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第一章

第23話 フランツの剣戟、わたしの宣言

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 この話の主な登場人物

 カトリーヌ 主人公(わたし)
 フランツ 護衛
 ヒルダ 家庭教師

 アラベル 妹
 ラジモフ 出入りの商人

  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「ほう」

 ラジモフが片眉を上げ、「なかなかに、いや、とても素早い。あの一瞬の間で二振りするなど、並大抵の腕前ではない」と言った。

 フランツはまた剣を鞘に収め、身体を低くして同じ姿勢を取った。
 なおもラジモフは語る。

「その剣、刃がついてないな」

 わたしははっとした。
 切られたはずの傭兵二名。
 廊下に横たわっているのに、血が流れていないのだ。

 それをフランツは、「お嬢さまの旅立ちの日、その良き日に、この邸宅を血で汚したくない」と言った。

 それをラジモフはにやと笑いを浮かべて聞いていた。

「なるほどなるほど、そんな理由で刃のない剣を用いていると。ふん、甘っちょろい男だ」

 フランツは刃のない剣を用いていた。
 つまりただの薄い鉄板で暗殺者二名をたちまちにして気絶させたということだ。
 わたしは彼が武芸の達人であることは知っていたけど、本気の戦闘はこれまで見たことがなかった。

 ラジモフはマントから隠れた両腕を持ち上げる。
 その手には鉄の爪がはめられていた。

「暗器使いか」

 フランツが短く言う。
 ラジモフの拳からナイフのような鉄の爪が三本伸びている。
 それが両拳にはめられているのだ。

「お嬢さま、あれはバグ・ナグです」

 ヒルダが小声で教えてくれた。

「フランツは暗器って言っていたけど、あれ、暗殺に使うの?」

「はい、暗器バグ・ナグ。暗殺にも接近戦にも使う、とても恐ろしい武器です。こんな狭い室内で威力を発揮します」

 わたしはその説明を聞いて、とても恐ろしくなった。
 あのフランツの剣技を見ても、ラジモフは怖じけるどころか嬉々としてとしているからだ。
 そんな男が暗殺の武器で立ち向かってくる。
 わたしは不安で胸が張り裂けそうになった。

「フ、フランツ、気をつけて」

「お嬢さま、ご安心ください。あのような者に決して遅れは取りませぬ」

 そう言ってフランツは、またふしゅうと息を吐き、だんっと勢いよく飛び込んだ。
 そして抜刀して電光のように剣を横一線に走らせる。
 それはラジモフの胴をなぎった。
 筈だった。
 だけど、がきっと音がしてその剣が止まった。

 そこへラジモフの暗器バグ・ナグが襲う。
 それをフランツは剣で受け止めた。
 ぎんっと金属音が鳴り響き、ぎりぎりとこすれ合う音がする。

「その剣、やはり片刃剣か」

 ラジモフがフランツの剣を見てそう言った。
 さらにもう一本の腕にはめられたバグ・ナグで横から切りつける。
 それをかきんと剣ではじき、フランツは後ろに飛びすさる。

 ラジモフの上着、それがぺらとめくれ、中に防具が見えた。
 それはチェーン・メイルだった。

「刃のない剣で上着を両断するとは恐ろしい太刀筋だな、フランツ」

 そのとき、ラジモフの足下にぱらぱらと金属片が落ちた。
 それはチェーン・メイルの破片。
 フランツはその剣で防具をも破壊していたのだ。

「ラジモフ、肋骨が折れているはすだ」

 フランツがまた剣を鞘に収め、姿勢を低くして言った。
 それを聞いてもラジモフは、あいかわらず薄笑いをやめない。
 そして懐から小袋を取り出す。
 それは匂い袋。
 そこから、例のオピウムの甘い匂いが濃厚に漂っている。

「この程度の痛み、これを嗅ぐだけで打ち消せる」

 そう言って匂い袋をすうーっと吸い込む。そして、「はあー」と恍惚の表情をした。

「イカレたやつめ」

 フランツがにらむ。

「もうおやめなさい、ラジモフ」

 わたしは前に出る。

「これはこれはカトリーヌお嬢さま、直々のお声がけ光栄でございます」

 ラジモフはうやうやしく胸に手を当ててお辞儀をした。
 そらぞらしい男だ。

「この勝負、貴方の負けです。おとなしくその武器を納めなさい」

「何をおっしゃいます。夜中にお嬢さまを連れ出そうとした不届き者フランツとヒルダは成敗され、そしてカトリーヌさまは保護されるのです。このわたしめに」

「誰がお前などに」

 わたしが睨みつけたそのとき、ラジモフが右手を挙げる。
 邸宅の外で花火が打ち上がる。
 それは赤い燐光を瞬かせ、その光は、いま、わたしたちが居る廊下までをも照らし出した。

「信号弾!」

 ヒルダが声を上げる。

「いまの合図でわたしの手勢が押し寄せてくる。おとなしくしたがった方が、御身のため」

 そう言い放つラジモフを赤い燐光が照らし出す。
 その禍々しい顔が真っ赤に染まっている。

「お嬢さま、ここは一旦、退きましょう!」

 ヒルダが背後からわたしの袖を引く。

「妹を、アラベルをこのままにしておけない!」

「おねえちゃん」

 アラベルが手を伸ばす。
 わたしも手を伸ばしてそれを掴もうとする。
 だけどアラベルの背後にラジモフが居る。
 そしてそのマントで彼女を包み込もうとしていた。

「ラジモフ、妹を離しなさい!」

「おねいちゃん、逃げて」

「アラベル、さあこっちへ」

「だめ、だめなの、動かないの。身体が言うことを聞かないの」

 前に進もうとするわたしを、ヒルダがしっかりとつかまえている。
 そして、「なりません、なりませぬ」と必死にわたしを留めている。

「フランツ、お願い、妹を!」

 わたしは叫ぶ。
 フランツが前に出る。
 そのとき、ラジモフの背後から矢が飛んでくる。

「ふんっ」

 フランツは剣で矢をたたき落とした。
 だけど二の矢、三の矢と飛んでくる。
 それで前に進めない。
 さらにラジモフの背後、その廊下の奥から傭兵の一団が走ってくるのが見えた。

「お嬢さま、お願いです。いまはこの場を離れましょう!」

 ヒルダが必死にわたしを引き下げようとする。

「おねいちゃん、行って。そしてみんなを助けて」

 妹の背後に迫ったラジモフがマントを持ち上げる、そしてアラベルを包み込もうとしている。
 そのマントの中は漆黒。そんな闇が妹を飲み込もうとしていた。

「アラベル!」

「ごめんさない、あんなことしてごめんなさい。そして、わ、わたし、こわい」

 アラベルの身体を暗闇が包み込んでゆく。
 そして彼女の恐怖に歪んだ顔だけが残っている。
 わたしは絶望に飲み込まれようとしている妹に最後の言葉をかける。

「アラベル、安心して。いつかきっとこの家から不埒な者どもを一掃して貴女を助け出します。それは当家の長女、エロイーズ・ジョルジーヌ・カトリーヌ・フォルチエ、そう、このわたしが約束します!」

 それを聞いたアナベルは泣きながら笑みを浮かべている。
 そして、「きっとだよ、おねいちゃん。わたし、待ってる」
 その言葉を最後に、アラベルは暗闇のマントに包み込まれて見えなくなった。

 わたしはそれを微笑んで見た。
 ほんとうは悲しくて心配でどうしようもない。
 だけどそんな不安を妹に見せたくはなかった。
 ──大丈夫、わたしが助ける。
 そんな決意を微笑みに乗せたのだ。

 しかし、その一瞬のあと、わたしは厳しい目つきで目の前の男を見た。
 そのラジモフはわたしの妹をマントの中に隠し持ち、勝ち誇ったように笑みを浮かべている。

「感動の別れと言いたいところだが、直ぐに合わせてあげますよ。このわたしが」

「頭が高いぞ、狼藉者!」

 わたしはぴしゃりと言った。
 それを受けたラジモフが鼻白んだ。
 そこへわたしが畳みかける。

「このわたしを誰だと思っている。北の国境、その最重要拠点を守るフォルチェ鉄壁王の長女なるぞ。暗闇でこそこそとうごめく輩ども、お前らこぞって白日の下にさらけ出してやる。さらけ出して成敗いたす。このわたしがそれを宣言する、覚悟するがいいっ!」
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