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第9話 オーブ侯爵の訪問

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魔法使いであるラシャンス・シトロナードの家は、王都タランガのやや外れにある。
ラシャンスが魔法を研究するのにある程度の静けさを望んだこともあったし、素材の購入や魔法道具の売買には王都の賑わいが必要だった。そこで、王都の外れにあるこの家が、ラシャンスにとって好都合だった。
当初は家賃を払って借りていたものの、アカデミーを卒業してしばらくしたラシャンスが十分な収入を得てからは、あっさりと購入した。魔法使いとしてラシャンスが稀代の能力を持ち、それにともなって収入があっという間に多くなった証拠でもある。

そんなラシャンスの家の前で、ムチが風を切る音、そして馬のいななき、さらに車輪が止まる音がした。

「あら?馬車よね?」
そう思ったラシャンスは、少し置いて玄関の扉を叩く音を聞いた。

「はーい、ただいまー、今行きまーす」
研究の手を止めたラシャンス、ではなく、ラシャンスの留守宅を預かるレトワール・シフォナードが玄関を開けると、オーブ・レ・ジェール侯爵が立っていた。
「オーブ…様」
ラシャンスの習慣で危うく呼び捨てにしようとしたところで、今の自分はレトワールだったと思い出す。
「あなたがレトワール・シフォナード嬢ですね。私とは初対面だったはずですが…」
オーブが不思議そうにレトワールを見る。
「お師匠様からいろいろ話は聞いていましたので、それに凱旋のパレードでは遠目に拝見していましたから」
「なるほど…」
オーブは納得する。
「あなたのお師匠様、つまりラシャンスのことで話があるのですが…」
レトワールは「それでしたら、どうぞ」と招き入れた。

レトワールは椅子に腰かけるオーブにお茶を用意する。
7歳の体になって数日は違和感を覚えたラシャンスだったが、先日から何とかなじんできた。
「レトワール嬢も魔法使いなんですね」
「はい」
「あのラシャンスが弟子を取ったと聞いて驚きました」
「そうですか?」
「私は戦場に向かう途中で何度も弟子入りを希望したのですが、『面倒だから』と断られてばかりだったので…」
「ああ…」
そうしたやり取りを思い出したレトワールは何とか取り繕う。
「それはオーブ様の魔法の使い方と、お師匠様の魔法の使い方ではいろいろ違うところがあったからだと思いますよ」
オーブが寂しそうに微笑む。
「まあ、そう言うことにしておきましょうか」

そんなオーブを見ながら、レトワールは心の中で頭を下げた。
『本当は本当に面倒だったからなの。ごめんなさい!オーブ!』

話が途切れたところでレトワールが「ところでお話とは?」とオーブに尋ねる。
「話と言うより、本当に旅に出たのかを確認したくて、お伺いしました」
オーブの鋭い問いかけに、レトワールが内心で大汗をかく。
「それは間違いありません」
「具体的にどこに行ったのか分かりますか?」
オーブの追及が続く。
「それは私も聞いていないんです。『あちこち回ってくる』としか」
「そうですか…。戻る予定なども言っていませんでしたか?」
「はい、そう…長くはない、とは言っていましたが」

『だって、この魔法が解けないと帰れないの!』
レトワールの心の中の叫びだ。

オーブの沈痛な表情にレトワールが声をかける。
「お師匠様なら平気ですよ。すぐに帰ってきますって」
その言葉を聞いたオーブの表情がゆるむ。
「確かに、あのラシャンス・シトロナードなら心配する必要はなさそうですね」
「はい!」
レトワールの元気の良い返事に、オーブの表情が一段と緩んだ。
「あなたはラシャンスの、師匠のことを信じてるんですね」
「もちろんです!」とレトワールはさらに元気よく答えた。
「だって英雄シャイニングウィッチですし、天才の大魔法使いなんですから!」
あっさり答えたレトワールだったが、それを見たオーブがクスクスと微笑む。

「おかしい…ですか?」
不思議そうな顔をするレトワールを前に、オーブのクスクス笑いは止まらなかった。
「いえいえ、間違いありません。確かに天才の大魔法使いですね」
「でしょ」
オーブがレトワールに向き直る。
「レトワール嬢がラシャンスに弟子入りしたのは、戦争から戻った後なのですよね」
「はい」
「それならラシャンスのことをあまり知らないかもしれませんね」
自分自身のことを「知らないかも」と言われて、レトワールはムッとする。
レトワールの表情を見たオーブは「ごめんなさい」と謝りつつも、旅先で見たことを語り始めた。
「前線に赴く中で、何度も野宿をしたことがあったんですよ…」
オーブの語り出しはこうだった。

野宿をする際に用心しなくてはいけないのが、多くの魔物や猛獣だ。
魔法使いであるラシャンスが結界を張るので、相当の魔物や猛獣でも安心して眠れるのだが、「それでも…」とファルツァー、オーブ、ディスタント、そして時折ポーが順に寝ずの番をすることがあった。

「とある夜、私が起きて番をしていた時です…」

小さな焚火を見つつ番をしていたオーブは、何か弾けるような破裂するような音を聞いた。
「何だ?」
自分でもそれなりに魔法を使えるオーブは周囲を探ったものの、何の気配も感じない。元より何か異変が起これば、ラシャンスの結界が反応するはずだった。

「パチン」

「ペチン」

不定期に弾けるような破裂するような音が繰り返される。
オーブが伸長に音の出所を探ると、ラシャンスが寝ている方から聞こえてくることが分かった。

男性4人と女性1人のパーティー。宿に泊まる時には部屋がある限り、ラシャンスは別室を借りたし、野宿する時でも男4人とラシャンスとは距離を置いた。

オーブは迷ったものの、騎士として貴族として女性に対する礼儀を維持しつつ、音への興味を満たすことを選んだ。そっとラシャンスが寝ている方へと近づく。

「何の音だったと思いますか?」
「…さあ?」
オーブの話を聞いてもレトワール(ラシャンス)に思い当たる節はなかった。

ラシャンスの寝床に近づいたオーブが見たもの。
それはラシャンスが鼻からちょうちんを膨らませては割っている光景だった。

それを聞いたレトワールが立ち上がる。
「そんな!私…のお師匠様が!そんな!」
危うく「私が」と言いかけたレトワールは寸前でごまかした。
「私も笑いをこらえるのに必死でしたよ。ラシャンスのあんな寝姿を見られるとは思わなかったので」
「そんな…」
レトワールは椅子に崩れ落ちる。
尊敬する師匠の意外な姿を知ってショックを受けたと勘違いしたオーブは、レトワールに慰めの言葉をかける。
「心配しないで。この話をするのは最初で最後にするから」
「ええ、でも、ファルツァー様やディスタント様、ポー様はご存じでしょうか?」
レトワールに聞かれたオーブが考え込む。
「私は話してはいないけれども、交互に寝ずの番をしていたから、もしかすると…」
その推測を聞いたレトワールは絶望的な心境になった。

その後もひとしきり話をしたオーブはラシャンスの家を後にした。
「もし帰ってきたら、もしくは行き先が分かった時に連絡を貰えますか?」
最後にそう念押ししてオーブは帰って行った。

馬車に乗り込んだオーブはポケットに入れた箱を取り出した。
「もっと早くに決断すべきだったか」
箱を開けると、繊細な彫刻を施した指輪が入っている。指輪を取り出したオーブは深くため息をついた。

オーブを送り出したレトワールは玄関の扉を閉めると、その場にしゃがみ込んだ。
「あー!もう!メリナ!」
呼ばれたメリナが浮かび上がる。他に誰もいないこともあって人型だ。
「あなた、知ってた?」
「何をですか?」
「その…、私が寝てる時…、その…鼻から…」
あっさりと「ああ、鼻ちょうちんですね」メリナは答えた。
「知ってたのなら、教えてくれても良いのに!」
「そうなんですか?」
「当たり前でしょ!」
レトワールに言われてもピンとこないようで、メリナは首をかしげた。
「そんなに珍しいもの…なんですね」
「珍しいかどうかじゃなくって…」
「はあ?」
「恥ずかしいじゃない!」
そこまでレトワールに言われて、ようやくメリナは「ああ」と理解した。
「でも、もう、遅いですよね」
メリナの現実的な指摘にレトワールは再びうずくまる。
「もしかしてファルツァーやディスタントやポーも知ってるの?」
メリナは「おそらく」と答える。
レトワールの身もだえはしばらく続いた。
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