた瑠璃さんのマルボロの灰が落ちる。司さんと瑠璃さんの銘柄は一緒だった。仲がいいのだろう、二人の間にある空気感は独特な信頼を感じさせた。俺はそういうのを見て取るのがずっと昔から得意だった。いらないことまで、見て聞くだけでわかってしまう。それは長所というより、特徴だった。
「…何日か経ったが、少しは慣れたか?」
 司さんが灰を落としながら口を開く。その言葉に、考える。生活そのものには慣れ始めていた。人にも。幸い、住人たちは癖は強くとも関わりやすかった。そもそも俺は人間関係に苦労したことは別にない。上手くやることには慣れている。
「慣れましたよ」
「慣れてこの硬さかよ、おいおい」
 茶々を入れる瑠璃さんの言葉に、司さんがため息をついた。この人は諸々苦労人なんだろう、と馬鹿なことを思った。あの日、俺の握っていた包丁を奪い取った無骨な手は、気怠そうに煙草を揺らしている。
「瑠璃。まぁ蓮也には蓮也のペースがあんだろ。そう茶化すなよ」
「はいはい、わかりましたよー苦労人さん」
 瑠璃さんの首をすくめる仕草とその言葉には、どこか飄々としたものがある。だが、俺は気づいていた。この人も、重く、暗い何かを抱えている。いや、この人も、ではない。ここの住人全てが、だ。それはどこか俺自身と近いような気もしたし、遠いような気もした。俺自身の色なんて、掴みきれたことがないのだから、わかるわけがない。
「まぁ、なんだ。蓮也。生きてりゃいいんだよ、生きてりゃ」
「…生きてりゃ、ですか」
「そう。あとはどうだっていい。綾も言ってただろ?『死なないこと』が条件だって。それだけなんだよ、ここ」
「変な場所ですね」
「だから変な奴が集まれるんだろうよ、真面目君」
 ハイライトの煙が肺に染みる。心地よい刺激だった。いつも通りなのに、どこかいつもと違う気がしたのは、マルボロの匂いが混ざっているからかもしれない。軽い交感神経の異常を感じながら、俺はゆっくりと煙を吐いた。
 共同部屋からは、輝羅ちゃんと暁人くんの声が聞こえる。ここの住人で俺と怜の年下になるのはその二人だけだった。輝羅ちゃんは、正直とっつきづらい。まるで威嚇し続ける猫のように、警戒されている気がした。暁人くんとはすぐに打ち解けた。彼は、優しい子だ。体が弱いのは心配だが、大人びていた。
「また輝羅が騒いでんな。レポートでもやべぇのか?」
「暁人に手伝ってもらってるんだろ、たぶん」
「暁人も馬鹿の相手するのは大変だねぇ」
 二人の会話に耳を傾けながら、考える。ここの居心地は悪くない。いや、いいと言っても間違いじゃない。だが、俺はここにいてもいいのだろうか。それがわからない。そもそも死んだはずの人間が、まだ生きていていいのだろうか。それすら、俺にはわからなかった。
「怜は大丈夫そうか?」
 司さんが心配を隠そうとしながら、俺に問う。だが指先のマルボロの灰が無駄に長くなっているのを、俺はわかっていた。不器用な人だ、だけど、優しい人だ。そう思った。
「…彼女は何も変わりません。会った時からずっと」
「あたしですら気軽には話しかけらんねぇよ。あいつはなんつうか、本当に『死んでる』な」
「実際、綾さん以外と話してるのなんてまだ見たことねぇよ。俺も。…まぁ、生きてるからいいか」
「俺も、彼女のことを詳しく知ってはいませんから」
 事実だった。怜とは、死ぬために会ったようなものだ。お互いの名前くらいしか知らない。後は、死に方の話をしたくらいだ。背景なんて何もわからない。ただ、俺からは想像もつかない何かを抱えていることだけは、見てわかった。
「今時のネットってのは怖いねぇ。お前ら、死ぬために会ったんだろ?確か」
「そうです」
 怜との出会いはSNSからだった。何度かやりとりをして、たまたま住んでいる場所が近かったことがわかった。そして、お互い死にたがっていることも。だから、一緒に死ぬことにした。その方が確実に死ねると思ったからだ。それ以外の理由はなかった。
「ま、生きててよかったなぁなんて綺麗事は言わねぇが、悪くもねぇだろ」
「……そうかもしれません、ね」
 歯切れの悪い回答を聞いて、俺の頭を司さんが荒っぽく撫でた。
「いいんだよ。今日もハイライト吸えてんだろ。それでいい」
「かっこいいこと言うじゃねぇか司」
「うっせぇ」
 無骨な手のひらは、確かに、温かい気がした。…
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