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<後編>

第56話 反撃5 ファニーとの面談(下)

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 お兄様からクジネ男爵令嬢の報告があった。
 男爵令嬢は養女だった。6年前、ゲルスターの端にあるマングレートの孤児院から引き取られたらしい。それからとても大切に育てられている。2年前に学園に入園し、そこそこの成績をおさめつつ、婚約クラッシャーとして名を馳せたようだ。
 彼女に惚れ込む人と、そうでない人の違いはなんなのだろう?
 薬や魔力でないのに、あの吸引力は異常だ。
 同胞だとしたら〝おちる〟のあのフレーズでの意味は、闇堕ち系だよな。

 クジネ令嬢に思いを馳せる。
 わたしのことが大嫌い。雨が嫌い。取り巻きはいるが、婚約するほどの好きではない。彼女を認めてくれた男性がいる。彼女はその男性が好きで、恐らく身分がかなり上。
 前世を覚えていることで何かあるのかな。
 でも、わたしだってうろ覚えにはなるけれど、記憶があっても現世でどうとかはないし。
 ただ彼女から〝ヒロイン〟って言葉が飛び出した時に思ったんだよね。
 彼女はヒロインみたいだって。可愛いのもそうだけど、多くの人から好かれるってヒロイン要素だなって。何かが記憶をかすめる。うん、なんか引っかかるんだよ。ヒロイン、婚約破棄、ゲーム……ダメだ思いだせない。

 目の前をボワッとした白いものが通り過ぎる。わたしは目をこすった。

「目がどうかしたのか?」

 トムお兄様に尋ねられる。

「なんか時々霞むっていうか……白いものが見えるっていうか」

「医者に診せるか? それともハイン様に診ていただいては?」

「ううん、そんな大袈裟なものじゃないから」

「続くようなら、診てもらえ」

「はーい」



 今日はテオドール様とラモン様との面談がある。それまで時間があったのでリリアンとして活動することにした。
 部屋が普通の客室ではなく王族スペースに組み込まれてから報告を怠っていたら、ちゃんと話に来なさいと連絡がきてしまった。もちろん普通の報告は王族スペースの執事長さんにしていたんだけど、客室のメイド長さんにもしないといけないらしい。
 1箇所には報告しているんだからいいじゃんとめんどくさい気持ちはあったが、ひとりで気ままに歩けるのは最高だ。ファニーのふりでなければヴェールをしないでいいし。視界がひらけているのは爽快だ。現在のメイドの仕事はベッドメイキングやお茶や食事の給仕のみ、だ。ファニーに嫌がらせ防止のためにいちいち魔スキャンしないといけないので、特別ルートで持ってきてもらうことになっている。そのためすることも少ないうえ、外に出るのはお茶会と夜会だけでいい加減モヤモヤしていたのだ。報告しお菓子を少しいただいて、ひとりの時間を満喫する。
 思いつきでタデウス様から聞いた抜け道ルートを歩いてみた。なるほど、ここに出るのか。道ひとつ知るだけでお城に詳しくなった気がして嬉しくなってしまう。

「あ、君」

 呼び掛けられて振り向く。

「あ、……上司さんとどうなりました?」

 タデウス様についていた時に、同僚から小突かれ、上司にも酷い扱いを受けている官僚の方だった。辞めなかったんだとホッとする。
 彼はあの後、タデウス様から呼び出しをくらい、洗いざらい話していたという。
 タデウス様経由の上からの計らいで彼は部署が移動になるらしい。少しの間、前の場所で頑張っているんだけど、そこでまた新たに不信感を抱いてしまったという。

 上司が今力を入れてやっていることがある法案を変えること。その法案自体は変えてもいいのではないかと自分も思うけれど、それを良しとすると次に国に許可を取らなくてもどの土地も買える免罪符になるんじゃないかと心配でさーと。

 この人案外有能なのでは? よくわからないけれど、官僚が問題点を感じるなら、それは話し合うべきことな気がする。そういうのを気付くのこそ、求められていることなのではないかと思う。それはやはりタデウス様に言ったほうがいいのではと言ってみると、「そう思う?」と同意を求められる。
 どうやら背中を押して欲しかったみたいだ。

「その話、詳しく聞かせてもらおうか?」

 後ろから声がして、わたしたちは飛び上がった。タデウス様どころではなく飛び越えて宰相様がいらした。そうだ、ここは宰相様の執務室に近い。

「いえ、あの」

 もじもじしている。
 わたしはひたすら頭を下げている。

「君も来なさい」

 げっ。この頃ヴェールで顔を隠しているからどんな表情をしても大丈夫だったので気にしていなかったが、まずい顔をしたと反省する。
 隣の官僚君はメイドでも知り合いが一緒なのは心強く思うみたいだ。連れて行かれたのは宰相様のお部屋で、しばらくするとタデウス様がやってきて、わたしを送るように言われる。
 うっ、そのために連れて来られたのか。

「リリアンは本当に箱入りなのだな」

 タデウス様にため息をつかれる。
 箱入り、わたしが? そういうのは深窓のお嬢様に使われる言葉だ。働くのにあくせくしているメイドに対する言葉じゃない。

「どこがそうなるんです?」

「少しは悪どいことも考えられるのかと思いきや、君は悪意に晒されたことがないんだね。大切に守られてきた」

 は?

「意地悪ぐらいされたことありますけど?」

 いばれたことではないが。

「世の中にはものすごく悪いことを考える奴もいるんだ」

「はい」

 そんなの知ってるよ。

「このことが終わるまで、君もファニー嬢もひとりで出歩くな」

「…………はい」





 部屋に帰れば、皆様もいらしていた。

「リリアン、ひとりで出歩いちゃだめだろう?」

 お兄様に怒られる。トムお兄様からもだ。

「仕事ですよ。メイド長様のところに報告に行ってたんです」

「メイド長に中庭に行くように指示されたのか?」

 真顔でタデウス様に尋ねられる。

「ち、違いますけれど」

 分が悪い。話題を変えよう。

「それより、皆様今日はいらっしゃる予定ではなかったですよね。どうされたんですか?」


 

「教本の初版本、とんでもない物だった」

 呟くように言ったラモン様の顔が青い。
 どうやらラモン様の召集だったようだ。

「どういうことだ?」

「悪いけど、僕にはどこまで話していいことか判断がつかない。でもこれは誓って一族を思ってではなく、クリスタラー令嬢を脅かすことになるからなんだ」

 ごくっとわたしの喉がなる。
 ど、どういうこと?
 教本にわたしを脅かすことが載ってるですって?

「不安にさせて悪いけれど、男爵にもファニー嬢にも伝えるべきだと思いました。初版本が知られることになると、ファニー嬢が危険です」

「ラモン、それは恐怖心を煽るだけになる。話すなら、全部話せよ」

 もっともな意見を出したテオドール様にラモン様は横に首を振った。

「これは駄目だ。重たすぎる」

 場がシーンとする。でもその様子だとラモン様は口はわらないだろう。
 みな同じことを思ったのか、タデウス様に尋ねられた。

「昨日、クジネ令嬢と話してどうだった? 何か聞き出せたのか?」

「まだ誰とも交際や婚約はしていなくて、けれど慕っている方はいるみたいですね。そしてわたしのことが大嫌いです」

 皆様が驚いた顔をする。

「何を言われたんだ?」

 殿下に答える。

「世間話をしたていどですけど、ひしひしと感じました。嫌われているって」

 いや、それよりもっと積極的に憎まれているといってもいいかもしれない。
 ……ふと不思議に思っていたことを尋ねる。

「皆様は本当にしたいことを、賭けでやろうと思います?」

 皆様がぽかんとした。
 例えば賭けで勝った方が騎士になれると言われたら、喜んで賭けに乗る人がいる?
 そうじゃない、そういうわけじゃないでしょ。
 賭けを仕掛けるのは、その勝敗の行方が、どちらに転んでもいい人が仕掛けるものだ。

 だからクジネ令嬢は誰が勝っても、誰の家宝を返すんでも、それはどうでもいいことな気がする。その先にあることだ、彼女の狙いは。
 そしてそれはわたしに関係あること。
 コトが何事もなく運べば、皆様は勝者として家宝が戻ってくる。
 わたしは? わたしは、最終的に婚約するわけよね。
 婚約。概ね幸せなはずね。
 彼女は最初に会った時から、わたしが幸せかどうか知りたがっていた。
 なんでだろう?

 〝おちなかったのだから、それなら幸せでいないとでしょう?〟

 堕ちなかった、過去形。堕ちていて欲しかったということ?
 マングレートとうちの領地は離れているし、クリスタラー家とも繋がりが見えない。クジネ男爵家とも関わりはない。うちは貧乏でひたすら領地に引きこもっていたし、学園に通っていた令嬢とは接点はなかったはずだ。それなのになぜ嫌われているんだろう。憎まれているんだろう?
 彼女の周りで何か接点があるんだ、わたしと。クリスタラー令嬢と。


 それぞれ皆様が考え込まれて、お開きになった。
 少し時間をおいて、本日のファニーとの面談をされるテオドール様がいらした。 
 他の方々と同じようにテオドール様も、最初にわたしを追い詰めたことを謝ってくださる。
 そしておもむろに。

「オレ、いや私は慕っている方がいます」

「……そ、そうなのですか」

 いきなりの告白にびっくりだ。

「私はリリアンが好きなんです」

 !

「話すたびに彼女に惹かれています」

 なっ。思考停止だ。頭が真っ白になる。

「彼女はひとりでがんじがらめになっている気がします。何かしたい、どうありたい、自由でいいのにいつも規制している。オレは彼女に自由であってほしいです。好きなことをして、毎日を楽しんでほしい。オレはそうできるよう隣にいたい」

 テオドール様の笑みはいつものイケイケのものではなくて、心から慈しんでいるのが窺えるような表情で。

「どんな彼女もオレは受け入れます。だから、嘘はつかなくていいし、装わなくていいし、自然体でいい。自然体な君が好きだから」

 え?
 手が伸びてきて、わたしの手をとる。手の甲に口を寄せた。

「それでは、ファニー嬢、また」

 わたしの手を戻すと、テオドール様は満足そうにそういって部屋を出て行った。
 なんで、最後、君? バレてる? バレてるの? 



 動揺もおさまらないうちに、最後はラモン様だ。
 ラモン様も、まず謝ってくれた。
 ラモン様はファニーには教本のことは一言も持ち出さなかった。

「質問していいかな?」

「はい」

「君は精霊を感じたことはある?」

「いいえ、ありません」

「身に緑を持っている?」

「……緑を持つとは、瞳と髪の色の両方が揃って緑であり、精霊に好かれることを意味します。わたしは緑を持っていません」

「じゃあ、どっちかは緑なんだね」

 薄いレースのカーテンと結界でこちらは見えていないと思うが、ラモン様はじーっとみている。

「隠したいなら、すぐ否定しないと肯定したことと同じになってしまうよ」

 ラモン様がクスクスと笑う。
 変に期待を持たれたりすると嫌だから言わないだけで、嘘をつきたいわけじゃない。

「僕、甘ったれって嫌いなんだよね」

 わたしは唖然とした。甘ったれはラモン様じゃん。

「でもさ、甘えまいって肩肘張っているの見るのは辛いものだね」

 そこで一息入れる。

「もっと、甘えていいと思うよ。甘えられてもなんでもないぐらいの度量のあるものしか、君の周りにはいないと思うから」

 ラモン様の言葉はなぜかわたしの胸に残った。
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